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「すーすーはっはっすーすーはっはっ」
呼吸でリズムを取りながら、広い通路を走る。
ただ転移装置があるため、特に外に出る必要性は皆無である。だが運動不足になりがちな現代人、国はある程度の距離なら歩く事を推奨している。
走りながら首を上へとあげた。
空は無いが、二百メートルほどの高さに明るく光る天井が見えた。
この天井は太陽光に似た光を発している。このため、通路に沿った形で植えられている街路樹は元気に葉を咲かせていた。
当然地下の世界なため雨は降らないが、通路の下に水が流れており枯れる心配はない。
また時間によって天井の明るさが変化し、夜はご丁寧に星空を映し出している。巨大なプラネタリウムといったところである。
「それにしても三年も昔の夢を見るとはな、ショーコちゃん着いてこれるか?」
ユキリの脳内彼女であるショーコちゃんは、三年経過しても存命しているらしい。
あの時と同じように後ろへ手を伸ばし、優しく握った。
そしてショーコちゃんを脳内で引っ張りながら今日の夢を思い出す。
ユキリは物心ついたときから、あちら側の世界へ転移できる能力に目覚めていた。
そしてとある日、爺ちゃん……剣帝グランダルと出会い、紆余曲折があったものの彼の弟子となって剣の修行をしていた。
月日は巡り剣帝と出会って十年、とうとうグランダルから卒業試験を言い渡された。
それがあの三年前の戦いである。
見事試験はクリアしたものの、それからが大変だった。
助けた妖精族の姫様には侮辱した謝罪と賠償を要求され、爺ちゃんには、脳内彼女一人しか居ないとはお前もまだまだひよっこじゃの、と言われるし。
そしてその爺ちゃんもあの日、とうとう成仏してしまった。
剣帝グランダル。ユキリの剣の師匠。彼の編み出した光王剣は、あちら側で最強の剣技だ。そして光王剣は女を護るための剣技。逆に言えば女が居ないと使えない剣技。
剣帝グランダルも脳内に十人以上の彼女を作って、光王剣を自由自在に扱った。ユキリも彼にそのやり方を教えてもらい、ショーコちゃんと言う脳内彼女を作り出したのだ。
だが脳内彼女を作って周りが喜ぶのは小学生までである。
中学に通うようになったユキリはその現実を知り、一時期立ち直れなかった事があった。
脳内彼女? 何それ? キモい、近寄らないで、などと女子たちに言われたのだ。思春期真っ盛りのユキリにとって深刻なダメージなのは想像に難くない。
けっ、所詮現実の女なんてその程度さ。やはり俺にはショーコちゃん以外、必要ないんだ。
何となく腹が立ってきて地面を蹴り、数十メートルも跳んだ。普通の人間には到底できない芸当である。
っといけない。今の誰かに見られていないよな?
この世界は転移装置があるのだ。誰しも楽なほうを選ぶからか、外を出歩く人は少ない。
視線を動かすものの、誰も居なかった。
ふぅ、気をつけなきゃな。見つかったら面倒な事になりそうだし。
地面に降りたユキリは再び中学校へ向けて駆け出した。
自身の後姿を遠くから見ていた一人の少女に気がつかずに……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「喬! とうとうお別れだな」
「沢神はアビ学へ行くんだったっけ」
中学校の卒業式も終わり、ユキリは体育館から教室へと移動していたとき、後ろから声をかけられた。中学一年の頃からずっと同じクラスだった沢神晴彦である。
彼だけはユキリの脳内彼女の事を認め、俺もお前もモテないからな、もう俺たちには脳内彼女を作るしか逃げ場は無いんだ、と固く友情を誓った仲である。
そんな彼はつい最近ウィッシュ能力に目覚めた為、中学卒業と同時にアビリティ開発学校、通称アビ学へ通うことになった。
ウィッシュ能力とは寝ている間、あちら側の世界へと精神のみを移動させる力である。
三年前、突然この能力に目覚めた人間が現れた。数万人に一人という希少な能力である。またあちら側で覚えた魔法は、こちら側の世界でも威力は落ちるものの、使う事が出来る。
国は魔法という技術は資源を生み出す能力になる、と考えウィッシュ能力を持っている人間を世界中から集め、そしてより強力な魔法を使えるようサポート体制を整えた。
それがアビ学である。
「そうだよ、羨ましいだろ? 何せ将来は国家公務員確定だしな! 安定最高!」
「安定って子供らしくねーな。ちゃんと夢見ろよ」
「毎夜、夢の中であちら側の世界に行って必死に魔法覚えてるさ!」
全身を歓喜で震わせながら叫ぶ沢神。そんな彼をユキリは醒めた目で見た。
「ふーん、あちら側って楽しいのか?」
「おうとも! まあ怖いモンスターとかいるけど、死んでも大丈夫だからな」
あちら側へは精神のみ移動する。このため、例えあちら側で死んだとしてもこちら側への影響は少ない。
ただし少ないとはいえ、死を体験するのだ。精神的なショックは受けるため、二~三日の休養は必要になるが。
「で、どのくらい魔法使えるんだ?」
「まだ扇風機代わりの風を十秒くらい起こせるくらいだな」
「……まあ精進しろよ」
「いつか風の大魔法使いになってやるさ! 格好いいぜ俺様!」
「はいはい、偉くなったら俺を雇ってくれよ」
「任せろ!」
ガッツポーズを取る沢神は、ふと気がついたようにユキリに尋ねた。
「そういや、喬はアジ高へ行くんだったよな」
「ああ、そうだ」
アジ高、地域立安治ヶ原(あじがはら)高校は日本地域の第二階層でもトップランクの高校だ。
今の人類は地下に住んでおり、深さは十階層に分けられている。そのうち、七階層までが国民の住居として割り当てられており、それより下は国の重要施設になっている。
ちなみに、この世界の国は一つのみである。慣例的にアメリカやロシア、中国やイギリスなど昔の国名を地域名に充てているが、国は一つだけだ。
「俺の姉ちゃんが通ってるから、何かあったら頼れよ」
「へぇ、お前の姉貴ってアジ高通ってたんだ。弟のお前と違って賢いんだな」
「や、やかましいっ! ちゃっかり自分も賢いって言ってるし」
「まあいいじゃないか、将来公務員の沢神君。それよりありがとな」
「お? まあ今生の別れじゃないし、何かあったら転移装置で行くから!」
「ああ、またな!」
その日、ユキリは中学を卒業した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ウィッシュ能力……か。
ユキリはその日の晩、ベッドに寝転びながらぼーっと考え事をしていた。
俺は十年以上昔からあちら側へ行く事が出来た。でも、そのウィッシュ能力とやらは三年前に突然発現した能力と聞いている。
じゃあ俺は何なのだ? 国の言っている三年前というのが嘘で、本当は何年も昔からある能力なのか? それとも俺の能力は、ウィッシュ能力とは違うのか?
違う。
ウィッシュ能力は精神をあちら側へ移動させる能力だ。本体はこちら側に残ったままである。あちら側の肉体は仮初めに過ぎない。
だからいくらあちら側で肉体を鍛えても、こちら側の肉体には全く影響はない。
逆に魔法は精神が重要であり、そして精神は共通であるためこちら側でも扱う事ができる。
しかし俺は身体丸ごとあちら側に移動、いや転移するのだ。
だからあちら側で得た剣技や肉体強化は全て身に付いている。今日、ついやってしまった異常なまでの跳躍力もその一つである。
その代わり沢神のように死んでも大丈夫、なんて事は言えない。死んだらそこで終わりなのだから。
まあそれは別に良い。
それより、なぜ今になってあんな夢を見たのだろう。受験があった為、ここ一年以上あちら側へは行っていない。
少し気になるし、久々に行ってみるか? どうせ明日から春休みだし、一週間くらい向こうで暮らしても良いか。
それに妖精族の姫様、ルルと久しぶりに会うのも良いだろう。
着替えを用意して行くか。
ユキリはベッドから飛び起き、空に手を翳した。
すると翳した少し先の空に、ユキリの持っている服が映ったディスプレイが開いた。
スマートフォンを操るように指先で次々とページを送り、気に入った服を見つけると下へ指を動かすと、ディスプレイが本物の服が落ちてきた。
そうやって一週間分の服を選択し、ケースへと仕舞いこむ。
そうだ、ルルにケーキでも持って行ってやるか。
今度は左腕に付いてる腕輪を軽く振ると、同じようにディスプレイが空に現れた。
ジャンルで洋菓子、ケーキを選択して一覧を表示させる。
次々と早送りすると、ふとブルーベリー系のショートケーキが目に入った。次に値段へ目が行く。
これ美味そうだな。そこまで高くは無いし、これにするか。
購入個数を選択しようとして、指先が止まる。
そういやルルの奴、あの小さい身体でケーキを三切れも食うんだよな。奴の胃袋は異空間に繋がっているに違いない。
一年以上会ってないし、サービスしておくか。
五個と選択して購入ボタンを押す。十秒ほど待つとディスプレイの下に、白く薄っぺら箱が転送されてきた。
中を見ると、先ほど買ったケーキが五個鎮座している。
同じものばかり五個も買うのはどうかと思うが、食えりゃ同じものでも良いと思っているユキリにそれを期待しても仕方ないだろう。
ま、こんなものか。
服の入ったケースを右手、そしてケーキを左手で持って玄関へ行き靴を履く。
そして目を塞ぐユキリ。
じゃあ行くか!
次の瞬間、ユキリの姿が掻き消すように消え失せた。