もうひとつの戦い
あの日、有はここで涼を看ていた。
激しく地面が振動し、ズシンと大きな音がしたので、遂に大岩が外れたのを有は知った。
青白い顔の涼を一人で見ていると、とても不安だった。本当はすぐに病院へ連れて行くべきなのだ。でも、有は皆が戦っているここを離れることは出来なかった。
戸口を叩く音がする。有はビクッとした。
「どちら様ですか?」
男性の声がする。
「月の巫女さんはいらっしゃいますか?役場の村野です。」
村野は村役場で事務をしている若手の男性だ。有は戸を開けた。
「ああ、有さん。」
彼はホッとしたように言った。後ろには十人ほどの村人が立っている。
「今、物凄い地響きがして、大岩の所へ見に行って来たんですよ。」村野はそわそわと森の方を見た。「大岩が崩れて落ちていて、維月さんが何かぼんやり黒くて大きいものに、突き飛ばされたりしていて…。」
母が戦っている。維月は心臓がギュッと掴まれるような気がした。後ろから別の村人が言う。
「それで月から」その村人は唾を飲み込んだ。「月からまっすぐに維月さんに光が降りてたんで。まるで記録に残されてる、巫女さんの記述そのままでして。」
月が常人にも可視出来る光を降ろしている。有は居ても立っても居られなくなった。
「弟たちも妹も居るんです!記録は本物です…母達は今、とても大きな悪い力と戦っています。封印が、解けてしまったのですわ。」
村野は頷いた。
「あんなものを見たのは初めてです。何か出来る事はありますか?」
有は走り出ようとして、後ろを振り返った。
「妹が、あれにやられて意識を失っています。お医者様をお呼びください。」
村野はすぐに後ろを向いて村人達に何やら指示を出している。有はすぐに森に向かって走り出した。
「有さん!」村野が後ろから叫ぶ。「私は役場のカブに乗って来ています。後ろに乗せますよ!」
有は頷いて、村野の後ろにまたがった。
森の道を走り抜けて行く間、有は月を見上げた。相変わらず月から下に向けて光の筋がまっすぐに降りている。まだ、大丈夫だ。あの力が降りているうちは、まだ無事のはずなのだ。
村野はカブで走りながら叫んだ。
「向こうに何人か村人が残って様子を見守っています!」
有はわかったというように頷く。川原の入り口付近には、何人かの男性が、身を屈めて川原の様子を見ていた。
二人が離れた所でカブを降りて歩いて近付くと、一人が青い顔をして声を潜めて言った。
「維月さんが、飛んで来た何かにはね飛ばされて…」ゴクリと喉を鳴らす。「それで…それで、月から人が降りて来たんですわ。浮いていて、すーっと動いて…」
他の男性も頷いた。
「嘘じゃねぇです。オレら、みんながそれを見たんですから。ほら、あそこに!」
有は指差す先に十六夜を見た。母達の前に立ち、蒼の方を見ている。
「十六夜…。」
有は呟いた。刹那、蒼が激しい光を放った。
そこに居る皆が強い光に目を背けた。その力の強さは、有の身にもビリビリと伝わって来る。
すごい…あの子、すごいわ。
有は蒼の力に怖さも感じた。ここに居る人皆にも見える大きな力。有では考えられないものだった。
「…すげぇ…。」
村野が誰ともなしに呟く。浄化を見慣れた自分ですら恐れを抱くほどの光景なのだ。初めて見る人には、どれ程ショックなことだろう。
有は大きく開いた洞窟の方を見やった。あの中に何百年も、こんなものを封じていたなんて。有には濃く深い闇の念がそのまま目に映っているが、村人達にはぼんやりした黒いものに見えるらしい。闇は闇で、ぼんやりとでも常人に見えるのだから、その力の大きさは容易に想像出来た。
後ろから、何人かの村人がまたやって来た。手に担架や、毛布などを持っている。
「妹さんは、村の先生を呼びに行かせて、今診てもらってまさぁ。何かあっちゃいけないんで、いろいろ持って来たんで。」
初老の男性は、話しながらも背後の光景に目は釘付けになっている。
「ああ!」
村野が叫んだ。有は慌てて振り返る。蒼がはね飛ばされて、地面に叩きつけられる所だった。
「蒼!」
有は飛び出そうとして、村野に腕を掴まれた。
「有さん、今はダメだ!」
有が抗議しようとした時、十六夜が飛び出したのが視界をかすめた。そのまま起き上がらない蒼の前で、攻撃の盾になっている。
有は母達の方を見た。何の守りもなく、気を失ったまま、激しい戦いの近くに居る。有は決心した。
「皆さん、聞いてください。」有は村人達に向き合った。「私は母達を守りに行きます。見えないかもしれないけど、光の結界を張って、これ以上傷付けられないように守ります。もしも私達が誰一人起き上がらなくなったら、迷わず逃げてください。出来るだけ早く!」
有は母達の元に走った。その時、辺り一帯を照らし出す、大きな光の柱が月から地上へ向けて落ちて、爆発したかのように真っ白に光った。
十六夜が蒼に降りたのがわかった。
母はピクリとも動かなかった。恒と遙も気を失っている。それでも固くつながれたままの手に、有は涙が出た。最後まで、戦ってたんだ…。
有は三人を包む結界を張り、遙の手を握った。すると双子は光を発し、遙の手から有に向けて強化の力が流れ込んで来た。結界が力を得て濃く白く光輝く。
気を失ってなお、戦おうとする二人に、有は必ず守りきると心に誓った。
目の前で蒼に入った十六夜が戦っている。
闇から飛んで来た攻撃は、有の結界が弾き飛ばした。
闇の声はいつしか聞こえなくなり、光は闇を消滅させた。蒼がばったりと倒れたのが見える。
有は闇の気配がなくなったのを確認し、村人達を呼び、皆を家へと運んでもらったのだった。
有は続けた。「先生に診てもらっているけど、涼は傷もないし、なぜこんなに弱っているのか、気がつかないのかわからないそうよ。昨日、月に聞いたら、闇が消滅して光の力は戻っているけど、生気はほとんど感じられないままなのですって。母さんは」有は暗い顔になった。「肋骨二本が折れていて、あちこち擦り傷があるけど、命に関わることはないとのことだったのに、やっぱり生気はほとんど無くて、目が覚めないの…。」
蒼は青い顔をしている二人を交互に見た。
「恒と遙は?」
有は微笑んだ。
「あの子達は大丈夫。すぐに気がついて、傷も浅かったし。」
蒼はハッとした。
「裕馬」と慌てて、「裕馬は?!」
有は頷いた。
「大丈夫。酷い怪我はしていなかったの。ただやっぱり消耗していて、特に精神的にね…闇に心を食われていたから、断片的な記憶しかないみたいで。部屋に居るわ。」
蒼はホッとして布団から出て立ち上がった。少しふらついたが、大丈夫だ。右足が痛い。ふと見ると、包帯がぐるぐる巻きになっていた。違和感を感じて触ると、頭にも包帯が巻かれてある。
「あんたは特にあっちこっち怪我してて大変だったのよ。でも、丈夫よね。骨は折れてなかったわ。右足は折れててもおかしくないほどの怪我だったけど。」
蒼は脚を引きずって母と涼の側へ行った。オレは怪我はしても元気だ。今も生気は満タンに戻ってると言い切れる。
蒼は試しに涼の手に触れた。オレの生きるエネルギーを分けたらいいんじゃないのか?出来るかどう分からないが、やってみよう。
蒼は目を閉じて念じてみた。
オレの生気を涼に…。半分でもいいから、涼に…。
スッと、何かが水のように流れて蒼の手から涼へ流れ込んだ気がした。何かが乗っかって来たかのように、体がズンッと重くなる。あ、なんか成功した気がする。
涼の頬に赤みが差した。目をしばたかせて開ける。有は狂喜して涼を抱き締めた。
「涼!涼!ああ…ほんとに心配したのよ!」
涼はキョトンとしている。次に蒼は母を振り返った。手を取る。
《…だ、ダメだ、蒼…それ以上…》
微かに、十六夜の声が聞こえたような気がした。
「今、十六夜の声した?」
有はいぶかしんだ。「今昼間よ。」
蒼はもう一度母に向き合った。
《一日待てば…今維月に力を…ば…お前…。》
やっぱり聞こえる。そういえば母は言っていた。「昼間でも聞こえてもおかしくないのに」
「十六夜?オレに話してる?」
蒼は耳をすました。とても遠い所から聞こえて来るような、微かな声が答えた。
《蒼…聞こえるか?維月に力を分けてはダメだ。明日まで待て。いくらお前でも生気が無くなるぞ》
蒼は母の手を離した。「母さんは明日にしろって。オレが倒れるみたい。」
有はあからさまにびっくりした。
「ほんとあんたって、便利ねぇ…。」
蒼はフラフラと布団へ戻った。確かにダメだ。力が抜けて…。
また蒼は、眠りに落ちて行った。




