降臨
蒼が生まれた時、その日のうちに維月は病院の屋上へ、蒼を抱いて出た。夏の日だった。
「月、男生んだわよー!」
維月は叫んだ。月は仰天した。
《何をやっているっ?寝てなきゃダメだろうが!》
「だって珍しいでしょ?男よ男。月には初めてじゃない。」
《わかったから早く寝てろ!赤ん坊もこんなに早く外気にさらすものじゃない!》
若い維月はプッと膨れた。
「何よ、喜ぶかと思ったのに。」
《両方無事なのには充分喜んだ。さあ病室へ戻れ。》
維月は急に真剣な顔になった。
「お願いがあるのよ、月。この子を見て。」
月はため息をついて赤ん坊を見た。光輝いている。
《コイツは…。》
「そうなの。」維月は言った。「もう光っているの。潜在能力は計り知れないわ。覚醒するのはいつか、わからないけれど…。」
《おそらく今まで見て来た以上の力は持っているな。》
維月は赤ん坊を見つめた。
「この子が生まれて来たのは、きっと意味があるのね。初めての男で、こんなに力を持っていて…まるで何か私では手に負えない事態が起こるのを、予測するかように」と、月を見上げた。「あなたは、この子の父親になって。」
《なに?オレはお前に文字どおり指一本触れちゃいないぞ。》
「何言ってるのよ違うわよ。」維月は眉をしかめた。「これから覚醒することがあれば、この子の相談相手はあなたしか居ないわ。私がそうであったように。私は何があってもこの子を命懸けで守るわ。だから私が守れなくなった時、あなたがこの子を守って。」
月は少し黙った。
《オレは力を与えるしか出来ないのだぞ。》
「そうよ。でも、私は力を与えることも、出来ないわ。それでも守るの。母親だから。あなたは父親として、最後まであきらめないでこの子を守って欲しいの。私かこの子の、どちらかの命を選らばなきゃならなくなったら、あなたはこの子の命を守って。私は自分のことは、自分で責任とるから。」
十六夜はためらった。
《お前、それは…》
維月は遮った。
「お願いよ。約束して。この子には他に頼るものがないのよ。」
月は赤ん坊を見つめているようだったが、やがて決心したかのように言った。
《約束しよう。維月、オレはコイツを、お前の代わりに必ず守って見せる。》
巨大な闇は蒼に向かっていた。闇にとっても緊張を強いられる相手のようで、苛立たしげに黒い霧を撒き散らしている。
蒼はあちこち怪我をしていた。それでも尽きることのない生気は、十六夜の目にも眩しいほどだった。しかし、人としての生物的な体は、明らかに消耗していた。右足は体重の半分を支え切れておらず、背には打撲傷を負い、顔の横には頭のどこかから流れて来た血が流れてへばりついている。さっきと同じ力を出せるのかは疑問だった。
それでも蒼は、闇に対峙してひるむことはなかった。世の人の平穏な生活もだが、何より母親や兄弟姉妹、それに親友の運命が、18歳にしかならず、覚醒して間もないその肩に掛かっているのだ。
維月はこの日が来るのを感じていた。十六夜は蒼の後ろ姿に生まれたばかりの時の蒼を思っていた。
「十六夜、三人を頼む!」
蒼は叫んだ。
刹那、蒼は大きな光の盾を作った。闇からの黒い玉の攻撃は、その盾が苦もなく弾き飛ばす。闇は雄叫びを上げた。
《おのれ~光の継承者め!》
闇は苛立ち、無数の黒い玉を放って防御しようとした。しかし全て、盾を破壊することは出来ない。蒼は盾を前に、脚を引きずりながら前へと進んだ。
光の盾は闇の大きさまで広がり、巻き込もうと大きく闇へ包み込むように形を変えて行く。十六夜は自分の本体から凄まじい量の力が放出されているのを感じた。
闇はもがいてその形を波立たせ、一端が千切れて光の外へ飛び出した。
『蒼!』
十六夜は叫んだ。闇の一部は蒼に直撃し、蒼は弾き飛ばされて地面へ叩きつけられた。光の流れは止まった。
《分離の経験が役に立った。死ね!》
闇は叫んで蒼に向かって叩きつけるように黒い玉を打った。
蒼は逃れようとした。
…立ち上がれない。
蒼は目をつぶった。オレは皆を助けられなかった…最後までやっぱり、家族一の落ちこぼれのまま…。
『何をあきらめてやがる!』
十六夜の声が間近に聞こえた。
驚いて目を開けると、十六夜が闇に対する盾として目の前にいた。
「十六夜…平気なの?」
闇が直撃したはずだ。十六夜は言った。
『オレはエネルギー体だ。一瞬形が崩れたが、すぐに元に戻った。』
闇は怒り狂った。
《光め~!なぜここにいる?!無様に自分の宿主を殺した、この偽善者が!》
十六夜は闇を睨み付けた。闇からは無数の黒い玉が降り注いで来る。十六夜のエネルギー体は、それを受ける度に形を崩して、より光に近い形状になった。
蒼は思った。長くはもたない。
「十六夜、オレに降りてくれ。」
《…それは…。》
十六夜の声は念のそれに戻っている。時間がない。
「約束したじゃないか!オレはもう立ち上がれない。このままじゃ倒せない。オレだけでなく、母さんやみんなが殺されてしまう!」蒼は必死に半身を起こした。「早く!ヤツを消滅させるんだ!」
十六夜はツクヨミの声を聞いた気がした。
ー早く、私の体を使って、これを封じて!私はもう、動けないわ…
蒼は力一杯叫んで手を伸ばした。
「来い!十六夜!」
十六夜は光になって、蒼の体に飛び込んだ。
その瞬間、蒼は激しく光輝き、闇の玉はその光の力に霧散して散って行く。闇はその光の力に圧倒され、たじろいた。
光がおさまったあとには、蒼が光をまとって立っていた。
その瞳は、金色だった。




