夏の日の出来事
裕馬は、いつも蒼を見ていた。
蒼は背も高く体格もよく、手足が長くてスタイルもいい。
全く身の回りには構わないのに、持って生まれた涼やかな目と、通った鼻筋に薄い口唇で、愛想はよくないのに、密かに女子に騒がれていたのを知っていた。
一緒に居る自分は、引き立て役のように思うことはしょっちゅうで、裕馬の友達でさえ、蒼には一目置いているのはわかっていた。
蒼の家に招かれて行った時には、とても同じ母とは思えないほど若くて美しい母に、優しく穏やかな姉、気の強そうな美人の妹、一番下の引っ込み思案なかわいい妹と、裕馬が欲しいものは全て持っているように見えた。
それらを当然のように思っている蒼を、妬ましくも思っていた。
それでも裕馬は、蒼が好きだった。
飾らない、裏表のない性格も、まっすぐな考え方も、一緒にいるとなぜか気分の良くなる雰囲気も、そして、たまに垣間見える、不思議なところも。
だから、夏休みを一緒に田舎で過ごそうと言われた時は、二つ返事でOKした。
その日は、自転車で蒼と二人、近くの森に出掛けた。
森の奥まで行くと、いきなり道が開けて、そこには川原があった。
暑い夏の日に自転車ですっかり汗をかいていた二人は、大喜びで浅瀬に入り、しばらく遊んだ。
時間を過ごすと、喉が乾いて空腹になった。蒼が水から上がって言った。
「オレ、戻って母さんに何かもらってくるよ。裕馬はここで待ってるか?」
正直、また自転車で戻るのが億劫だった裕馬は、蒼に任せて一人川原で待っていることにした。
しばらく待ったが、蒼が戻ってくる気配はない。
裕馬は、自分も一度戻ろうかと振り返った時、そこにたくさんの縄がかけられている大岩を見付けた。
その岩は、不自然に山に突き刺さるようにそこにあった。縄は新しいものと古いものがあり、それが何を意味するのか、裕馬にはわからなかった。
岩の端から端まで歩いて来た時、何かの気配がした。
「誰だ?!」
裕馬は振り返って見たが、何も見えない。気のせいかともう一度岩の方を見ると、そこには黒い霧が少し、浮いていた。
《お前は、あの人間を妬んでいるだろう》
その声は言った。
「何?誰かいるのか?!」
声は猫なで声で続けた。
《分かる、分かるぞ。お前だって日の当たる所に出たいはずだ》その声は続けた。《あの人間はなんでも持っている。美しい母も、優しい姉も、かわいい妹も、そして恵まれた容姿も。その上、いろいろと見通せる力まで持っているのではないか。お前には何がある?》
裕馬は頭を振った。
「やめろ、オレはそんなこと気にしちゃいない」
声は容赦なかった。
《お前が中学の時から好きだった子はどうだ?やっと話しかけてくれたと思ったら、あの子はあの人間と話したいとお前に言ったのだろう?》
なんでそんなことを知ってるんだ。裕馬は耳を塞いだ。
《それなのにあの人間はなんと言った?興味がないと一蹴したのでないのか。》
そうだ。蒼はあの子のことは興味がないと言った。あの子は泣いてオレを責めたじゃないか。なんでオレが責められるんだと思った。そうだった。
声はいよいよ力強い声で言った。
《お前は貧乏くじばかり引いて来た。あの人間は、恵まれた状態を当然のものだと思っている。お前のことなど気にもしていないのだ。お前はよく我慢した。》
そうだ、蒼は自分が恵まれていることなど全くわかっちゃいない。ちょっとカッコ良くて、モテる癖にそんなことは当然だと思っている。だから、あんなに気のないことが言えるんだ。
声は勝ち誇ったように言った。
《オレは、お前に、不思議な力を与えてやることができる。今まで見えなかったものが見えるようになる。あの人間の、裏の顔も見えるようになるかも知れない。あの人間の持つ恵まれたものを、今度はお前が手にするんだ。》
裕馬は、耳を塞いでいた手を離した。「どうやって?」
《こちらへ来い》
声は誘導した。裕馬は、声のする方向へ恐る恐る足を踏み出した。縄が切れている所がある。声はさらに言った。
《さあ、そこの岩の切れ間に、手を置くのだ。オレがお前に、全てを与えてやろう・・・。》
裕馬は、言われるままに、既に憑かれたように手を伸ばした。その瞬間、その隙間から何かが自分の中に向かって流れ込んで来るのを感じた。あまりのショックに、裕馬は気を失って倒れた。
《ハハハハ!これでオレは自由だ。今の世は、なんと難しいことよ。お前と共に、あの光を滅ぼしてやろう!今度はしくじらんぞ!》
笑い声が響いたが、そこには誰も居なかった。
しばらくして、蒼が弁当を持って戻って来た。その時、裕馬が倒れているのを発見し、慌てて病院へ運んだのだった。熱射病だと診断され、裕馬はそのあと、迎えに来た母と家に帰ったのだった。
心の中には、しっかりと、身を潜める闇を宿していた。
裕馬は、闇にいろいろなことを教えてもらった。蒼が光を操る一族の生まれであること、蒼自身はその力に気付いていないこと、しかし蒼の力は、覚醒すると恐ろしいものであるということ。
それは既に十年前から闇は知っていたことで、いろいろと画策したが、いつも回りにいる仲間に阻まれてしまったこと。闇は、裕馬のように、光の影になってしまっている人間たちを開放するために影を解放したいのだと言った。そのためには、裕馬は決して闇が宿っていることを知られてはならない、そのためにいつも通りに過ごすようにと言いつかっていた。
裕馬は闇の言う通りにした。いつか自分たち日陰の者たちが開放されるために、これは必要なことだと思っていた。
しかし裕馬は、自分が段々怖くなって来ていた。今までなんでもなかったことが、我慢出来ずに人を殴ってしまったり、そんなことが起こるようになって来たのだ。
部活動の時、バスケ部のボールがこちらに飛んできて卓球台に当たっただけで、抑えきれなくなって殴りかかって、乱闘騒ぎになってしまった時も、最初に手を出したのは自分だった。それでも裕馬は、いつか自分の中からこの妬みという嫌な感情がなくなるのだと信じて、闇の言うとおりにした。
しかし蒼の前では、やはり心が洗われるようで、少しも感情の爆発などは起こらなかった。蒼と一緒に居るときは、闇もなりを潜めて出て来ないので、とても気持ちが落ち着いた。自分は蒼を恨んでなどいないと、いつも思った。
闇は、そんな裕馬をなじった。光の肩を持つやつなのかと、何度も心を痛め付けられた。
裕馬は、いつしか、闇の奴隷のようになっている自分に気づいていた。
そんなある日、蒼は覚醒した。
闇からそれを聞いた裕馬は、恐ろしさに震えた。きっと蒼は、自分のことに気付く。気付いて責めて、オレを光で消してしまうかもしれない。自分が闇に染まってしまっているのは、裕馬自身よくわかっていた。どう後悔しても、きっともう遅いのだと思った。
闇に言われた通り、犬に黒い霧を憑かせたのも自分だ。あの時裕馬は、隠れて蒼の様子を見ていた。
蒼は白く輝いて、神様のようだと裕馬は思った。自分も見えるようになって、それが闇の力のおかげだと思うと、悲しくなった。
沙依の所にいる闇の異変に気付いたのは、それから少ししてからだった。
闇は蒼がいつ浄化に行くのか聞きだせと言った。見えない自分がそんなことを聞くことは、到底不可能に思えたのに、蒼は自分から、事の次第を自分を信じて打ち明けてくれた。蒼の気持ちに心が痛んだが、その時、もうすでに裕馬には余裕がなかった。
闇から、もしあの沙依のところの闇が消滅でもさせられたら、裕馬の中の闇どころが、その闇が依り代にしている自分自身の体さえ、壊されかねないと聞かされたからだった。
戦いが始まったのは、身に伝わってきて分かった。闇が光に包まれた時、何とも言えない息苦しさを感じていた。浄化されてしまわないか、裕馬は確認に行く必要があった。だから息苦しくてふらふらしながらも、神社へ様子を見に行ったのだった。
そして、危惧した通り、浄化されてしまった瞬間、裕馬は自分が押しつぶされたかのような感覚に気を失った。もう死ぬのだという思いと、蒼は封じると言ったのになぜ自分に嘘をついたのだろうという不信感でいっぱいだった。
気がついた時、闇も気がついたようだった。そして決心した。やはり、闇と共に生きるしかないのだ。自分はここまで闇と歩いて来て、もうすっかり闇に染まってしまっているのだ。今更蒼の居る光の場所へなど、行けはしないのだと思った。
そして、蒼の祖母の家へ、またやって来たのだった。
とにかく誰でもいい。隙が出来たら、力を奪い、闇の封印を解くのだ。




