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第八話「喪失」

「あ、足速え……」

 あっという間に視界から消え去ったイリスとナァク。彼女らを追う(すべ)をなくし、銀はあてもなく彼女らが去って行った方向を走り続けていた。

 理不尽な気がした。せっかく頼ってくれたというのに、あっさり見限られたような……。

 イリスにしてみれば、自分を気遣い、護っているつもりなのだろうが、そればかりは受け入れられない――否、受け入れるわけにはいかない。

 助ける。絶対に。誰かに犠牲を()いてまでのうのうと生きていられるほど、自分は無神経ではないのだから。

「――おお!?」

 疾走する銀の前方の角に、いきなり何者かが現れた。

 とっさに対処しきれず、しかもかなり勢いがあったために「押し倒す」を通り越し、一緒にごろごろ転がる羽目になってしまう。

「悪い、大丈――」

 言いかけたところで、相手が同じ年頃の少女ということに気付いた銀は固まってしまった。

 相手が頭を打たないようかばってとっさにとった格好が、その頭を両腕で自分の胸元に引き寄せるというもの。普通に考えれば熱い抱擁(ほうよう)以外の何物でもない。

「え、えーと、その、悪い。悪気はな――」

 相手を解放して身を起こしかけた銀、これまたびっくり。その少女、彼の胸にしがみつき顔を埋めたのだ。

「お、おい?」

 銀はあわてたが、反応は全くない。少女はしばらくそうしてから、ようやく顔を上げた。

 短い漆黒の髪、(みどり)の瞳。顔立ち自体は整っているが、表情が全く欠落しているため、しなやかな躍動感を秘めた容姿からくる活発そうな印象が打ち消され、無機質な印象の方が強い。

「いきなりなんなんだ?」

 少女は答えない。ただ黙って、じっと銀の顔を見つめている。

「……なんだか知んねえが、オレは急いでんだよ。怪我がねえんなら行かせてもらうぞ」

 さすがに薄気味悪さを感じて身を(ひるがえ)し走り出した銀の後を、少女もなぜか追って来る。

「な、なんだなんだ!?」

 夜の不気味な鬼ごっこ。鬼は何も言わない。

 やがて……数キロは走っただろうか、「鬼ごっこ」は銀が精神的に疲れてへたり込んだことで終わった。

「……なんなんだ、おめーは」

 同じく傍らにへたり込んだ少女に、問う。さすがに相手も銀よりタフということはなかったらしい。

(まがね)

「そりゃ名前か? こっちは大事な用があんだ、邪魔すんじゃ――」

 絶句。また抱きつかれた。思春期の男にとって、異性の体は大変扱いに困る。

「だーっ! いい加減にしやがれっ!」

 引っぺがされても、少女――鉄は文句を言うでもなく銀をじっと見つめている。

 やがて。

「イリスとナァク、向こう」

 鉄はそう言って指を彼方に向けた。

「んなっ!? おまえ、なんでそれを……」

 銀の問いを無視し、鉄はどこへともなく走り去った。

「……なんなんだ、全然ワケ解らん」

 解らないが、手がかりには違いない。ぼやきつつも銀はとりあえずその方向に向かってみることにした。


 糸が、走る。それは、夜の闇を引っ掻いたような白い跡を作り、獲物を絡めとる――。

「あははは! いい格好だねぇ、イリス」

「うっ……」

 わら嗤うナァクの無遠慮な視線の前で、服を無残に破られ、昆虫標本のようにコンクリートの壁に張り付けられてしまったイリスは、苦しげに身をよじった。

 離れない。むしろさらに締め付けがきつくなったような気がする。

「これは……蜘蛛? あなた……、アトラッハの血を、遺伝子を取り込んだのね?」

「そうだよ。あんたとは違って、ただの吸血鬼はそういう便利なことができるのさ」

 歩み寄り、頬をぴたぴたとなでるナァク。不意にそのなでる手が平手打ちに変わり、乾いた音を立てた。

「……っ」

 唇が裂け、血が流れ出す。

「あいつはね、あれはあれで悪くなかった。それを、あんたが殺したんだ。……じっくりとなぶってやるよ。あいつの力でね。滅んだ方がましだってくらいにさ」

「……お生憎さま。永生きのお陰で、肉体的な苦痛にはいい加減飽きているわ。あなた『鉄の処女』に入れられて、揺すられたことがある?」

 内部に無数の長く鋭いとげ棘を持つ中世暗黒時代の拷問具の名を挙げるイリス。

「あれは凄かった……数ヶ月は狂ったままだったわ」

「こ……の……あばずれがあぁっ!」

 追い詰められているにもかかわらず余裕のある反応に逆上したナァクの拳が、彼女を打ちのめした。


 繰り返し訪れる衝撃によって、感覚と共に薄れゆく意識の中、イリスは漠然と思った。

 もう、寂しい思いをしなくて、済むのだろうか。

 思い出そうとするだけで気の遠くなってくるなが永の星霜を過ごした身だ、もはや生への執着はなく、訪れんとする滅びに抗う気もない。だが……。

(いけない……だめね、私。約束……したじゃない……)

 再び、四肢に力がこもる。

 自分が滅ぶのは、ナァクと同時か、あるいはそれ以降でなければならない。

(そう……どうせ……滅ぶなら。せめて、銀に……とどめを、刺してもらおう。そうすればきっと……彼は、私を忘れないでいてくれる。それだけでも……私は……戦える!)

 目を見開き、蜘蛛糸に抗う!

「っあ……あああ……!」

「へえ……やるじゃないか」

 渾身の力で、しかしそれでも一本……二本……と、歯がゆいほどゆるやかにちぎれてゆく蜘蛛糸に目を留め、ナァクが目を細める。

「そんなに自由になりたきゃね、離してやるよ、ほらぁ!」

 ナァクの腕の軌跡に沿って、イリスを絡めとっていた糸が、躍る。そのまま、それは別の方向の壁に張り付いた。衝撃が余さずイリスの体内に叩き込まれ、全身の骨格に致命的な打撃を与える。

「ぁ……!」

 かふっ、と洩れた呼気と共に、血の塊が飛び出した。

「……脆い……。この程度なのかい? この程度の奴にアタシのアトラッハは殺られたってのかい? …………ふざけんじゃないよ!」

「ふざけちゃあいねえよ。そいつは最初っから蜘蛛野郎にいたぶられてただけだからなっ!」

「な――」

 ごきん、と。突然の背後からの声に振り返ったナァクの首で厭な音がした。首を異様な角度に捻じ曲げて、糸の切れた人形のように力なく倒れ込むナァク。

「う……。ま、まあ、こんだけやりゃ当分立てねーだろ。なんせ吸血鬼だし」

 木刀を片手にナァクを見下ろし、銀は呟いた。予想外の脆さに、罪悪感と共にいささか拍子抜けの観はあるが、相手は不死者の代名詞だ。体の強度が常人並みであっても、遠からず復活するのだろう。

「さて、と」

 イリスの元へ向かい、彼女を拘束する糸を引きちぎりにかかる。

「……なるほど。こりゃ骨だな」

「……ぎ、ん。ど……して」

 複雑に絡み合った蜘蛛糸をちぎりつつぼやく銀の姿を、虚ろな目で認め、イリスが血の混じった問いを発する。

「……おまえの背中、あんまり見たくねえんだよ」

「……?」

 ほどなく、蜘蛛糸から解放され、そっと横たえられる。

「……そうかい。あんたがフォルティス……あんたがアトラッハを……!」

 背後から、怒りで震える声。

「げっ……やっぱ人間じゃねえっ!」

 復活のナァクを振り返り、銀はあわてて木刀を再び手にした。

「ガキが……舐めやがってぇっ!」

 咆哮で始まった猛攻。それは、アトラッハにこそ劣っていたが、気迫というものが段違いだった。

「くおお……っ!」

 しのぎ切れず、瞬く間に木刀が弾き飛ばされる。

「殺してやるっ……殺してやるよおぉっ!!」

 実際は凄まじい速度で迫っているはずの貫手が、銀にはなぜかひどくゆっくりに見えた。

 肉を裂き、骨を断ち割る鈍い音。熱いしぶきが顔に飛び散り、あっという間に冷えてゆく。

 目の前の背中から、手が生えている。

 目に映った、ただの映像が、意味を取り戻す。

「…………い……イリス……ッ!」

 手が引き抜かれ、支えを失って倒れこむのを、とっさに抱き留める。

「うれしい……」

 銀と目を合わせるなり、イリスはそう言った。

「ばっ……バカ! マゾかてめーはっ!」

「はじめ、て……。あなたが……じぶんから……、わたしの……な……よんでくれ……た」

 たどたどしく言葉を紡ぐイリスの顔には、ただ嬉しそうな微笑みしかない。それがかえって痛々しかった。

 銀は血がにじむほど強く唇を噛み、イリスを抱きしめた。

 女の体臭と血の匂いとが混じり合った、死の香りがする。イリスの匂いだ。

「邪魔すんじゃないよ……イリス!」

 吐き捨て、俯く銀に再び襲いかかるナァク。貫手が――標的を捉えることはなかった。

 見ていないのに、銀はそれを紙一重でかわし、しかも、銀に懐を開く格好となっていたナァクの顔面に裏拳を叩き込んだのである。

「がッ……!」

 よろめき、後ずさるナァク。

 銀の全身から、揺らめく青銀の輝きが立ち昇っていた。

 漆黒の髪がざわざわと音を立てて、色を失い伸びてゆく。限界まで力のこもった体が、めきめきと音を立ててヒトの容を超えてゆく。

「おおおおお……ん」

 響くそれは、ヒトによく似た、しかし紛れもない獣の咆哮。

 青白い光が弾ける。その先。

 黒銀(くろがね)の鬼が、そこにいた。



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