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第七話「古痕」

 剣戟(けんげき)が、凄まじい速さで続く。木刀は触れ合うそばから離れ、絶え間なくぶつかり合っている。

 曲線を描く整然たる動きの、篤郎。

 直線的なくせ不規則な、銀。

 水が高いところから低いところへ流れるように、どちらも全く自然な動き。身のこなしだけで、二人の力量が知れる。それらが連想させるものが人か獣か、違いはそれくらいのものだった。

 がちぃ! と木刀がぶつかり合う。

「なんだか……物凄く速くなってないかい?」

 素直に驚く篤郎。

「今のオレはちょっとパワーアップしてんのさ!」

 得意げな銀。

 鍔迫り合いは言葉を交わすほんの一瞬だけ続き、そして互いを突き放した。

 次の一太刀で決めるつもりらしく、申し合わせたようにそれぞれが大上段に構え、隙の大きい必殺の構えをとる。

 わずかな間を置いて、裂帛(れっぱく)の気合いが弾けた――。


「あ、れ……?」

 気が付くと、夜空の下にいた。

 不思議だ。自分で歩いていないのに、星が動いている。

「目が覚めた、銀?」

 間近からイリスの声が聞こえ、伝わってきた。

「え……あ」

 やっと状況が解った。イリスにおぶられているのだ。

「ちょっ、降ろせよ!」

 恥ずかしさで真っ赤になり、じたばたと暴れる。

「ちょ、ちょっと! 暴れないで、くすぐったいわ――もう」

「……気絶してたってことは、オレが負けたのか?」

 隣を歩き出しながら、問う銀。

「ええ。彼、ヒトとして到達できるかなり高い位置にいるようね。物理的にはヒトにあの時のあなたの動きを捉えることはできないはずよ。私もそこそこ使えるつもりではいたけれど、同じ土俵で相対すれば、多分敵わないわね。まだまだ功夫(クンフー)が足りないようだわ」

「……ふーん。随分買ってんだな」

 自覚はないのに不機嫌そうに聞こえる銀の言葉。それを聞いたイリスはしばらく考え込むようにうつむき、そして顔を上げた。

「そうね……そうかも知れない。確かにあの顔には思い入れがあるから」

「思い入れ? ああ……そっか。そういや知ってる奴に似てるって話だったな。それって何者だ?」

「夫」

 遠い目をして、イリスはそんな単語をこぼした。懐から漆塗りのかんざしを取り出し、示す。

「このかんざしをくれたのも、彼」

「へー……夫。……おっと? って、ええ!?」

 聞き流しかけて、まともに驚く銀。

「そんなに驚くことはないでしょう? 前も言ったように、これでも長生きしているのだから、普通の女の子が一生のうちに味わえるような経験は一通りしているわ。一つを除いて、だけれどね」

 苦笑するイリス。

「まあ、それでも、結婚なんて数えるほどしかしていないけれど」

「はあ……」

 時間感覚というものが根本から違うのを実感して、銀は反応に困ってしまった。自分の理解を超えた事象を表する言葉など、その自分の中にあろうはずもない。

「彼は優しくて……残酷だったわ」

「……それって、矛盾してねーか?」

「そうね……彼自身はとても優しかったわ。その分だけ余計に、私にとても残酷なことを思い知らせてくれたの。そういうことよ」

「残酷なこと?」

「私がヒトとは決して相容れないモノだということ」

 それが絶対に越えられない一線、だとでも言うように、イリスはそれを一字一句噛み締め、しぼり出した。

「……意味解らん」

 頭の中を疑問符だらけにして、銀はうなった。

「心から愛した人が、目の前で老いて死んでいくの。それを看取る自分は、若い姿のまま変わらない。一緒にいることはできても、一緒に在ることはできない」

「それは……たまんねえだろーな」

 ある意味、地獄だろう。

「冷たくなった彼の元で、考え付く限りの致命傷を何度も自分に刻んだわ。それでも……死ねなかった」

 凄惨な、だがそれだけに強く哀しい愛し方。それが目に見えるような気がして、銀には言葉がなかった。今ならばどんな美辞麗句も白々しく聞こえるに違いない。

「でも、ね」

 歩きながら、イリスは俯いた。

「そんな思いをしても、駄目なの。私……私は、誰かがそばにいないと、誰かのそばにいないと、まともに生きていられない。人を好きになることだけはやめられないの。――だから」

 足が、止まる。

「?」

 視線を感じ、銀は彼女の方を向いた。

 目が、合う。

「あなたが私の血を受け入れ、生き残ったこと。それが、本当は嬉しかった。だって、あなたはきっと私と同じように永生きする。私にも、やっとまともな恋ができるようになったのよ」

 本当に嬉しそうに、イリスは微笑んだ。だが――そこに今にも壊れそうな儚さがあるのはなぜだろう?

「でも、別にあなたが私に構う必要はないわ。どう思ってもいいし、それこそ……忘れたっていい。私が想うことのできる存在が死なないだけで充分過ぎるくらいだもの」

 晴れ晴れとした口調で空を仰ぎ、軽い足どりで歩き出す。その異様に早い変わり身に、銀は眉をひそめた。

「……それ本気か?」

 銀の言葉に、びくっと震える小さな背中。しばしの沈黙の後、彼女は背を向けたまま弱々しくかぶりを振った。

「……嘘。たとえどう思われても、忘れてほしくない。愛でも憎悪でもいいから、私だけをずっと見ていてほしい。でも……ごめんなさい」

 そう言って、イリスは言葉を切った。

「本当は、別にあなたじゃなくてもよかった。結局、私と同じ時間を持つ誰かでさえあれば。だから……忘れて。きっと私はあなたを傷つける」

「ったく、おまえやっぱばあちゃんだよ! 年食った奴ぁどうしてこう、小難しい理屈ばっかこねやがんだか」

 渋い顔をしてぼやくと、銀は歩き出そうとしたイリスの手をつかんだ。

「……離して、くれない?」

「腹減った。晩メシ」

 さっきまでの真剣な雰囲気は一体どこへやら。いきなり焦点の全くずれた返答を聞かされ、イリスは銀を振り返り、頬を伝う涙をぬぐうのも忘れてぽかんと口を開いた。

「今晩は四川料理が食いてーな。明日の朝はフランス料理もいいな。あと、昼はパスタなんか……」

 無茶なメニューを口に出し始める銀。

「……銀。あなた一体、何が言いたいの?」

 半ば呆れを含んだ怒気で応えるイリス。

「何がって、オレの食いてー物に決まってんだろ? でも、考えといてなんだけど、無茶な注文だよなあ。応えられる奴って普通いねーって。もしいても、ムダに長生きしてる吸血鬼ぐらいだろ」

「!」

 そこまで聞いて、イリスは言葉を失った。

「銀、あなた……」

「細けえこた知らねーが、おまえのメシはうめえんだよ。できる限りは食ってたいんだけどな。……それだけじゃダメか?」

「!」

 虚をつかれて硬直したイリスの頬を、やがて意味を異にした新たな涙が伝う。

「……あ、あり……ありが、とう……」

 声が震え、尾を引く。

 イリスはしがみつくように、銀の胸に顔を埋めていた。じわり、と胸が暖かく濡れてゆく。

「おい、こら」

「しばらく……このまま……」

 言葉が感情に追いつかないのだろう、それきり、続きはなかった。

「ったく……」

 わざとらしく困ってみせたものの、密着している以上胸の高鳴りは隠せるものでもない。

 ためらいから百面相を披露してしまう銀。やがて、半ば開き直ってイリスの細い肩に腕を回し……ぎこちなくも抱きしめた。イリスの方にも、それに抗う気配はない。

 しばし、静かな時が流れた――が。

「ああ、熱い熱い。ヤケドしそうだよ」

 不意に降ってきた声に、二人はびくっと弾かれたように離れ、周囲を見回した。

「どこ見てんだい。ここだよ、ここ」

「銀、あそこよ!」

「ん? おお!?」

 手でぱたぱたと風をあおぐ、黒衣の女が、行く手の空中に立っているのを見て、銀は目を丸くした。

「イリス。あんた……アトラッハを()ってくれたそうだねぇ」

 手を止め、女は憎々しげに吐き捨てた。

「知り合いか?」

「ええ。ナァクという吸血鬼よ。あなたの(たお)した蜘蛛男アトラッハの恋人。普通、吸血鬼と、ウァリドゥスの素体となる『獣人』は二人一組なの。それが主従か恋仲かは差があるけれど」

「……美女と野獣だ」

 イリスの耳うちに、思わずそんな感想が口をつく。それを聞きつけ、女が唇の端を吊り上げた。

「なかなかいいこと言うじゃないか。ごほうびに、ブチ殺すのはイリスの後にしてやるよ」

「後も先も同じじゃねーか!」

「あはははは! 当たり前じゃないか! その女に関わったってだけで充分殺す理由になるよ!」

「……おい?」

 無言で進み出、肩をつかまれても振り返らず、イリスは言った。

「逃げなさい、銀」

「なに言ってんだ? オレも変身すれば――」

「できるの? 自分の意思で」

「自分の意思――」

 出鼻をくじかれた。目を覚ましイリスから事情を聞いてから何度も試したが、確かにできない。

「幼い体だった昨日よりはましよ。相討ちには持ち込んでみせるから、巻き込まれないよう逃げていて」

「……前も、一人で行って死にかけたろ」

「あなたには、私より先に死んでほしくない」

「何ゴチャゴチャ言ってんだい!」

 飛び降りてくるナァク。

「……もう一度恋ができて嬉しかった。ありがとう」

 銀の反応を待たず、イリスは走り出した。



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