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第二十話「彷徨」

 夢は見なかった。それだけ疲れていたのだろう。

「あ……?」

 目を覚まし、銀はまずそんな間の抜けた声を発した。

 コンクリートが剥き出しの、殺風景な部屋。すぐ傍には、丸くなって眠っている鉄。

 外では、もうほとんど日が沈みかけている。

「あー、と……」

 寝起きの呆けた頭で、この状況に至る経緯を懸命に掘り起こす。

 思い出した。

 通りすがりの女を襲っている鉄を張り倒した後、ついて来た彼女と一緒に、特に意味もなく街を歩き回った挙げ句、どっと襲ってきた疲労感と睡魔に抗えず、街外れの廃ビルで眠り込んでしまったのだ。

 夕方まで眠り込んでしまったお陰で、頭はすっきりしている。しかし……そう喜んでもいられない。

「あいつ、心配してんだろーな……」

 放っておけば大抵は寂しげな表情をしているイリスのことを思い、微かな胸の疼きに顔をしかめる。

「でも……な……」

 いつ何時(なんどき)あの衝動が訪れるか、判ったものではないのだ。それを克服しないことには、帰るに帰れない。

「はー……。さて、と」

 ため息一つ。とりあえず、銀の意識は鉄に向いた。

 どこに住んでいるのか知らないが、家の人間は心配しているに違いない。起こして帰すべきだろう。

「……猫か、こいつ」

 丸くなって眠っている鉄を見、ぼやく。

 何と言うか、さっきまでの付き合いは、世間的に言えばデートと言うやつなのだろうが、相手がこの俗世離れした少女だけに、そんな心浮き立つイメージはない。

「ん……、銀……牛丼……アイス……」

 寝言からして色気がないが、実際、それはデートと言うより餌付けの延長に近かった。

 鉄はよく食べた。今や銀の財布の中身は、大半が彼女の胃袋に収まっていると言っても過言ではない。

 食べ物の名に先がけて、最初に銀の名が出た理由は、銀に対する食欲からなのか、あるいは、それをくれた銀への親愛の情からなのか、呟いたのが彼女だけに判らない。

「ほら、起き――だあああっ!」

 銀絶叫。

 鉄は、鼻をひくつかせたと思うと、揺り起こそうと銀が伸ばした手を感知し、それに喰らいついたのである。

 やはり、銀――というか銀の肉体はお気に入りらしい。

「二度も喰うなあぁっ!!」

 ぶんぶん振り回されても、鉄は目を閉じたまま離れない。それこそ、スッポンのように。

「……?」

 振り回されてさすがに目が覚めたのだろう、ほどなく鉄はその(みどり)の眼を開いた。銀の姿を認め、何かを話そうとしたことで、口から手が離れ、反動で後ろに飛んでゆく。

 派手な音と共にガラクタの山に突っ込み、しばしの沈黙の後、鉄は相変わらずの無表情でそこから這い出てきた。

「おはよう」

「おはようって……おめーなあ……」

「どうかしたの?」

「……いや。なんでもねー。ああ、そーいやおまえって最初っからそうだったっけな」

「?」

「とっとと帰れ。オレにゃやることがあんだよ。これ以上付き合ってらんねーんだ」

「……?…………ん。判った」

 しばし考え込むような様子を見せると、鉄はおとなしく去っていった。

「よし……え?」

 何気なく鉄の後ろ姿を見送った銀は、ふと異常なことに気付いた。

 紅い残照に照らされて長く伸びる影、二つ。

「……っな……!?」

 光源は、沈みかけた太陽一つ。しかし、鉄の足元からは、影が二本伸びている――が、それに関して深く考えるのはやめにした。

「……普通じゃねえ奴ぁ、やっぱ普通じゃねえんだな」

 そう結論付け、ぼやく。

 既に自分は、ヒトの(かたち)を超える「変身」という特技を持っている。むしろ人を驚かせる側だ。もはや細かいことに驚くのもバカらしい。

「……さーて、どうすっかな」

 鉄が去ったことで独りになると、銀は顎に手をやってうつむ俯き、思案顔になった――が、その表情は訪れた苦痛によってすぐさま歪んだ。

「う……あ……っが、は……ァ……ッ!」

 まともな呼吸すらままならない。汗が、見る間に全身に浮かぶ。

「――――っはぁっ!」

 以前と同様、それはしばらくすると唐突に収まり、銀は床に手をついたまま荒い呼吸を繰り返した。

「な……なんなんだ、よ……これ――まさか!」

 厭な想像が頭に浮かぶ。

 前のこの発作の後、家に戻った自分は、イリスの首筋に噛みつきかけた。

 またしばらくすると、またあの衝動がやってきてしまうのだろうか?

「冗談じゃねえぞ……」

 呟き、身を起こす。そこで、銀はふと眉をひそめた。

 割れた窓ガラスに映る自分の姿が、薄い。うすぼんやりとしか映っていない。

「……くもってんのか?」

 拭いてみても、やはり変わらない。

「何してるの?」

「オレの顔がよく見えねーんだ……って、おい」

「何?」

 片手にコンビニ袋を提げ、小首をかしげる鉄。

「帰ったんじゃなかったのか?」

「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)

「は?」

 唐突な格言に面くらい、目を丸くする銀。

「花より団子」

「はあ?? いや……何がしてーんだおまえは」

 さすがに頭痛を感じ、銀はこめかみを押さえつつ訊いた。

「夜ごはん」

 手にした袋を目の高さまで持ち上げて見せる鉄。

「――銀の分も。食べなきゃ何もできない」

 どうやら、一応気を遣ってくれたらしい。

「それって『腹が減っては戦はできぬ』じゃねーのか――って、おまえの分もあんのか?」

「ん」

 頷く鉄。

「……昼間あんだけ食ってまだ入んのかよ……いくらオレだって、そこまで底なしじゃねーぞ」

「鉄、底なし?」

「ああ、『昼休みの魔王』とまで呼ばれたこのオレが保証してやる」

 大きく頷く銀。それは、日々の学食での激戦を勝ち抜き、さらに食べる量自体も並外れていることから、誰ともなく呼び始めた、彼の異名だったりする。

「鉄、底なし」

 確認するように呟く鉄。

「……魔王以上って、一体何て呼びゃいーんだ? こいつの場合「女神」なんてガラじゃねーし……」

 真面目に悩みかけて、銀ははっとした。思い至った内容に、口元が笑みの形に緩む。

「おい、えーと……鉄」

「何?」

「……ありがとな」

「???」

「おまえといると、えらく和む。真剣に悩んでるのがバカらしくなってくるくらいな」

「銀、悩んでるの?」

「まーな」

「何に?」

「言ってもしょーがねえよ。大体、物騒な話だしな」

「銀は何がいい?」

「……あ?」

 いきなりぼきっと話の腰を折られ、銀はずっこけつつ鉄を振り返った。

 おにぎりや弁当、そしてなぜか芳香剤や洗剤に至るまで、鉄のコンビニ袋からは様々な物が出、広がっていた。

「……おまえな、いきなり話の腰折るなよ」

「話の腰?」

「いきなり話題変えんなって言ってんだよ」

「ん、解った。何がいい?」

 これまたあっさり立ち直り、鉄は訊いた。

 ものの見事に。全っ然。解ってない。

 多分、彼女は興味さえなくなれば意識がすぐ別の方向に切り替わるのだろう。本人の好奇心を満足させるにはいいが、周囲にとっては迷惑な話だ。

 さて――鉄が示したのは、緑色の芳香剤。

「食うなっ!」

「なんで?」

 訊くその手は、既にふたにかかっている。

「食いもんじゃねえからだっ!」

 即座にその手から芳香剤をひったくり、銀は叫んだ。

確かに、一見すれば、緑のグミが透明な箱に入っているように見えなくもない。……ということは……。

「その洗剤も、食うつもりだったのか?」

「ダメ?」

「ダメダメだっ! 食えん!」

「いい匂いがして、綺麗な色なのに……」

「……着色剤と香料って怖いな……」

 思わず銀は呟いた。

 今の世の中、カラフルな食べ物や菓子、そしてそれ同様にカラフルな、食べられない物が多い。だから、鉄のような――彼女は度を超しているが――無知で世間知らずな人種にとっては危ないことこの上ない。

「さーメシだ。食えるもんは教えてやる。だから食う前にまずオレに訊け」

 鉄の問いを無視して、銀はおにぎりを一つ、手にとった。

「ん」

 頷いて、同じようなおにぎりを手にとる鉄。

「これ、大丈夫?」

「ああ――って、こら。待て」

「?」

 いきなり止められ、口を開けたまま停まる鉄。

「食う前にゃ「いただきます」だ」

「ん、いただきます」

「よし。――いただきます」

 鉄がそれをしっかり実行したのを確認すると、銀もまたおにぎりをぱくついた。


 結局、食後はそのまま就寝の時間になってしまった。

 銀は壁に背中を預けて足を投げ出し、鉄はその傍でまた丸くなる。

 ほどなく、二人は寝息を立て始め、周囲に静寂が訪れたが……、何十分かして、銀が身じろぎした。

開かれたのは、ぼうっと薄紅く光る眼。

 無言で身を起こすと、銀は廃ビルの外へと去っていった。



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