第十七話「胎動」
凄まじい速さで、剣戟が続く。
白い爪と漆黒の爪。
精霊の剣と炎の爪。
虎の獣人とその主人たる吸血騎士とを相手にまわして、銀は彼らとまともに渡り合っていた。
「――ああ、うっとーしいっ!」
怒鳴り、自分の周囲に放電を応用した熱線を無差別に放射する。
「くっ!」
「!」
散発的ゆえにさほどの威力はなかったが、それでも全身を焼かれ、後退するベルンとヴァルター。
すかさず、銀は比較的相手にしやすいベルンの方に追い討ちをかけた。間合いを一気に詰め、分身して見えるような速さの連撃を叩き込む。
「おおおおおおお!」
「っくうぅぅ…………っ!」
反撃もままならず、受ける打撃の反動だけでずるずると後退させられてゆくベルン。
「これで――」
受け続けた打撃が尾を引き、よろめくことすらできずにいるベルンに向かって、とどめとばかりに大きく拳を振りかぶる銀。
不意に――白い霧が、虚空からベルンの前に湧き出した。
「終わりだっ!!」
必殺の威力を持つ拳が、肉体を打ち抜く――鎧ごと。
「ごふっ……」
串刺しにされたヴァルターが、血の塊を吐き出した。
「御主人様――ッ!」
今まで平静な様子を崩すことのなかったベルンが、その様を見、声を震わせる。
「……バカかおまえ。そっちのケダモノ女の方が丈夫だってことくれえ判りきってるだろーが」
慣れない舌打ちをして血まみれの腕を引き抜くと、銀はそう毒づいた。
「ふっ……。下僕なくして主たることはできん」
よろめきつつも不敵な笑みを浮かべ、ヴァルターが言う。
「焦らなくても次はおまえの番だったんだけどな。まあ、いいぜ。せっかくだからおまえから先に殺ってやるよ」
まるでベルンを無視しているかのように、隙だらけの姿で、銀は『無間の爪』を振り上げた。
「――させませんっ!」
声と共に放たれたベルンの一撃が、ヴァルターに『爪』が突き刺さるよりも早く、銀を大きく弾き飛ばしていた。
放物線を描いて大きく浮き上がる銀に、地面にぶつかる暇すら与えず、走って追いながら、まさに文字通りの追い討ちをかけ続けるベルン。
とどめに両腕で地面に叩きつけられ、解放された銀は、鋼の地表を長々と滑走していく。
「はあ、はあ、はあ……」
「……やればできんじゃねえか」
肩で息をするベルンの前で、銀は平然と起き上がった。そこに、今までの連撃によるダメージは、ほとんど見受けられない。
「返すぜっ!」
「!」
声をその場に置き去り、銀は既にベルンの目前にいた。その両手が、まっすぐに伸びる。
右の爪が、胸を引き裂き、左の拳が、顔の牙を折る。
「――っ!」
声にならない苦鳴をあげて吹き飛ぶベルン。
次の瞬間。銀の体は無数の刀傷を負っていた。
「! てめえ――」
再生している最中とはいえ、胸に大穴を開けたヴァルターが参戦してくるのはさすがに予想外だった。
「ベルンは死なせん」
満身創痍にもかかわらず、その斬撃は相変わらず鋭い。銀は瞬く間に防戦一方の劣勢に転じた――が。
「……その言葉を待ってたんだ」
「何?」
かすかに嬉しそうな響きを帯びた銀の呟きに、ヴァルターの太刀筋がわずかながら鈍る。
生まれた隙を逃さず、銀は斬られるのも構わずヴァルターの懐に入り込み、彼の顔面をまともに殴り飛ばした。
「ッ!」
「御主人様っ!」
とっさに銀への攻撃を忘れ、ベルンがヴァルターの元に駆け寄る。
「があああああっ!」
咆哮を上げる銀の、重ね合わされた手の中で、瞬く間に真紅がふくれ上がる。以前アトラッハを跡形もなく消し飛ばした、強化版の『灼雷』である。
放たれた真紅の奔流が、ヴァルターとベルンを呑み込み――大爆発を起こした。
「……オレの勝ちだ」
爆風に銀髪を揺らし、銀は呟いた。しかし――。
「勝手なことを」
そんなヴァルターの声と共に、精霊二人が爆炎を突き破って現れ、銀に襲いかかった。
「ああ、うっとーしい」
難なく撃退し、それでもなお暴れようとする二人の腕をねじり上げる銀。
爆煙が……収まる。
赫く燃えたぎる鉄湯の向こうに、火傷を多少負っただけのヴァルターとベルンの姿があった。
ヴァルターが剣を収めると同時に、精霊たちも姿を消す。
「勝負たるもの、どちらかの死を以って終わりとするが常。然るに、我らは生きている――貴公の手心により。騎士として、これ以上の屈辱は無し」
「手心だあ? オレがわざと外したって言うのか?」
「然り。先の貴公からは、殺気が皆無であったゆえに」
「……けっ、バレバレかよ」
いかにもしぶしぶといった風情で、銀は認めた。
「何故殺さぬ」
「ごちゃごちゃうっせーんだよ。オレが殺すのは悪党だけって決めてんだ。誰かを好きになれる奴に悪い奴ぁいねえ。そんだけだ」
「何を証拠にそのような戯言を」
「おまえら、ちゃんと互いを護ろうとしてたろ。どうでもよかったら、ンなこたしねーはずだ」
「むうっ……」
言葉に詰まるヴァルター。
脈ありらしいその様子に、ベルンも素早く反応する。
「ご、御主人様……」
その声は、猫科の無表情を補って余りあるほど情感豊かに震えていた。人間の姿ならどんな表情をしているのか、非常な興味をそそられるところではある。
「……もう、オレやイリスに関わんじゃねーぞ。オレはあいつを死なせたくないし、自分が死んだせいであいつが泣くと考えるのも嫌だ。今なら解るだろ」
「……それゆえ我らを試すような真似をしたのだな?」
「まーな。まあ、最初は、あいつの気持ちが解ってやれる立場なのに何もしなかったてめーらに頭にきてただけだったんだけ――!」
不意に、銀の体が大きく痙攣した。
「ぐっ……ああああああああッ!!」
絶叫と共に、銀の創生した異界が、猛烈な速さで崩壊を始める。同時に、銀自身の変身も解けてしまった。
「どうした!?」
「わ、から……ね……っ……っ!」
呻き、痙攣を続ける銀。やがて――全く不意に、銀の体から力が抜けた。
苦痛から解放されると、汗だくになって地面に手をつき、使い果たした酸素をむさぼるように荒い呼吸を繰り返す。
しばらくその体勢のままで息を整えていた銀だったが、やがて復調したらしく、ゆっくりと立ち上がった。
「ふぅ…………。帰るわ」
「そうか。フォルティス――否、旧き騎士よ」
「なんだそれ……オレのことか?」
「我らが王、真祖には気を付けよ」
「真祖?」
不意に投げかけられた未知の単語に、首をかしげる。
「わたくしたちの主君にして吸血鬼の根源的存在ですわ。恐ろしい力を持っておいでです」
「ああ。せいぜい気を付ける。じゃーな」
背中越しに手を振ると、銀は学校を後にした。
家を壁伝いによじ登り……ベランダへと降り立つ銀。
普通に考えれば不審者以外の何者でもない挙動だが、玄関の鍵をしっかり閉めた状態で出てきてしまったため、それは必然だった。
「……ただいまー……」
小声で呟き、あまり音を立てないように、窓を後ろ手に閉め、部屋に入った銀に。
黒い影が襲いかかった。
「!」
それは、対処する暇も与えず、瞬時に銀の懐に入り込むと、銀を――ぎゅっ、と抱きしめた。
「……え?」
少し遅れて、流れてきた長い髪が、さらりと揺れる。
「どこへ、行っていたの……」
震える声で問うたのは、イリスだった。
「わ、悪い……?」
詫びながら、銀は不意に意識がぼやけるのを感じた。
何と言うか、猛烈に眠い。
「……足りない……」
「え?」
銀の洩らした奇妙な呟きに怪訝な顔をしたのも束の間、イリスは銀にきつく抱きしめられていた。
「銀、足りないって、何が……ひゃうっ!」
答えの代わりに首筋を舌でなぞられ、当然びっくりして小さく身震いするイリス。
「どうしたの? いきなり、積極的になって……」
返事はない。ただ、熱い吐息が首筋に吹きかかるだけ。そして、そこにちくり、とかすかな痛みが走った刹那――イリスは銀自身の手で、半ば突き飛ばすような形で引き離されていた。
蒼ざめた顔で、荒い呼吸を繰り返す銀。どう見ても尋常ではない。
「……何があったの? 大丈夫?」
「あ……っ、ああ。大丈夫だ。何でもねえ」
「そう……?」
「いいから。……いきなり出かけたことは謝る。一晩中そばにいてやるから、今度こそ安心して寝ろ」
息を整えつつ、銀はイリスをベッドに横たえ、その手を握って傍らに腰をおろした。
「ええ……おやすみなさい、銀」
「ああ、おやすみ」
イリスは幸せそうな顔で目を閉じ、ほどなく寝息を立て始めた。
「……オレは、何しようとしてた?」
訪れた静寂の中、銀は自問した。
わずかな間とはいえ、朦朧とした意識の中、自分は確かにイリスの首筋に噛みつこうとしていた。
「これじゃ、まるで……」
その先は続かない。口に出してしまえばそれが決定的なものになりそうな気がする。
イリスには、相談できまい。もしすれば、彼女はきっと、そんな体の持ち主に銀を変えてしまった自分を、責める。
気を抜けば、自分は今度もイリスに何をするか判らない。得体の知れない不安で、銀はその夜一睡もできなかった。