第十四話「緋剣」
ベルンが目を向けた先では、破壊された校舎付近に漂う土煙が晴れようとしていた。
「何だかんだ言っても心配してくれてんだな。ありがとよ、孝次」
煙の向こうから、銀の声が聞こえてくる。
「銀! 無事かよ! ったくこのバ……カ……?」
ほっとした孝次だったが、土煙の中から現れた姿を見、思わず言葉を失う。
それは、彼の知っている銀の姿とは、大きくかけ離れていたのである。
銀色に輝く長髪。
金色に輝く双眸。
手には、二メートルを超える刀身に炎を象ったような紋様を持つ、真紅の巨大な片刃剣。
「ば、バケモノが……もう一匹!」
「誰がバケモノだよ。バカ言ってねーで今度こそちゃんと逃げやがれ」
異形の剣士は普段の銀と変わらぬ態度で応えた。姿こそ変わっても、内面は変わっていないらしい。
しかし、その胸には深々と刻まれた四本の爪跡が真っ赤に濡れ、額には脂汗がびっしりと浮いている。少なくとも、そんな口調で話せること自体冗談のようにしか思えない。
「だ、大丈夫なのか?」
「うっせー! とっとと行けっ!」
「お、おう!」
「……驚かねえんだな」
孝次が去った後、銀は自分を見るベルンに訊いた。
「予想できない事態ではありませんから。変身できない、と追い詰めたのが裏目に出てしまったようです」
「じゃあ、ついでに……教えろ。こりゃ何だ?」
「王器……一般には『呪装』と呼ばれる、自らの攻撃衝動を武器として、それに似通った属性を持つ事象を触媒として召還する能力です」
銀はわけが解らず眉を寄せた。
「貴方の攻撃衝動は「剣」に根ざすものなのでしょう。ゆえに剣に近しい「鋭利」なガラスの破片でも触媒にしたのでしょう?」
「最初にそう言えよな」
ほんの少しだけ理解の糸口を得、ため息をつく。
「フォルティスは、闇の存在でありながら、力の源を光に求めます。月光を受けることで変身するのもそのためです。日中は光が強過ぎて制御しきれないため、変身の代わりに外部武装が発現するわけです。そうですね……その王器は……〈紅蓮転生〉とでも銘打ちましょうか」
「いい名前をありがとよ。――でも、おまえは一つ勘違いしてるぜ」
「勘違い……?」
説明される側に妙なことを言われ、今度はベルンが眉をひそめた。
「オレが追い詰められたからこの力が出たわけじゃねえ。おまえが孝次を襲ったから、この力が出たんだ」
「なるほど……自分の痛みより他人の痛み、ですか」
「これならてめえを仕留められるだろ。――行くぜ!」
一閃! 軽々と振るわれた剣の軌道に沿って、真紅の雷がほとばしった。
「これが、先程の!」
「能書きたれてる暇はねえんだよっ!」
爆発的な加速を見せ、銀はベルンの懐に飛び込んでいた。
「く――!」
とっさに、身をひねるベルン。帯びた熱量だけで毛皮を焼き焦がし、大剣が間近を通過した。息をつく暇もなく、すぐさま二の太刀が来る。
避けた剣から再び紅い雷がほとばしり、太刀筋の延長上にあった校舎をごっそりとえぐる。
最初から物理法則の下になどありはしないのだろう、〈紅蓮転生〉はその大きさにもかかわらず、凄まじい速さで振るわれる。長さゆえの隙さえも感じさせなかった。
「おおおおおおおっ!!」
瀕死の深手を負った人間のものとは思えない咆哮が、銀の口からほとばしった。同時に剣が更なる熱を発し、破裂する空気が強烈な風圧でベルンを弾き飛ばす。
不意打ちに体勢を崩したその隙に、銀の斬撃がその肩口から先を斬り飛ばしていた。
「くうッ!」
じゅうっという肉の焦げる音と同時に苦痛で大きく痙攣したのも束の間、ベルンは身を翻し、銀から間合いをとって腕を拾い上げていた。
「――今回はわたくしの負けです。決着は今夜、またこの場所で」
それだけ言い残すと、ベルンは大きな跳躍を繰り返し、退いていった。
「ま、待ちやがれ……っ!」
追うことはできなかった。声はかすれ、余力もほとんど残っていない。つい今までの闘いで血を流し過ぎたらしい。
よろめく銀。手にしていた〈紅蓮転生〉は一瞬で崩壊し、鋭利なガラスの破片だけが手の中に残った。
「く、そ……」
半死半生の体を引きずり、今にも涸れそうに少ない血をこぼしながら、歩き出す。
帰らなくては。
(途中で行き倒れんじゃねーぞ、オレ。これで死んだら、あのバカ女、どうせまた自分を責めて泣くに決まってんだからな)
それは、見たくない。もっとも、実際そうなれば見られるわけもないのだが、例え空想だとしても、そんな顔は自分の頭の中に置いておきたくなかった。
「……予想以上に早いな」
よろめきつつ通り過ぎていった銀の後姿を見送り、物陰から現れて独りごちるゴルドー。
「間違いあるまい……アレは『ほむら』。この調子ならば、私と近しくなるのも時間の問題だな。そうは思わんかね、我が姫君よ」
まるで間近にいる誰かに語りかけるような調子の呟きに、果たして、くぐもったメゾソプラノが応えた。
苦悶の響きを帯びたそれを聞き、くっくっくっ、と喉を鳴らして忍び笑うと、ゴルドーは足早に立ち去った。
鼻歌交じりに、箒が床を行き来する。
ご機嫌イリスはお掃除中だった。
もちろん影山家にも掃除機はあるのだが、使うのは彼女のやや古風な流儀に反する。
掃除機の場合、大まかに動かして、ゴミを吸って終わり。箒なら、後始末は面倒でも、より細かく掃除できるのだ。
そんなこだわりは脇に置いておいても、今はその面倒な手間さえ楽しくて嬉しくて仕方がなかった。
帰ってくると解っている誰かを待つのは、いつになっても心が浮き立つ。
「何十年ぶりかしら……こんな気持ちは」
イリスは知っている。吸血鬼が伴侶に選んだヒトは獣人となり、その吸血鬼と同じ寿命を得る。だから、自分の血で変わった銀も、やはり自分と同じ命を得るはずだ。
また死に別れてしまうのか、と考えて気持ちを暗くする必要など、もうない。そう思うと、自然、頬が笑みの形に緩んでしまう。
「……あら?」
恐らくは銀の母親の部屋だったのだろう、埃が積もり、使われなくなって久しいのが見てとれる部屋で、イリスはふと部屋の隅に置いてあるアルバムの存在に気付いた。
何気なく手にとり、ページを開いてみる。
ベッドの中で眠っている赤ちゃんの写真を見、イリスは思わず目を細めた。
「可愛い……。これ、銀かしら?」
そのアルバムは、銀の成長記録だったらしい。ページをめくるたびに、丁寧に撮られた写真の中で笑う男の子は、少しずつ大きくなっていっている。両親の可愛がりようが目に浮かぶようだ。
そして――ある時を境に、写真は一枚も貼られていない。恐らくは、撮る者が、いなくなったのだ。
「……あら……?」
ページをめくっているうち、ふと、あることに気付く。
最初のページから改めて見直してみても、やはりそうだ。疑念を解くには至らない。
「……銀のお父様は写っているのに、お母様の写真が、一枚もない……どういうこと?」
呟いたのも束の間、玄関の方で、どしゃっ、と何か重く鈍い物音がした。
「……何かしら?」
アルバムを元通りにしまうと、イリスは部屋を出て音のした方へと歩き出し――息を呑んだ。
既に記憶に色濃く焼きついている少年が、胸に深い傷を負って、玄関を入ってすぐのところに倒れているのだ。
「ぎっ……銀!」
「……よお」
かすれた声での小さな悲鳴を聞いてか、銀は目を開け、物憂げに顔を上げた。
「帰った、ぜ」
だが……それが精一杯だったのだろう。言ったきり、銀はうなだれ、動かなくなってしまった。
「銀、銀? ねえ……厭よ、返事をして?」
おぼつかない足取りで歩み寄り、その肩を揺する。
しかし、返事はない。
「あ……ぁあ、あ…………」
銀の痛々しい姿に釘付けになる、イリスの眼。それは、いつしか焦点を失っていた。
「あ、あ……やだ、イヤ……血が……いっぱい……死ぬ……また、みんな、死んじゃうぅ……イヤ……いやあぁ……ッ!」
まるで幼い子供のように、文章にならない単語の羅列を口走り、かぶりを振って髪をかき乱す。
「い――痛っ!」
不意に、イリスの脇腹に血がにじみ出した。
「痛い・・これ、は……何の、傷? これは……」
顔をしかめて手でそこを押さえたイリスの眼に、次第に光が戻り始める。
「――そうよ。呆けている暇はないわ」
正気を取り戻すと、まるで浪費した時間を取り戻そうとするかのように、彼女は素早く銀を部屋に運び、家の中にあった手近な道具をかき集めて手当てを始めた。