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第十三話「言霊」

 校内は混乱を極めていた。

 当然だろう。廊下を虎が二本足で歩いていれば。

「……あなた貴方がたには何の用向きもございません。お引き取り下さい」

 と、虎怪人ことベルンは、バットや竹刀といった物騒な道具で武装しへっぴり腰で駆けつけた教師陣を捕まえては邪魔にならないところへと放り出しては、教室をのぞき込み、銀の姿を捜し続けた。

 だが、銀はどこにもいない。

「困りましたね……逃げてしまったのですか。もう少し侠気(おとこぎ)のある方と思いましたのに……」

 残念そうに呟き、鋭い爪を伸ばす。

「仕方ありません。それでは、闇の者らしく残虐な措置をとらせていただくとしましょう」

――お前が出て来るまで、罪のない血が流れ続けることになるぞ。

 言わば型どおりだが、実際に犠牲者を生む気満々なので、脅威としては脅しの域に留まることはない。

 しかし、手当たり次第に切り刻むには、姿を見せてから時間が経ちすぎていたらしい。もはや校舎内には人の気配が消えつつあった。

「……戦うのに都合の良い舞台は整ったのですが。全く残念です」

 校舎のどこかにいる何者かの怯えきった息遣いを聞きつけ、ベルンは足早に移動を開始した。

 当然、足音などという無粋なものは立てない。基本的に、猫科の獣は生来暗殺者としての技能に長けているのだ。

(……見つけましたよ)

 周囲を見回しては、一歩ずつ、音を立てないように恐る恐る足を伸ばす、というじれったくなるような動きで脱出を試みている男子生徒がいる。

 無駄なこと。そもそも、ヒトと獣とでは知覚能力が土台から違うのだ。本人には聞こえない足音でも、こちらにはよく聞こえる。

「もし、そこの方」

「へ――っ!?」

 柔らかな女の声で自分を呼び止めたのが虎の怪人だとは夢にも思わなかったのだろう、少年は、怯えと安堵とを伴って振り返り、ベルンの姿を見たことによる驚愕を経て、結果さらに強い怯えの表情を示した。

「な……っ、な、ななな、なぁ――っ!」

 腰が抜けてしまったのだろうか。へたり込んでしまい、腕だけで遠ざかろうと、しかしうまくいかず、手のひらで床を必死にこすっている。

「臆病な方のようですね。これでは周囲に聞こえるような断末魔は望めそうにありませんが、何もしないよりはいいでしょう。――怨んで下さい」

 歩み寄りつつ言い、爪をかざす――その刹那。

 鉄パイプが一本、猛スピードで飛来し、ベルンのすぐ脇をかすめた。

「うっ……にゃん!」

 自分から高速で遠ざかる物体に対してより強く働く、猫の狩猟本能。それが生み出す猛烈な衝動に逆らいきれず、ベルンは目の前の少年を無視し、鉄パイプに爪を振るった。

「――はっ!」

 鉄パイプを難なく寸断し、我に返ったところで、間近にいたはずの少年の姿がないことに気付く。

「どこに――」

 廊下の先に向けた視線が捉えたのは、先程の少年を後ろに従えた、赤マフラーの少年であった。

「うまくいったのはいいけど、アホらしくなったぞ。実はおまえ、虎じゃなくて虎縞の猫だろ」

 全くの呆れ顔で、銀はぼやいてみせた。

「失敬な……わたくしはれっきとした虎のウァリドゥスです」

「銀、おまえ、あいつと知り合いなのか?」

「一応な。いーからとっとと逃げろよ孝次」

「で、でもよ……」

「あー! うだうだうっせえ! 邪魔だっつってんだよ!」

 げし、とへたり込んだままの孝次の尻を蹴飛ばし、強引に追い出す。

「……お待ちしておりました」

「行くぜっ!」

 両手に持った鉄パイプを振りかざし、銀はベルンに突撃をかけた。


 光と音の激しく渦巻くゲームセンター。そこに、無表情で格闘ゲームに興じる鉄の姿があった。

 緑色の軍服姿の少女を選択。ゲームスタート。

 がちゃがちゃ。

 技の一つも満足に出せぬまま、敵キャラクターの、炎を操る学生服姿の青年によってダメージを受け続ける。

 がちゃがちゃがちゃ。

 第一ラウンド、敗北。第二ラウンド――敗北。しかし、鉄はゲームシステム自体を理解していないらしく、新たな硬貨を投入してゲームを継続するか否かの選択を迫るカウントダウンが終わり、ゲームオーバーになっても、相変わらずジョイスティックを激しく動かし続けている。

 がちゃがちゃがちゃがちゃ――ぼき。

 ついにジョイスティックが彼女の力に耐え切れず、音を上げた。

「……?」

 何が起こったのか判らない、という風に、もぎ取った棒を眺めて首をかしげる鉄。

 だが、そんな姿勢もそう長くは続かず、彼女はあっさりそれから興味を失い、立ち上がった。

「鉄」

 ゲームセンターを後にし、どこへともなく歩き出そうとした後姿に、声がかけられた。

「……ゴルドー」

 振り返り、そこに普段は重厚な机の向こうに座しているはずの男の姿を認めると、鉄はその名を呼んだ。

「食事?」

「うむ」

 頷くと、男――ゴルドーは鉄を先導するような形で歩き出した。ただ単に歩いているだけだというのに、その姿は威圧感に近い存在感を漂わせている。

「お前に監視を命じた、例の少年の様子を見るついでにな」

「銀?」

「銀……ああ、今はそういう名だったか」

「鉄は満腹」

 いきなり、鉄が話題を少し前に戻した。だが、ゴルドーはその唐突さを先刻承知らしく、さほど意に介した様子はない。

「妙なことを言い出す。一体何をしてき――」

 訝しげなゴルドーの呟きは、彼に跳びついた鉄によって途切れさせられた。

「違う……」

 全く平静な顔でゴルドーのそれから離した自らの唇をなぞり、小さく呟く鉄。

「……何のつもりだ、鉄」

 人目を引くしばしの沈黙の後、いきなりのキスの理由を訊くゴルドー。

「思い出したことをしてみたつもり」

 鉄の返事は相変わらず簡潔すぎて要領を得ない。

「思い出したこと……本当に何をしてきたのだ?」

「鉄はそれを表す言葉を知らない」

「そうか。まあ、良かろう。戻っているがいい」

 黙って頷くと、鉄はゴルドーを置いて歩き出した。


 鉄パイプと、鋭利な爪。

 凶器を駆る二つの影が交錯し、一旦間合いを取り直した。闘いの経過と共に戦場は移動し、今や彼らは校庭に移っている。

「くそ……こんちくしょー、め……」

 荒い息で肩を上下させる銀。その体は既に爪による無数の切り傷で赤く染まっている。

「素晴らしい素質です。わたくしと闘っている今この瞬間にも、貴方は成長していっている」

 感心したように呟き、ベルンは自分の脇腹を貫き通して生えている鉄パイプを、引き抜いた。まとわりついていた血と肉が強引に引きちぎられ、地面にこぼれ落ちる。

 彼女の振るった爪によって半分程度の短さに寸断されたものだが、武器を失った動揺も一瞬のこと、銀は鋭利な断面をさらすそれを即座に彼女に突き立てたのだ。

「……? 治りが、遅い……?」

 塞がってゆく傷を見て呟いたベルンは、ふと銀に視線を移し、なるほど、と頷いた。

「『銀』は、闇の者を討つ破邪の力を持つ鉱物ですからね。さすが言霊(ことだま)の国。他国ならこうはいかなかったでしょう」

「……コトダマ?」

「力ある言葉のことです。名詞は、実物と同等の力を持つ。呪術の初歩ですわ」

「小難しいこと言ってんじゃねーよ。要するに、他の奴はともかく、オレの攻撃なら通じるってことだろ」

「はい。惜しい……いずれ相当の強者となりましょうものを。どうしても、気は変わらないのですか?」

「男に二言はねえ。例え結果がどんなに不様でもな」

 即答し、銀は残った一本きりの鉄パイプを正眼に構えた。

「……解りました」

 対峙する二人の間を、砂を巻き上げる風が過ぎる。

 わずかな間を置いて、両者はほぼ同時に地を蹴った。

 一呼吸のうちに何十回と繰り広げられる、パイプと爪の応酬。その全てが、それらの接触を伴わない。互いが互いの攻撃を受け止めることなく、避けているのだ。

 時間にして数秒ほどで、決着がついた。

 真っ赤なしぶきを散らし、銀の体が校舎へと吹き飛んだ。勢いのまま、鉄筋コンクリートの壁はおろかガラス窓をも粉砕し、そしてもうもうたる埃と土煙を舞い上げる。

「……わたくしの、勝ちです……」

 ため息と共に、ベルンが勝利宣言を吐いた時だった。

「ぎっ、銀!」

 物陰から、一人の少年が飛び出してきた。孝次だ。

「ウソ、だろ?」

 呆然と、砂煙の向こうに訊くが、反応はない。

「……貴方は、先程の」

「!」

 びくっ、と孝次は身を震わせ、背中を丸めながらベルンを振り返る。

「ご友人ですか? いいでしょう、貴方も送って差し上げます」

「げっ!」

 殺る気満々に、しまった爪を再び伸ばすベルンを見て、当然孝次は後退った。

「では、参ります」

 わずかなた溜めの後、ベルンは爪をかざし大きく跳躍した。

「う、うわあああ!!」

 ありったけの声量をしぼり出す孝次の喉に、鋭利な爪が食い込む――寸前。

「!」

 危険を直感して空中でとっさに身をひねったベルンの間近を、強烈な赤い熱気がかすめ、毛皮の一部をあぶった。

「何ですか……今のは――まさか!」



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