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第十二話「襲来」

 平凡な昼下がりの授業。

 ちょっぴり鉄に横取り……というか寄付してしまったものの、元々銀の旺盛な食欲を見越して多めに詰められた弁当をすっかりたいらげて満腹の銀は、再び暖かな日差しを受けて舟を漕ぎ始めていた。

 まるで縁側の猫だが、それを言うなら、満腹になるなりぷいっといなくなった鉄の方がよほど猫かも知れない。

 次第に深まってゆくまどろみ――だが、残念ながらそれは、彼のよく知った感覚によって破られてしまった。

「ぬっ!」

 がたん! と椅子を蹴倒し、立ち上がる銀。この、感覚をちりちりとあぶるこれは――。

「どうしましたか、影山くん?」

「悪の匂いがっ! どこかで悪事が働かれてるらしいんで、行って来ます!」

 返事も待たずに大脱走。止める声など聴くわけがない。そのまま銀は悪の匂い――自分の感覚を刺激するものの源である旧校舎へと走り出していた。


「……はあ。ついに授業中まで……」

「先生、あいつのことならほっといていいと思いますよ。あれでバカ……ですけど、悪い事をする奴じゃないし」

「御堂くん……本当?」

「あのバカとの付き合いは長いですから」

「そう。なら……そうしましょう。――佐藤くん、53ページを訳して」

「はい……」

 授業は何事もなかったように再開された。

「ったく……人に迷惑かけるなよ、熱血バカ野郎」

 ぼやきつつも、孝次は楽しそうに目を細めた。


「どおりゃああっ!」

 ばきゃあ! と、以前踏み抜いたために修理中だった壁板を再度踏み抜き、銀は旧校舎に突入していた。

「観念しやがれそこの悪党! って……あれ?」

 二階の教室に突入したものの、誰もいない。

「あれれ?」

 見回しても、いない。

「なんだ? 確かにこの辺から悪の匂いが……したのに」

「悪の匂い、ですか。なるほど、面白い表現です」

「!」

 ぎょっとする銀の目の前に、すとん、と軽い音を立てて一人の女が着地した。にわかには信じがたいが、どうやら天井にぶら下がってでもいたらしい。

「それは、闇の者に特有の、悪意や敵意を感じとる能力。確かに「悪の匂い」でも語弊はありません」

 その装いは、エプロンドレスにヘッドドレス、と見事なまでのゴシック調。有り体に言えば、中世のメイドである。

「無粋な方法でお呼びした非礼、お許しください」

「……変な格好」

「……っ」

 固まった銀の素直な言葉に、女はずっこけてバランスを崩しかけたが、何とか踏みとどまった。

「変とは失礼な……わたくしは由緒ある――いえ、今はそれを言っている場合ではありませんね」

 かぶりを振ると、女はスカートの裾をつまんで持ち上げ、銀に一礼を送った。

「初めまして、フォルティス=スルト」

「!」

 銀は即座に身構えた。フォルティスという名詞を知っている時点で、既に自分はまともな存在ではないと宣言しているようなものだ。

「てめえもあいつを……!」

「何か、勘違いしていらっしゃるようですね。わたくしはベルンと申します。貴方をお誘いするために参りました」

「お誘いだと?」

「はい。ヒトと異なる(かたち)を持つ存在は、えてして迫害を受けがちです。人間の世界にいる限り、安住の地などありませんよ。わたくしと一緒にいらっしゃいませんか?」

「……あのな。そりゃ確かにもっともな話だけど、独りぼっちの女捕まえてどうこうしようって連中の言うことなんか、信じられると思うか?」

「彼女が嘘をついているだけかも知れないのに?」

「ああ?」

 意外な言葉に、銀は眉をひそめた。

「彼女が体内に保有する〈リリト〉は、元々彼女の種族が自分の身を護るため生み出した防衛機構なのです」

「……だろーな」

 納得して頷く銀。

 イリスが力を失うという、月の強く輝く期間に、自分は変身している間中圧倒的な力の充足を感じていた。

 イリスの体の欠点を補うため生まれたものだとすれば、フォルティスである自分がイリスと全く逆の周期で力を増減させる理由も納得がいく。

「その感染者は、ただ彼女を護るためだけに存在を続ける動屍体(ゾンビー)――言わば奴隷――となりますが、その中で例外的に自我を保って生き延び、より高度な自己組織化を遂げた存在が、フォルティスというわけです。彼女が貴方を侵すつもりでなかったと、どうして言えますか?」

「はあ……確かにそうだな」

 ため息を吐き、小さく肩をすくめる銀。

「解っていただけましたか」

「ああ、よく解った――特にてめえらの情けなさがな」

 木刀が唸りを上げ、とっさに跳びすさ退ったベルンの鼻先をかすめる。

「なっ、何を!」

「正面からじゃ勝てねえと解ると(から)め手で来やがる……女々しいぞてめえらっ!」

「……交渉決裂、ですか」

 存外平静な様子でベルンは答えた。

「解りました。――ですが、貴方はご自分の体をよく把握していらっしゃらないようです」

「なんだと?」

「今は貴方の方が不利なのですよ。フォルティスは、元々月光の下でしか変身できません」

「……!」

「ただし――わたくし共ウァリドゥスは違います。どのような環境下でも制限なく動けるよう調製されております」

 言いながら、ベルンは見る間にメイド服を脱ぎ去った。悲しい男の(さが)で、銀はついそれから目が離せず、しっかと見て赤くなってしまう。

「ですから……」

 めきっ、と音を立てて、裸体が軋んだ。見る間に筋肉が発達・膨張し、白い肌を黄と黒の獣毛が覆ってゆく。

「貴方はここで死にます」

 瞬く間に変身を完了し、二足歩行の虎人と化したベルンが、そう低く唸った。

「はいそうですかって死んでたまるかボケっ!」

「はい。抵抗するなとは申しません」

 獣そのものなのに、口調は相変わらず丁重なままなのが、どことなくおかしかった。

「どおおりゃあっ!」

 ベルンの喉元に突き込んだ木刀が折れた――と思った時には、銀は胸元に重い一撃を喰らって、黒板に叩きつけられていた。めり込んだ銀の周囲に、亀裂が走る。

「っは……ぅ!」

 まともに息ができない。重力に従い、床に崩れる……ことはできなかった。すぐさま次の一撃が襲ったのである。

 息を洩らす余裕すらない。横殴りの一撃に、銀の体は軽々と宙を舞い、廊下へと吹き飛ばされた。

「っげ……は……ぁ…………っく」

「お体が丈夫なのですね。苦しいですか?」

 歩み寄り、倒れた銀の様子をのぞき込むベルン。なぜか、そこに弱者をいたぶるような厭味はない。

 銀にしてみれば『ったりめーだバカ!』と憎まれ口を叩きたいところだが、口にまで出せない。仕方なく、ただにらむことにする。

「申し訳ありません。変身できない状態にあるとはいえ、貴方はフォルティスなのでしたね。通常でもヒトよりは強靭なことを失念しておりました。同じ闇の者として、苦しませるのはあまり気乗りしません」

「……ほ、っとけ! 生きて、る、証拠だ!」

「っ!」

 ベルンの眼窩(がんか)に指先を突き込んで、文字通りの目潰しを食らわすと、銀は残る力を振り絞って窓に体当たりした。

 痛えだろーなぁ……などと躊躇(ちゅうちょ)している暇はない。すぐさまガラスは割れ、銀の体を空中に解放する。

「っおおおおっ!」

 鈍い音と共に銀は地面に叩きつけられた。当然、激痛が襲うが、それでも先程のベルンの攻撃よりはずっとましなものだった。


 手で押さえているうち、傷ついた眼球の再生が終わったのを悟り、ベルンは窓から周囲を見下ろした。

 もはや銀の姿はどこにもない。

「……やりますね。わたくしにも、無力な存在を相手にしている、という(おご)りがあったようです。目が覚めました、感謝します」

 独り呟くと、ベルンは銀を捜して歩き出した。

「敬意を表しまして、次は誠心誠意、全力を以ってお相手させていただきます」


 ベルンの気配が消えてしばらく後――。

「シャレんなんねえぞ、こいつぁ……」

 陰から傷だらけの体を引きずり出し、銀はぼやいた。

 フォルティスになったことで向上している治癒能力のお陰で、痛みも少しは和らいできているが、受けた打撃は相当強烈なものだったらしく、未だ、まともに動くことができない。

 のろのろと歩みを進め、先程の教室へと戻る。目当てのものは探すまでもなく、床に転がったままになっている。

 真っ二つになった木刀。

「人の宝物、あっけなく叩き折ってくれやがって……」

 かつて篤郎に譲られて以来、肌身離さず持ち歩いてきたものだ。今の自分はこの木刀と共にあると言っても決して過言ではない。

 床に座り込み、残った痛みに時折むせながら、マフラーの一部をちぎりとり、応急処置を施す。

「……よしっ!」

 作業を完了し、目の前にかざしてみたものの、いったん一旦折れたものがそんなことで治るわけもない。マフラーの支えも甲斐なく、先端は力なく揺れるばかり。

「……もう、使えねえ、か」

 しみじみ呟き、ことり、と床の上に置く。

「今までありがとうな。ゆっくり休んでくれ」

 立ち上がり、視線を向けた先は、現校舎。微かながらもベルンの放つ悪意と気配がその辺りからしていた。

「……待ってろ、ケダモノ女。今行ってやるぜ」

 銀は体の痛みをおして、現校舎へと走り出した。

 正直、怖い。変身できない今の自分では、あの力に対抗しきれないだろう。

 だが。標的である自分が逃げ回っていては、最悪の場合、その脅威が無関係な人間に向かってしまう。

 師である篤郎に叩き込まれた『鞘のない刀は持ち主も傷つける』という自制の(いまし)め。

 銀はきちんと自覚している。並みから外れて、ヒトからも外れた今の自分は、紛れもない刀なのだと。

 そして自制は、自分が傷ついているからと苦難から目を逸らすための逃げ口上ではない。

 鞘走る。それが今だ。



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