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第十一話「兆候」

 朝の予鈴が、活気あふれる校舎に響きわたる。

「おー……ついに遅刻しやがったか、銀の奴」

 教室に入ってくるなり、窓から校門を見下ろし、孝次は呟いた。

 いつもこの時間帯になってそこを突破してくるはずの赤マフラーが、本鈴が鳴り終わっても現れない。

「ま、いつかはこの時が来るんじゃないかと――」

 言いかけたその脳天に、チョップが炸裂する。

「ってーな! 誰――って銀!?」

 紛れもない悪友の姿を認め、目を丸くする孝次。

「勝手に遅刻させんじゃねー」

「いつの間に……」

「おめーが来る前からいたぞ、オレは」

「っなにいぃっ! 皆勤の内訳全部がギリギリセーフのお前がかあぁっ!?」

「巨大なお世話だこのヤロウ!!」

 驚愕の孝次に負けじと怒鳴る銀。

 もちろんその早さはイリスのお陰だ。食事にこそ時間をとられたが、食べ始め自体早いので問題はない。

「何があったんだよ、銀! この頃ヘンなことばっかり起こってるけど、お前までおかしく――」

 再度炸裂、銀チョップ。

「ぃやかましいっ! オレはいつでもどこでも誰にでも! これ以上『ねえ!』ってくれえマトモだっ!」

「マトモさには大いに疑問をさしはさみたいところなんだが」

「!」

「!」

 凍りつく二人。いつの間にか担任が来ていた。

「――今はそんなことどうでもいい。さっさと席に着け」

「へーい……」

「へーい……」

 そうして再び。平凡な日常が始まった。


「スルト、ですか」

「そうだ」

 おうむ返しに呟くエプロンドレスの女に、男は肯いた。

「それが黒いフォルティスのコードネームなのですね?」

「そうなるな。能力からしてほとんどそのものだ」

 スルト。北欧神話における神々の最終戦争に際し、遥か南方の炎の国より訪れる巨人たちの王。手にある炎の魔杖はやがて世界の全てを焼き尽くし混沌に還すという。その身は黒く、故に名は「(スルト)」。

「わたくしが担うのは、その殲滅(せんめつ)、もしくは誘致。ということですね」

「そうなる。……お前の主にも後で伝えておく。行くがいい、ベルン」

「承りました」

 一礼し、背を向ける女。

「それでは失礼いたします、グランドマスター」

 ドアの前で振り返って再び一礼し、女は音もなく去っていった。


「ふあ……ぅ」

 いつもどおりの平穏な授業中。銀はあくびをかみ殺し、軽くかぶりを振った。

 銀の席は窓際にある。刺激の少ない授業――それが至極当然のことだが――にただでさえ退屈しているところだ、陽気と共に染み込んでくる眠気も止めようがない。

 いつしか銀はまどろんでいた。


『お断りします。この子は決して渡さない』

――彼女の声――

――間近――

――とても間近――

――男の声――

――離れて聞こえる声――

――何を言っているか解らない――

『……させない。私の全身全霊を以って止めてみせる。だって――』

――これは――

――女の声――

――知らない声――

――でも――

――知っている声――


 銀が気付いた時には、もう昼休みになっていた。

 男子の多くが教室から姿を消している。昼休みで最強の存在である銀が眠っていたため、これ幸いと誰も起こさずに学食に行ってしまったのだろう。

 薄情なものだが、それは問題ない。恥ずかしいので意識しないでいたが、昨日に続いて今日も弁当持参なのだから。

「うー……」

 背筋を伸ばし、大きく伸びをする。

 夢を見たような気がする。しかし、それはいつものイリス――いや、『三日月の女』のものではない、と思う。

「ま、いっか」

 どうでもいいことはうだうだ考えていても仕方がない。銀は鞄から弁当箱を取り出すと、最上階へ向かった。

 あまり使われることのない特別教室に足音を忍ばせて入り込み、窓を開ける。

 ベランダからほぼ垂直に上方向へ走った壁の割れ目を、指先だけでよじ登る。

 着いた先は、無人の屋上。

「さーて、いっただっきまーす!」

 自分の特等席で喜々として弁当箱を広げる銀。その肩が、後ろからちょんちょんと指先でつつかれた。

「ん――!?」

 振り返るなり、口をふさがれる。突然の衝撃から我に返って現状を再認識し、銀は目を点にした。

 覚えのある顔が、間近……というか、鼻先にある。自分の口を塞いでいるのは、やはりその口――否、唇。

「……っ何しやがんでえ!」

 解放されざま、真っ赤になって突き放す。

 見ると、前の晩会った(まがね)という少女だ。

「よ、よりによって、なんて状況でなんてことしやがんだてめえはっ!」

 銀の怒鳴り声にも動じた様子を見せない鉄は、うっすらと頬を染め、今の感触を反芻(はんすう)するように自分の唇を指先でなぞっていた。

 しばし考え込んでいたような風情を見せていたその視線が、銀に戻る。

「イリスの真似」

「へ? って――!」

 思いがけない言葉に気をとられた銀の不意をつき、再び鉄が懐に入り込んだ。両手をつかんで抵抗を封じ、やはり唇を重ねる。背筋を反らし抵抗を試みても、あきらめず追ってくる。

 不意に口の中に異様な感触を覚え、銀は思わず全力で鉄を突き飛ばした。

 平然と体勢を立て直し、立つ鉄。その唇の端には、細く透明な筋が伝っている。それは、同様に銀の唇の端からも。

「てってめ……しっ……しし、舌ぁ!?」

 激しい動揺が抑えきれず、ろれつもうまく回らない。

 銀の詰問に、鉄は首をかしげた。

「イリスは、こんなことはしなかった?」

「すっ、するわけねーだろ!」

 そんな銀の反応が鉄の内面にある何かに触れたらしく、彼女は初めて怪訝そうな表情を浮かべた。

「真似じゃ、ない……なら、鉄がしたのは……何?」

「……てめーまさか見てたのか!」

 今朝のイリスとの一件を思い出し、さらに赤く、真っ赤になって訊く。果たして鉄は頷いた。

「見てた。鉄にはよく解らないけど、銀が気になったから、銀とイリスのことを見てた。イリスが銀にしてたことを、真似したくなったから、した」

「な……なんなんだてめーは……。ストーカーだったのか?」

 しばし首をかしげて考え込むと、あっさり頷く。

「多分、そう」

「おい……」

 考えてみれば、初めて現れた時も彼女はイリスの行動をほぼそのままなぞっていた。ひょっとすると、あの時からストーキングしていたのかも知れない。

 恥ずかしがるのもバカらしくなってしまい、熱が一気に冷めていく。

「てめーどこの誰だ? いつどこでオレを知った? オレはてめーのことなんか知らねーぞ。制服じゃないあたりうちの生徒でもなさそうだし」

「場所は知らない。昨日の晩。だから鉄は銀を知ってる」

 それぞれの問いに簡潔な答えが返ってくる。

 相変わらず無表情なので、何を考えているか皆目見当もつかない。外見にも増して、その物腰がまるで猫と話しているような錯覚をもたらす。

「……ま、いいか。ところで、おまえどうやってこんなとこまで来た?」

「銀の匂いをたどってきた」

 そう言って、銀自身が登ってきた経路を指差す鉄。

「あいつよりゃまともだな」

 とりたてて問題はないと判ると、銀はあっさり鉄から目を離し、改めて弁当を食べ始めた。

「何してるの、銀」

「メシに決まってんだろ」

「めし?」

 怪訝そうに首をかしげる鉄。

「物を食ったことない、なんて寝言は言わねーだろーな」

「ない」

「ぶっ! なら、今までどうやって生きてきやがったんだてめー」

「点滴」

「あ、味気ねえ……。食え! 恵んでやる!」

 そう言って、銀は鉄の前に箸を伸ばした。

「……?」

 怪訝そうながらも、がぶりと――銀の腕に喰らいつく。

「っだぁああ! んなもん恵んでねぇええっ!?」

「……ひひゃひ……」

 銀チョップの連打を受け、鉄はしぶしぶ口を離した。しかし、なぜか口がもぐもぐと動いている。

「ったく――ってマジで食ってやがるよこいつ」

 血を流す腕の傷は、不自然に肉がえぐれ欠けている。噛み付いた直後から口をもぐもぐさせていることを考えれば、結論は迷うまでもない。銀は痛みも忘れて呆れた。

「……これが、「おいしい」なの?」

「美味くてたまるかっ!」

「そう。なら、これは「まずい」なの?」

「……まずいって言われたら言われたで複雑だけどな」

「銀が何を言いたいか、鉄には判らない。でも、もう銀は食べたくない」

「それでいいんだよ。普通なら人は人を食わねえもんなんだからな。……ほら食え。これが本命だ」

「ん」

 頷くと、今度こそ、伸ばされた箸にはさまれたおかずをぱくりとくわえた鉄、再度もぐもぐ。

 飲み下し、しばし沈黙した後、銀を上目遣いに見上げる。

「もっと食べたい」

「おう」

 再び、食べる。

「……これが?」

「そーだ! それが「おいしい」ってやつだ! 解ったか――っつーか解れ!」

 上機嫌でぺしぺしと鉄の頭を叩く銀。

「そう」

 銀の反応をほとんど無視して、再三もらったおかずを黙々と食べ始める鉄。

 彼女が銀のそばに居続ける理由は、食べ物をくれるから、という程度のものなのかも知れない。動機が単純なだけに、頭を叩かれるくらいの障害は気にもならないのだろう。

 まるで猫好きが野良猫を餌付けしているような、そんな奇妙な会食は、午後の始業を告げる予鈴が鳴るまで続いた。



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