第七話 試験/蠢く影
四月に失踪事件を引き起こした大蛇の邪霊を倒し、五月の初めには旅行先で仮面の邪霊を倒した。
その功績が認められて、奈津たちは正式の白のクラウン――レベル3を手に入れた。
もう怖いものはないと豪語していた奈津は…………一人、目の前の恐怖に打ち震えていた。
五月末日。
一週間後には――中間試験が控えていた。
Flame,Plus
奈津の朝は、遅い。
目覚まし時計はスヌーズ機能付き。そうでないと、絶対に起きないからだ。
何度目かのアラームを、ベッドから伸ばした手で止める。
ノースリーブに短パンという格好で寝ているため、絶壁ということも相まって少年のように見えた。
「なんか、ふめいよなことをいわれたきがする」
ごしごしと目をこする。
呂律が回っていないことからもわかるように、まだ寝ぼけていた。
ふらふらと立ち上がると、そのままおぼつかない足取りで洗面所へ向かう。
途中、壁にぶつかったりしているが、それでも起きる気配はない。
冷たい水で、顔を洗う。
真冬ならば冷たさによる衝撃で飛び起きるのだが、温かくなるにつれて、それで目を覚ますことが出来にくくなっていた。歯を磨いても、やはりまだぼんやりとしたままだ。
それでもなんとか意識を半分くらい覚醒させると、次は冷蔵庫に向かう。
卵を一個取り出して、フライパンを温めながらトースターにパンを入れて、それから目玉焼きを作る。流れ作業だった。
蓋をして蒸している間に、冷蔵庫からレタスとトマトを取り出して、適当に切ってサラダを作る。ドレッシングは、学院で買ったモノだ。
目玉焼きが出来ると、焼き上がったトーストの上に載せる。
なるべく洗い物は出したくないため、毎日朝はこの食事だ。
冷蔵庫から瓶牛乳を取り出して、朝ご飯を食べる。
寝ぼけているためか、味覚はしっかり機能せず、微妙な味だが仕方ない。
――トーストにも目玉焼きにも味付けをしていないことは、気がついていない。
食べ終わると、いそいそと食器を片付ける。
といっても、片付けなければならないのはサラダのお皿とフォークと、牛乳瓶だけ。
楽だ楽だと頷いている内に、漸く目が覚めた。
白のブレザーに袖を通す。
ネクタイと制服に入ったラインは緑色。
他は全て白一色という、汚れがやたら目立ちそうな制服だ。
だが、その実制服にも金がかかっていて、汚れにくいどころか傷つきにくい。
その機能は足下も及ばないとはいえ、戦鎧職人から知識を借りて作っているのだ。
鞄に教科書を詰めて、スポーツバックに装霊器を入れる。
装霊器の重みに慣れることは、魔法使いの第一歩だ。
装着時に、重さで動きが鈍らないように、重みに慣れるまでは持ち歩く。
これは一年生の一学期までの話で、二学期からは戦鎧を収納しているアイテムに、一緒に装霊器も入るように、学校側が調整をしてくれる。
奈津や椿たちは、度重なる実戦でとっくに慣れていた。だが、特例が認められる訳ではないので未だに持ち歩いていた。
時計を見て、時間を確認する。
七時四十五分。切りの良いところだと思い、玄関へ行く。
覗き窓を見ると、そこにはチャイムを押そうとしている椿の姿があった。
奈津はその姿に小さく笑うと、この時間に起きていられるようになったのは、こうして訪ねてくれる椿のおかげだったと苦笑した。
「はいはい、起きてるよ~」
「あ、おはよう、奈津」
いつものように、挨拶を交す。朝起きて笑顔で居られることが、奈津は嬉しかった。
「おはよう」
「おはようございます、奈津」
そして、ここ最近はこうして訪れる人数が、増えていた。
GWの温泉旅行から距離が近づいて、朝はばらばら……というか、昼の時にしか集まらなかったのに、今は授業中以外は四人で一緒にいた。
「おはよー、ラミ、レイア」
ひらひらと手を振って挨拶をすると、ラミはこくりと頷いて、レイアはそっぽを向いた。
無表情だが嬉しそうなラミネージュと、明らかに照れているレイア。こういった掛け合い――友人と、挨拶を交す――に慣れていない証拠だった。
四人で並んで、歩いて行く。
順番は左から、ラミネージュ、椿、奈津、レイアだ。
初対面ではひどくいがみ合っていたのに、今はこうして一番仲の良い友達にまでなっている。
常にその間に立っていた椿を見て、奈津は目を細めた。
「もうすぐ中間試験だね」
「そうですわね。普段から予習復習をきちんとしていれば、一年生の内からそう難しい問題もでませんわよ」
椿がのんびりというと、レイアは心配はないと笑ってみせる。
続いてラミネージュもこくりと頷いた。
そして、奈津は――真っ青な顔で、固まっていた。
「ちゅうかん、しけん?」
「?……どうしたの、奈津」
文字どおり自慢にならないが、奈津は勉強が苦手だ。
特に数学はだめで、聞いているだけで眠くなる。魔法学と歴史学は、興味のある分野なのでなんとかなるだろう。体育は、運動神経で座学の成績をカバーすることができる。
文系科目も大体何とかならないこともない――もちろん、自信はない――が、数学含めて科学や地学といった理系は、完全にだめだった。
「もしかして、奈津……貴女」
何かに気がついたように、レイアが厳しい目で奈津を見る。
奈津は、すぅと目を逸らして、奈津にしか見えない蝶々を目で追っていた。現実逃避である。
「勉強なんか、出来なくたって!」
「赤点の生徒は、体育祭中補修が科せられる」
「勉強教えてください」
名門校に通う生徒ならいってはならないことを言おうとして、ラミネージュにばっさりと切られた。
中間試験が終わると、待っているのは体育祭だ。
紅組と蒼組に別れて、運動神経と連携力をもって競技をクリアしていくこの行事は、奈津がもっとも楽しみにしていたイベントだった。
学校側としても、魔法使いとして他者との連携に慣れさせるという意図があるため、真剣に取り組ませる。そのため、異常な熱気で行われる、熱い行事だった。
それを補修で潰してしまうなど、耐えられることではない。
――実際は、生徒の将来に関わる大事な行事なので、脅しと課題で済むのだが。
「それじゃあ、今日帰ったら、みんなでお勉強会しようか」
「そうですわね……まぁ、私も手伝いますわ」
「うん」
三人の温かい言葉に、奈津はそっと涙を流した。
「うぅ……ありがとう、心の友よ!」
涙に太陽光が反射して、きらきらと輝く。
その様子に椿たちは一歩退いていたが、その事に奈津が気がつかなかったのは、幸いだったといえるだろう。
†
こうして、奈津は自分の部屋に椿たちを招いた。
薄い水色で構成された、シンプルな部屋に、特撮ヒーローものと思われるポスターが一枚。
まるっきり少年の部屋だ。
椿たちは奈津に促され、ガラスのテーブルの周囲に置かれた座布団に座る。
ベッドを背に椿、その右に奈津で、正面にラミネージュ。左にレイアだ。
「それではまず……そうですね、奈津の学力がどんなものか見てみましょうか」
レイアがそういうと、ラミネージュがプリントを取り出した。
妙にファンシーな可愛らしい字で書かれた問題用紙で、レイア以外の三人分作ってあった。
「教えるにしても、各員の実力を把握しておいた方が、役割分担も効率的ですわ」
プリントを印刷してきたのがラミネージュで、作ってきたのはレイアだ。
その可愛らしい文字と、所々に登場する注釈係の猫のイラスト。丁寧で凝ったそのプリントをじっくりと眺めていたくて、ラミネージュは印刷を買って出たのだ。
「それでは始めて……なんですの?その目は?」
妙に生暖かい目でレイアを眺める周囲の視線に、レイアは退きながら眉をひそめた。
レイアの問いには答えず、プリントを開始する。
止まることなくすらすらと書き込むラミネージュと、時折ペンを回しながら考えつつも、詰まることなく書いていく椿。
奈津は、解らなかったら次へ次へとやっている内に、一番上に戻ってしまい、頭を抱えていた。
やがてじっくりと一問一問解き始める。
時折悩みながらも、思い出しながらなんとか埋めていった。
「そこまで。さて、採点しますから、少し待っていなさいな」
赤ペンを使って採点するレイア。その正面の席で、奈津は真っ白になっていた。
「大丈夫?奈津?」
「あ、あはは、もう、だめ」
だめになるのが早すぎる。
椿は苦笑いを零しながら、奈津を慰めた。
「終わりましたわ」
レイアの声に、半ば空想の世界へ旅立とうとしていた奈津が戻ってきた。
「結構頑張れば出来るようですわね。椿は平均的に教えて、私が数学、ラミネージュが理科。これで教えれば、すぐになんとかなりそうですわ」
そういいつつも、レイアの表情は苦い。
自分が教えた方が良さそうな数学が、ぶっちぎりで悪いからだ。
「奈津、貴女、数学の授業中に何をしていらしたんですの?」
思わずそんなことを訊ねる程、悪かった。
奈津は、机の上に突っ伏すようにうなだれた。
「数字を見ると、眠くなるんだ」
職員室に呼び出される程寝ていたのだ。解るはずもない。
レイアはそんな奈津の様子に、深々とため息をついた。
「ふ、ふふ……ねぇ、椿」
「どうしたの?奈津」
数学の答案に一通り目を通して、その悲惨さに奈津は暗い目で呟いた。
その様子に、椿は顔を引きつらせながら首をかしげた。
「ヒーローには――――バカが多い」
「ヒーローを捏造しないっ!……というか、ヒーローは頭が良い人の方が多いと思うよ」
椿の言葉を聞いて更にうなだれる奈津を起こして、勉強会に入った。
†
一週間、四人で勉強を続けた奈津は、着実に点数を伸ばしていった。
元は悪くないのだ。やらないだけで。
試験当日もなんとか乗り越えて、奈津達は反省会を開いていた。
結果はまだわからないが、手応えはあった。
テストの見直しを終えて、問題用紙から採点してみると、補修は免れていることが解った。
昼休みにこの作業を終えて、寮への帰り道、奈津は憔悴した表情で感謝を告げた。
「うぅ……みんな、ほんっとうにありがとう」
感激から土下座に移行しかねない様子で頭を下げる奈津に、椿たちは笑いながら構わないと慰めた。
「あはは……いいよ。助け合うのは、当たり前だよ――友達だもん」
そう言って微笑む椿と、肩を竦めるレイア。ラミネージュは、無表情ながら何度か頷いていた。
その姿に、奈津は顔をほころばせる。
普段見せる少年のような笑みではなく、そっと花開く百合の花のような、可憐な笑み。
ヒーローという仮面の下の、奈津のさらに“下”にある表情を、ほんの少しの間だけ見せていた。
「ありがとう。うん――なんだか、すごく、嬉しい」
そういって、頬を朱に染めながら、少し前に出る。
言われた方も照れてしまい、みんなそれぞれに顔を背けていた。
椿は、前に出た奈津の手を握ると、走り出す。
年頃の少女の、拙い照れ隠しだった。
「あっ……待ちなさい!追いますわよ、ラミネージュ」
「うん」
夕暮れの中、奈津は手の中の温もりに、なくしたものを想うような儚い笑みを浮かべた。
そしてすぐに、普段の、少年のような快活な表情に戻った。
そこにいたのは、大人びた少女ではない。
友情を育み、青春を謳歌する――年頃の、女の子だった。
†
「完全にとは言い難いですが、被害者となった生徒達の断片的な記憶に、共通点があることがわかりました」
カルテからら情報を読み取るアンジェリカと、その横で満足げな表情を浮かべる楓。
生徒達の期末試験が終了した日の夕方、慎二郎の研究室で報告する二人の姿があった。
慎二郎は、俯いて目元は見えないが、どこか悔しそうな雰囲気を醸し出していた。
「いずれも、邪霊に襲われる前に会話をした、もしくは直前に一緒にいたような気がするという人物は――――男性でした」
これで、椿の容疑は晴れる。
なにより、一番はっきりとした記憶のあった黒沢梓が、椿ではないと言い切ったことが大きかった。
もちろん、嘘かどうかも調べた。
言葉の真偽を見つける“能力”を使える教師――歴史学の遠峰雅人――に頼んで調べたところ、直前まで男性と一緒にいたという証言まで、本当のことだと判明したのだ。
椿と邪霊の関わりも否定されて、これで楓の生徒の無実が証明された。
「さて、これで良いでしょう?三上院先生」
胸を張る楓に、慎二郎は答えない。
その姿を不審に思い、楓は再び訊ねる。
「どうしました?三上院先生」
「あぁ……いやいや、そうですか」
その顔は、笑顔だった。
まさか笑っているとは思わなかった楓は、一歩退いてその姿を見た。
「いえいえ、私としても安心しましたよ。これでも私は教師ですからね……教え子を疑うということは、中々どうして――――心苦しいこと、だったんですよ」
一転して見せる晴れやかな顔。
それが嘘か誠か、楓は見抜くことは出来なかった。
それは一緒にいたアンジェリカも一緒で、カウンセラーの資格も持っているが、ここまで解らない表情を見るのは初めてだった。
そう――“わからない”のだ。
偽りなのか……本当なのか、すら。
貼り付けているだけのようにも見えれば、本心のようにも見える。
なにも読むことが出来ない、目。
「さて、これで私も良心の呵責に苦しまずに済むというものです。後の始末は私がなんとかしておきましょう。先生達もお疲れでしょうから、ね」
慎二郎の口ぶりに、長居をしていても仕方がないだろうと、楓とアンジェリカは退出した。
後に残った慎二郎は、しばらくの間変わらぬ笑顔だった。
一分、二分と時が経つと、その表情が崩れ去る。
その瞳に映るのは、大きく黒い炎だった。
「くそっ……くそっ……くそォッ!」
何度も何度も、強く机に拳を打ち付けた。
その姿は滑稽で、狂気に溢れていた。
「庶民のくせに、この私の計画を、庶民のくせに、庶民のくせに!」
その慟哭は、椿だけに向けられたものではなかった。
彼の瞼に焼き付いた、沢山の“焼死体”。その姿が、慎二郎から冷静さを奪っていた。
「まだだ、まだ終わっていない」
ぶつぶつと呟く。その表情は憔悴しているが、それよりも遙かに狂気が強く浮き出ていた。
虚ろな目で、手を伸ばす。虚空に助けを求めるように、手を伸ばす。
「手はある、手はあるんだ」
伸ばした手の先から、ぽとりと何かが落ちた。
黒い、光を反射しない球体だ。
「くふっふふふっはははははっ」
笑う。声に出して、腹を抱えて、涙を流して笑っているのに、その瞳には何の感情も宿していなかった。
球体は、大きく鼓動して形を崩す。
身体を震わせながら蠢くと、だんだんと大きくなる。
それは、スライムだった。
大きな一つ目の、スライム。黒い半透明の身体の中心には、うっすらと心臓のようなものが見えていた。
スライムは、ゆっくりと目を閉じる。
そして、大きく見開いた。すると、その足下から目のないスライムが沸いて出てきた。
心臓だけはあるため、その大きな鼓動が、スライムの声の代わりだった。
「そう、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
スライムは、タイルにしみこむように消えていく。
その様子を見もせずに、慎二郎は黒い瞳で空を仰いだ。
「大丈夫、大丈夫だよ――――慎二郎」
後にはもう、なにも響かなかった――――。
扱いとしては、幕間的なお話です。
来週は少しリアルが忙しくなりそうなので、思うように更新をすることが出来るかわかりません。
それでは、ここまでお読みいただいき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。