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Flame,Plus  作者: 鉄箱
41/42

最終話 世界 (後編) ―完―

走る、走る、走る。

雅人に先導されるまま、入り組んだ遺跡を駆け抜ける。


『オオオオオォォォ』


そこかしこから出現する、邪霊。

学院に出現したものよりも、大きくて堅い。


「邪魔っ!!」


それでも、超越者の力で、蹴り抜く。

止まっている暇はなかった。


『そこを右……だと思う』

「えっ?!」

『邪霊の気配が強すぎて、わかりにくいんだ!』


時折迷いながらも、進む。

無限に沸き上がる邪霊と、辿りにくい気配、複雑な構造。


全ての要素が絡んで、中々思うように進むことが出来なかった。


「頼むから、無事でいてよね…………っ!」


闇が、蠢いた。











Flame,Plus











紅い閃光が、煌めく。

装霊器に宿した炎刃で、活路を開いて突き進む。


闇から闇へ移動する邪霊も、強化された椿の感覚の前では、丸裸も同然だった。


切り落とし、焼き尽くし、斬り裂き、燃やし。

進む先に闇の終着点を見つけた椿は、その広間に躍り出る。


「これが――歪み?」


黒い柱と銀色の壁。

高い天井と校舎よりも広い空間。


ここは学院の地下などではない。

どこか違う、異空間だ。

椿は本能的に、そう感じ取っていた。


その大広間の中央に、“それ”は在った。


闇を煮詰めたような漆黒の繭。

その大きな繭には、三十三対六十六本の蜘蛛の足が生えていた。

蜘蛛の足は裏返り、繭を包むようにして眠っている。


『欲しい』


繭が、小さく蠢いた。

繭の中から響く声に、椿は覚悟を決めた。

もう、ためらう余裕はない。

――そう、自分に言い聞かせて。


『欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい』


繭の中で響き、更に大広間に反響する。

狂おしい程の、渇望。


『“世界”が、欲しい』


繭が鳴動し、蠢き、その六十六の足を地につける。

強大な存在を前にして、足が震える。たった一人で立ち向かわなければならない、恐怖。


『邪魔を、するな』


体育館ほどのサイズを持つ、繭。

その身体が、蜃気楼のようにぶれた。


「【心盾・絶火】」

――ズドンッ


咄嗟に張った壁に、目で追えない程のスピードで突撃してきた、繭がぶつかる。


『要らない』


繭が一言、呟いた。

たったそれだけで、罅が入る。


「え?」


そして、簡単に砕けた。

椿は戸惑いを押し隠して、繭の下をくぐるように突進を躱す。

繭は見失うことなく、椿を追った。


「【三槍・蛇紅鞭】」


椿は、炎の鞭を三本出現させると、それに追尾させることによって繭のスピードを捉える。

そこから、なんとか方向を割り出して、突進を躱していく。


躱していくだけでは、攻勢には移れない。

どこかで、活路を見いだす必要があった。


「【四元素が一柱を司どる・灼熱を統べし槍の火蜥蜴よ・我が手にその穂先を与えん】」


炎刃を展開させて、繭を睨む。

突進してくる一瞬、そこを狙う。

何度か避けてタイミングを計り、椿は身を屈めた。

そして――黒い突風が、椿に襲いかかる。


「今!」


地面に背中を預ける形で転がり、上に向けて炎刃を突き出す。

繭の腹に炎刃が突き刺さる感触を確認する前に、詠唱を重ねる。


「【四元素が一柱を司どる・灼熱を統べし槍の火蜥蜴よ・その穂先を・彼の者へ放て】」


炎刃が射出されて、繭の中へ埋まる。

あと、一手。


「【四元素が一柱を司どる・轟火を放つ槍の火蜥蜴よ・込められし力を・爆ぜさせよ】」


繭の腹に収まった炎刃が、爆発する。

繭が突撃してから、椿の上を通り過ぎる一瞬に、椿はこの行程を終わらせた。

限界を超えた高速詠唱で、喉が痛む。


――ドン


繭が、内側から燃え上がる。

椿は極限の緊張状態で削れた体力を、なんとか少ない気力で持ち直した。


繭は音を立てて、燃え上がり、そこに動く気配はない。

そのことに椿は、少なからず安堵した。


だが――――まだ、終わらない。


燃え尽きた繭から、大きな何かが立ち上がる。

終焉の炎でさえ、それにとっては誕生への祝福でしかなかった。


それは、ゆっくりと繭から羽化して、立ち上がる。


『欲しい』


漆黒の鋼をつなぎ合わせたような、鋭く堅い鱗。

三本の巨大で長い首と、三対六枚の大きな羽。

鋭利に尖った、三本の鋼の尻尾。


それは――見上げる程巨大で、周囲の存在が霞む程強大な、“龍”だった。


感じる圧力に、身体震える。

どうしようもない寒気と共に、脂汗が流れる。

先の見えなくなるような絶望に、思考が停止する。


『まずは貴様を、いただこう』


三個の頭の中央が、その口に炎を溜める。

そして、そこから放たれた、漆黒の炎が椿に迫る。

脳裏に浮かんでは消える、大切な人の顔。


椿は閉じた瞼の下で、大切な“親友”と“使い魔”を思い浮かべていた。


「奈津……雅人さん」


弱々しく、名前を呼ぶ。

もう、身体に力は入らなかった。


漆黒の太陽は、椿を呑み込もうと、その牙を剥いた。


「【ウォールアウト】」


黒い、半透明の壁が、椿に迫る炎を押しとどめた。


「【大気を統べる風の主よ・我が身体に宿り・我が身に烈風の加護を与えん】」


止められた炎を、緑色の閃光が貫いて、霧散させた。

その姿に、椿は目を瞠る。


滑らかな黒髪と、鮮やかな銀色の目。

高い背に、整った顔立ち。

着崩した黒のスーツに、黒い手袋。


空から降り立った親友、奈津の隣りに、手をかざして立つ男性の姿。


「人間になれるなら言ってよね」

「私も、まさかなれるとは思わなかったのでね」


奈津と軽口を叩き合う、威厳のある声。

子猫の姿ではない――――遠峰雅人が、そこにいた。


「椿」

「あ――うん」


奈津の声に、我に返る。

奈津は、バイザー越しに眼を細めた。

龍は未だ、雅人が手をかざして押し止めていた。


「“親友”と“恋人”が助けに来たんだから――――」

「ふぇっ!?」

「――――ちょっと休んでいると良い」


奈津の言葉に、雅人が続く。

惚ける椿に、雅人は更に笑みを深くした。


「まぁ、時間稼ぎは任せると良い。もっとも、早く追いつかないと、我々だけで倒してしまうかもしれんがな」


腰が抜けて動けない椿に、雅人はそう言って笑った。

そして、椿を後ろに置いて、一歩前へ出る。


「そんな大口叩いて……大丈夫だったの?」


悪戯っぽく笑う奈津に、雅人は肩を竦めて見せた。


「さて、ね――――まぁ、なんとかなるだろう」


雅人がそう言ってみせると、奈津は少しの間虚を突かれたように惚けた。

そしてすぐに、笑い出す。


「ハハッ――――いいね、それ。気に入った。それなら……なんとか、しようか!」


壁が解けると同時に、二人は物怖じすることなく、龍の前に飛び出ていった。















椿に目を向けさせないように、高速で邪霊を翻弄する奈津。

そんな奈津を、防御と攻撃を合わせて支援していく、雅人。


二人の後ろで、椿は目を瞑って息を整えていた。


突然知らされた状況に混乱して。

それでも話を聞いてしまったら放っておけなくて。

恐怖も悲哀も動揺も、全部押し殺して、向かった。


化け物なんだから、せめて人の役に――。


そんな“逃げ腰”な、弱い自分。

悲劇のヒロイン気取りの、甘えた自分。

大好きな人たちに助けて貰って、まだ足りないと手を差しのばす、自分。


「でも」


いざ、本当に助けが来てくれて、椿は一つ、自覚した。

悪い奴らに浚われて、牢屋で涙を流しながら、“勇者ヒーロー”を待つ“お姫様ヒロイン”。


そんな受動的な状況に、耐えられない自分がいた。


ピンチに陥ったら、足掻けばいい。

ヒーローが来たら、一緒に戦えばいい。

一人で何でも出来るなんて言うのは、逃げでしかない。


「ごめんね、アレク。君も一緒、だよね」


漆黒の炎と、漆黒の稲妻と、漆黒の吹雪。

猛攻を退けつつも、徐々に精彩を欠いていく仲間達。


「私はみんなを守りたい」


そう、口に出して、首を振る。

答えは、これではない。


「私は、みんな“と”護りたい」


そう言って、微笑む。

これが正解だと、気持ちがすとんと胸に落ちた。


無色の魔力が、装霊器を走る。

真紅の光に変わり、やがてそれは灼熱の白へと変わっていく。


「【“進化|≪ライフシフト≫”】」


椿がゆっくりと立ち上がる。

それとほぼ同時に、アレクがサラマンダーからファイアードレイクへと姿を変えた。


頭の中に、詠唱が流れ込む。

霊秘宝を掴み取り吸収する、精霊魔法。

神霊者の力と合わせた、究極の一。


「【生きとし生きる・全ての終焉を超えし・勝利の象徴たる炎竜よ・我が世界に汝を・汝が世界に我を・我は大いなる加護の下・この魂を煉獄に捧げん・炎霊転神】」


ファイアードレイクの身体が、椿の身体に同化する。

椿の背中から、白い炎の翼が生えて、装霊器から巨大な白の刃が生まれる。

戦鎧も、髪も、全てが純白に染まり、真紅の炎燐を身体に纏う。


その瞳は、金。

光の加減で虹色に姿を変える、黄金の双眸。


椿は、揺らいだ意志で向かい、その力を“否定”された。

ならば、強い意志を持って、力を“否定”させなければいい。


まずは――フィールドを作って、自分の領域を拡大させる。


「【結界・無限炎燐】」


真紅の炎燐を纏った白い炎が、大広間を覆い尽くす。

指定された対象を閉じ込める、鯨の邪霊の能力。


奈津と雅人が、宙に浮く椿を見る。


「天使って言うには、格好良すぎるかな?」

「私“の”椿だ。当然だね」

「ハッ、言ってろ」


椿はそのやりとりに、小さく笑みを零す。

こんな彼らだから、椿はともに戦いたいと思えたのだ。


『邪魔を、するナァァァァァッッ!』


龍が、吼える。

その波動に呑み込まれまいと、意志を強く保つ。


「はぁっ!」

『要らない』


不要の呪文。

拒絶の願い。

否定の言霊。


それを――――意志を持って、弾く。


漆黒の炎――奈津の蹴りが、霧散させる。

漆黒の稲妻――雅人の壁が、遮断する。

漆黒の吹雪――椿の炎が、溶かし消す。


漆黒の鋼龍を――三種の力が押しつぶす。


「【魂と財宝を守護せし・灼熱劫火の炎竜よ・その大いなる炎を以て・我が敵を浄化せよ】」

「【大気を統べし風の主よ・健やかなる自由の象徴よ・我が右脚にその力を宿し・我に疾風怒濤の加護を与えん・我が望みに応えて・その力を・解き放て・風精の王】」

「【ロードアウト】」


太陽の如き白い炎が。

全てを貫通する自由の風が。

あらゆるものを絶つ絶対遮断が。


龍の首を、切り落とす。


『グガァァァァァアアアアアアアアアッッッ!?!?!!』


三本の首が地面に落ちて、塵になる。

魔法使いでは敵わないはずの歪みの意志も、椿の境界の内側ならば、打倒することが出来る。


あと――――もう少し。


『――――――許さない』


世界が、揺らぐ。

龍を中心に、大気が、空間が、世界が、歪んでいく。


『我は――世界の意志』


歪みきった空間。

その中心は、“深淵”の闇。

なにもない、“虚無”の世界だった。


『増えすぎた人間を、世界から溢れる前に消す、修正機構』


それは、独白にも似ていた。

自分の存在意義を訴える、叫び。

他者の存在意義を否定する、慟哭。


『創造主は、少しでも世界の寿命を延ばすためにと、我を生んだ』


創造主によって造られた生命。

それが、邪霊だと、歪みは語る。


求めていた答えの片鱗に、雅人は目を見開いていた。


『大きな罪を犯したものは、我々がその存在を喰らう。万が一その存在が力をつけても対応できるように、喰らった存在の力を我に還元する』


世界を綻ばせないための修正機構。

正しく生命体ではないからこそ、輪廻の輪から逃れた“歪み”であった。


『だが、人間は愚かにも、人間同士で大きな争いを起こした』


世界大戦と呼ばれるその戦争。

その戦争で、歪みが喰らうべく“大罪人”の定義が、あやふやになった。


『多くを喰らい、大きな力を得て、我は我として“目醒め”た』


それは、創造主の誤算。

そう――――修正機構に、意志などなかったのだ。


『我は世界を“修正”することができる。それは、創造主と何が違う』


世界を修正する。

悪いと思ったものは、排除すればいい。

全て薙ぎ払って――――君臨すればいい。


『起源世界に閉じこもり、世界に現われることのない創造主。彼が世界を顧みないというのなら――――』


その声は、まるで子供のようだった。

幼子のように、無邪気な声。


『――――我が世界の“主”となろう。愚かな世界を、修正するために』


それは子供の我が儘。

欲しい欲しいと願う、無邪気な渇望。


『ここに名乗りを上げよう。我は今日この日より、新たな創造主となる全ての存在を否定し、修正しよう――――!』


昏い気配が、空間に満ちる。

その空気に、奈津と雅人は胸を押さえて蹲る。


「奈津!雅人さん!」


歪みは、笑う。

無邪気に、嗤う。

世界を、ワラう。


『我が名は――――“否定者|≪アカシック=デウス≫”!!』


それは、誕生の産声だった。

その名乗りと共に放たれた波動が、世界を包む。


アレクも耐えきれなかったのか、椿の身体からはじき出された。


誰もが立ち上がることが出来ないその中で、椿は一人、立って歪みを睨む。

歪みの中では、姿の見えない否定者が、独りで笑い続けていた――――。















避難の終わったドーム。

外の映像が映し出されたモニターに、その光景が映し出された。


校舎を中心に吹き出る、黒の気配。

漆黒の柱が、天を突く。


「椿、奈津――――無事でいてくれよ」


ミアが、そっと祈る。

固く結んだ手を、神楽がそっと包み込んだ。


「大丈夫、大丈夫だよ」

「東雲教諭……はい」


誰もが、祈る。


フランチェリカが、ルナミネスが、明里が。

リリエが、五十鈴が、ナリナが、蘭香が。

桃乃が、奈美が、理恵が、洋子が。

アンジェリカが、ミファエルが、楓が、莉子が、マリアが。

荘厳が、霧が。


そして――――。


「帰ってきたら――――お仕置きですわ」

「手料理作って、待ってる」


レイアとラミネージュが、ドームから天を見ていた。

それは、ここにはいない人たちも、同じだった。






―/―






旧校舎の、屋上。

そこで、レンは布に包んだ主を抱き締めながら、空を見上げていた。


「身勝手だな、私は」


それでも、託さない訳には、いかなかった。

愛しい主の護った世界を、壊されたくなかった。


「どうか、無事でいてくれ。こんなことを言う資格はないだろう。だが、どうか――」


腕の中で、主が少し、身じろいだ。






―/―






遠く離れたアルプスの山脈で、登山服姿の少女が、そびえ立つ黒い柱をじっと見ていた。


「梓!今、大変なことになっているみたいだよ、“日本”」

「お母様……」

「とにかく、すぐに下山するわよ」

「は、はい」


山の上から、その光景をじっと眺めて、梓はそっと目を伏せた。


「大丈夫かしら、椿様」


空は、暗雲に満ちていた。






―/―






オールアクセンの敷地で、遊びに来ていた鈴は、セレナージュと不安げに空を見ていた。


「先輩、無事かな」


か細い声で心配する鈴の背を、セレナージュが優しくさする。

彼女も、自分の姉が心配でたまらなかった。


そんなセレナージュの頭を、大きな手がかき回した。

その姿を見た使用人の博人と美奈子が、目を瞠る。


「あれが、こんなところでどうにかなるタマか」


そう言って、イストは、震える手でタバコをくわえた。

その手に気がついた一里は、驚きつつも微笑んだ。


「ちっ……なにやってんだ、ガキ」


それは、祈りの炎を灯す、小さな火。

ゆらりと、タバコの火が、揺らめいた。






―/―






首都“東京”の都庁に位置する騎士団本部では、現代の英雄と名高いカインが、派遣の準備をしていた。


フィーリもそれを手伝う中、カインはそっと頭を下げた。


「三騎士の皆様にご足労願うことになるとは――申し訳ありません」

「構わん」


元・騎士団最強の三騎士。


“天衣無縫”

――――神崎宗一。

“灼熱劫火|≪オーバードライブ≫”

――――旧姓、至王院牡丹。

“雷迅氷華”

――――千堂京佳。


かつてない混乱に市民全てを護るには、手が不足していた。

そのため、今も現役で戦うことの出来る宗一達に、手を借りることになったのだ。


宗一は、ただ空を見る。


「戻ってこい、椿」


その視線は、かつて最強の騎士だったものではない。

ただ孫を思う、祖父のものだった。















蹲る二人を置いて、椿は一歩、前に出る。


「椿っ!」


一人で戦いに行く。

でも、独りで戦おうとは、考えていない。


振り向いた椿の双眸に宿るのは、力強い輝きだった。


「帰ってくる」

「――――遅れたら、遠峰先生は、保健所に連れて行くからね」


その瞳に呑み込まれて、奈津は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

アレクの精霊石を手渡されてもなお、涙は、見せない。


「私としてもそれは困るな――――早めに、帰ってきてくれよ」

「はい――――」


苦しげだが、それを声色には出さない。

安心させるように立ち上がると、雅人は不敵な笑みを浮かべた。


椿はそんな雅人に近づくと、微笑む。


「え――――?」

「あぁっ!?」


そして、つま先を伸ばして、唇を重ねた。


「行ってくる!」


踵を返して、走る。

雅人はそんな椿の手を掴むと、自分の元へ引き寄せた。


そして、顎を持ち上げて、やや強引に唇を奪った。


「行ってらっしゃい」

「あ、うぅ――――行って、きます」


耳まで顔を紅くして、椿は今度こそと、走る。

歪みに消えていく椿を見送ると、身体がいくらか楽になった。


「力を送られた、か」


奈津はそんな雅人の向こうずねを、思い切り蹴った。


「ぬぐっ!?」

「ふんっ……猫のくせに」


それだけしたくて根性で立ち上がったのか、奈津は再び蹲る。

雅人は少しの間悶絶すると、苦笑しながら奈津を抱えた。

――俵担ぎである。


「なっ!?」

「いいから、騒がない」

「うぬぅ……ペットショップに売り飛ばしてやる」

「それは怖いね」


雅人は、遺跡を走る。

椿が笑顔で帰ることの出来る場所を、守るために。















歪みを歩く。

淀んだ虹を塗り固めたような、暗く沈んだ道。


憤怒、傲慢、嫉妬、欲望、怠惰。

悲哀、悦楽、歓喜、殺意、憎悪。


負の感情で塗り固めた下から、淀んだ感情が滲み出る。

悪意と絶望で蓋をした歓喜が、濁って歪んで霧散する。


意志の弱い人間が入ったら、見ただけで発狂するような。

そんな地獄が、広がっていた。


その奥の、更に奥。

そこで椿は、足を止めた。


鳴動する虚無。

慟哭する深淵。

歪みの中心に、“それ”は在った。


逆さまに浮いた、漆黒の胎児。

無邪気に笑うその口は、鮮やかな赤。

薄く開かれたその瞳は、濁った虹色。


“否定者”の、真の姿が、そこにあった。


『要らない/欲しい/壊す/欲しい/修正/欲しい/頂戴/欲しい/欲しい/欲しい』


ただ求め続ける、無邪気な悪。

全部否定しないと、ほしがることの出来ない子供。


近づくだけで存在を否定されて、そこに立っていることすら朧気になる。


椿はそんな胎児に、ゆっくりと近づく。

どんなに願っても、“否定”されない存在に、否定者は戸惑いを見せた。


「貴方が全部を否定するというのなら」

『なんで/否定/何故/修正/どうして/否定/修正/否定』


戸惑いが、恐れへと変わる。

その強い力に、椿の身体は傷ついていく。

夥しい血液が流れ出て、足下がふらつく。

この空間では魔法も邪霊の力も操ることは出来ない。


ならば椿は――――。


否定者を、抱き締める。

その胸で包み込むように、そっと抱き締めた。


――――椿自身の力で、戦う。


『なん、で……なんで!否定されない!なんで、消えない!』

「貴方が私を……世界を“否定”するのなら、私は世界の全てを“肯定”する」


人間も精霊も邪霊も。

全ての存在を支配できる、“神霊王”の力。

その力の意味は――――全ての存在の、“肯定”だった。


歪みが広がる。

大きく、大きく、広がる。


広がった歪みは、椿を中心に集束していく。


やがて全て無くなろうとしたとき、否定者は感じたことのない“幸福”に包まれた。


――――“お母さん”


遺跡から、歪みの気配が消える。

跡には――――何も、残らなかった。















瞼の裏を照らす、無機質な光。

その光に、椿はそっと目を開いた。


「ここ、は?」


周囲を見回す。

そこは、図書館だった。


天井は見えない程高い。

周囲も、終わりが見えない程、沢山の本棚が並んでいる。


地面は、苔の生えた浅瀬の河。

それなのに、本が濡れているようには見えなかった。


光に照らされてはいるが、太陽があるようには思えない。

風もあるが、窓は見あたらない。


暖かくはないが、寒くもない。

どこか神秘的だが、それ故に生物の気配がない。

故に、無機質な空間と言えた。


椿は、何気なく本棚から、本を取る。

そして、そのタイトルに、首をかしげた。


「“ケルト神話”?――幻想世界“ケルト”じゃなくて?」


本棚に書かれたタイトルは、異国の言葉。

勉強したことのない言語なのに、椿はそれを読み取ることが出来た。


新約聖書。

北欧神話。

古事記。

アーサー王伝説。

封神演義。

ゾロアスター教。


そのタイトルを眺めながら歩いていると、椿は少し開けた場所に、人影を見つけた。


「あの――」


黒い学生服に身を包んで、眼鏡をかけた黒髪の少年。

大人しそうなその少年は、桐の机でじっと本を読んでいた。


「ここは――――」


どこか、そう聞こうとして、首をふる。

それよりも、聞かなくてはならないことが、あるような気がした。


「この本は、なに?」


椿は、少し悩んで、そう訊ねた。

少年は、顔を上げない。

本に目を落としたまま、答えた。


「幻想が幻想として存在し続けるためには、信じて紡ぐ“人間”が必要だ」


考えてみれば、おかしな言葉だ。

“幻”想が、“存在”するのだから。


「だけど人は、いつしか、紡ぎはしても、信じなくなった」


少年は、語る。

それは、椿が聞きたかった答えとは、ずれている。

それなのに、その言葉を遮ることが出来ない。


「それでは、“存在”することはできない。だから、“創った”」


少年の言葉。

それを信じるのなら、この少年は――。


「物語の数だけ存在する“幻想世界|≪ファンタズマワールド≫”」


あらゆる物語。

その本の背表紙が、淡い光を放つ。


「その世界を保つための“歯車世界|≪ギアワールド≫”」


現実世界。

それは、幻想を幻想として存在させるための、歯車。

欠けてしまったら、その全ての動きを止めてしまう、心臓ギア


「そして、その全ての原典を内包する“起源世界|≪アカシックワールド≫”」


答えに、辿り着く。

この本の中、全ての幻想を内包し存在させるために、全ての物語が“違和感なく”存在できるように創られた、世界。


それが、この世界の全てだった。


「修正機構が意志を持ってしまったのは、ぼくの不手際だ」

「それじゃあ――――邪霊は、消えるの?」


椿がそう訊ねると、少年は本に目を落としたまま、首を振る。


「修正機構が大人しくなれば、人間はまた、自分たちで争い始める」


それは望まない。

少年は、言外にそう答えた。


「だが、今回のような事態には、しないし、させない」


幻想まで壊れていくのは、少年にとっても不本意だ。

それでは――――“意味がない”のだから。


「そう――それなら私は、一体でも多くの邪霊を倒す。倒して――“肯定”する」


それが、自分に悩み続けて、なお苦しみ続ける邪霊達への、唯一の救済方法。

少年は、一言「そう」とだけ、呟いた。


「君は、ぼくの手から生まれながら、ぼくの想定を超えた存在だ。――好きにすると良い」


椿はその言葉に、瞑目した。

そして、目を開いて、少年を見る。


「私は、帰れるの?」

「帰りたければ、帰ると良い」


門が、開く。

椿は背後に突然現われたその門に、驚いた。

そして最後に少年――――“創造主|≪ワールドロード≫”を一瞥した。


口を開きかけて、閉じる。

そして、踵を返して、門を潜った。


振り返ることをしない椿は、気がつかない。

少年が、顔を上げていたことに。


「どうせ君は、最後にはここへ戻る」


本を閉じて、門を見る。


「“肯定”と“否定”の力を持つものよ」


指を鳴らすと、門が消える。


「君は――――“管理者|≪イマジンロード≫”たる、資格を持っている」


少年は、ぐるりと本棚を見回すと、立ち上がった。


「待っているよ――――椿」


そして、新しい本を読むために、図書館を歩き出した。















門を潜ると、そこは不思議な場所だった。

夜空に沢山の本棚が浮かんでいる、不思議な場所。

しばらく呆然とその場所見て、振り返る。

そこには既に、門は無かった。


無限に広がる空間に、この場所が宇宙のような場所だと気がついた。

八方向の夜空には、時折流れ星が輝いた。


立ち止まっている暇はないと、歩く。

だが、どんなに歩いても、出口は見えない。


そのことに椿は、焦りを覚え始めていた。


――こっちだよ。


声が、響く。


――さ、こっち。

「だれ?」


その懐かしい声に、椿は自然と涙を流していた。

胸元の、指輪。形見のリングが紐でとおされたネックレス。

その指輪から、光が伸びて、道を示す。


――はやく、急いで。

「お父さん」

――こっちだよ、椿。

「お母さん」


溢れる涙を拭いながら、進む。

その先の門に、椿はふらふらと近づいた。


――大丈夫だよ。

――私たちは、ここにいるから。

――行っておいで、椿。


とん、と、優しく背中を押される。

門を潜る寸前に見えた、優しい笑顔。


「ありがとう。お父さん、お母さん」


涙を流しながらも、椿は笑顔で、別れを告げる。

そして、前を見る。


晴れ渡った、空の下。

校舎の屋上に出て、椿はちょうど屋上に出てきた、奈津と雅人、レイアとラミネージュの姿を見つけた。


胸に抱いた思い。

その全てを溢れさせて、椿は、満面の笑みを浮かべた。


「ただいまっ!」


満天の太陽の下。

歓喜の声が、世界を祝福の音で包み込んだ――――。
















Flame,Plus
















少女は、一庶民だった。


両親は、未だに仲の良い……良すぎる夫婦。

祖父母は、街の外れでよくデートをしている、仲良し夫婦。


弟が一人いるだけで、賑やかすぎる家族。


本当に一般人だった彼女は、ほんの少し魔法の才能があって、ほんの少し魔法使いに憧れていた。


だから、必死に勉強して、名門と名高い楼城館学院に入学した。


見た目がよく似た仲良し学院長“夫婦”の長い話を聞く。

同じクラスになった、白に近い金髪の少女と、黒い髪の大人しい少女と友達になって、彼女は早速、この学院に入学した目的の一つにやってきた。


おどろおどろしい旧校舎。

その裏手の、プレハブ小屋。


二年生でレベル七に辿り着いた先輩がいると聞いていたが、少女はそんなことは、気にしない。


「ここが……“英雄考察研究会”か――――よしっ!」


少女は、“正義の魔法使い”になりたくて、プレハブ小屋の、門を叩いた。

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