第二十三話 雪月焔歌 (後編)
猛吹雪。
そう言っても差し支えのない天候の中、椿は特に寒がりもせず、歩いていた。
神霊者の力を使用するのに戸惑っていたのは、もう過去の話。
あまり乱用するべきではないと考えていたが、あまりの寒さに理性の箍が外れたのだ。
胸に浮かぶのは、名も無き炎の精霊の紋章。
これならば、低い魔力で現象を維持することができるのだ。
そもそも、“死”を遮断した時点で負荷が極端に減っているのだが、それに気づく様子はなかった。
常に微弱でも炎を纏っていれば、戦鎧の防寒機能も合わせて、寒くない。
そんな椿を、肩の上に移動した雅人が、胡乱げに見ていた。
遮断の事を……人から外れたことを、後悔しているのかどうかも解らない。
今は平気なように見えても、今後どうなるかは、わからない。
本当に“自覚”があるのか。
――それとも、どこか“諦め”にも似た感情を、抱いているのか。
いまいち読めない主に、雅人はため息を吐くのだった。
Flame,Plus
吹雪の中、視界が悪くても、歩かなければ仕方がない。
炎の精霊の力によって暖まることは出来たが、それもいつまで保つことができるか解らない。だから、早く邪霊を倒したかった。
「うぅ、まだ、かな」
『情けない声を出さないでくれないかい?』
薄情である。
だが、雅人も散々“ペット扱い”された鬱憤が溜まっていたのだろう。
その顔には、憔悴の色が見て取れる。不憫である。
「はぁ……ったっ!?」
肩を落としながら歩いていた椿は、顔を上げようと上を向いた反動で、後ろに転んだ。
それだけで転ぶのは、おかしい。足が滑ったのだが、雪の上で滑ることも、あまりない。
『これは……氷?』
「いたたた……え?」
地面を触ると、氷が張っていることが解った。
「違う……湖?」
そう、湖だ。
いつの間にか、椿は湖の上に来ていた。
水面は厚く凍り付き、疑問符を浮かべる椿の顔を映していた。
「割れない、よね?」
『割れはしないと思うよ。それよりも、前』
「え?」
雅人に言われて、顔を上げる。
視界が悪い中でも辛うじて見える距離、そこに氷の柱が立っていた。
それも、一本や二本ではない。複数だ。
「漸く、かな」
『大丈夫だとは思うけど、気は抜かないでよ』
「うん」
真剣に頷く椿の様子に、雅人はため息をつく。
自分の主は、果たして理解しているのか。
“よほど”のことが無い限り、死ぬことなんか出来ないということを――。
氷がつき立つその場所へ、椿はゆっくりと歩いて行った。
†
遊園地などで、ミラーハウスなどと呼ばれるアトラクションへ行ってみたことがあるだろうか。
氷の柱が無数に立ち並ぶその場所は、上以外の全方が鏡のようになっていた。
氷に映っているだけなので、鏡程鮮明ではない。だが、激しい吹雪と合わさって、視界は最悪と言えた。
「さすがに、寒くなってきたかな」
『そうだね』
雅人は、これ以上ペット扱いされないためにも、胸元には入らない。
入らないが、震えていた。
「どこから来るかな?」
『そうだね――――っ上!』
眼を細めて考え始めたとたん、気配を感じて雅人が叫ぶ。
椿はその言葉に反応すると、上を確認せずに後ろへ飛んだ。
――ドンッ!
落ちてきた氷の柱が、先ほどまで椿の立っていた場所に突き刺さる。
椿は焦ることなく冷静に、腰を低くした。
「雅人さん!」
『わかった!』
雅人が氷の柱を見て、どこから来るのか言う。
椿は周囲を見て、避けた後も逃げられる場所に飛ぶ。
『右!上!下!左に四十五度!』
――ドン ドン ドン ドン
落ちてくる氷の柱は、速度があるためか高威力だ。
当たったら、その場に無残に串刺しとなるだろう。
椿は、そんな自分の姿を思い浮かべて、身体を震わせた。
『上から五本、囲む気だ!』
「【蛇鞭・流焔】」
炎の鞭を、並び立つ氷の柱の一本に巻き付かせる。
そして、身体を引き寄せた。
――ドドドドドンッ!
椿はその五本を避けると、鞭を更に前に巻き付かせて、身体を引き寄せる要領で素早く進んでいく。地面がよく滑る氷だから、スケートのように移動することが出来ていた。
その動きを捉えきれなくなったのか、氷の柱が落ちてこなくなった。
そして、掴む柱が無くなったので、椿は能力を解除して走った。
「っ……本体、かな」
『おそらく、ね』
椿が辿り着いたのは、湖の中央だった。
そこには、華のように開いた氷の柱があった。
その華の中央では、女性が笑っている。
だが、女性と言って正しいのかは、わからなかった。
それは、氷像だった。
女性を象った氷像が、滑らかな動きで笑っていた。
氷という固体なのに、動きが滑らかという矛盾。
それは実に“邪霊”らしい、矛盾だった。
『アアアア』
高い声が、響く。
その声と同時に、邪霊の背後に巨大な球体が出現した。
透明の球体で、風が集まったもののように見える。
「【四元素が一柱を司どる・灼熱を統べし槍の火蜥蜴よ・我が手にその穂先を与えん】」
何が来ても対応できるように、炎刃を展開させておく。
邪霊は椿の装霊器に宿った炎を見ると、愉快そうに笑い声を上げた。
『アハハハハハハハハハッ!』
球体が、発射される。
思ったよりも速度が遅かったため、椿は炎刃で切り落とす。
「せいっ!」
球体はあさっさり切れて、二つに分かれて椿の左右に落ちる。
そして椿は、炎刃を見て――目を、瞠る。
展開し続けていたはずの炎刃が、消えていた。
よく見れば、装霊器の先端が凍り付いていることが解った。
「くっ!」
再び展開させるには、まず溶かさなくてはならない。
だが、氷は一向に溶けず、椿を焦らせる。
再び、球体が放たれる。
今度は二つ……それも、先ほどまでよりも大きい。
「【心盾・絶火】」
真紅の壁で防ぐ。
だが、椿の使う技は、ほとんどが炎属性が付加されている。
そのため、鉄壁であるはずの壁が、揺らぐ。
「っ!」
『【ウォールアウト】』
それを、雅人が補強する。
雅人が使う分には、無属性だ。
そのため防ぎきることが出来るのだが、雅人の身体では何度も使える訳ではない。
「――寒い」
椿が、小さく呟いた。
カタカタと震える身体を、両手で抱き締める。
防いでもその場に停滞する冷気が、椿の体力と精神力を削り、奪う。
『危険、だね……アレク』
雅人は、椿の身体を通してアレクを顕現させた。
炎の精霊、サラマンダーがいれば、直撃しない限りは熱を得ることが出来る。
「雅人さん……アレク……」
弱々しく呟く椿を、アレクは心配そうに見上げた。
その視線を受けて、椿は持ち直す。今まで一緒に戦ってきたパートナーに、心配をかけている。それで、平気でいられるはずがないのだ。
「ごめんね、アレク……もう少し、頑張ろう」
『とりあえず、いつまでも張っていられる訳じゃないから何とかしてね』
「うん」
雅人の言葉に頷くが、良い手段は思い浮かばない。
雅人が苦しそうに歯がみする姿に、焦りだけが生まれていく。
そんな椿の姿に、雅人もまた、焦っていた。
椿に足りないのは、火力だ。攻撃の威力ではない。文字どおり、温度が足らない。
熱は、温度が高ければ高い程、その色は白に近づく。対して、椿の炎は真紅。これでは、邪霊の魔力が上乗せされた冷気は、破ることが出来ない。
『だからといって、ここで諦める訳にはいかない』
椿に聞こえないように、そう呟いた。
邪霊王に打ち克つほどの少女が、ここで氷漬けにされる。
死ぬかどうかがわからないと言うことは、溶かされるまで永遠に氷の中。
死んで転生することも、叶わない。
『なにか、なにか方法は――』
逸る心を静めながら、雅人はアレクを見た。
椿に心を通わせようと、励まして力になろうと必死になっている、炎の精霊。
その姿に、雅人は賭けに出ることにした。
どのみち、そう長くこの使い魔の身体で壁を作っていられる訳では、ないのだから。
『椿……聞くんだ』
「雅人、さん?」
真剣な声で言葉を投げかける雅人の様子に、椿は怪訝そうに眉をひそめた。
雅人は、普段はなんだかんだで余裕を忘れないように努めているということを、椿は知っていたのだ。
『今から、全力でアレクに“想い”注ぎ込むんだ』
「想い、を?」
『そうだ』
雅人に促されて、椿は戸惑いながらも、アレクを左手にのせる。
そして、右腕で、包み込んだ。
「アレク……」
四月に契約を交して、それからずっと一緒に居た。
椿は、アレクが契約に答えてくれたおかげで、使いやすい魔法を使ってピンチを乗り越えてきた。
椿にとって、アレクは相棒。
大切な、パートナーだった。
アレクと共に戦ってきたからこそ、ここで負けたくはなかった。
それは、今椿と心を通わせているアレクも、同様だ。
椿にとってアレクが“最高の相棒”であるということと同様に。
アレクにとって椿は“最高のパートナー”なのだ。
そして、二つの心が混ざり合う。
二つの願いは一つの思いとなり、その思いが、アレクを包み込む。
『やはり、か……!』
紅の光が渦巻くその光景に、雅人がそう声を漏らした。
子猫の身体であるため、全身の毛が、興奮から僅かに逆立つ。
精霊と心を通わせていると起こる、非常に“珍しい”現象がある。
条件すら解らないそれも、神霊者である椿が呼びかければ、成功するのではないか。
雅人は、そう賭けに出て……それに、勝ったのだ。
サラマンダーの身体が、大きくなる。
めきめきと翼が生えて、炎をその身に纏う。
その姿は――――“竜”の、もの。
『精霊がさらなる上位存在に変質する現象――“進化|≪ライフシフト≫”!』
それは、竜。
炎を纏う竜、財宝の守護者、魂の監視者。
「アレク……すごい」
『火炎竜――“ファイアードレイク”』
竜に“進化”したアレクは、その瞳から炎で出来た涙をこぼした。
椿が慌ててその涙を受け止めると、それは石に変わった。
「霊、秘宝?」
アレクは変わらず無言のまま、頷いた。
詠唱は、自然に頭の中を流れる。
もう、この程度の寒さに、脅かされたりはしない。
『さて、解けるよ』
「うん、ありがとうね。雅人さん」
そしてついに、壁が消える。
その向こうでは、邪霊が玩具を買い与えられた子供のように、笑っていた。
『アハハハハッッッ!!』
その甲高い声は、確かに耳障りだ。
だが、今の椿を揺さぶるのには、足らない。
「【魂と財宝を守護せし・灼熱劫火の炎竜よ・その大いなる炎を以て・我が敵を浄化せよ】」
椿が、右手の装霊器を邪霊に向けながら詠唱した。
すると、白に近い輝きを持つ太陽のごとき炎が、大きく呻り声を上げる。
そして、冷気の球体を用意していた邪霊に、荒れ狂う力の牙をむき出しにしたまま、襲いかかった。
火球と呼ぶには強すぎるそれは、正真正銘“火竜の息吹|≪ドラグブレス≫”といえた。
その荒れ狂う力は、邪霊の冷気をいとも簡単に呑み込むと、そのまま突き進む。
そして、邪霊の本体である氷像を“半分だけ残して”溶かしきる。
それは、その場にあった氷の柱だけでなく、進行上にあった湖の水すらも、蒸発させて見せた。太陽のコアを思わせる、超高温の炎だ。
『アハハ……ハハ?』
「【蛇鞭・流焔】」
何が起こっているのか理解の追いつかない邪霊に、椿は炎の鞭を巻き付かせる。
深いところで椿とアレクが繋がったためか、炎の鞭にアレクの温度が宿る。
そして、超高熱となった炎の鞭が、邪霊を跡形もなく消し去った。
『アハハハハ――――アアアアア――――アアァァァァッッッッ!!!!』
邪霊が消え去ると、とたんに吹雪が晴れる。
この吹雪も、邪霊の仕業だったのだ。
足下の氷には罅が入っていて、今にも割れそうだった。
湖に落ちてはたまらないと、椿はそこへ手をかざした。
「【氷焔】」
浅葱色の炎が浮かび、水面に吸い込まれる。
するとその場が、瞬時に凍り付いた。
対極する属性の力を、ごく自然に、何でもないことかのように使用する椿に、雅人は目を瞠る。
椿がアレクに手を差し出すと、アレクは元のサラマンダーの姿に戻る。
進化した精霊の姿を操るなどという聞いたこともない現象に、雅人は頭を抱えた。
『椿……君はいったい、どこまで往くんだ?』
その呟きは、椿には届かない。
椿は遠くに見える仲間の姿に、ただ嬉しそうに手を振っていた。
†
合宿二日目を終えた頃には、椿たちはぐったりと過ごした。
学院に帰るまでの一週間を、このログハウスで過ごすと、愛着も沸く。
最終日には、どうにも名残惜しくなり、後ろ髪を引かれる思いでリムジンに乗り込んだ。
そうして、いつかのように、リムジンの中で眠りにつく。
肩を並べて寝息を立てる椿を、雅人はただじっと眺めていた。
『君は、どこまで“往く”?どこまで、“征く”ことが、できる』
自分の予想よりも、遙か上にいる宿主。
椿の力が上がれば、使い魔である雅人の力も上がる。
この身体になってから、一人で“心絶”の能力を使うことが出来てしまったという事実は、重い。
『なんにしても、私は君を支えよう。それが君の望みなら、応えよう。だがそれは、君が本当に望むのなら、という前提の元に成立することだ』
椿に望まれたから、雅人はこの場にいる。
邪霊王だった雅人の意識は、ただの記録でしかない。
それでも、人格の基盤として使っている以上、邪霊王だった雅人が望むものは、解る。
彼は、自分たちの種族の行く末が、見たかった。
だからこうして椿の使い魔となることは、未来を見据えるために、最も近い場所だと言えた。
だから雅人は、この場所に“満足”していた。
使い魔として主を敬愛する心と、邪霊王として望みのために椿を守りたいという心。
その二つが齟齬なく融合しているからこそ、彼は真剣に椿を“想って”いた。
『椿――――私は、君を守りたい。だから、私に君を……護らせてくれ』
目を離せば一人で消えていってしまいそうな主に、雅人はそっと、瞑目するのだった。
今回で、冬休み編は終了になります。
次回から三学期・終章なのですが、あとはもうクライマックスに走るだけなので、短いです。
一話挟んで、最終話を前後編で纏めてしまいたいと思います。
あともう少し、最後までお付き合いいただければ、幸いです。
それでは、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回、次章も、よろしくお願いします。