第二十話 虹睨祭編⑥ 夜の宴
十月十三日、水曜日。
椿たちの紳士喫茶は、初日とは比べものにならない程盛り上がっていた。
それは、ヒーローショーが終わったことで、ファンクラブのメンバーがここに来る許可を得たことが、大きいだろう。
ヒーローショーに疲れを残さないために、桃乃が禁止していたのだ。
ファンクラブのメンバーが、外に出た後に感想を語り合う。
それに釣られて、訪れる人間が増える。
そうしている内に、老若男女が集まるという、当初では考えられなかった事態に発展していた。
そして、午前中に仕事にかかりきりだった椿は、昼食時に漸く解放されたのだった。
Flame,Plus
未だ男装のままで、椿は休んでいた。
予想以上に人気になってしまったため、本来は休む暇はない。
だが、それでは身体を壊してしまう。
それをどうにかするために、助っ人として担任の楓と、手の空いていた神楽が入ってくれたのだ。この何とかとれた休憩時間で、昼食を済ませて休んでおく。
椿としては、休みなしで動き続けるミアが心配なので、すぐにでも戻りたい。
だが、気を遣わせてしまったら元も子もないので、こうしてしっかり休んでいた。
疲れがとれたら、ミアと交代するためだ。
食堂で、昼食を食べる。
喫茶店の賄い料理と、屋台で買った軽食だ。
シフトが合わなかったため、椿一人の食事――だったはずなのだが、気がついたら、イストと食べることになっていた。
もちろん、イストと二人で食べるわけではない。
やけに口数の少ない雅人が肩にいるからと、一人として数えているわけでもない。
最初は、セレナージュに誘われたのだ。
一緒に食事をとろう、と。
それを了承したときに、偶然宗一と牡丹がやってきた。
彼らが客として訪れることが出来るのは、午後からだという。
一緒に昼食をとることになり、宗一と牡丹も参加するのなら是非、とセレナージュが自分の父親とイストを連れてきた。これが、イストがここにいる経緯である。
では、何故今二人は向かい合っているのか?
これにもやはり、訳があった。
出し物見て回っていた柿沼親子も合流して、大所帯になった。
やがて大人同士で話をするようになり、子供達が孤立する。
セレナージュと鈴は、椿を休ませるために気を遣って輪を離れた。
今頃、道に迷っていることだろう。
そして、大人同士の話を窮屈に思ったイストが輪から外れて――現在、こんな状況になっていた。
「そういえば、イストさんの精霊って、なんなんですか?」
「あ――?……戦闘の役には、たたねぇよ」
椿は、ヒーローショーのことで笑われた以外では、イストに対して気まずさといったものを持っているわけではない。そのため、その羞恥心を乗り越えてしまえば、普通に言葉を交すことが出来る。
「なんていう、精霊なんですか?」
じっと見てくる椿に、イストは珍しいことに目を逸らした。
顔も口調も怖いイストに面と向かって話すことが出来るのは、弟のアルトや両親を除けば、椿のみだった。
ようは、慣れていないのだ。
子供の純粋な、視線に。
「はぁ……まぁいいか……出ろ」
イストがそう言うと、装霊器に白い魔力が灯り、精霊が出てきた。
白い髪に白いワンピース。白銀の目をしていて、手には箒を持っている。
『はじめまして。ご主人様にお仕えしている精霊、シルキーのシエルです』
「は、はじめまして。神崎椿です」
イストの精霊は、メイドとして働く分には優秀だ。
ただし、戦闘魔法はまったく使えない。
イストはシエルとの相性が良すぎるため、送還して別の精霊を呼ぶことができなかった。
そのため、十五歳の時に召喚して、もう二十三年の付き合いだ。
シエルは、にこにこと優しい笑みを浮かべながら、イストの周りをふわふわと動いている。
イストが結婚することなく、現在まで独身で居るのは、やはりシエルが居るというこも大きい。なにせ、家事しかできないからと家事をやらせていると、恋人かと周囲が勘違いして女性が寄りつかないのだから。
……と、イストは考えていた。
口調と顔が怖いことは、そこまで意識していないようだ。
「しっかし……そうして見ると、本当に男みたいだな」
「そう、ですか?」
当然、嫌みである。
女性らしさを省いたわけではないのに、と唇を尖らせる椿を、からかっているのだ。
悪い大人である。
「君は、イスト君と言ったか?」
「あ?……えぇ、そうですが?」
そんなイストに、話し合いが終わったのか、宗一が話しかけた。
白に近い金髪を肩口まで伸ばした男性――アルトも、その様子を笑顔で見守っていた。
牡丹は未だ、荘厳とその妻――瑠璃と話をしている。
「一つだけ言っておくが……」
「……はぁ」
からかったことを注意でもされるのかと、イストは面倒そうな表情をする。
隠そうともしないその態度に、椿は苦笑した。
「孫が欲しいのなら私を倒してからにして貰うぞ」
「はぁっ!?」
「えぇっ?!」
イストだけではなく、椿も当然のように驚く。
アルトは“なんだそうだったのか”という顔をしている。
というか、イストはアルトの兄……イストと結婚でもすれば、椿はラミネージュの伯母になってしまう。友達の父親に姉呼ばわりされるなど、意味がわからなかった。
そんなことを考えるほど混乱している椿はともかく、イストは自分がからかわれたことに気がついて頭を抱えていた。
そして、未だに慌てている椿を見て、獰猛に笑う。
いや、悪巧みというより悪戯を思いついた少年のような心持ちだったのだが、傍から見れば哀れな少女を文字どおり喰い殺そうとしているようにしか見えない、怖い顔である。
「じいさんを倒せばくれるってよ、椿」
「ななななっ何を言っているんですか!?」
「なにって……なぁ?」
顔を赤くして慌てる椿の様子は、確かに面白い。
そんな椿を見てにやにやしていると、イストの頭上に影が降りた。
「ん?――っ!」
慌てて椅子から横へ飛ぶ。
すると、座っていた場所に銀の筒が振り下ろされた。
この凶悪な装霊器は――ラミネージュの、ものだ。
「ちっ」
短く舌打ちをする、ラミネージュ。
感情を表に出さないラミネージュの、見たことがないような苛つきに、イストは顔を引きつらせていた。
「椿?大丈夫」
「ら、らみ?だ、だいじょうぶだよー」
顔を赤くしたままぽやぽやと言う椿を、心配そうに眺める。
そんなラミネージュに、アルトが話しかける。
「ふふ……イストでは、不満かい?」
大切な友達が居る。
その事実に、アルトは優しい目を向けていた。
不器用な娘だとは知っていたが、どうすることも出来なかったから。
「チンピラに渡すくらいだったら、私が貰う」
「えぇっ!?」
漸く落ち着いてきたのに、椿は再び声を上げた。
どんどん訳がわからなくなっていく状況に、ついていくことが出来なくなっていた。
「休憩そろそろ終わりそうだよーって呼びに来たんだけど……そんなことになっているなら、僕も参戦しようかなぁー」
そういってジト目で椿たちのやりとりを見るのは、休憩の終了が近いことを伝えるついでに彷徨っていたセレナージュと鈴を連れてきた、奈津だった。
「奈津まで何を言ってるの!?」
「で、どっちが相応しいと思う?――ラミ」
椿を無視して、固い声で続ける。
ラミネージュも、普段よりも低い声で、対抗する。
「家柄、財力、容姿、頭脳。どれをとっても、貴女に勝ち目はない」
「へぇ?料理も?」
「――絶壁よりは」
不穏な空気が流れ始めて、椿は慌てた。
「ね、ねぇ!休憩終わっちゃうなら、早くいかないと!」
そこで椿はなんとか方向転換しようと、にらみ合う二人の間に割り込んだ。
二人は椿の声を聞くと、すぐに不穏な空気を霧散させる。
「それもそうだね。それじゃ、ラミ、また後でね~」
「うん」
「あ、あれ?あれ?」
先ほどまでのやりとりなど無かったことのように笑顔になる奈津と、無表情ながら楽しそうなラミネージュ。椿はそのやりとりを見ながら肩を震わせるイストを見て、漸く気がつき始めていた。
「ねぇ、奈津。私、もしかして、からかわれた?ねぇ、奈津?」
「ほら!早く行かないと!」
「聞いてる?奈津?ねぇ、奈津?」
淀んだ空気を発する椿の手を取ると、奈津は慌ててかけだした。
その背には、うっすらと冷や汗をかいていた。自業自得である。
†
最高の賑わいを見せた虹睨祭も、もう終わりが近づいていた。
人気投票が集められて、優勝が決まる。だが、優勝は半ば予想できていたので、生徒達の表情は至って普通だった。
なにせ、紳士喫茶は異常な盛り上がりを見せていたのだから。
『はいは~い、予想どおりで申し訳ない!一位は一年B組の紳士喫茶Dragon crown”ですっ!なんとぶっちぎりの優勝という、例年では考えられない優勝でした!みんなー来年も頑張ってねぇーっ!』
マリアの声が響く。
だが、夜の校庭にわざわざ集まったのは、この発表が目的ではなかった。
『それでは!虹睨祭の、後夜祭!みんな、楽しんでいってねっ!!』
マリアがそう言うと、夜の空に虹色の花火が上がる。
夜空を煌めかせる虹が現われるのと同時に、キャンプファイヤーが真紅の炎をあげた。
生徒達は、早速輪を作ったり、飲み物を持ってベンチに移動したりと、行動を開始した。
「椿!一曲踊ろうよ!」
「奈津……私、踊れないよ?」
「リードするよ、ほらっ!」
満面の笑みを浮かべる奈津の手を、椿はやはり笑顔で受け取った。
奈津はまだ、男装をしたままだ。
「あれ?上手いじゃん」
「そうかな?……奈津のリードが上手いんだよ」
くるくると、キャンプファイヤーの周りを踊る。
会場に流れるアップテンポな歌は、校庭の端でマリアが歌っているものだった。
「次、私」
どこからか、男装してきたラミネージュが、椿の手を取る。
椿は一瞬困惑したが、小さく笑って奈津からラミネージュに移る。
最後の余興だ。
最後まで付き合って楽しむのが、一番だ。
移動しながら、ミアとも交代して、それからレイア、神楽、楓と移動する。
疲れてしまうことはない。だてに鍛えては居ないのだ。実戦限定の鍛え方だが。
人の間を移る度に、雅人が小さく鳴く。
余興に合わせているのではない。くるくる回る椿に、辟易しているのだ。
そんな椿と雅人、そして踊る人たちの様子を、最初に離れた奈津は笑って見ていた。
そんな奈津に、声をかけるものが居た。
「佐倉さん」
「あれ?浅川さん?」
洋子だった。
そして、洋子の影には、悟が居た。
「あれ?どうしたの?悟君」
悟は戸惑いを見せたが、すぐに力強い瞳で奈津を見上げた。
そして、自信の輝きを含んだ笑みを見せる。
「オレ、大きくなったら、“ヒーロー”になる!奈津みたいな、“ヒーロー”になるよ!」
「悟君――」
その言葉に、奈津は目を見開いて、驚いた。
洋子を見ると、洋子は嬉しそうに微笑んでいた。
奈津は屈むと、悟の視線に合わせる。
そして、正面から、悟の顔を見据えた。
「楽しみにしてる。頑張れよ、“見習いヒーロー”」
そう言って、奈津は力強く悟の頭を撫でた。
悟は、満面の笑みを浮かべると、頷いた。
「うんっ!!」
笑顔で満ちあふれる、後夜祭。
生徒も教師も一般客も入り乱れて、笑い合う。
その笑顔の輪の中に、姿が見えない者も居た。
普段は必ず、何らかの形で参加している、学院長の蓮と――。
――椿の祖父、宗一の姿が、そこになかった。
†
校舎の最上階、学院長室。
電気は消えていて、代わりに空に浮かぶ虹色の花火が、学院長室の証明になっていた。
そこで佇むのは、白髪交じりの黒い髪。
二十歳程度の青年の姿をした、蓮だった。
蓮は打ち上がる花火を見ながら、眼を細める。
その瞳に映る色がどんなものなのか?その複雑な色を理解できる者は、いない。
そんな蓮に、近づく影があった。
白い髪をなでつけた、老紳士だった。
「久しいな、蓮」
「あぁ、そうだね。よく来てくれたね――宗一」
老紳士――宗一は、返事をすることもなく、ただ自然体で佇んでいた。
「そろそろ、聞かせて貰いたい」
願い出るような口調だが、その声には有無を言わせない重みがあった。
蓮はそれに、返事をしない。
「何故おまえは、椿を楼城館に通わせるように、私に“頼んだ”?」
「――それについては、感謝しているよ」
宗一は目を伏せて、小さく首を振った。
普段の彼の、厳格な中にも見せる温かい色は、ない。
「――楼城館は私と牡丹、それに、あれの父親の母校だ。元々ここを薦めるつもりだった。……それに、最終的に選んだのは椿だ。礼は要らん」
宗一はそこで言葉を切ると、再び鋭い目で、蓮を見た。
「それよりも、はぐらかすな……蓮」
蓮は、その視線を真正面から受けて尚、首を振る。
「――――今は“まだ”、その“時”ではない」
宗一は、更に鋭く眼を細める。
すると、魔力による威圧で、学院長室が“軋む”。
「言えん、と?」
「そうだ」
その魔力に、真っ向から意志をぶつける。
ここで怯むわけには、いかなかった。
「そのうち、話すさ」
蓮の言葉に、威圧を解く。
その感覚に、蓮は小さくを吐いた。
「その“時”とやらが、来ないことを望むよ」
宗一がそう言うと、蓮は目を見開いた。
そして、どこか悲しげに、笑った。
「そう、だね。――あぁ、まったく……そのとおりだ」
宗一に背を向けて、窓の向こう側を見る。
その虹を見ながら、側にいる宗一にすら届かない小さな声で、呟く。
――だけど、きっとその望みは……。
花火が上がる、夜空の下。
二つの影は、いつまでもその場に、佇んでいた。
これにて、虹睨祭編は終了です。
二章も、残すところあと二回。
次話は、前編と後編の二部構成で、お送りします。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。