第二十話 虹睨祭編② 鳴動
暗い、校舎の中。
静まりかえったこの場所に、風を切る音が鳴る。
銀の閃光が煌めき、黒い影を断つ。
影は悲鳴を上げることもなく、塵となって消えた。
「これで、四体目、か」
刀型装霊器を一降りすると、鞘に収める。
その目は、じっと影のいた場所を見つめていた。
「今更中止するわけにもいかないのは解るが……大丈夫なのかねぇ」
そうはいっても、仕方がない。
楓はそう、肩を竦めた。
「ま、私も……あいつらの楽しみを奪いたくは、ないしな」
自分の担当するクラスの、少女達。
その顔を思い出して、楓は苦笑する。
火曜日早朝、まだ日が昇る前だというのにこんな場所にいるのは、交代で校舎を警戒していたからだった。
土曜日から現れ始めた、謎の邪霊。
力は強く動きも速いが、妙に脆い。
そして、倒してもいつの間にか、沸いてくる。
「応龍祭の時みたいなのは、勘弁してくれよ」
楓はそうぼやきながら、交代のために歩き出した――。
Flame,Plus
予鈴が鳴り、席に着く。
やがて本鈴が鳴る頃には、教室に入っていたミファエルが教壇に立った。
金曜日は丸一日、虹睨祭の準備に使用される。
そのため、実戦授業の代わりを、この日に入れておくことになっていたのだ。
といっても、演習場を使うわけではない。
教室でできる、実習授業だった。
「さて、それでは今回のテーマはずばりっ……“精霊さんと仲良くなるためにっ!”ですよ~」
ミファエルはそう言うと、黒板に「精霊さんと仲良くなろう!」 と大きく書いた。
実習としては予想外の内容に、口を開けて固まる生徒もいた。
「精霊さんは、喚び出して維持をし続けることで、仲良くなり始めることが出来ます。これは、“これから仲良くなりたいので、よろしくお願いします”という合図だったりします。みなさん、早速やってみましょうね~」
すぐに正気に戻って、開始する。
環境適応能力が高く、臨機応援に動くことが出来るということが、このクラスの生徒の良いところだ。ノリが良いの一言で片付けてしまっても、間違いではない。
「よしっ……来て、アレク」
戦鎧は装着せずに、装霊器に魔力を通す。
無色の魔力が装霊器を走り抜けて、真紅の光となり輝く。
赤い閃光が伸びて、軌跡を生む。それが幾重にも重なり、いずれ、輪になる。
輪が更に重なり球体となり、球体が淡く輝くと、その身を綻ばせた。
ゆっくりと崩れ落ちて、そこに小さな蜥蜴が生まれる。
赤い皮膚。オレンジの目。
手足の先と尻尾の先、それから、頭のてっぺんに、真紅の炎が淡く灯る。
椿が契約した精霊――サラマンダーのアレクが、ゆっくりと机の上に降り立った。
椿が手を向けると、するりと登る。
ちろちろと覗かせる赤い舌には、やはり炎を纏わせていた。
「今まで、力を貸してくれて、ありがとう。――――これからもよろしくね、アレク」
声をこそ発することはないが、その円らな瞳は、しっかりと椿を捉えていた。
オレンジ色の眼孔は縦に割れていて、その更に奥には炎のような真紅の輝きがあった。
時折見せるその紅は、人間の心を捉えるには、たやすい。
普通の人間ではない椿を以てして、どこか惑わせるような美しい魔力が、そこに宿っていた。
手のひらの上のアレクに話しかけつつ、指で遊ぶ。
純粋に猫として雅人を構えない分、ここで動物成分を補充しているのだ。
これで、我慢が出来なくなって猫として雅人を構い倒そうとすることも、減るだろう。
椿の肩の上で、雅人はそんなことを考えて、安堵の息を吐いた。
成人男性の知識を持っていようと、ベースは子猫。根気よく構われれば、身体が勝手に反応してしまうのだ。猫じゃらしにじゃれる自分を想像して喜べる程、諦めてはいない。
「精霊さんに何かを食べさせてあげたければ、亜霊石と水晶を砕いてブレンドした、特殊な調味料を加えて料理に混ぜると良いですよ。欲しい人は、都市部の方で買ってくださいね~」
ペットフードならぬ、精霊フードである。
ちなみに、値段はそう高くはなく、庶民でも買えるお手軽調味料だ。
ちなみに、人間が食べると極微弱だが魔力が回復する。
その特性を生かしたスポーツドリンクなんかも、販売されていたりするのだ。
気休め程度にしかならないから、戦闘時の携帯飲料などではなく“スポーツドリンク”どまりなのだが。
今回は特別に、とミファエルはクッキーを一枚ずつ配る。
椿はそれを手にすると、小さく砕いてアレクに差し出した。
アレクは長い舌で器用にクッキーの欠片を絡め取ると、それを口に運んだ。
おいしかったのか、眼を細める様子は、実に和む。
椿は授業が終わるまで、そうやってのほほんと過ごしたのだった。
†
午後、最後のHRを使って、虹睨祭の役割分担などを煮詰める。
「喫茶店というのは、どのようなメニューが出てくるんだ?」
名前は知っている。
だが、喫茶店に行く機会など滅多にないお嬢様達は、まずその段階で困惑していた。
「つーちゃん、わかる?」
「コーヒーとか紅茶とか、あとはサンドウィッチやパスタみたいな軽食とか……あとは、パンケーキやパフェ、それにクリームソーダみたいなのも、置いてあるかな」
椿が例を挙げると、それをミアがメモしていく。
彼女にとっての“常識”は、この場では非常に役に立つのだ。
「さて、調理斑とウェイトレス……ウェイター斑は交互に行うことにしよう。その方が、全員男装することが出来て、楽しかろう」
ミアはそう言うと、意見を求めることもなく決定案に書き込む。
それに不安を言う者は居ない。大半の生徒が、目で合意を訴えていたからだ。
約一割程の生徒は、不満……ではなく、諦めた表情をしていた。
「料理は……どの程度の者が、できる?その、“軽食”とやらの」
ミアがそう問いかけると、手あげたのは当のミア含めて四人程度だった。
さっとできる料理が得意な奈津、本を読みながら食事をしたいがために軽食作りをマスターしたルナミネス、料理全般が得意な椿。パスタが好きなミア、といった具合だ。
「ふむ……では、料理の指導を行った方が良いな。私たちも互いに補完すべき部分があるだろう。そうだな……明日から少しずつ時間をとって、準備期間で本格的に学ぶことが可能となるための土台作りをしておこう」
ミアはそう言うと、今度は他の役割分担を始めた。
装飾や、調達、会計などといった仕事だ。
これも、得意な者を聞いた後に後の指導を含めて時間を作っていくことになった。
おおむね、順調である。
†
放課後は、ヒーロー研でシナリオ作成となった。
演技の指導にせよ小物の調達にせよ、まずはシナリオが決まらなければ思うように動くことが出来ないからだ。
ちなみに、神楽は屋上が会場として使えないか、学年担当のミファエルに交渉しに行っていた。
「やっぱり王道は、ヒロインのピンチ……かなぁ?」
「その場合、ヒロインはどうしますの?」
折角だから、神楽を含めた五人で、一組のヒーローをしようという話になっていた。
その場合、敵役、ヒロイン、エキストラなど、多くの問題が残っていた。
「ヒロインは……友情出演で頼めないかな?」
「誰に?」
そう呟いた奈津の声を拾い上げた椿が、首をかしげて問う。
「チェリカ。似合うと思うんだ」
それは、浚われた子供という役だろう。
本人が聞いたら、微妙な顔をしそうだ。
「なるほど。チェリカ、可愛らしいもんね」
……そして、続いた椿の言葉に照れる。
瞼の裏に、鮮明に思い浮かべることのできる、光景だった。
「敵役は?」
「敵役、悪役、ヒール……赤谷さん、とか?」
続いて質問をした椿に、奈津は悩んで、思い浮かんだ名前を口にした。
どのような形であろうと、椿との共演だ。二つ返事で了承するだろう。
そして、妙に似合うのだ。
しかも、そうすると、ファンクラブという名の雑魚戦闘員もついてくるだろう。
「でも、見返りが怖い」
ラミネージュが、小さく呟いた。
確かにそれでは、見返りが非常に怖い。
何をさせられるかわからない……というか、予想が出来ない分余計に怖い。
「まずオファーをしてみて、見返りを聞いて……それからでもよろしいのではなくて?」
「それもそうだね……まずは聞いてみよう」
これで、配役はひとまず保留にできた。
そして、シナリオ作りに戻る。
「やっぱり、会場に声を投げかけて、ヒーローの名前を呼んで貰うって言うのがいいよね」
「それは、観客が進んで名前を呼ぶように、テンションを上げさせるのが第一段階として必要ですわよ?」
原作のシナリオがあれば、始まった時点で盛り上がる。
だが、そうでないのならどうすればいいのか。
「そのために、音楽があるんだよ」
「気分が高揚する音楽で、パッパラパーにする」
それでは、電波である。
ラミネージュの例えに苦笑しながら、椿はその案を考える。
「どんな音楽が気分の高揚に繋がるかは、梓川先生に聞けば良いんじゃないかな?」
「あー、なるほど」
奈津が、納得したように頷いた。
「それでは、シナリオを煮詰めましょうか」
「そうだね。それで、その後オファーに行ってみよう」
方針が固まり、椿たちはシナリオ制作を本格的に始めたのだった。
†
翌日、オファーが貰えたことを朝のHR前に、確認し合った。
桃乃に頼んだのが奈津で、チェリカに頼んだのが椿だ。
マリアへの音楽指導へは、レイアとラミネージュで足を運んだ。
そして、今日の放課後は、料理指導に入る。
学院の厨房を一室借りて、そこで指導を始めることになった。
椿は、クラスメートにパフェやクッキー、パンケーキなどの作り方を、教えていた。
「そうそう、生地はそうやって……」
「お、おぉぅ?」
今教えているのは、ホットケーキだ。
知らないだけなので、実際に教えて実践してみれば覚えは早かった。
椿に指導されて、まだやや形は歪だが、明里もそれなりに出来るようになっていた。
ちなみに、作ったものは今日の夕飯となるため、手は抜けない。
「チャーハンに必要なのは魂だよっ!熱い魂だよっ!」
「うん!奈津!わたし、頑張るよ!」
妙にテンションが高いのは、奈津とフランチェリカだ。
空調の効いた部屋だが、テンションが高いせいで大粒の汗をかいていた。
もちろん、火力も原因だろうが。
「サンドウィッチの具は……焼きそば?それなら、コッペパンに……」
「そう、そこでアンチョビを……あぁ、そうだ」
ルナミネスとミアも、それぞれ指導に精を出している。
担任である楓は、試食係だ。楓が料理が出来ないわけではない。
ただ、彼女たちが試食のしすぎで太ることを、恐れただけである。
生徒の中でも、積極的に試食をしている奈津は、太らない体質だった。
おかげさまで、未だに絶壁である。何が、とは言わないが。
「さて、大体こんなものか」
できなかった生徒に対しては、また後日。
明日からは、衣装の作成や立ち振る舞いの練習と、本格的に内容を煮詰めていくことになっている。
内装を作り始めるのは、金曜日からだ。
デジタル時計が十八時半を指したところで、ミアは終了の合図を出した。
椿たちは、取りかかっている最中の料理を完成させると、片付けてから料理を並べる。
今から、夕飯だ。
量が多いので、教師陣も呼び集めた。
他クラスの生徒は、虹睨祭までお預けだ。
「アンシュタイン先生、これ食べてみてください!」
「アンシュタイン先生!こっちもお願いします♪」
生徒達が、束になって集まる。
中心にいるアンジェリカはそれを慣れた様子で受け取っていた。
慣れとは言うが、諦めと言い換えても良いだろう。
「東雲先生、こっち、おいしいですよ」
「え?あ、はい」
「東雲先生、こっちもどうですか」
「あわわわ、まっ、まって、くださ」
「こっちもありますよー」
小動物の如く食べ物を受け取っているのは、神楽だ。
そうしていると、ますます幼く見える。
「梓川先生、そのお酒、どこから持ってきたのですか?」
「あーくつせんせいっそんな堅いこと言わないでっ」
「真面目に聞いてくださいっ」
「もう、顔が怖いよ~りこちゃん」
「ぐぬぬぬぬぬ」
どこからか一升瓶を持ち出していたマリアと、その様子に青筋を立てる莉子。
高位の魔法使いは、案外“魔力補充のため”という言い訳が通ってしまう。
よそから補給するのが上手いのは、実力の証明にもなる。
「楓ちゃん、私もお酒飲もうかなぁ」
「エル、それだけはやめてくれ」
「えーでも~」
「頼むから、な?」
そんなマリアをうらやましそうに見るミファエルを、楓は必死で止めていた。
必死すぎて、呼び方が私生活の時のそれになっている。
わざわざ輪から抜け出して、アンジェリカも止めに入る。
そんなにひどいと言うことだろう。
「酒癖かぁ」
呟いた椿に、奈津が勢いよく反応した。
教師陣は、流石に生徒達には飲まさない。
だが、何かの弾みで飲んでしまったら、恐ろしいことになるだろう。ある意味で。
「椿っ、チェリカと僕の力作チャーハン食べてみてよっ!」
「うん?あ、ありがとう。奈津、チェリカ」
「うんっ!」
なんとか話題を逸らすことが出来て、奈津は額を拭う。
冷や汗をかいてしまったのだ。
夕食会は予想外の賑わいを見せ、結局夜中まで騒いでしまったのだった。
†
散々騒いだ後は、教師陣を含めた全員で食器洗いなどの片付けを行った。
いつの間にか飲まされて潰れていた神楽を医務室まで運ぶ手伝いをしたため、椿と奈津は他の生徒よりも少しだけ遅く帰ることになった。
寮母への根回しは、すでに楓が行っているので、心配は要らない。
「いやぁー満腹満腹」
「ちょっと食べ過ぎちゃったけどね」
これでは、虹睨祭本番ではどうなるか解らない。
椿は、そう言って苦笑した。魔法を使うとカロリーを消費するので、魔法使いはあまり体形を気にする必要がない。……というのは男性に限った話で、女性はやはり気になるのだ。
主に、腰回りや二の腕が。
「明日からは、衣装合わせと立ち回り、だっけ?」
「うん。それから、部活の方も」
紳士然とした歩き方を学ぶ必要がある。
さらに、それに合わせた服装を考えることも、重要だった。
「でも、まぁ……このまま順調にいけば――っ」
奈津が、途中で言葉を切る。
道の中央、その場所に――――影が、あった。
黒い、煙を固めたような物体。
それは人の形をしているが、明らかに人間ではなかった。
闇を煮詰めて固めたような、深い黒。その黒は、かつての大蛇の目に、よく似ていた。
「順調には、いかないみたいだね」
「僕たち、運が悪すぎないか?」
向こう側の子供達である奈津と、神霊者である椿。
この二人は、どこか邪霊を惹きつけやすい“なにか”を持っているのだろう。
影が、動く。
音が発生するような器官を持っていないのか、無言だ。
スライムですら鳴き声を発していたのに、この邪霊はそれができない様子だった。
「【大気を統べし風の主よ・我が身体に宿り・我が身に疾風の加護を授けん】」
その素早い身のこなしに、最初に反応したのは奈津だった。
素早い、そうはいっても、奈津程ではなかった。
「せいやっ!」
邪霊が振り上げた腕を、何でもないことかのように躱す。
その風に乗ったツバメのような動きに、邪霊は反応することが出来ない。
奈津は後ろで、椿が構える気配を感じ取った。
ならば奈津がするべき事は、椿が一手を投じることが出来る、隙を作り出すことだ。
「はぁっ!――――あ、れ?」
そのために、胴に向かって素早さ重視の一撃を放った。
怯ませることが目的のため、威力はない。だというのに、邪霊は一撃で塵になる。
「弱ッ」
「でも、何かおかしいよ」
「う、うん……確かに」
脆すぎる、邪霊。
こうやって脆い邪霊は、大抵の場合“本体”がある。
だが、周囲にそれらしき気配は、無かった。
「本当に……厄介なことになりそうだ」
奈津のげんなりとした呟きが、夕暮れの道に小さく響くのだった――――。
文章、ストーリー評価、ありがとうございます!
モチベーションが非常に上がったので、早めに書き上げることが出来ました。
今回、次回と短めです。
次回一話を置いて、虹睨祭本編に入ります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回も、よろしくお願いします。