第十六話 ファミリー
最早、学校一の医務室の常連と言っても、過言ではない。
椿は、心地よさそうに眠る子猫を見ながら、そんな仕様のないことを考えていた。
結局椿は、医務室で一晩過ごすことになった。
椿が医務室にいることに対して疑問に思う教員は、いない。
それほどまでに認知されているということが、椿は少しだけ……結構、悲しかった。
せめて、神楽には医務室の住人と化していることを知られたくない、と、これまた叶いそうもないことを考えていた。
まだ子供の、黒猫。
授業へ出ている間など心配だが、教員も世話が出来る程暇ではない。
更に言うのなら、動物を長期預かるという、前例を作る訳にもいかなかった。
椿が子猫を拾ったという話を聞きつけて、担任の楓がやってきたのは、そんな時だった。
「うーん……医務室にいつまでも動物を置く訳にはいかないし……あぁ」
楓は、椿と子猫を見比べて、手を打った。
「本当は魔法使いとして余裕が出てきた頃――二年生から教えることなんだが、まぁ神崎なら大丈夫だろう」
楓はそう言うと、椿に提案をする。
「“使い魔|≪ファミリア≫”にしてみないか?」
「え――と?」
椿は、健やかに眠る子猫の横で、首をかしげた。
Flame,Plus
幻想世界にまつわる、魔法民話や神話、伝説の中で幾度となく登場する単語。
その意味とほぼ変わることなく、魔法使い達の間にもその存在はあった。
それが――“使い魔|≪ファミリア≫”である。
使い魔とは、意志の希薄な存在、高い知識を持たない存在と契約を交し、簡単な命令を与えることができる、魔法使い達の“メッセンジャー”である。
使い魔の目を通したテレビ電話のような機能や、ちょっとした魔力ブーストなど、扱いとしては便利な携帯電話と考えることも出来る。
だが、使い魔も精霊と同様に“信頼関係”によってできることが増えたりと、その扱いは道具と言うよりも、魔法使い個人のマスコットキャラクターと言えた。
本来は、魔法にも慣れて、初期の実習を終えた二年生が、方法を教わった後に任意で契約して使い魔を得る。任意というのは、携帯電話の方がいいという魔法使いもいるからだ。
ちなみに、この場合はただの携帯電話ではない。
空間の魔力濃度が高いと電波が乱れるため、魔力を使用して動かすことの出来る特別な通信機のことだ。ちなみに、上流家庭でもよほどの資産を持つ者にしか、作ることが出来ない高価なものである。
動物が苦手な人や、そもそも通信手段を必要としないタイプの魔法を使う者、または必要ないと考えている者や戦闘時にひどく相性が悪い者など、持っていない魔法使いの方が多かったりもする。
――閑話休題。
慣れが云々という話なのだが、魔法に対する“慣れ”という視点ならば、レベル四の魔法使いである椿は、二年生の中間程の実力はあると言うことになる。そのため、使い魔を申請しても、スムーズにとおるだろう。そう、楓は判断したのだ。
「それで、どうする?それなら、下手に衰弱していくことも無いと思うが……」
そう言って、楓は子猫に目を向けた。
その視線に合わせるように、椿も子猫を見る。
親のいない、小さな猫。
失ってしまった――子供。
「契約の方法、教えていただけますか?」
その姿に重ねたものは何なのか……。
椿は自分の内側から目を逸らすと、強い瞳で楓に問うた。
「あぁ、もちろんだ」
そう言って、楓は快活に笑って見せた――。
†
契約は、すぐに行われることになった。
現在は早朝、六時半――授業が始まる前に、終わらせてしまうのだ。
場所は、演習場を一部屋借りることが出来たので、椿はそこで楓から手ほどきを受ける。
「いいか?相手にどれだけ心を開き、また開かせることが出来るか?それが重要だ。成体だったらもう少し一緒に過ごす時間が必要なんだが、幸いにもまだ幼く、それ故に純粋な今なら、特に苦もなく契約できるだろう」
楓はそう、ざっと説明して見せた。
椿はそれに頷くと、魔方陣の上に立つ。
この魔方陣も、本来ならば自分で学び、描く。
だが、今回は特別に、楓が書いていた。
流石に一から教えていたのでは、かなり時間がかかってしまう。
「【我は願う・我と共に歩むものを・我は望む・我に並び立つものを・我は汝の命を望み・汝は我の世界を得よ・今ここに・尊き絆を・貴き誓いを】」
魔力が装霊器に流れ込み、精霊を伴った魔法として、魔方陣に真紅の魔力が流れ込む。
ぼんやりと、子猫と椿を中心に、魔力は真紅のヴェールとなって、徐々に輝きを強める。
やがて、魔方陣がだんだんと浮かび上がり始めた。
浮かんだ魔方陣は子猫を中心にだんだんと集束して――左の前足に、一筆書き六芒星の証を刻み込んだ。
「ふぅ……どうでしょうか?先生」
「……あ、あぁ。良いできだぞ」
楓は、半ばぼんやりとそう答えた。
通常は、魔方陣が対象の身体に証として刻まれるのは、もっと時間がかかる。
だから楓は、なるべく早い時間から始めようとしたのだが……結果として、かかった時間は演習場へ移動する時間の方が、長かったのだ。
「よほど、相性が良いのか。驚いたな……」
だから、楓はそう驚くしか、なかったのだ。
対象と魔法使いの相性がここまでいいというケースは滅多になく、その出逢いは“運命”と呼んでも、差し支えない。
楓がそう、椿に伝える。
すると、椿は子猫を持ち上げて、目線に合わせた。
「運命、か」
子猫は、眠そうに目を細めた。
その仕草に、椿は嬉しそうに目を細める。
そしてその様子に、楓がやはり微笑ましそうに、目を細めるのだった。
†
信頼関係を深めていくなどの理由で、使い魔は主と共に行動することを許可されている。
つまり、授業を一緒に受けても構わない、ということだった。
「へぇ、それでこの子、ここにいるんだぁー」
椿の肩で丸くなる黒猫。
そんな猫を、きらきらとした眼で見ながらそう言ったのは、フランチェリカだった。
「ね、ね、抱かせて貰って良ーい?」
「うん、大事にね」
椿が肩から降ろして、フランチェリカに渡す。
フランチェリカは宝物でも扱うように、優しく猫を抱き留めた。
「うわぁ、小さい、可愛い」
「ね、チェリカ。次、僕もっ」
そのやりとりをおそるおそる見ていた奈津も、そこに加わる。
肉球をふにふにしたくて、たまらないのだ。
「おぉおぉぉ」
そんな唸り声を上げるのは、ミアだった。
飛びかかりたいが、出来ない。そんな表情で、手を挙げたり降ろしたりしていた。
猫のような仕草である。
「はっはっはっ、小さいなぁ。なぁ?ルナ」
「うん。小さいわね」
明るくそう言う明里に、ルナミネスは本から顔を上げずに答えた。
ちなみに、本から顔を上げてはいないが、本ごと顔を持ち上げて、視線は猫に釘付けだ。
「可愛いですね~」
「和みます」
のほほんとした、声。
その声に、ルナミネスは同意した。
「でも先生、そろそろ授業始めたいなぁ」
「へ?」
襟元を捕まれて、猫のように持ち上げられる。
ルナミネスは、自分の身体浮いていることに驚きながら、掴んだ主を見た。
そこにいたのは、何食わぬ顔で輪に入っていた、ミファエルだった。
「わわわっ!す、すみませんっ!」
順番が回ってきて猫を抱えていた奈津が、慌てて猫を椿に返した。
そう、一時間目が始まる前の十分休憩で、和んでいたのだ。
「すみません、ミファエル先生」
頭を下げる椿に、ミファエルは顔を上げるように言う。
そして、のほほんと笑った。
「誰でも、使い魔と最初に契約したときはそんなものですよ。今の二年生も、一学期は浮かれていましたしね。さ、席についてくださいね~」
「は、はい……ありがとうございますっ」
ミファエルは、笑顔を崩すことなく教壇に立つと、授業を始めた。
今日のテーマは、次回の授業から始まる、実戦授業に関わることだった。
「明日は、皆さんにとって初めての“実戦授業”になりますね」
どんなに難しい魔法を覚えても、実戦で足が竦んでしまったら、役に立たないどころではない。共に戦う仲間の、足を引っ張ってしまうのだ。
そうならないためにも、実戦を経験しておく必要がある。
実際に邪霊と戦うので、実績となってレベルも上がる。もちろん、初回からそんな敵と戦わせたりはしないが。
「邪霊が生み出される条件は、実のところはっきりしていません。けれど、特別強い電波を発しているところや、コンパスが聞かなくなる場所に、邪霊が出現すると言うことが解っています。このような場所のことを“励起領域|≪ウィスプスポット≫”といいます」
励起領域は、発見されると監視がつけられる。
それは、出現した邪霊が力をつける前に、討伐するためだった。
「学院付近に存在する励起領域へ赴いて、まだ力をつけていない邪霊を討伐するのが、実戦授業の内容になります。もちろん危険はありますし、命に関わることもあります。気を抜かずに、頑張ってくださいね~」
口調はのんびりとしているが、その声には“迫力”があった。
レッドクラウンの魔法使いの名は、伊達ではないのだ。
実のところ、この実戦授業で死者が出たことは無かった。
監督する教師は優秀なものがつき、何かあってもすぐに対応できるようにしてあった。
だが、危険であると言うことを覚えさせるためにも、怪我を負ってもぎりぎりまで助けには入らない事になっていた。
魔法使いは、邪霊との戦闘で国の平和が脅かされたりする場合において、その“戦争”に参加する義務がある。――つまり、戦時における徴兵義務を負っているのだ。
その戦争にかり出された際になるべく生き残れるように、この授業は重要視されている。
そのため、彼女たちの実家から文句が来るようなことも、無かった。
望まないのなら、実戦授業の緩い学校へ、通わせればいいのだから。
そういった意味でも、楼城館学院に通う少女達の家は、実績を求めていることが伺えた。
もちろん、校風や施設――ルナミネスが蔵書を求めたように――が気に入って、この学院を選ぶものも、少なからずいるのだが。
今回の授業は、そういった危険と注意事項、基本的な知識を教えて、終了した。
†
放課後、ヒーロー研の活動は、椿の黒猫を中心に送ることになった。
机に猫を寝かせて、囲むように座る。
どこからか猫じゃらしを持ってきたラミネージュが、どんなに無視されてもめげずに猫へ構っていた。
レイアは、そんな猫じゃらしの動きに合わせて首を動かしている。
「今日のテーマは、椿の使い魔の、名付けでっ!」
そう、椿は未だに名前を決められずに、頭を悩ませていたのだ。
「椿は、どんな名前が良いと思う?」
「え?えーと……」
それがすぐに思い浮かぶのだったら、始めから悩まない。
だが、これを聞いておかなければ、どんな系統の名前をつければいいのか、わからないのだった。
「うーん……」
――ところで、椿はわりと何でも器用にこなす少女だ。
料理裁縫掃除洗濯整理整頓、それに勉強も魔法も、並以上にはできる。
そんな彼女だが、どうしても上達しない、上手くならないことがあった。
「ポ、ポチ、とか?」
それが、ネーミングである。
将来は、絶対に旦那に名前を決めさせた方が良いだろう。
「つ、椿?」
そんな真面目な顔で、冗談を言うなんて。
そんな戸惑いが、奈津の顔に浮かんでいた。
「うぅ……黒い、黒、くろ、く」
「良い調子だよっ椿!」
見た目の色から名前を思い浮かべようとする椿の様子に、奈津達は息を呑む。
この調子なら、ポピュラーでまともな名前に辿り着くかも知れないのだ。
「く、熊五郎っ!」
「なんでっ!?」
レイアが、勢いよく机に額を打ち付けた。
ラミネージュも、猫じゃらしを取り落とす。
神楽は顔を引きつらせて、どうフォローしようか考えていた。
「ねこ、ねこ、ね……ねっくん?」
「ネック!?首なの!?リストラ?!」
「うぅ」
いちいち過剰に驚く奈津を、椿は恨みがましい目で見た。
八つ当たりだと解ってはいるが、どうにも苦手なのは自覚しているので一緒に考えて欲しいのだ。
「“くん”とつけるのは良いかもしれませんわね。男の子、のようですし」
「猫にセクハラ」
「お黙りなさいっ!」
寸劇をするレイアとラミネージュに苦笑いしながら、椿はその方向で考える。
猫っぽいものから名前をつけよう、そして、“くん”とつけよう。
そんな風に考えた、椿の頭に浮かんだ動物|(?)がいた。
「まーくん、ってどうかな?」
椿がそう呟くと、四人はすぐに返事をした。
「いいんじゃない?」
「そうですわね」
「普通の、名前」
「良い響きだと思いますよ」
ここで止めておくのが無難だろう。
そう考えているのがよく解る、良い返事だった。
椿も満足しているから、と奈津達も満足そうだ。
まさか椿が――――“マーライオン”から名前をとってきた、など、知る由もなかった。
「君、“まーくん”だって」
「よろしくねぇ~まーくん」
猫――まーくんは、どこか複雑そうな顔で、目を伏せた。
†
暗い部屋の中。
深夜、椿の部屋で、子猫が虚空を見つめていた。
黒い毛並みが、闇に紛れ、不思議な程溶け込んでいた。
その瞳は、時折淡い光を発していた。
その光は、何かの数値だった。
明滅して、浮かんでは消える。
――DL 25% ……27% ……29% ……31%
一鳴きもすることはなく、ただじっと、瞳を輝かせて佇む。
寝入っている椿には、目もくれない。
彼女とは――見る必要もない程、繋がっている。
始まりは、もうすぐそこまで、迫っていた――。
今回は、次回への繋ぎなので、短めです。
それから……。
一万PV突破です!皆さん、ありがとうございます!
腱鞘炎が気にならないくらい、モチベーションが上がってきたので、次回は早めに更新できるかと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。