第十四話 これからへ
長い夏休みも、終わりに近づいていた。
自分の部屋で、奈津は一人真剣な顔で書類を見ていた。
一学期を終えて、夏休みを過ごし、思うところがあったのだ。
それは、四人で集まる機会が少ない、ということだった。
集まるのは、基本的に昼食時。HRも、クラスによって長さが違うことがあり、待つぐらいだったら寮で集まった方が早い。
だが、奈津はそれを“味気ない”と考えていた。
ならば、どうするべきか?
それは、この学院の、あることの“規定”の緩さに答えがあった。
奈津はペンを取ると、申請の名称欄に記載する。
力強く書かれた、七文字。略称のところには、カタカナと漢字で合わせて五文字。
【英雄考察研究会】――――略して【ヒーロー研】……。
そう、放課後に集まることができ、予算の申請も厳しくなく、何より三人以上で設立できる――“部活動”の、申請だった。
Flame,Plus
夏休み終了まで、あと一週間を切った。
宿題をすっかり忘れていた奈津は、椿たちに手伝って貰いながら、頭を抱えていた。
「ぬぅ……ねぇ、椿、ここは?」
「こっちの文章をよく読んで。それから、ほら」
「レイア、ここなんだけど……」
「こちらを代入なさい」
「ラミ、あのさ、ここ」
「三十七ページ」
所々聞きながら、詰まりながらも終わらせていく。
ちなみに、書き写したり、感想文を書いたりといった作業は、既に終わらせていた。
そういったものだけならば、得意なのだ。
かりかりと宿題を続ける。
椿たちはもう終わっているので、各々に過ごしていた。
ラミネージュが妙に精巧に奈津の様子を模写していて、レイアは器用な手先を生かした人形作りをする。その間に、椿が人数分の冷やし中華を調理していた。
「あと、すこし」
ラミネージュが、模写の手を止めて呟いた。
完成された絵は、ラミネージュの部屋に飾られるようだ。
「これで……終わりッ!」
「切りの良いところで、こっちもできたよー」
奈津が両手を挙げて、終了を宣言する。
同時に、椿が持ってきた冷やし中華を、食卓に並べて囲む。
「はぁ~……みんな、ありがとう!助かったよ~」
宿題を片付けながらそう告げる奈津に、レイアは肩を竦めた。
「今度からは、計画を立てて、直前に焦らないようになさいな」
「うぅ……ごもっともです」
ぐでっとうなだれる奈津の肩を、ラミネージュがぽんぽんと叩いて慰める。
むしろそこは、調子に乗らせるなと、レイアがツッコミを入れた。
そして、微笑ましいものを見る目で椿に見られて、レイアが顔を赤くして目を逸らした。
彼女たちの、“いつも”の光景である。
「ねぇ、みんな」
奈津がぽつりと呟いた。
呼ばれて視線が集まると、奈津は照れて目を逸らす。
照れるくらいなら言うな、そう思いつつも照れて目を逸らすレイアは、似たもの同士だ。
「こほんっ……僕たちって、学校が始まったら、そうそう集まれないと思うんだ」
「そうかな?……」
椿が即座に答えた。
集まれないことはない。だが、共有する時間はそんなに多くない。
だから正確には、長く一緒に居られない……なのだが、そこまでストレートには言えなかった。恥ずかしいのだ。
「だからさ、放課後に堂々と集まれる場所があったら、いいと思うんだ」
名門大家の双璧である、オールアクセンとエルストル。
二人はその家柄ゆえに、人目を集める。誰かの部屋に集まっていると、椿たちが彼女たちの“派閥”だと勘違いされかねない。
そうなると、大抵は、粘着質な輩が集まるのだ。
こうしておおっぴらに誰かの部屋に集まることが出来るのは、生徒の少ない夏期休暇期間中のみ。集まれないこともないというのは本当だが、椿はその辺りを失念していた。
そうレイアが説明すると、椿はひどく感心しながら頷いた。
レイアはこの、子犬のような目が苦手だった。抱き締めたくなるのだ。
伊達に、人形に名前をつけて可愛がる程の、可愛い物好きではなかった。
「そこで、僕は考えたんだ――部活を作ろうって、ね」
そういって、申請用紙を取り出した。
そに手際の良さと、名称欄に、椿たちは目を丸くした。
……同時に、次からは、こういった準備をするより先に、宿題をやらせようと、こっそりレイアは決意した。だんだん、奈津の保護者のようになってきている。
「それで、この――“英雄考察研究会|≪ヒーロー研≫”なの?」
「そう!過去から現在に至るまでの英雄達と、英雄の在り方、英雄が求めるモノと求められるモノ……そういった、英雄についての様々なことを、考察して研究するんだよ!」
趣味と実益を兼ねた部活である。
奈津が日頃から、あまりに真剣に“ヒーロー”を語るため、洗脳……ではなく感化されはじめていたレイアとラミネージュは、いいかもしれないという四月では考えもしなかった感想を持っていた。椿は隠れヒーローファンなので、始めから奈津側だ。
「調べてみたら、この学校、部活を設立するのに必要な人数、三人以上なんだよね」
この時点で、四人。
三人以上という条件は、クリアしている。
「それから、活動に対する熱意が問われるんだけど、僕はそのことに対してなら一週間は語り続けられる自信がある……喉が潰れなければ」
確かに、そうだろう。
そして、終わる頃には教師も“ヒーロー”に洗脳……感化されているのだ。
「で、家柄によるコネクションの形成目的で入部できないように、入部試験も設定できるみたいなんだ。これは僕が、ヒーロークイズを作っておくよ」
偏った無いようになりそうで、ならないだろう。
奈津はヒーローを目指しているだけあって、色々勉強をしている。
その熱意を勉学に向けることがないのが、彼女の友人達の、悩みの種だ。
「関係ないこと、といって、文句が来ない?」
それでも、趣味や好みがはっきり出るであろう、奈津の入部試験。
それが気になって、ラミネージュが問う。
「はっはっはっ――――“ヒーロー”への憧れなくして、ヒーロー研究はできないのだよ」
奈津は顎に手を当てて、ニヒルに笑った。
彼女は、男性的な仕草がよく似合う。
妙な説得力を持った、言葉。
これに対抗するには、独特な価値観で反論しなければならないだろう。
つまり、変な感性を持っていないと、気圧されて言葉に詰まるということだった。
「だから、みんなでやろうよ!部活!」
最後は、やや強引にそう締めた。
“だから”……そう言ってはいるが、本心は一緒に居たいという感情が、一番強い。
そのことを隠すために強引に言ったのだが、ほんのりと朱色が浮かんだ頬から、彼女が照れていることが見て取れた。
まずはじめに動いたのは、ラミネージュだった。
ボールペンを取り出すと、部員の欄に名前を書く。
意図に気がついたレイアが、素早く自分も部員の欄に名前を書いた。
そして出遅れた椿が、戸惑いながらも名前を書く。
その欄は、副部長だった。少しだけ恥ずかしいので、平部員が良かったのだが、先を越されてしまったのだ。
それでも、誰一人として――――参加しないという、選択肢は選ばなかった。
奈津は満面の笑みを浮かべると、ボールペンを手に取った。
そして、部長の欄に、名前を書く。
「ありがとう、みんな」
小さく、呟く。
それは椿たちの耳にも届いていたが、あえて返事はしない。
その程度は、わかり合える、友人なのだ。
奈津は、椿たちを連れて、職員室に向かう。
そう、次に必要なのは――顧問捜しである。
†
職員室は、生徒が行き来しやすいように、と一階に広いスペースをとっている。
夏休みでも、教師は最低二人は残っている。今日の担当は、椿たちの担任教師である、楓だった。
よく知る教師の方が良いだろう。
そう考えて、奈津はこの日にみんなに言おうと考えていたのだ。
はじめから、みんなに断られるなどという考えは、頭になかったのだ。
ノックをして、入出する。
すると、書類整理をしていた楓が、顔を上げた。
「うん?神崎に佐倉……後ろの二人はエルストルにオールアクセンか?どうしたんだ?」
「実は――――」
奈津が部活のことを話すと、楓はメンバー見て驚いたが、すぐに快活に笑った。
「ははっ、そうかそうか!……高校生活は短いからな。なるべく、楽しいことは見つけた方が良い。私は賛成するよ」
そう言って、申請用紙にサインをして判を押した。
そして、顧問の欄を見て、どうしようかと悩む。
「うーん……そうだ、顧問のことで頼みがあるんだが、聞いて貰えるか?」
「え?……は、はい」
頼みに来たのに頼まれるとは思っていなかったので、一瞬声を詰まらせた。
なんだろうと首をかしげながらも、聞いてみようと返事をしたのだ。
「実はな、遠峰先生の後任の先生なんだが……」
遠峰雅人。
その名前は、奈津にとっても椿にとっても、思うところのある名前だった。
奈津は、守られてしまったという後悔にも似た罪悪感で、椿は、命を賭して戦って打ち倒したという過去の残滓。
まったく異なる理由だが、思い悩む人物は、同じものだ。
「……まだ新人の若い先生でな、顧問の部活を持っていないから、就けてもいいか?新しい部活で、解らないことだらけで進んだ方が、双方の為になると思うんだが、どうだろうか?」
奈津は、椿たちと顔を見合わせると、頷いた。
「はい、こちらからも、よろしくお願いします。ありがとうございました!」
「はっはっ、そう畏まるな。今呼んでくるから、応接室で待っていろ」
席から立ち上がって、背を向けて歩き出す楓を見送ると、言われたとおりに、職員室の隣に設置されている応接室に入る。そこで漸く、息を吐いて緊張を解いた。
「すんなりとおってよかったぁ~」
ふぅ、と息を吐いて、大きく背中を伸ばす。
骨の鳴る心地の良い脱力感に、奈津はゆっくりと身を任せた。
「新しい先生、かぁ……どんな人なんだろうね」
「そうですわね……まぁ、そうそう悪い人が入ってきたりはしない……?」
そこまで言って、言葉を詰まらせた。
三上院慎二郎による魔人の事件は、周知のことだ。
なにせ、それで椿と奈津は、レベル四になったのだから。
更に言えば、椿は学院に邪霊王が潜入していたことも知っている。
それも、新しい先生が担当する科目の先任教師だったのだから、これで不安にならないはずもなかった。
とはいえ、待ち時間では気を抜いておく。
何事もほどほどに。緊張するのもほどほどにしておかないと、ストレスが溜まるのだ。
――コン、コン
そうして待つこと、五分強。
控えめなノックと共に、ドアが開いた。
入ってきたのは、黒い髪をショートボブにした、空色の目の女性だった。
身長が低く童顔な為、椿たちと同年代の“少女”といっても通じそうな顔立ちだ。
ややたれ目で、良く言えば穏やかそうで、悪く言えば気の弱そうな女性だ。
「は、はじめまして、私が新任教師の、しゅっ……!?」
噛んだ。
思い切り噛んだのが、口を押さえて蹲る。
その後ろで、楓が頭を抱えて首を振っていた。
その様子に、不安を払うことが出来て、椿たちは息を吐いた。
あまりに痛そうで、演技には見えないのだ。少し、涙目になっている。
応接室で、向かい合うように座る。
奥から奈津、椿、レイア、ラミネージュ。
向かいは楓、女性という順番だ。
「うぅ……お恥ずかしいところをお見せしました」
女性はそう言って頭を下げる。
そして、大きく深呼吸をして、今度こそと自己紹介をした。
「すぅ、はぁっ……改めまして。二学期から歴史学を担当することになった、新任教師の東雲神楽です。気軽に、神楽先生と呼んでください」
そう言って、“へにゃ”っと笑った。
威厳も何もない様子に、横で楓がため息を吐く。
新学期が始まったら、莉子に説教される神楽の姿が、目に見えて予想できた。
「えーと……部長の、佐倉奈津です!よろしくお願いしまーっす」
流れを変えるためにも、奈津が先陣を切って自己紹介をした。
それに、椿が追従する。
「副部長をすることになった、神崎椿です。よろしくお願いしますね」
解らないように小さくため息を吐いて、レイアも続く。
更に、ラミネージュも続けて言った。
「部員の、レイア・イルネア・エルストル、ですわ」
「平部員Bの、千堂・ラミネージュ・オールアクセン」
当然、Aはレイアと言うことになる。
レイアは、その表現に眉をしかめた。
「はい、お願いします!」
平身低頭。
これでは、どちらが生徒か解らない。見た目的にも。
「それでえーと……英雄考察研究会――ヒーロー研、ですか?」
「はいっ!過去から現在に至るまでの英雄を、考察、研究するのが活動目的です!」
熱のこもった奈津の主張に、楓は苦笑いをしていた。
奈津は、進路希望に“ヒーロー”と書いていたのだ。
一年生の段階で、ただ展望を見ておく程度だったので苦笑いで済んでいるが、今後はそうはいかないだろう。奈津は、本気なのだ。
楓は、仕方がない、という態度で神楽を見て……固まった。
奈津のヒーロー談義を、きらきらとした目で聞く神楽。
その様子に奈津はますます熱が入り、隣の椿も嬉しそうだ。
楓がゆっくりとレイアの方を見ると、レイアはゆっくりと首を横に振った。
楓は、レイアとラミネージュだけが、救いだと安心した。
「いえ、ヒーローならそこは必殺技ですわ」
「小手先は、不要」
類友だった。
楓は、学生時代に世話になった胃薬が、少しだけ恋しくなるのだった――。
†
夕暮れの、帰り道。
八方丸く収まる形で了承を得ることが出来て、椿たちは満足げに顔を合わせた。
部室は、余っている場所を、後日通達される手はずになっている。
活動は、新学期からだ。
「いやー楽しみだね、部活動!」
「先生も理解ある方で、助かりましたわ」
「うん」
奈津が、笑顔で背を伸ばしながら、そう言った。
それに、レイアとラミネージュも頷く。
椿は、そんな三人から一歩前へ出て、振り向いた。
「これからも、いーっぱい……思い出を、作ろうね」
そう言って笑う姿は、どこか儚いものに見えた。
もっとも、そう感じたのは奈津だけで、他の二人は顔を赤くして照れていた。
奈津は頭を振って、椿に並ぶ。
そして、その手を優しく握った。
「思い出を作って、大人になったら語り合う。子供を産んでも孫が出来ても、ずっと変わらない……でしょ?椿。もちろん、レイアとラミネージュも」
奈津がそう言って、快活に笑う。
そう言われてしまうと、そんなことないとは、誰も言えなかった。
「うん……うんっ!」
椿が笑うと、それにつられて奈津も笑う。
そして、レイア、ラミネージュと繋がって、笑顔の輪が広がっていった――。
†
夕食を四人で食べて、各々の部屋に戻る。
椿はシャワーを浴びて、洗面所で項垂れた。
「っ……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
息が荒くなるのは、頭痛と胸の痛みのせいだった。
熱を持って、熱くなる。身体に巻いたタオルが床に落ちる。
あらわになった胸元には、明滅する――“遮断”の紋章があった。
強大な力を持つ、邪霊王。
その力を吸収して、身体が対応しきれなかったのだ。
それにより、頭痛と熱、胸の痛みという形で、身体が椿に警告を発していた。
椿は、そんな自分が、怖かった。
熱と痛みで、壊れてしまう。そう考えるのは、もちろん怖い。
だが、それ以上に……“慣れる”ことが、怖かった。
この痛みを感じなくなったら?
邪霊王の力さえも、扱えるようになったら?
それは、本当の意味で――“外れたモノ”になるのではないのか?
そう考えると、身体が震えた。
事実、だんだんと痛みは減っている。
このまま完全に、痛みがなくなった時――。
椿は、自分の“心”が“人間”でいられるのか?
そのことが、ひどく椿の心を蝕んでいた。
「沢山、思い出を、作るんだ……っ」
負けられない。
椿は、涙に濡れた顔で、そう一言――呟いた。
二学期まで、一週間もない。
彼女の転機は、目前まで迫っていた――――。
今回は、繋ぎのお話でした。
次回から、第二章に入ります。
手が腱鞘炎気味なので、これ以上の連日投稿は厳しくなりそうです。
一週間で十万字は、やり過ぎだったか……。
ですが、多少遅れても、止まることはないように、頑張ります!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次章も、よろしくお願いします。