第二話 友達
ここまでが導入部になります。
次回から、もう少し短くなります。
――朝だ、起きろ。朝だ、起きろ。朝だ、起きろ。朝……
妙に渋い声が、寮の一室に響く。
布団からもぞもぞと這い出た白い手が、その怪音の発生源と思われる目覚まし時計に振り下ろされた。重力に従って振り下ろされただけなので、目覚まし時計は壊れる様子もなく停止した。
「うぅ……おじいちゃん、なんでこんな声入れたの?」
偏頭痛でもしているのか、椿は左手で頭を抱えながら起き上がった。
音声入力式の目覚まし時計に入っていたのは、妙に渋くて無表情なのにお茶目な、彼女の祖父のメッセージだった。
「ふぁ……ん、今日も良い天気」
椿は大きく伸びをすると、カーテンを開けて朗らかに笑った。
一日の始まりは、晴れでも雨でも空を見上げることから始める。
それが彼女の、日課だった。
Flame,Plus
楼城館女学院の生徒寮は、一人部屋である。
家に伝わる秘伝の魔法を勉強するときのことなどを考えて、一人一人に大きな部屋が与えられる。中にはトイレとシャワーだけでなく、台所に実験室までついている豪勢ぶりだ。
贅沢とは無縁の質素な生活を好む祖父母の元で育った椿にとって、この環境には未だに慣れることが出来ずにいた。
祖父母が贈ってくれた野菜と米、そして学院内の都市で購入した青魚で朝食を作る。
自給自足は、質素な生活の強い味方。だから、こっそりカイワレ大根とミニトマトの苗を持ち込んで育てていた。貧乏性ではないと信じている。
朝食を食べ終わると、着替えて学校へ行く準備をする。
生徒寮から校舎までは徒歩三十分~四十分程度なので、余裕を持っていればのんびり歩いても到着する。
椿は準備を終えると、部屋の遺影に手を合わせた。
「行ってきます――お父さん、お母さん」
手を合わせて祈る椿の首元には、二つのリングがネックレスになってぶら下がっていた。
†
出がけに奈津に声をかけ、一緒に登校する。
今日からこれも、椿の日課である。
寝起きの悪い奈津を爽やかに引っ張り、十分余裕がある時間に教室に着いた。
そこで初めて判明したのだが、奈津の席は椿の一つ前だった。
「おー……これは嬉しい誤算だね」
「うん、確かに」
そんな事を話ながら、二人は嬉しそうに席に着いた。
見知った人間、それも出来たばかりとは言え親友と呼び合える友達がすぐ近くの席にいるということは、二人にとって心強かった。
「一限は、歴史学かぁ」
「奈津、苦手なの?」
「うん。読書感想文とかは好きなんだけど」
得意な科目ではなく、あくまで好きなこと。
あまり勉強が得意ではないと言っていた。
憂鬱な様子で教科書を取り出す奈津を、椿は苦笑いしながら慰めた。
†
予鈴が鳴ると、教室の扉が開く。
HRは簡単な注意事項しかなかったのでその時間に予習をしてはいたものの、実際に授業が始まると緊張するのか、奈津は妙に姿勢を正していた。
「こ、こんにちは。初めまして」
入ってきたのは、男性の教師だった。
ボーイソプラノの声は、本当に成人しているのかと疑いたくなる。
目元が隠れる程の長い前髪と、猫背で低く見える背。頼りなさそうな教師だった。
「私の名前は遠峰雅人といいます。若輩の身ですが、皆さんに一生懸命指導していきたいと思います」
そう言って頭を下げる姿は、生徒相手というよりも職場の上司にしているようだった。
名門校の教師としてそれはいかなものかと疑問に思った生徒も居たが、歴史教師ならあまり関係はないのかと、各々で完結させていた。
「まず始めに、“創造主|≪ワールドロード≫”があられました――」
紡がれていく言葉は、神話を語る調べの様に聞こえる。
だが、これは“歴史”なのだ。人々が……幻想と現実の住人達が歩んだ、確かな軌跡なのである。
「創造主は、始めに我々を生み出しました。現実という枠に存在する、人間達です」
実際、幻想と現実のどちからが先に生まれたかについては、判明していない。
両者とも多世界の存在を知ったときには、すでにお互いがあった。そのため、先に現実世界が生まれたというのは、人間優位の解釈に過ぎなかった。
「その次に、創造主は幻想の世界を生み出しました。これが、精霊達です」
“現実世界|≪ギアワールド≫”と“幻想世界|≪ファンタズマワールド≫”これが、人間と精霊達がそれぞれ住まう世界である。
「創造主は我々と精霊に大いなる加護を与えました」
それぞれの種族が繁栄していくことを願って、創造主は長く加護を与えていた。
そして、人も精霊も徐々に力をつけていった。
「最早加護なくしても、人々も、精霊も、不自由なく過ごせると判断した創造主は、一人“起源世界|≪アカシックワールド≫”へと去ったと伝えられています」
授業前とは比較できないような朗々とした声が、教室に響く。
「ですが、その後、邪霊と言われる存在が世界を荒らし始めました」
どこからか突然現れた、邪霊。
始めは人を襲う精霊かと思われていた彼らは、いつしか境界鏡を用いらずともこの世界に現れて人を襲うようになっていた。
「邪霊を率いる謎に包まれた邪霊王と、精霊魔法を駆使する人間達。やがて人間は大きな組織を持つようになり、邪霊と人は本格的に戦い始めました」
精霊器を持って徒党を組む人間と、恐ろしい力を持つ邪霊。
その戦力は、未だほとんど姿を見せない邪霊王を考えなければ、人間が優位と言えた。
「これが、人と幻想と邪霊――三種族にまつわる過去から現代への軌跡です。本格的な歴史の勉強に入る前に、今日は初日と言うことでこのお話をさせていただきました」
そう話すと、丁度終了の鐘が鳴った。
雅人は、再び気弱そうに腰を曲げると、日直の生徒に号令をさせて、退室していった。
†
昼食の時間になると、生徒達は皆自由に移動する。
屋上、食堂、花壇、中庭……どこへ行っても構わない事になっていた。
椿と奈津の二人は、中庭で食事をするために、大きめの木の根元に茣蓙を引いていた。
この茣蓙は、椿の私物である。
奈津が購買で買ったお弁当なのに対して、椿は手作り弁当だった。
焼き魚におひたし、漬け物、煮物、味付けご飯と質素ながら食欲をそそる純和風のお弁当だった。
「椿、美味しそうだね……え?これってもしかしなくても、手作り?」
「うん。というか、奈津のお弁当も美味しそうだよ」
お弁当を食べながら、互いのお弁当を評価する。
お嬢様学園というだけあって、見事なバランスの豪華なお弁当だったのだ。
「ねぇ……一口貰っても良い?」
「いいよ。それじゃ、私も味見♪」
想像どおり美味しかったのか感心する椿の横で、奈津は驚愕に目を見開いていた。
「なにこれおいしい」
「そう?ありがと」
椿は料理が得意だ。
和洋中となんでもござれ、料理は椿の趣味なのだ。
その味は、一流料亭のそれに勝るとも劣らないというのは、椿の横で驚いていた奈津の感想だった。友人補正つきだが。
確かにかなり美味しい部類に入るのだが、妙に何でも出来る祖父に及ばないことから、椿の自己評価はあまり高くはなかった。
「やばい、癖になる」
「――作ろうか?」
ぎらぎらとした目で椿のお弁当を見る奈津に提案すると、奈津は勢いよく顔を上げた。
「いいのっ!?」
「う、うん。一人分も二人分も手間は変わらないし。それに、誰かに喜んで貰った方が、作るのも楽しいし」
そう、椿が照れながら笑うと、奈津は感動したのか涙目で椿の両手を握りしめた。
その尋常ではないテンションに、椿が微妙に引いているのには気がついていなかったが。
「ありがとう、椿!君は僕の心のともっ!?」
言い切る前に、奈津の頭に水がかかった。
結果的に奈津が盾になったので椿は濡れなかったが、奈津は足下までぐっしょりと濡れていた。おまけに、勢いが強すぎて威力があったのか、痛そうに頭を抱えていた。
「もう一度言ってみてくださるかしら?」
奈津の頭を撫でて痛みを和らげようとしていた椿は、奈津にかかった水の水源と思われる方向を見た。すると、漫画の世界から抜き出たような金髪縦ロールの少女が、白髪赤目にセミロングの少女を威圧していた。
明らかに怒りが浮き出されている強い威圧感を、白髪の少女は無表情に受け流していた。
「急に奇声を上げる人とは関わりたくない」
椿が周囲の話に耳を傾ける限りでは、事の始まりは、どうやら縦ロールの少女が高笑いをしながら白髪の少女に嫌みを飛ばして、それを流された上に悪口で返されたと言うことのようだった。
「ふ、ふふ、ふふふ」
一触即発な空気の中、身体をびしょ濡れにしていた奈津がゆっくりと起き上がった。
痛みは取れて怒りがやってきたようだ。
「周りの迷惑も考えられないなんて、たちの悪い“子供”だなぁ」
肩を竦めて「やれやれ」とため息をつく奈津を、人を射殺せそうな目で縦ロールの少女が睨み付けた。
「ハンッ……庶民の言葉などで、私が易々と挑発に乗るとでも?」
「あれ?自分のことだって思ったの?……別に僕は“誰”とは言ってないけど、思い当たる節があるならそうなんだろうね」
両者とも一歩も引かず、にらみ合いを続けていた。
決闘でも始めるのではないかと、周囲の人間が止ることも出来ずに緊張して見守る中、動いたのは椿だった。
椿はまず、白髪の少女も奈津同様濡れているのに気がついて、ハンカチを持って近づいていた。奈津を拭こうとしていたのだが、それよりも先に喧嘩に乗りだしてしまったので、白髪の少女の下へ行ったのだ。身体を拭きもせずに立っていたので、体調でも崩したのかと心配になったというのが、一番大きな理由だった。
「大丈夫?」
「――だれ?」
少女は、首だけ動かして椿を見た。
小首をかしげる少女に、椿はハンカチを差し出した。
「私は神崎椿、あっちの黒い子の、友達」
そう言いながら、椿はハンカチを受け取ろうとしない少女の髪を、自分から拭い始めた。
嫌がればすぐにでもやめようと考えていたが、少女は抵抗もせず受け入れていた。その姿は小動物のようで、椿の母性本能をくすぐっていた。
「私は千堂・ラミネージュ・オールアクセン。よろしく」
相変わらず無表情だが、しっかりと名乗り返してくれたので、椿は笑って「よろしく」と返した。ぐしぐしと顔を拭ってそのハンカチをラミネージュに渡すと、大きくため息をついて奈津と縦ロールの少女の下へ駆け足で近寄った。
「奈津!」
「椿、ちょっと待って。このお蝶婦人に解らせる必要があるから」
「庶民は嫌みの語彙もお粗末ですわね」
「あ、嫌みって解ったんだ。偉い偉い」
縦ロールの少女は、笑顔だった。大きく晒された額には、青筋が浮かんでいる。
奈津は、笑顔だった。よほど寒いのかそれとも怒りからか、肩が震えている。
椿は、無表情だった。何を考えているのか、俯いているため目元が見えない。
「いいでしょう!このレイア・イルネア・エルストルに歯向かった事を後悔させて差し上げますわ!」
「げ……装霊器持ち」
発注してまだ届いていない段階で装霊器を持っているものは、よほどの名家のものだ。
精神のある程度の成熟が求められる精霊魔法において、十五歳未満の子供に装霊器が与えられたりはしない。数ある名家も、精霊契約はさせても装霊器は与えられないのだ。なにせ、その年頃の子供に、装霊器職人は装霊器を作るたがらない。腕の良い職人なら尚更。
それでも装霊器を持っているのは、専属の職人を抱える名門中の名門くらいだった。
更に言えば、エルストル家は超名門と謂われる大家だ。
代々跡取りに受け継がれる強力な“守護精霊|≪ガーディアン≫”と装霊器を持つ家で、同じく名門のオールアクセン家と、精霊魔法名門大家の双璧を為していた。
レイアは、腰の後ろに掛けていた一振りの剣を掲げた。
金と銀で鮮やかに装飾された剣は、切っ先がなく平らになっている。平和と人を慈しむことの象徴であるクルタナと呼ばれるその剣は、安定の精神を魔法の刃で革新するという、エルストル家の家訓に基づくものだった。
剣鍔と剣真の間に輝く青い宝石は、紛れもなく精霊石。
装霊器に精霊石、精霊魔法を行使する準備が整っていた。
「はっ……名門を盾にするやつに、僕が屈するとでも……」
「奈津」
短く呼ばれて、奈津は動きを固めた。
そして、引きつった顔でゆっくりと斜め後ろを見た。
「つ、椿……」
「水を掛けられて怒るのは解る。でも、人に悪口を言うのが、“ヒーロー”のすること?」
「ぐっ」
その場に、両膝を付いてうなだれる奈津。
椿は、挫けずに真剣にヒーローを目指す奈津に、自分からヒーローを否定するような行動をとって欲しくなかったのだ。それは椿の我が儘だろう。けれど、椿は奈津がヒーローを目指すと語った夢を、自分なりに応援したかったのだ。
目に見えて落ち込んでいるためレイアも少し引いていたが、ここで自重できるのならそもそも喧嘩腰にはならない。彼女は、負けず嫌いだった。
「ふ、ふん……ヒーローだなんて、ずいぶん夢見がちなようですわね」
なるべく見下すようにしているが、急展開について行けず無理をしているのが丸わかりだった。その言葉に強く反応しそうな奈津は、まだうなだれていて聞こえていなかったので。それは不幸中の幸いと言えたが。
椿は、腕を組んで言い放ったレイアを、正面からじっと見つめた。
レイアは、その視線に負けじと胸を張る。
「人の夢を笑っていたら、自分の夢は叶えられないよ」
誰かの夢を笑う人間は、自分の夢を笑われても何も感じなくなっていく。
やがて人は自分の夢に誇りを持てなくなり、夢を見ることを諦めてしまう。
椿はそこまで悟っている訳ではない。
だが、例えそれが嘲笑だとしても、言葉による“暴力”には変わりない。
暴力に出来ることは壊すことだけ。壊した後には善も悪も何も残らないということは、椿は誰よりも知っていた。
レイアはその真摯な視線に晒されて、居心地悪そうに一歩引いた。
そして、ついに負けたように視線を逸らした。
「これで……」
「?」
小さく呟くレイアの様子に、椿は首をかしげた。
レイアは、勢いよく背を向けるとそのまま走り去った。
「これで勝ったと思わないことですわ!」
そう、素敵な捨て台詞を残して。
あっけにとられて、椿は再び大きくため息をついた。
そして、奈津を起こしてお弁当と茣蓙を回収してその場を立ち去った。
その後ろ姿を、ラミネージュはじっと見つめていた。
胸に、渡されたハンカチを抱きながら――。
†
授業が終わり、寮へ帰る道すがら。
奈津は、すっかり立ち直っていた。
「それにしても、色々とすごい人だったね」
「ホントだよ。制服乾くかな?」
現在、奈津は学校指定のジャージを着ていた。
制服は、教員に貰った紙袋に詰めてあった。
「しっかし……まさか同学年に“エルストル”がいるなんてなぁ」
「そんなにすごいの?」
椿の家は、名門という訳ではない。
ただ、全ての魔法使いの憧れと呼ばれている、国家直属魔法使い集団“特殊戦術魔法騎士団|≪エレメントナイト≫”――通称、騎士団――に祖父母で勤めていたというだけなのだ。祖父母とも、というのは確かにすごいことだし、現に椿の祖父母はその功績もあって、現在資産家とよばれる程度には蓄えがあったが。
祖父母一代で築いた名家だが、歴史在る名門という訳ではない。
そのため、どこの家の誰それがすごいといった情報は、ほとんど入ってこなかったのだ。
「うん。激流のエルストルと稲妻のオールアクセンっていったら、名門の中でも双璧を為す大家だよ。で、この二つ、なんだかやたら仲が悪いんだ」
「それで、あんなところで喧嘩を?」
「たぶんね。家同士の確執ってやつじゃないかな?」
家同士の確執。
両家に何があったのかなど、椿は知るよしもない。
けれど、自分の意志とは関わりのないところで、仲が悪くなると決まっているということが、椿は無性に悲しかった。
椿のやや暗くなった表情の意味を掴んだ奈津は、椿に優しく微笑んだ。
こうやって、誰かのために落ち込めるということは、実は大きな事だと奈津は思っていた。
それが出来てしまう親友だからこそ、不当な悪意から守りたいと、奈津は真剣に考えるのだった。
†
寮に帰った後、椿は夕食を食べ終わって翌日の予習をしていた。
ノートに向かってシャーペンを動かしていると、チャイムが鳴ったのでこれに応じた。
「はーい」
鍵を開けると、そこには青い帽子と青い作業服の女性が立っていた。
その手には、大きな木箱を持っている。
「こんばんはー。毎度ありがとうございます、柿沼荘厳戦鎧職人助手の、風桐霧です」
満面の笑みで頭を下げる霧に、椿は慌てて頭を下げた。
「あ、はじめましてっ。神崎椿です……って、柿沼さんの?」
「はいっ。戦鎧のお届けに参りましたっ……それから、装霊器の方も」
「装霊器も?」
荘厳に頼んだのは、戦鎧だけだったはずだ。
だが、何故か装霊器も届けに来たと、霧は言った。
「はいっ……師匠が是非装霊器も手がけたいとおっしゃったのでー」
「そうなんですか……何から何まで、ありがとうございます」
「いえいえー。師匠にも、喜んでたって伝えておきますねー」
そう言うと、霧は頭を下げて次の配達をしに駆け戻っていった。
淀みない動きで場を去る霧を見送ると、椿は木箱を持って部屋に入った。
木箱を床に置いて、まずは付属の小さい箱を空ける。
中には赤い指輪が入っていた。戦鎧は、こういったアイテムに収納して持ち歩くことが出来る。そして、自分で設定したキーワードでいつでも装着することが出来るのだ。
「えーと……【キーワード・設定】」
キーワードは特定の行動でも構わない。
椿は、左手の中指に指輪を嵌めると、そこに唇を落とした。
「【装着】」
装着のキーワードを音声入力するのは初回のみだ。
その後は、設定した行動で自動装着される。すると、椿の周りに浮かび上がった光の粒子が、椿の身体を包み込んで真紅の戦鎧を構築していく。
基本の形は紅のブレザーとネクタイ、それにロングスカートに同色のブーツ。
ブレザーの下には紅のベストを着ていて、腰の横からスカートの半ばまでメタリックレッドの鎧が嵌められている。
ブーツにも鉄板が仕込んであり、手には指の出るグローブ。左手のみ手の甲と二の腕部分に鎧が嵌められている。
ブレザーは腰の辺りに交差したベルトが巻かれていて、胸ポケットに自分の階位を表す王冠の紋章が浮かべられていた。まだ、レベル一のクリアカラー・クラウンだ。
「すごい……」
思わず呟いたのは、その展開速度と着心地だった。
展開までにかかった時間は、およそ一秒。腕の良い職人でも、通常、二秒はかかる。
更に、着心地。鎧がちりばめられた戦鎧なのに重さは感じられず、またまったく動きを阻害しないようになっていた。
続いて、装霊器を木箱から取り出す。
こちらは、右手に装着する手甲型の装霊器だ。
形は亀の甲羅の様に幾枚かのパーツが合わさった形状をしている。
ここを開くと、精霊石が嵌められるようになっているのだ。
全体を見ると菱形で、肘から手の甲までをすっぽり覆う大型のものだった。
戦鎧だけみると左手の方が重装備のように見えたが、装霊器を装着すると右手の方が防御が堅くなっていた。
椿は、契約した精霊石を左手に持つと、装霊器を胸の前にかざした。
魔力を通すと中央部が淡く光り、左右に展開する。そこに、精霊石をはめ込んだ。
自動で展開した部分が元に戻る。これで、詠唱を覚えればいつでも魔法が使えるようになる。
椿はその出来に満足すると、翌日の魔法学に期待を抱きながら、戦鎧を解除した。
†
装霊器の施設には、魔法を実習するための演習場がある。
装霊器が届いたばかりの生徒達は、今日の授業をこの演習場で行うのだ。
実際に実習するのは授業の後半。
前半は、ホワイトボードを使って座学を行う。
実習用の学生ジャージは、一学年色の緑色で、教師であるミファエルもそれに合わせて緑のラインが入った白いジャージを着ていた。
「それでは、今日は“詠唱”について、お勉強しましょうね」
そう言うと、ミファエルはホワイトボードに赤いペンを使って“詠唱”と書いた。
生徒達もそれに合わせて、持ってきたノートに書き込む。皆、今日という日を心待ちにしていたのか、その目には期待の色が浮かんでいた。
「詠唱は大きく分けて三種類と一つになります」
ミファエルは、話ながらホワイトボードに書き込んでいく。
「一つは“古代言語|≪エンシェントワード≫”です。これは、歴史の積み重ねによる強い力を宿した詠唱です。柔軟性はあまりありませんが、基礎の組み合わせによる応用や高度な広域指定型魔法などに真価を発揮します」
古代言語による詠唱は、精霊と詠唱の結びつきとそれに込められた歴史という時を経ることによる強さが売りだ。そのため、既存の詠唱から派生させることはできず、組み合わせによる応用しか派生の手段がない。また、広く知れ渡っているという点で対人戦だと手の内を読まれやすい。その代わりに威力はかなりのもので、少ない魔力でも詠唱そのものに込められた時代という名の魔力で補えるため、高威力魔法を放つことが出来る。
「二つ目は“自創言語|≪オリジナルワード≫”です。これは、精霊さんとの意思疎通により、自分が為したいことを詠唱で指定し、魔力を贈って発動させるというものです。高度なものになるにつれ、高レベルでの意思疎通が必要ですが、低レベルは精霊に送る“合図”程度と考えて構いません。ある程度信頼関係ができたら、試してみるのも良いかもしれませんね」
こちらは、文字どおり自分で編み出した詠唱を使用するというものである。
独創的で、かつ対人戦においても相手に悟られることなく、または詠唱自体をフェイクとして使用することが出来る。だが、こちらは自分の意図を精霊に伝えて承諾して貰うという、ある程度の信頼関係が必要な上に、どうしても魔力を多く使ってしまうのだ。そのため、小手先の技に集中してしまう傾向がある。それ自体は悪いことではないが、そこに至るまでの時間を考えればあまり効率的とはいえないのだ。
「三つ目は“精霊言語|≪エレメントワード≫”です。精霊さんは、それぞれ固有の能力をもっています。信頼関係を高めることにより、その精霊さんに固有能力を使用するキーワードを教えて貰います。それから精霊さんと相談をして詠唱を決めて、発動させます」
精霊言語は、精霊が固有で所持する特殊能力のことを指す。
精霊に能力を教えて貰うには、独自の思考形態を持つ精霊と完璧な意思疎通を行い、その上で信頼関係を築き上げる必要がある。そこまでの道のりは非常に長く、所得を目指すくらいなら新たに詠唱を覚える事を望むものがほとんどだった。だが、そこまでしたからには強力なものが多く、魔力は装霊器を起動するための最低限で構わない。小手先のような固有能力ももちろんあるが、それにしても柔軟性が高く、様々な状況で役に立つ。
「最後に“伝統言語|≪ギミックワード≫”を挙げておきます。これは、大別すれば自創言語に分類されます。それというのも、伝統言語は文字どおり、伝統的な自創言語を指すからです。歴史の古い家が代々伝えている詠唱と考えてくだされば、大丈夫ですよ」
伝統言語は、名門や大家といった伝統ある家が、代々残すことにより時代の魔力を込めさせるという、特殊な自創言語だ。これには当然守護精霊の存在も必要であるため、あまり多くの家が持っている訳ではない。高い威力と少ない魔力という大きな利点を持つが、威力の上限で言えば古代言語には劣るし、柔軟性で言えば自創言語に劣る。また、低い魔力という点では精霊言語には劣ると、色々と使い勝手が悪かった。だが、それでも完全にものにすれば伝統言語を持たぬものでは辿り着きにくいレベルの魔法使いになることが出来るという利点もあった。
「それでは、テキストの十二ページを開いてください」
椿は、持ってきた教科書を広げた。
そこに書かれている項目は、固有魔法と属性魔法だった。
「過去に同じ精霊さんと契約を交したことが、前例としてある場合は適応した古代言語の詠唱が存在します。これを、その精霊の固有魔法として扱います。精霊言語による特殊能力の使用ではなく、精霊さんの“特徴”を生かした魔法だと考えておいてくださいね」
かりかりと、真剣な表情で椿はノートへ書き込んでいく。
それは周りの生徒も同じで、静まりかえった演習場にシャープペンシルの音だけが静かに響いていた。ミファエルはその様子を見て満足そうに頷くと、説明を続ける。
「属性魔法は、その精霊さんが持つ属性を引き出すことで発動させる魔法のことです。一応、どの精霊さんでも無色の属性は持っていて、その基礎魔法を実戦するのが、今日の授業の目的になります」
ミファエルがそう言うと、生徒達は目を輝かせた。
ほとんどの生徒が、魔法を学ぶということを心待ちにしていたのだから、この様子にも頷ける。
「それでは、初めのうちはあんちょこを使用しても構いませんので、教科書に載っている初級魔法を……そうですね、二人組で実践してみてください」
入学から親しくなった友人達で、集まる。
その中には当然、椿と奈津の姿もあった。
演習場でも端の方に移動した二人は、持ってきた装霊器を装着した。
奈津の装霊器は緑色のグリーブ|(脚甲)型だった。右足の方が重装甲になっていて、膝の辺りに精霊石を嵌められるようになっていた。左足も、薄めではあるが装甲が嵌められている。
「うぅ……覚えられない」
「あはは、すぐに覚えるのは難しいよね」
精霊に理解させるためには、自分も理解する必要がある。
そのため、無造作に暗記をするだけではダメなのだ。
「そんなこと言ってるけど、椿はもう覚えたの?」
「逸る気持ちを抑えきれなくて、予習してただけだよ」
遠足を控えた子供のような心境で、椿は詠唱を覚えていた。
その熱意が理解に変わったことで、しっかり覚えていたのだ。
「それじゃあ、まず私が防御に回った方が良いかな?」
「うん。お願い、椿」
ミファエルが注意している以上、大きな事故が起こったりはしない。
だが、危険が少ないに越したことはないので、覚えている方が防御に回った方が良い。
そう互いに理解して、二人は十メートル程間を空けて立ち会った。
装霊器に精霊石を装填し、魔力を流す。
装霊器の内部の回路が淡く輝き、召喚の手順を省略して力を引き出す準備を整えた。
まずは、防御に回る椿が詠唱をして、攻撃を受ける準備をする。
装霊器の装着された右腕を持ち上げて、眼前に掲げる。すると、中心部が椿に呼応するように、ぼんやりとした光を放った。精霊石は、透明なパーツのおかげで装填しても上から覗けるようになっている。それは奈津の装霊器も同様で、装填のし忘れを防ぐための処置だった。
「【護れ・我が敵を退けし・守護の壁よ】」
詠唱を唱えると、椿の眼前に赤い光で出来た壁が現れた。
この赤は、椿の精霊、アレクの色だ。
「え、えーと【放て・我が敵を打ち倒す・現想の射手】」
奈津が椿に、まっすぐと指を向けて詠唱した。
すると、指先に緑色の光が生まれて、それが弾丸となって突き進んだ。
「おぉっ」
奈津自身、放たれた威力に目を丸くしていた。
高速で飛来した弾丸を、椿は難なく受けきって見せた。といっても、装霊器に精霊とそろっていれば、誰でも出来るレベルの威力だった。
「これが……」
「……魔法」
椿と奈津は、目の前の結果に感動を覚えながら呟いた。
赤い光と緑の光。その二つが衝突した瞬間に、魔力干渉によって起きる刹那の虹。
七色の輝きを儚く放ち消えていく魔法は、この魔法と精霊が行き交いする世界において尚、神秘的といえる光景を生み出していた。
「うん、いいね……燃えてきた!」
「そうだね、奈津……よし、もうちょっと色々やってみよう」
「おー!」
魔法の授業は危険が伴う。
それを承知していない二人ではないし、それを黙ってみているミファエルでもない。
だが、今日この日だけは、ミファエルも優しい目で監督をしていた。
初めて魔法を扱う、今日この日だけは、神秘に触れた少女達の気持ちを汲んであげたかったのだ――。
†
魔法学の余韻から、興奮も冷めないまま生徒達は浮き足立っていた。
身近にありながら、触れることの出来なかった神秘を操ったものは、みんなこんなものだ。
それが解っているからこそ、上級生達は温かい目で後輩を見ていた。
奈津は、やはり興奮しながら椿と歩いていた。
これから昼食をとるために中庭へ行くところだった。
「いやーっ……魔法って、間近で見たことあるけど自分で使った方が断然カッコイイね!」
「うん、そうだね……すっごく綺麗だった」
意気揚々と話す奈津に、椿は嬉しそうに同意を示した。
そのまま変わらぬテンションで、二人は中庭のいつものスペースに茣蓙を引いた。
今日から椿の手作り弁当と言うことで、奈津の目は輝いていた。
「いただきまーすっ」
「いただきます」
箸を手に手を合わせる奈津と、やや照れながら手を合わせる椿。
奈津が美味しそうに食べ始めたのを微笑みながら見た椿は、自分も食事を始めようとした。
だが、その前に声をかけられて、後ろを振り向いた。
「椿」
「はい?……千堂、さん?」
椿の名を短く呼んだのは、昨日椿が喧嘩の仲介をした少女――ラミネージュだった。
ラミネージュは、首をかしげた椿に頷いた。
「ラミネージュ……好きに、呼んで良いから」
「う、うん……よろしくね。ラミ」
一瞬、略したらまずかったかと椿は内心で焦りを見せたが、その予想に反してラミネージュは簡単に了承した。その頬に朱がさしていたのは、奈津しか気がつかなかったが。
「これ、返しに来た」
「これって……あ、ハンカチ」
そう、それは、椿がラミネージュの顔を拭ったときのハンカチだった。
洗濯してあり、綺麗にアイロンがけまでされていた。
「こんなに綺麗に……ありがとう、ラミ」
「お礼を言うのは、私の方」
口数は少ないが、意思ははっきり伝えてくれるその姿勢は、椿にとっても心地の良いものだった。そして、無表情でも相手を気遣える人がいるというのは、祖父という例があるからこそよく解っていた。
「私も、一緒していい?」
そう言って奈津の方を見るラミネージュの様子に、椿は首をかしげた。
だが、すぐにラミネージュの視線がお弁当と茣蓙に向いていることが解った椿は、嬉しそうに笑って了承した。
「うんっ……と、奈津も、いい?」
訊ねられて、奈津は慌てて頷いた。
ラミネージュへの対応に、どこかないがしろにされているように感じてむくれていたのだが、すぐに自分にも了承を求められて機嫌を直した。単純ではないったら、ない。
「それじゃ、僕も自己紹介しておこうかな」
奈津は、先ほどまでのどこか棘のある雰囲気を払拭して、いつものように明るく胸を張った。張る程無いが、そこは気にしてはいけない。
「僕の名前は佐倉奈津。僕もラミって呼んでも良いかな?」
「うん。よろしく、奈津」
椿と相対するとき程の柔らかさはないが、それでも“家”というフィルターなしに笑って見せた奈津に、ラミネージュは好印象を抱いた。はじめにラミネージュを一個人として心配してくれた椿と、その友達の奈津。この二人のような人間に、ラミネージュは出会ったことがなかった。だからこそ、この機会を逃すまいと、極度の口べたなのに頑張って昼食を一緒に食べないかと誘ったのだ。
ラミネージュは、持参したバスケットからサンドウィッチを取り出して食べ始めた。
時折おかずを交換しながら食べ進めていると、三人の前に影が降りた。
「ふふふふふ……ここで会ったが三年目、ですわっ!」
縦ロールを揺らしながら腕を組んで立ちふさがる、レイア。
だが、奈津とラミネージュはそんなレイアを完璧に無視して食事を続けていた。
レイアを空気扱いする奈津とラミネージュ、俯いて震えるレイア。その狭間で、椿はどうフォローしようかと困惑していた。
「あ、あな、あなたたちっ……この私をいったい何だと……」
「縦ロール」
「縦ロール」
今まで無視していたのに異口同音で告げられて、レイアは広い額に青筋を浮かべた。
一触即発の雰囲気に待ったをかけたのは、やはり椿だった。
「えーと……レイア、さん?」
「レイアで構いませんわよ。別に」
とりあえず巻き込むつもりはないのか、椿に当たり散らそうとはしなかった。
「それで?私になにか用があったのではありませんこと?」
「あっ……うん、折角だから一緒に、どう?」
そう言って椿がお弁当を指すと、レイアは怪訝そうな顔をした。
「私と食事、ですか?――私は、エルストルですわよ?」
「嫌、かな?」
椿が困ったように首をかしげた事で、レイアは椿が名家に対して怯えも敬遠も媚びもしていないことが見て取れた。そんなことができる人間は、滅多にいない。
意図を感じ取ったレイアは、大きくため息をついた。
「貴女、変な人ですわね」
「へ、変?」
正直聞いたことのない評価に、椿は顔を引きつらせた。
どういった意味で“変”といったのか理解した奈津とミラネージュは、こっそり頷いていた。さりげなく頷いたのだが、椿はしっかり見ていて落ち込んでいた。
「変な人ではありますが……そうね、嫌いじゃありません事よ」
「え?」
落ち込んでいた椿は気がつかなかったが、奈津とラミネージュはレイアが柔らかく微笑んだのをしっかり見ていて、目を見開いて驚いていた。
「私も、ご一緒させていただいてもよろしいかしら?」
「う、うんっ……どうぞ」
椿が嬉しそうに隣を空けると、レイアは柔らかい雰囲気を残したまま座った。
大家にして名門エルストルは、その名に恐れた者かその名に媚びるものの二択しか周囲に存在していなかった。それはラミネージュの方もそう変わらないのだが、口べたで無表情なラミネージュよりも、レイアに集まるものの方がずっと多かった。
身分を乗り越えて接してしまうのは、誇りの伴わない虚栄心ばかり強い者にとっては不快なことだろう。けれど、レイアもラミネージュも、中規模とはいえ名門に数えられる奈津も、その隔たりのなさが嬉しかった。
この時は、四人とも考えてもいなかった。
この先、卒業して、就職して、年を経ても尚――変わらぬ友情を結ぶことになる友達になっていくことなんて。
気づかぬうちに、自然な笑顔になっていた四人は、この時はまだ――。
ここまでは、これからのお話の基盤作りでした。
本編内でしたので、一話二話とふりましたが、扱い的にはプロローグ程度の内容にしてあります。
次回から、戦闘シーンなども入ってきますが、その際残酷な描写が入るのでご注意ください。
それでは、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。