第十二話 雲を呑む大魚
旅行三日目は、何とも言えない曇り空だった。
一応朝まで報告を持ってみたところ、やはり漁師は戻っていなかった。
このままでは、素直に旅行を楽しむことが出来ない。
「なら、どうするべきか」
奈津が、神妙な顔でそう言った。
椿たちはそんな奈津の表情を見て、力強い意志を込めて、頷いた。
「解決してしまえばよろしいんですわ」
「原因がはっきりと解っている訳ではないけれど、私たちは魔法使い」
「普通では、出来ないこともできるから、ね」
意志は纏まった。
いなくなった漁師の行方。
それは、残念な結果に終わることの方が、可能性としては高い。
海の上、それも、表情を変えることない、穏やかな波。
そこで消えたからには、理由なんて限られてくる。
「それじゃ、行こう!」
奈津が高らかに宣言して、椿たちは後ろに着く。
まずは、直道に話をして、それから出発だ。
憂いは断つ。
そんな自己満足的な理由だけではない。
見ず知らずの人でも、助けられるのなら助けたい。
そうでなくても、これ以上傷つく人が出るのを、見たくない。
結局自分の願いを優先していることから、自己満足かもしれない。
「それでも、いい」
奈津の後ろで、椿は一人、そう呟いた。
Flame,Plus
ここの管理責任者には、直道が就いている。
貴族風に言うのなら、執事長という立場だ。
その直道に、椿たちは魔法使いとして調査に乗り出すことを告げた。
「ほ、本当ですかっ!?――いやぁ、助かります。今、林さんに船を出すよう、お願いしてきますね!」
よほど不安だったのか、直道は頭を下げるとすぐに走り去った。
一里は魔法使いでは無かったはずだ。
だから、一里が来るのは、椿たちとしては少し不安だった。
船の操縦が出来る人はいないので、助かると言えば助かる。
だが、それで一般の人を危険な晒すぐらいなら、多少魔力を使っても、レイアが水の魔法で移動しようと考えていたのだ。
少し待つと、一里が慌ててやってきた。
本当に大丈夫なのか問おうとした椿の目にとまったのは、一里の腰から下げられた、二振りの剣だった。
「あの、一里さん?……それは」
椿が目をやりながら問うと、手伝う旨をレイア達に告げて一礼していた一里が、顔を上げた。一里は椿の視線に気がつくと、穏やかに笑って見せた。
「私は魔法使いではありません。ですが、オールアクセンに使える身として、戦闘の手段は持っているのです」
そう言うと、腰の双剣を抜いてみせる。
不思議な程透明な右の剣。よく見なければ存在しているかも危うい儚い剣。
角度によって七色に移ろう左の剣。右の剣よりやや短い虹色の剣。
セットではなくそれぞれ別のところから持ってきたのだろう。両刃という共通点以外は全く違う、双剣だった。
「これって……稀霊石だよね」
「はい。我が家に伝わる稀霊石の剣、“湖の聖剣|≪アヴァロンセイバー≫”と、私が発掘した遺産、“踏破煌剣|≪ロードステップ≫”です」
稀霊石と遺産の剣を操る。
そんなものを持つものなどそうそういないことから、レイアは一里が戦力として数えられるだろうと判断していた。そうでなくても、逃げることは可能だろう、と。
「オールアクセンの使用人って、大変なんだぁ」
「いや、氏倉さんとか無理だと思うよ?」
感心したように呟く椿に、奈津がそっとツッコミをいれた。
普通の使用人は、そんなことは出来ないのだ。
「クルーザーでまずは島の周辺を巡回しながら様子を見ましょう」
「そうですわね。海辺から見た様子はどうでしたの?」
「変化なし、でした。海辺からでは、とくに異常も見あたりません」
その間に、レイアは一里と計画を立てていた。
海辺や高台からでは海の異常は見つからず、進展はない。
そこで、小型クルーザーで島の周辺を回りながら調査をする必要が出てきた。
何かあった時に救出できる人材が必要なため、一組は海辺に残る必要がある。
そこで、役割を分担することになった。
水に強いレイアとラミネージュが船に乗り込み、速く泳ぐことが出来る奈津と水に弱い椿が海辺に残る。
「でも、いざとなった時に船で駆けつけた方が早いと思うんだけど……どうしようか?」
人命がかかっているのだ。
万全を期した方が良い。
「それはそうだけど……操縦できて身を守れる人って、いるの?」
奈津がそう言うと、椿は言葉に詰まる。
魔法使いがそんなにいる訳ではないのだ。
それでは、どうしようもない。
「いらっしゃいますよ」
「え?一里さん?」
レイアと最終確認をしていた一里が戻ってきて、頭を捻らせていた椿と奈津に進言した。
一里はにこにこと、穏やかな笑みを浮かべて佇んでいて、思惑が読めない。
「今から、頼んでみます。少々お待ちください」
一里はそういって一礼すると、上品に駆けていった。
足音がしない走り方に疑問を覚えつつも、一里を待つしかなかった。
「誰だろうね」
「うん、だれだろう」
二人で首をかしげて、一里が去った方を見つめる。
そして、魔法使いが他に屋敷にいたかどうか、待ち時間の間に考えていた。
来るまで、やることがないのだ。
†
数分後、待っていた椿達の下に、一里が帰ってきた。
そして、連れてきた人物を見て、身体を固まらせた。
「お待たせしました」
「ちっ」
不機嫌そうな顔で苛立たしげに舌をうつ、壮年の男性。
そう、ラミネージュの伯父である、イストだった。
どうやって説得したのか非常に気になるところではあるが、訊ねられる雰囲気ではない。
表情だけ見るのなら、今にも人を殺しそうだ。
「と、とにかく!泳ぐよりはずっと効率も良いし!」
奈津が無理矢理進行させる。
こんな空気では、いつまで経っても出発することなど出来ない。
「そ、そうですわね。それでは行きますわよ、ラミネージュ、一里」
「うん」
「畏まりました」
いつの間にか呼び捨てているが、一里のほうが気にしていない様子を見ると、打ち解けたのだろうかと考えた。実際は、見るからに高貴なレイアに「さん」と呼ばれるとむずがゆかったので、一里が頼んだ形になる。
ラミネージュは、雇い主の家族なので、呼び捨てに呼んで貰っていた。
小型のクルーザーが出発する。
一里が操縦して、ぐるりと外周を回る。
椿たちは戦鎧を装着して、さらにもう一回り小さいクルーザーで待機していた。
「見つからない、のかな?」
「うん……少しでも手がかりがあれば帰ってくる手はずだから、ね」
不安げな顔でレイア達の船を見る。
その二人を、イストが更に不満そうな顔で見ていた。
そうして、十五分程経った時、少し沖の方まで行って、レイア達の船が止まった。
そして、海から魚のようなものが飛び出して、レイア達が応戦し始めた。
「なにあれっ!?ダツ!?」
ダツとは、光に反応して突進してくる魚のことだ。
船の上の証明などに突進して、乗組員に怪我を負わせることもある危険な魚のことだが、その危険が及ぶようになるのは夜。今は、真昼だ。
「とにかく、救助に行こう!」
「イストさん!」
椿が名を呼ぶと、イストがクルーザーを発進させる。
まずはあの場所から助け出すことが、重要だ。
「レイアーっ!僕たちが引きつけるから、なんとかその場から脱出して!」
孤立無援にならざるを得ない沖で戦うのは、危険だった。
ならばせめて島の周辺までこないとならない。
レイアとラミネージュは、大振りの魔法を得意とする。
そのため、小型の群れを相手取るのは不得意だった。
得意そうな一里は、小型の敵に船を傷つけられないように旋回するので、精一杯だった。
船の上の様子がよく見えないことをやきもきしながら、近づいていく。
そして、適度に離れて引きつける。
「来たっ!」
椿たちの船にも、その影が飛びかかってきた。
ピラニアのような風貌の、八つ目の魚。鰭は刃物のように鋭く、歯も鉄のようだ。
それはまさしく、海の中の邪霊だった。
「【四元素が一柱を司どる・灼熱を統べし槍の火蜥蜴よ・我が手にその穂先を与えん】」
装霊器から炎の刃を伸ばして、迎撃する。
大きく水を切って高速で進むクルーザーから落ちないように戦うのは、至難の業だった。
奈津も肉体強化で蹴り落としているが、揺れを気にして上手いように威力が出せない。
だが、囮という役目としては十分だった。
邪霊が引きつけられて、だんだんとレイア達が自由になる。
そしてついに、包囲網から脱出して、海辺へ近づいてきた。
「やった!」
だが、気を抜いたのが悪かったのか、クルーザーに大きな震動が走る。
そのことでバランスを崩して、魚の邪霊が山程いる海に、椿が落ちた。
「椿!」
助けようと奈津が走るが、クルーザーが椿から離れたせいで一歩届かなかった。
「ちっ!動力部がやられた!」
「でも、戻らないと、椿が!」
イストは椿が落ちた方角を見て、舌打ちをする。
そして、飛び込もうとした奈津の肩を掴んで、後方に引きずり下ろした。
「あうっ!……っ何を!?」
「じっとしてろ!」
イストはその勢いのまま、海に飛び込む。
そして、落ちて上手く泳げずにいた椿を掴んだ。
「僕も今っ!?」
助けようとした奈津に、邪霊が襲いかかる。
それを退けると、椿とイストの周りに邪霊がいなくなったことに気がついた。
イスト達の周りだけではない。自分の周りからも、すっといなくなる。
そして、船の下が急に暗くなる。
それは、巨大な魚影だった。
「なっ!?」
海面がうなりを上げて、鳴動する。
やがてそれは大きなうねりとなり……突然周囲が“夜”になる。
――ザブゥンッ!!
大きく口を開けた、巨大な鯨が、椿や奈津達だけでなく、海辺に近づいていたラミネージュ達のクルーザーもろとも、呑み込んだ。
†
目を、開ける。
ぼんやりとした視界に、ここがどこなのか解らず、頭を抑えて起き上がる。
「いつつ……どこさ、ここ」
立ち上がって、周囲を見る。
断っている場所は、小型のクルーザーの上だった。
「そうだ――椿っ!イストさんっ!」
橙色の空と、白い霧。
まわりには、幾多の船。
空母、ガレオン船、ヨット、屋形船。
多種多様の船が、周囲に浮かんでいた。
「ここってまさか――」
そう、ここは、邪霊の腹の中だった。
橙色の空とは、肉の壁。浮かんでいるのは、胃液と海水の上。
このまま脱出できなければ、どうなるか?
――考える、までもない。
「うぅ、後ろ向きなこと考えるのはよそう」
奈津は、頭を振って、沈んだ気持ちを振り払う。
まずは、一緒に呑み込まれた仲間の探索だ。
勢いをつけて跳躍し、隣の船へ移動する。
それを繰り返すことで、まずは空間の広さを確認する。
「どこまで進めることなのやら……っと」
警戒しながら移動していく。
そのうち、船の様子で気がつくことがあった。
「乗組員がいない?骨まで溶かすのかな?……いや、だったら溶けている船があってもいいはずか、な」
骨まで溶かすことが出来る程強力な胃液なのか、それとも風化する程古いのか。
どのみち、船に大きな損傷がないという時点で、別の可能性を考えるべきだった。
ひたすら進んでいくと、漸く白骨らしきものを見つける。
それは、比較的新しい世代の戦艦だった。
その上に降りて探索する。だが、結局右腕――それも、手首から上のみ――の白骨だけだった。
「手首から上……場所は、船の縁……救命ボートが、ない?」
船から身を乗り出して、海面を見る。
そして、ものは試しと、近くに落ちていた年代物の腕時計を投げ込んだ。
『ガウッ!』
すると、海中から出てきた魚の邪霊が、海面に落ちた音を聞きつけて、大量に集まった。
「少しでも音を立てたら餌、か」
奈津はその光景に眉をひそめる。
そして、手首の白骨に手を合わせると、再び探索のために跳躍した。
†
ラミネージュとレイア、一里は、同じクルーザーの中で目を覚ました。
ほんの一瞬だが、気を失っていたようだ。
「困りましたね、どうやったら出られるんでしょうかね?」
「炙る、とか?」
「二人とも、落ち着きすぎですわ」
のほほんと悩む一里と、感情が表に出ないラミネージュ。
その二人の様子を見て、今更慌てることも出来ず、レイアは必死に額をほぐしていた。
奈津並みに言い合える相手か、椿並みに癒される相手がいないと、胃にダメージが入るのだ。苦労性である。
「とにかく、周囲を水で調べてみますわ」
「おおっ!流石エルストルの青い星です!」
「青い星……カッコイイ」
「黙ってなさいっ!」
レイアに怒られて、二人は仕方なく下がってレイアの動きを見る。
レイアはクルタナ型装霊器を掲げると、魔力を込めて詠唱を始めた。
「【全ての大河の源たる・偉大なる水の神よ・その命を辿り・我を導け】」
詠唱と共に、水が生まれて渦になる。
そして、ゆっくりと海面に降りて、同化した。
「これで、周辺の情報はわかりますわ」
「おおーっ!」
「すごい」
拍手をする二人に、レイアはげんなりと肩を落とした。
ラミネージュだけではないので、普段の倍は疲れる。
「と、来ましたわ――魔力に余裕を持たせたのであまり広範囲は調べられませんでしたが……当たりのようですわね」
「何があったの?」
レイアは戻ってきた水の渦を、手の上で球体にしながら情報を読み取った。
「不自然な船がありますの……一つだけ、魔力の込められた」
船自体に大きな魔力が込められている。
何かあるとすれば、そこだろう。
「ただ、魚型の邪霊が、海中に大量にいますの。集中攻撃でもされたら、一網打尽、ですわ」
肩を竦めて言うレイアに、顔をこわばらせる。
海中の邪霊に気がつかれないように、進む必要がある。
「肉体強化で、船を渡る。いかにも奈津が得意そうなことですわ」
確かにそれしかないだろう。
肉体強化ならば、ラミネージュも得意だ。
「一里、貴女は……」
「私は大丈夫ですよー。この“踏破煌剣”は、肉体強化の力も付加されます」
「そう、それなら……進むわよ」
レイアが、怪しい船が見つかった方角を睨み付けながら、そう言った。
何があるか解らないからこそ、気を引き締める必要があった。
「うん」
「はいっ」
どうにも頼りない返事だが、ここで真面目になられる方が恐ろしい。
レイアはそう考えつつ、自分に肉体強化を施した。
出発は、ここから離れた場所にいる奈津と、ほぼ同時となった。
†
唐突に、目を開ける。
気を失った感覚は、経験しすぎて身体が覚えていた。
だから、気を失ってから復活までがずいぶん早くなっていたのだ。
「ここ、は?」
身体を起こして、周囲を見る。
どうみても、そこは牢屋の中だった。
「起きたか」
低い声に、身を竦ませる。
振り返ると、そこには、不機嫌そうに眉をひそめるイストの姿があった。
「イスト、さん?」
「他に誰に見える」
そう言い捨てると、壁に寄りかかってタバコを取り出す。
だが、ライターもタバコも、濡れて使い物にならなくなっていた。
その事に苛立たしげに舌打ちをして、タバコの箱を握りつぶす。
「ここは一体、どこなんですか?」
不機嫌な様子に退きながら、椿はそう問いかけた。
イストは椿の方に目をくれることなく、立ち上がる。
「邪霊の腹ん中の、海賊船の牢屋だ。骨の化け物が、お荷物ごと俺をここに放り込んだ」
つまり、気を失った椿のせいで捕まった、といっていた。
落ち込むそぶりを見せる椿に、イストはなにも言わない。
だが、それ以上責めたりもしなかった。そもそも、憎まれ口が出てしまうのは癖のようなもので、始めから責める気は無かったのだろう。
「あぅ……ごめんなさい」
「ああ」
頭を下げる椿に、一言で応じるイスト。
返事が来ないよりもマシだが、あまりに素っ気ない。
「とにかく、ここを抜け出すぞ。ガキ」
「が、がきって、また……」
抗議のために顔を上げた椿を無視して、鉄格子に向かう。
そして、肉体強化を施して、鉄格子を曲げた。
すぐに出て行けるのに、出て行かなかった。
その意味に気がついて、椿は頬を緩ませた。
起きるまで、待っていてくれたのだ。
「ありがとう、ございます」
「何してんだ。置いてくぞ、ガキ」
「ですから、私は……もうっ!」
椿が小声で礼を言う。
その声が届いたのか、届かなかったのか……相変わらず横暴な口調で引っ張られて、牢屋を脱出する。
「どこへ行くんですか?」
「外だ。ここいたら、邪霊の餌だろが」
「むぅ」
そんなこともわからないのか――イストは、そう言い捨てて進んでいく。
内部を進み、やがて甲板に繋がる部屋まで来た。
ここから外に出れば、脱出することも出来るだろう。
だが、それには――。
「こいつらを潰す必要がある、か」
イストが、無骨なガントレット型の装霊器に、白い魔力を宿す。
外には、海賊姿の骸骨型の邪霊が、黒いオーラを放ちながら彷徨い歩いていた。
数十体ほどの邪霊を倒さなくては、外に行けそうもなかった。
イストは、魔力が低い。
そのため、長期戦には向いていない。
魔力や力に敏感な椿は、そのことを感じ取っていた。
ならば、自分が出ればいい。
それをなす事が出来る力が、あるのだから。
自分の力に慢心している訳ではない。
だが、そうでも思わなければ、孤軍奮闘など、決意できそうになかったのだ。
「イストさん、私が引きつけます。その間にイストさんは、助けを――っ!?!!」
――ゴンッ
言い切る前に頭に拳骨を落とされて、椿は声にならない悲鳴を上げながら俯いた。
声にならなかったおかげで邪霊には気がつかれていなかったが、そんなことまで頭が回らない程、痛かった。
「なんっ、なっ、なっ!?」
涙目で囀る椿を、イストは高い身長で見下ろした。
その顔は、椿が今まで見てきた中で、一番機嫌の悪い雰囲気だった。
「ちっ、ガキが……そこでじっとしていやがれ」
「なっ……私は、イストさんに負けないくらいは、強いつもりですっ!」
そういって、椿はイストを睨み付ける。
実際、イストのレベルは五で、椿とほとんど変わらない。
まだまだ上がる見込みのある椿と違って、ここで打ち止めであるイストよりも、椿の方が強いかも知れない。経験の差も、年齢に比例しない程、椿は死線を越えていた。
真っ向から見上げて見せる椿を、イストは鼻で笑う。
その笑い方がどうしても嫌で、椿は目に力を入れた。
「いいか、ガキ」
イストは、椿の額にぶつけるように指を指した。
それがデコピンのように痛くて、椿は理不尽な状況に涙目になった。
「てめぇが俺より強かろうが弱かろうが関係ねぇ」
イストはそう言いながら、何度も指を額に打ち付ける。
その度に仰け反りそうになるのを、椿は必死でこらえていた。
「ガキが出張って、戦って怪我して倒れる。俺はそれが、気にくわねぇんだよ」
苛立たしげにそう言い放つと、イストは椿に背を向けて、ドアに手をかける。
その先は、甲板だ。
「いいかガキ。ガキってのはな、脳天気にへらへら笑ってれば、いいんだよ」
イストはそう言い放つと、ドアを開ける。
そして、一直線に邪霊の下へ走り出して、引きつける。
「行け!ガキ!」
「っ!」
ここで行かなければ、イストの思いを無駄にする。
そんなことは解っているし、助けを呼ぶこと重要だ。
だが――。
「何のつもりだっ!?」
「ガキって呼ばれると、反抗したくなるんですよ」
――ここで置いていくことは、できなかった。
「ったく……来ちまったもんは仕方ねぇ……ついてこれるか?ガキ」
「イストさんこそ、遅れないでくださいよっ!!」
炎の刃と拳が煌めく。
白と赤の軌跡が無限に残り、たった二色の虹を、そこに作り上げていた。
倒せど倒せどきりがない。
しかも、イストは魔力が低いので、辛くなっていた。
「そこまでだっ!」
そんな時、マストの上に一つの影が降り立った。
言うまでもなく、奈津なのだが、椿はともかく、イストは完全に無視をしている。
額に青筋が立っているのを見る当たり、聞こえてはいるようだ。
「見つかりましたわ!」
「ご無事ですか!イスト様!」
「間に合った」
海賊船に辿り着くことが出来たレイア達が、参戦する。
最初に声が届いたのがレイアで、最初に参戦したのが一里だ。
一里は椿たちの姿を視界に入れると、レイア達を抜かしてその剣を振っていた。
ほぼ透明という剣の特性上のことだけではなく、剣筋が鋭すぎて剣真が見えなかった。
「奈津!そんなところで遊んでないで、降りてきなさい!」
「あ……うん……なんか、ごめん」
地味に落ち込んでいた。
上がりすぎたテンションを抑えて――抑えさせられて――奈津もマストから飛び降りる。
着地地点に邪霊が来るようにして、ついでに潰しておくのも忘れない。
「でもみんな、どうしてここにっ!」
「調べたら、ここが怪しかった」
魔法で邪霊を焼き払いながら椿が問うと、ラミネージュが簡潔に答えた。
「なら、ここは……」
「そうですわね、おそらくここが、邪霊の“核”ですわ」
邪霊は、その体積が大きいもの程、自分の中に“基点”を持つ。
存在を支える基点をつぶされると、邪霊として消滅する。
それを、魔法使い達は“核|≪コア≫”と呼んでいた。
「船が核なら」
「叩きつぶしちまえばいい!!」
椿の呟きに、イストが続く。
イストは魔力を右腕に一点集中させると、得意の魔力強化と持ち前の筋力で以て、マストに一撃を加えた。
「お手伝いします!」
流石にそれだけでは折れなかったが、大きく軋みをあげる。
半ばまで削られたマストに、一里が“踏破煌剣”を用いて斬撃を加えた。
「はぁっ!」
そして、トドメとばかりに椿が炎刃を振り抜く。
ほとんど削られていたマストは、その一撃で完全に折れた。
折れたマストは倒れ込み、船を傷つける。やがて船全体が軋みをあげて、中央に罅が入る。
『ギァアアァァァアアァァァアアアァッッッッッ!!!!』
断末魔の声が響く。
海賊姿の邪霊から、水中の邪霊から、空間全てから響く声。
やがて空に亀裂が入る。
空だけではない。
空間全てに亀裂が入って、ガラスの割れるような音が響く。
――パリンッ
そして――椿たちは、外に弾き出された。
場所は、空中。鯨の潮吹きのように弾かれたらしく、眼下では巨大な鯨が塵になっていくところだった。
邪霊は倒した。
だが、このままでは、海面に叩きつけられて、終わりだ。
「【大気を統べし風の主よ・我が身体に宿り・我が身に飛翔の加護を授けん】」
そんな中、真っ先に動いたのは奈津だった。
奈津は自分に、短い時間だが空を飛ぶ魔法を付加させると、椿たちを纏めて島の方へ押す。
「着地は任せた!レイア!」
「任されましたわ!」
レイアは魔法によって、着地するためのクッションとなる水を創り出した。
更に、ラミネージュがその周辺の地面を、魔法でもって柔らかくする。
遠隔操作に、流石に疲労の色を見せていた。
「いっけぇぇぇーっ!」
上空数十メートルからのダイブ。
風を切る音と落下の圧力により息苦しくなるが、それよりもこの高さからの落下は恐怖そのものだった。校舎の屋上から飛び降りたことのある奈津ですら顔を青くしていて、叫ばなければいられないようだった。
――ざぶんっ
緩めの音に包まれて、椿は漸くこのダイブが終わったことを感じ取ったのだった。
「はぁー……こ、怖かった」
命のやりとりを体験してきた中で、椿がそう零したのは、初めてのことだった――。
†
邪霊が消滅した後、海に今まで呑み込まれて来た船が浮かび上がった。
その中の一隻にいなくなった漁船があり、外に出ずに中で震えていた漁師二人は、無事救出された。
旅行三日目は、椿たちにとって散々な終わりとなってしまった。
その後、四日、五日と平穏に過ごして、六日目に帰ることになった。帰りのクルーザーに乗り込む前に、世話になった人たちが挨拶をくれる。
その中に、一里によって引っ張り出されたイストの姿があった。
椿はイストの姿を見つけると、駆け寄って頭を下げた。
「あのっ……ありがとうございました!」
礼を言われたイストは特に反応する様子も見せずに、追い払うように手を払う。
「いいからさっさと行け」
最後の最後まで、口が悪い。
そんなイストを、一里はおかしそうに見ていた。
「は、はい。それでは、機会があったら、またお会いしましょう!」
出来た繋がりを、ここで終わらせてしまうのは少し寂しい。
だから椿は、イストにそう言って背中を向けた。
「ったく。機会があったらな。――“椿”」
始めて名前で呼ばれたことに、椿は頬を綻ばせる。
今度出逢うことが出来たら、まず最初に、自己紹介をしよう。
「それから、あのガキに言ったのは……仕方ねぇ、訂正してやるよ」
「はい!」
椿はそう言って笑うと、呆れたような顔で自分を呼ぶ仲間達の下へ、帰還した。
連日投稿で、旅行編を終了させました。
夏休み編は、あと二話を予定しています。
イストさんは、ツンデレです。
つい、憎まれ口を叩いてしまいますが、根はいい人なので幼い子供に懐かれます。
それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。