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Flame,Plus  作者: 鉄箱
16/42

第九話 統べる者 ―第一章・完―


意識が、浮上する。

辛く悲しい、暗い場所から、体と心が浮かび上がる。


瞼の裏から感じる、強い光。

それを遮りたくて、右手で目元を覆い隠す。

その動作一つ行うことが、ひどく億劫で。

なぜこんなにも疲れているのか、疑問に思って目を開ける。


腕の向こう側から伸びる、白い光。

その光で、椿は日が昇っていることに気がついた。


一日を始める時は、まず空を見上げる。

そうしはじめたのは何時だったか、思い出すことが出来ずに瞑目した。


「おき、なきゃ」


身体を起こすと、周囲を見る。

馴染みと言っても過言ではない、医務室のベッド。


隣のベッドには、奈津が包帯を巻かれた姿で寝息を立てていた。


他に人はいない。

時間が授業中ならば、いることはできないのだろう。

そう考えて、納得した。


「――慎一郎さん」


気を失ったのか、それとも幼い子供のように、泣き疲れたのか。

覚えている最後の光景は、弟の名を呟いた、一人の男の末路だった。


「終わったの、かな」


小さく、零す。

これで終わったと飲み込めずに、つい声に出してしまった。


頭痛もない。

声も響かない。

だというのに、終わった気がしない。


枕元を見ると、戦鎧の指輪と、一枚の手紙が置いてあった。

指輪を左手に嵌めて、手紙を開く。


だが、その手紙にはなにも書かれていなかった。

そして、手紙を見た瞬間、椿は再び大きな頭痛に襲われた。


「くぅっ!?」


痛む頭を左手で抱える。

どうしても行かなくてはならない。

行って、終わらさなければ、ならない。


椿はふらふらと立ち上がると、戦鎧を装着した。

身に纏うものは病人服だけったので、すぐに着替えられる戦鎧を纏ったのだ。


医務室を出て、校舎の裏側に回り込む。

そして、校舎を背に向けて、歩き出した。

方角を知っている訳ではない。ただ、直感に従って、ゆっくりと歩き始めた。











Flame,Plus











鬱蒼とした森を抜けると、空けた場所に出た。

障害物のない、広い草原。学校の敷地内なのかも怪しい、校舎からずいぶんと離れた場所だった。


その草原の中央に立つ、人影。

黒い髪の男性が、椿に背を向けて立っていた。


「待っていたよ、神崎さん」


聞き覚えのある声。

だが、その声の主であろう男性と、口調が違っていた。


「あなた、は」


一声発する度に、頭痛が椿を襲う。

その痛みに眉をしかめながらも、声を出して問わなければ、いられなかった。


「なんで、先生が?」


口調が、態度が、雰囲気が。

全て違っていても、それは間違いなく――。


「もう――解っているんじゃないのかい?」


ゆっくりと、振り向く。

どんどんひどくなる頭痛に膝をつきそうになりながらも、確信を込めて名を呼ぶ。


「遠峰、先生」

「あぁ、そうだよ――――神崎椿」


強い風が、二人の間を吹き抜ける。

愉快げな笑みを浮かべる、男性――遠峰雅人は、どこか優しげな口調で、そういった。


「どうしてですか?どうして、先生が」

「“自分を呼んだのか?”――かな?」


頭痛と、声。

反響してくる声が、だんだんと雅人のものへ変わっていく。

椿をずっと誘導していたのは、他ならぬ雅人だった。


「いいよ、ここまで来ることができたご褒美だ。自分語りは趣味じゃないけど、教えてあげるよ。何が聞きたいんだい?」


テストで良い点を取った生徒を褒めるような、労りの声。

ここまで、というのは、今日この日まで“生きて”という意味だった。

それは、これまでの全てが雅人の差し金だったという、証明だった。


「何時から、なんですか」


何時からこうして、邪霊の側に着いたのか?


「うん?――――あぁ、そうだね。ちゃんと名乗っていなかった」


だが、雅人から返ってきたのは、そんな言葉だった。


「改めて、私の名は“心絶”――邪霊王“心絶|≪ロードアウト≫”」

「邪霊、王」


その答えに、息を呑んだ。

椿は、雅人が“魔人”だったのだと考えて、何時からと聞いた。

だが、最初からだったのだ。全て、彼の手の中で起こった、ことだった。


銀色に光る目。

黒だったはずのその瞳は、白銀の魔眼へと変貌していた。

その双眸の奥に映る“遮断の紋章”に、椿は息を呑んだ。

――冷静に考えれば、わかることだった。


「貴方が――――慎一郎さんの?」

「へぇ――?名前で呼ぶ程親しくなっていたんだ。そう……彼と契約したのは、私だよ」


背筋が凍るような、酷薄な笑み。

その中に存在するのは、嘲りか、侮蔑か――それは、今は亡き慎一郎を見下す目だった。


「もっともっとと望むから、大きな力をあげたのに――あんな粗末な使い方をされるとは思わなかったよ。なりふり構わなければ、もっと多くを殺せたのに」


それは、慎一郎に残った良心だったのか。

彼は、スライム以外の手段――魔人としての能力――で他者を傷つけようとはしなかった。

弟に対する負い目が、どこかにあったのかもしれない。けれど、そこまでして人を傷つけはしなかったという事実が、椿は少しだけ嬉しかった。


慎一郎に言った慎二郎の言葉が、僅かでも彼の心を満たしていた。

そう考えると、場違いだと解っていても、頬が緩んだ。


「さて、他には何が聞きたい?」

「他に……」


椿が言葉に詰まると、雅人かおかしそうに笑った。


「そうだね、それなら私から話してあげよう」


雅人はそういうと、手を広げて語り出す。


「まずは――明津先生、かな?」


椿は、はっと顔を上げた。

何を聞きたいと言うことなど、決まっていた。

呼び出してどうするのか?――そんなことは、聞く必要はないだろうと思っていた。

焦って聞いても答えてはくれないだろう。喚び出した理由など、すぐに解るのだから。

だが、雅人が言って気がついた。不自然なことなど、今までにいくらでもあったのだ。


「彼女は優秀な魔法使いだよ。それでも、流石に不意打ちには対応できなかったようだけどね。事をあの時、荒らげる訳にもいかなかったから」


邪霊の気配がする訳でもないのに、気を張り続けることは出来ない。

邪霊が出現したらすぐわかるという、優れた校舎の結界による感知を、信用しすぎた結果だった。


「教室での戦闘も、あれでせめて身動きくらいは封じられるかと思ったんだけど――君たちが案外早く逃げ出すから、焦ったよ」

「じゃあ、あの時階段を崩したのは――」


走ってきた椿と奈津に気がつかれないように、階段を崩す。

逃げ場を封じられて、結局ぎりぎりの戦闘になった。


「おかげで面白いものが見られたから、それはいいけどね」

「面白いもの?」


雅人は、ただ笑みを浮かべるだけで、答えない。


「蛇を連れて来たのは――」

「――そう、私だよ」


次の疑問に切り替えようと、椿が問う。

すると、雅人はやはり笑いながら答える。

その顔に貼り付けられた笑みには、大きな“期待”の色が混じっていた。


「連れ去られた生徒達も、私が呼び出した。自分で記憶をいじったんだ、都合の良いようにいじりなおすくらい、問題ないよ」


肩を竦める雅人を、椿は険しい目で睨んだ。

連れ去られた生徒は、未だに後遺症を引きずっている人もいる。

黒沢梓の椿に対する態度には、少ないとはいえ事件の後遺症があった。


そんな椿の視線を意にもとめず、雅人は続けた。


「校舎に邪霊の仕込みをしたのは、私と魔人だけど、最後の仕込みは私がやったよ。あんなところで消耗されそうになるから、焦って介入してしまったけれどね。それではつまらない」


失敗した――そう呟くその姿には、気にしている様子など、どこにも見あたらなかった。

それもそうだろう、何せ彼は――今日まで誰に知られることもなく、教師をしていたのだから。


「さて――そろそろ始めよう」


雅人はそういうと、椿に指先を向けた。

椿はそれに嫌なものを感じて、左に飛んだ。


「見せて貰うよ――――【ラインアウト】」


雅人が一言呟くと、椿が先ほどまで立っていた場所に、黒い半透明の壁が縦に“出現”した。

その場にいれば、真っ二つになっていただろう。


「くっ……っ」


身体を覆う倦怠感に耐えながら、装霊器に魔力を流そうとして、気がついた。

椿は今、装霊器を装着していない。


「【ラインアウト】」


連続で出現する壁を、危ういところで躱していく。

だが、装霊器が無ければ、魔法使いなど少し運動が出来る一般人と変わらない。

微弱な魔力を用いた、僅かな肉体強化が出来ないことはないが、それも本格的に鍛えている人には、遠く及ばない。


「どうした?君はそんなものではないだろう?――【ウォールアウト】」


雅人は前に出現した黒い半透明の壁の、面を椿に向けて発射させた。

椿は、魔法のない自分に何を求めているか解らず、ただその避けられない攻撃に対して、手をクロスさせることで防御をするしかなかった。


「あうっ!」


強く打ち付けられて、身体が浮く。

草原に背中を打って、バウンドし、更に身体の前面を地面に叩きつけられて俯せになった。


「つ、ぅ」


そんな椿に向ける雅人の目は、侮蔑でも嘲笑でもない――ただ純粋な“期待”だった。

その目の理由がわからず、椿は身体を起こそうと腕を立てながら、困惑していた。


「私は邪霊だ。邪霊王という存在だ」


できの悪い生徒にヒントを出す教師のように、雅人は言葉を紡いでいく。


「同族か否か、それくらいは解る」


そのことが、何に繋がるのか。

解らない以上、椿は耳を傾けるしかなかった。


「君は、邪霊ではない。また、魔人でもないし向こう側の子供でもない」


何を言っているか解らず、ただ言葉を聞く。

だが、その言葉は、長く求めていながら、思い出したくない封印の鍵のように思えた。


「では、なぜ――邪霊に襲われた君が、こうして生きている?」

「え――?」


椿は、“焼け跡”から助け出された。

火事に巻き込まれて、両親を殺されて、椿はなぜ無事だったのか?

なぜ――こうして生き残っているのか。


「思い出させないのなら、手伝おう」


雅人はそう言って、椿に近づいた。

そして、椿の顎を右手で持ち上げて、銀色の瞳で覗き込んだ。


「君の心の封印を、“遮断”してあげよう――――【ロードアウト】」

「な、にを――?」


銀の瞳が、怪しく輝く。

その瞳に呑み込まれるように、椿の意識が、暗転した。















パチパチと木材の焼ける匂いに、眉をしかめる。

自分はなぜこんなところにいるのだろうと首をかしげ、目の前で邪霊にむさぼられている“両親だったもの”をみて、唐突に“思い出した”。


自分は両親を助けるために、炎に包まれた家に飛び込んだのだ。


『兄者、弟……こウいう時ハ――いたダキまスというんダ』


真ん中の頭が、椿をみてにたりと笑った。


「あ、う」


身体が竦む。

足が棒のようになって動くことが出来ない。

そんな椿を現実に戻したのは、椿の足下に転がってきた、銀のリングだった。


両親の――宝物、だった。


「お父さん、お母さん」


涙で目の前が歪む。

顔を上げて見た先には、飛びかかるために姿勢を低くした、三頭の悪魔。


「許さない――絶対に、許さない」


その瞳に浮かぶのは、憎悪でも憤怒でも哀愁でもない。

ただ純粋に溢れ出た、無垢な殺意だった。


その目の宿す色に気がつかず――気にする必要もなく――邪霊は椿に飛びかかった。

椿はそんな邪霊に、本能から右手を差し出した。


――ドンッ

『グアッ?!』


邪霊が、吹き飛ぶ。

椿の腕に集まるのは、周囲の炎だった。

炎にまつわる精霊の力だろう。境界鏡を持ち要らずに召喚したためか、名もない精霊が意志も保てずに浮かんでいた。


椿はその精霊を――ただ勝手に動く身体に従って……握りつぶした。

名もない精霊が、椿の身体に取り込まれる。椿は、これで自分が“炎を操る”ことができるようになったと、自然に理解した。


「集え」


たったの一言、

それだけで、振り上げた手の先に、家屋に灯っていた全ての炎が凝縮された。


『なンだ、貴様は、イッたイ、何者だッ!』


真ん中の頭が、声を上げた。

だがそんな言葉が、椿の届くことはなかった。

ただ殺意と本能のみで動く椿には、周囲の音は入ってこなかった。


『おォぉォオおオぉォォッッッ!!!』


本能的な恐怖を押し殺して、邪霊は再び椿に襲いかかった。

椿は集めた炎を右手に宿すと、手刀を象った。

そしてそれを――カウンターで、邪霊の心臓に突き刺した。


ぬるりとした、邪霊の中。

紫色の鮮血が飛び散るが、椿にかかる前にその高熱で蒸発する。


そして、突き刺さったまま、邪霊は塵となって消えた。

椿はふらふらと歩いて、二つのリングを胸にかき抱いた。


そして、自分の身に起こった強烈な出来事に必死で蓋をして――意識を失った。















視線が、外れる。

ほんの一瞬の時間に起こった回想の追体験。

一筋の涙がこぼれ落ちて、止まった。


「さて、何か思い出せたかな?」


雅人はそういうと、椿から距離をとった。

そして、再び指先を向けた。


「実践授業の二回目だ。さぁ、続けよう――【ラインアウト】」


黒い半透明の壁。

遮断の壁を、椿は無感情に見つめた。

感情を殺していた――蘇った、激情を、必死で押し殺していた。


「私、は――」


その溢れる感情を、激情を、椿は――。


「それでも、私は」

――私を、愛してくれている人が、いる。


顔を上げる。

その瞳に映る意志の名は――決意。

こんなところで挫ける訳にはいかない。

こんなところで折れる訳にはいかない。


――あんな悲しい思いをするのは。

「私だけで、十分だ」


――呑み込む。

自分のように、邪霊によって親を亡くし、理不尽な憎悪を向けられる。

そんな子供を見たくないから、そんな子供に手を差しのばしたいから。

椿は、魔法使いを目指した。


大好きな祖父母のように、“愛”をもたらす者に、なりたかったから。


魔力を通すのは、装霊器ではない。

自身の身体に魔力が宿り、真紅のヴェールが椿を包む。

自然に強化された肉体で、壁を避けた。


そして、右腕を大きく弓なりに引いた。


「【三槍・響炎】」


頭に浮かんだ詠唱を、そのまま紡ぎ出す。

不自然な程空間に響いた詠唱が、“現実”から“幻想”を生み出した。


「は、ははははっ!」

「穿ち抜け」


炎の槍が、三本浮かぶ。椿は、右腕の周囲に浮かぶ槍を、その手ごと突き出した。

椿の胸、鎖骨の間より少し下に、戦鎧越しでもわかるほど強く光る、紋章が現われた。

三叉の槍に翼を生やした、紋章。それは、三頭の悪魔のものだった。


放たれた三本の槍は、ばらばらの軌道で雅人を襲う。

一つの意志(肉体)の下に別々の思考(感情)で動く。それが、三頭の悪魔の特徴だった。

その特徴に忠実に、三本の槍は雅人を貫くという統一された意志の元、別々の方向から雅人を襲う。


「私はずっと、疑問だった。力の持たない少女が、どうやって邪霊を退けたのか……!」


雅人は、壁を使って槍を防ぐ、

防御に特化した雅人相手に、完全な自動追尾とはいえ威力の少ないもので対抗するのは、難しかった。


「でも、そう、そうだ!それなんだよ!神崎椿!」


それでも消滅することなく襲い続ける、炎の槍。

椿はその隙に距離を詰める。


「精霊にも邪霊にも“人間”にも属さない、突然変異の“化け物”!!」


手を広げて、笑い声を上げる。

椿はその言葉に動揺を見せることなく、左手をあげた。

その左手の側面に追従するのように現われるのは、真紅のバスターソード。

炎の槍が消えて、同時に紋章も消える。その代わりに現われたのは、剣の紋章だった。


「【魔剣・真紅】」

「――――“神霊者|≪エレメントロード≫”!!」


柄を握る必要はない。

左腕の動きに追従して、魔剣も動く。

左腕を突き出すと、魔剣が雅人に襲いかかった。


「【ウォールアウト】」


壁が出現する。

遮断の壁は、防ぐという能力ではない。

向こう側とこちら側を壁を用いて“遮断”する能力だ。


記憶の遮断、気配の遮断、物理魔力の遮断。

文字どおり遮り断つ壁というこの能力は、物理的、魔力的手段を用いて破ることが出来ない。範囲や膨大な魔力の使用が必要など誓約はあるが、それでも強大な力だった。


だが――――それも、椿の“能力”の前では、その限りではない。


魔剣が壁に衝突する。

すると、剣の先から広がるように、壁に亀裂が入った。


「クッ……“吸収”か!」


精霊、邪霊に関わらず吸収する神霊者の能力により、絶対防御の壁に亀裂が入った。

衝突した部分から力が吸収されて、“割れる”という現象と共に消滅したのだ。

そう、高位の邪霊である傀儡の魔剣を、ただの一撃で砕いた時のように。


雅人は椿から距離をとる。

椿は、使えば使う程削られていく魔力により、身体が悲鳴を上げていた。

だが、それを表情には出すまいと、毅然に雅人を見ていた。


「貴方は、何故、私を?」


時間稼ぎだ。

雅人はすぐに意図に気がついてしまうだろう。

だが、それだけではない。確かに聞きたいことだったのだ。


「私はね、“見たい”のだよ。神崎椿」


憂いを帯びた表情に、椿は声を無くした。

今までのものとは違う、哀愁の声。


「全ての存在と敵対しなければならないという、世界の摂理から外れた歪んだ存在」


弱肉強食。それは、自然界における食物連鎖の法則。

その頂点に立つものも、いずれは世界に溶け込み、世界の要素の一つと成る。


「――邪霊という歪な存在の行く末が」


だが、邪霊は敵対することしかできない。

精霊にも、人間にも、自然にも――世界にも。


「君は、全ての種族に対する“鍵”だ」


雅人の目が、ぎらぎらとした光を放つ。

憂いを呑み込み怒りを食い散らかした、欲望の目。


「生きとし生ける全ての存在が、神へ問う未来への“答え|≪アンサー≫”」


耐えきれないように、離れた位置に立つ椿へ手を伸ばす。

椿は、その手に呑み込まれてしまうような、錯覚を覚えた。


「得たものを、創造主へ繋げる“天使の証|≪エンジェルハイロゥ≫”」


口元が歪む。

望んだものが、望み続けたものが、目の前にあるという“歓喜”が、雅人を包む。


「それが君だ――――神崎椿」


全てを統べる力を持つ。

その意味は、全てから外れていながら全てと同じで、全てより上位に立つということだ。


「望み、契約を交せ」


一歩進む。

椿は呼吸すら忘れて佇んでいた。


「君が望めば、全てが手に入る」


一歩進む。

息を呑んで、呼吸を知る。


「君が望んだ、全てを手に入れられる」


一歩進む。

流れ落ちた汗が、乾いた唇を通る。


「さぁ、この手を取れ、神崎椿」


一歩進む。

手の届く距離まで、いつの間に移動したのかわからなかった。

雅人の身体が、妙に大きく見えた。


「君は――――“創造主”を継ぐ者となるんだ」


差し出された、手。

邪霊王との、“神霊者”としての契約。

それは、大きなデメリットをもたらすものではない。

精霊の契約と変わらない。ならば、この手を取って、何の問題がある?


頭の中で響く声。

椿は、ゆっくりと手を伸ばして――。


――パンッ


その手を、振り払った。


「何故だ――何故だ、神崎椿!」

「私は、みんなを裏切れない」


邪霊と契約を交す。

それは、大切な人達と、大事な思いへの裏切りだ。


「私は、みんなを裏切りたくない」


契約した先にあるのは、何か?

それは、自分が世界の“敵”として君臨して、大きな混乱と悲しみを生み出すと言うことだ。


神霊者だからと、力があると思い上がっている訳ではない。だが、欺き続けてきた雅人と契約をして事を進めてしまったら、小さくない混乱が起きるのは、確かだった。


「私は、“支配”したい訳じゃない」

「なにを――君は、“支配”する者だろう!?」


雅人の慟哭を、椿は真正面から受け止めて――跳ね返した。


「私は――“共に歩く者”になりたいんだ!」


紋章が、更に強く輝いた。

名も無き炎の精霊が、同一化した椿の身体を炎で包む。

胸に宿る紋章は、真ん中に線の入った「V」の字だった。


「ちっ……【ラインアウト】!」


放たれた壁に拳を打ち付けて、強引に逸らす。

掠ったのか、左腕から鮮血が散る。


「はぁぁぁぁぁっ!!!!」

――ドンッ!


魔力が炎に変わり、炎が爆発に変わる。

真紅の魔力と炎の赤と、鮮やかな鮮血。

三種の赤が尾を引くように、鮮やかな軌跡を残す。


爆発的な加速。

雅人は、両手をかざして壁を出した。


「【ウォールアウト】!」


その身に宿る力が、吸収だというのなら。

全てを奪って砕け、と、椿は右腕にありったけの魔力を込めた。


「おぉぉぉぉぉおっ!!!!」

「はぁぁぁぁぁあっ!!!!」


亀裂が入る。

入った亀裂から罅が広がる。

そして、ついに、右腕が壁を貫いた。


「私の勝ちの、ようだな――」

「お願い――来て!」


そこで止まってしまった右腕に、雅人は侮蔑を込めて言い放つ。

だが椿は、諦めることなく声を上げる。


「なにを……」

「――アレク!」


椿の右腕。

その手のひらの中に、赤い精霊石が、真紅の光と共に召喚された。

契約を交していない精霊を、境界鏡なしで呼び出すことが出来る、神霊者の特性の一つ。

それは、契約を交した精霊ならば、遠くにある精霊石を喚び出すことすら、可能だった。


「【四元素が一柱を司どる・灼熱を統べし槍の火蜥蜴よ・我が手にその穂先を与えん】」

――ズドンッ

「が、ぁッ!?」


右腕から伸びた炎の刃が、雅人の心臓を貫いた。

装霊器すら必要ない、その特性。

通常よりも何倍もの魔力を消費しなければならないが、同じ詠唱で、タイムラグもなく放つことが出来る。


「私の、負けか」

「貴方の負けです――雅人さん」


最後まで“人間”としての名を呼ぶ椿に、雅人は苦笑した。


「最後に、忠告だ」


炎の刃が消えると、雅人は胸を押さえて、よろよろと下がった。

その手も、もう塵に変わろうとしていた。


「その力は、隠せ。人間、は、生き、物、は、異端を、嫌う」


そんなことは、椿だって解っている。

邪霊を吸収し、邪霊王を単身で滅ぼす。

そんな存在は、知られるだけで他者を歪ませる。

椿はそのことを、その意味を、その苦しみを――知っていた。


「あぁ、残念だ」


雅人は、上を向いて呟いた。

晴天の太陽が、爛々と輝いている、空。

その空を見上げながら、雅人は目を細めた。


「見たかった、なぁ」


風が吹く。

その強い風に、塵となった雅人の身体が、蒼天に呑み込まれた。


椿は、崩れるように倒れる。

過剰な魔力酷使が身体を焼き、大量の血を吐いた。


「あっ、くぅ……ごほっ!」


焼けるように熱い身体と、引き裂けるように痛む胸。

痛みから声すら上げられず、ただただ涙を流す。


その激痛に耐えきることが出来ず――椿は、眠るように気を失った。















あれから、医務室に運ばれて、三日三晩生死の境をさまよい、目が覚めた時には宗一と牡丹含めた友人知人全員に泣かれた。


椿は、邪霊の残りを見つけて、つい追ってしまったと説明した。

非道い怪我だったのは、装霊器も持たずに精霊石だけ持って戦うという無謀な真似をしたからだろう。楓達もそう納得すると、椿が思っていたよりもずっと早く、介抱された。


遅れを取り戻すように勉強をして。

それと同じくらい、奈津達と言葉を交し、期末試験も乗り越えた。


雅人は、失踪という扱いになっていた。

そのことで、助けてくれたのにと落ち込む奈津を、椿は慰めることしか、できなかった。


そして――今日は、終業式だ。


体育館に集まり、終業式を行う。

節目の行事は学校らしく体育館で。

それは、学院長である蓮の、こだわりという名の方針だった。


「はぁー……なんだか、すっごく長かった気がするよ」

「うん、そうだね」


今はまだ、式の途中だ。

特に聞く必要もない蓮の長話の間、二人は小声で会話をしていた。


「もう、あとは卒業まで、“普通”がいいなぁ」

「あはは、うん。私も、普通が良い」


なんとなく叶わないような気がしながらも、椿は希望を込めて呟いた。

やけに巻き込まれる、おかげで、椿と奈津のクラウンは黄色――レベル4だった。

一般校なら、卒業できてしまう称号は、正直椿たちには重かった。


『それでは、よい夏休みを!』


蓮の声と共に、式が終わる。

椿は奈津と連れたって、校舎を出た。


空の色は変わらない。

最初の日と同じ、蒼。


その心地よい光と風に、椿は一時、全てに身を任せて微笑んだ――。

これにて、第一章は完結です。

この後、夏休みを挟んでから第二章(二学期)に移ります。


この章で語らなかったこと、語れなかったことも、後の章にて。


それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回、次章も、よろしくお願いします。

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