第八話 応龍祭編④ 現の夢と残滓
白いカーテン。
白いシーツ。
白いベッド。
白い壁と白い花。
白い服を羽織った壮年の男性。
白い服を着た若い女性。
白い雲に覆われた白い空。
なにもかも、真っ白で。
その場所がどこなのか理解するまでに、長い時間をかけてしまった。
(あぁ――――これは、夢だ)
誰かいないのかと、周囲を見回す。
父親と母親の姿を、必死で探す。
「ここは、どこ?」
(ここは、病院)
小さな手で目元をこする。
その“傷一つ無い”白い手に、行き場のない不安を感じて、首をかしげた。
「おとうさん?おかあさん?」
(この時には、もう二人は……)
身体を起こして、呼びかける。
何度も何度も声を上げようとしたが、うまく声は出なかった。
「ここはどこ、おうちにかえして、かえりたい、おとうさん、おかあさん」
(助け出されてすぐに熱を出して、熱が下がって見回したら、知らない場所だった)
うまく呂律が回らず、どうしたらいいのかわからないと、泣く。
シーツを力一杯に掴んで、目元を拭うこともせず、ただ泣く。
泣き叫ぶだけの体力はなく、ただただ涙を流していた。
「たすけて、おとうさん、おかあさん」
(まだおじいちゃんは見つかってなかった。おじいちゃん達が来るのは、翌日だ)
がちゃりとドアが開く。
そこに立っていたのは、薄ぼんやりとした視界の中で自分の側にいた、男性。
白衣の男性と白い服の女性に、ほんの僅かな怯えを見せた。
服装から、医者だとはわかった。
少しずつだが、周囲の状況から、ここが病院だと言うこともわかった。
自分がどうして病院にいるのかは、解らなかったが。
「騎士様、この子供は、やはり……」
「――――確証はありません」
白衣を着た、壮年の男性。
その背後に立つ、赤いマントに赤いフードの男性。
騎士と呼ばれたその男性のことが、どうしようもなく、怖かった。
「ですが――“焼け跡”から、死体と一緒に出てきたのでしょう?」
「まだ彼女が、“そう”だと決まった訳ではありません。ですが、念のため」
騎士の男性が目配せをすると、他の人間が病室から出て行く。
男性が近づく度に震える身体をどうにか押さえながら、男性を見上げた。
「ちっ――――“化け物”め」
そう言い捨てると、男性は外に出た。
聞こえてくる言葉に耳を傾けて、言葉をなくす。
「危険はないでしょうが――――目は、光らせておいてください」
「そんな!私たちが、“化け物”なんかをっ!?」
「不審な行動はとるかもしれませんが――――力は子供と変わりませんよ」
侮蔑の声と、歪んだ嘲笑。
流れる涙を気にする余裕もなく、目を見開いて閉じた扉を見る。
「わたし、は?」
(私は……私、は)
視界が暗くなる。
もう、その目に何かを映す気力もなく。
――――椿は、ベッドに崩れ落ちた。
Flame,Plus
目を開けて、周囲を見る。
もう見慣れてしまった光景に、椿はそっと苦笑した。
右肩を押さえても、痛みはない。
それよりも、今の時間の方が、よほど気になった。
時計を探そうと、周囲を観察する。
意識が覚醒するにつれて感覚も正常へ戻っていき、そこではじめて左側の温もりと、ふくらみを見つけた。
自分の手を掴んで寝息を立てているのは、フランチェリカだった。
その頬に残った涙の跡が、椿に必要のない罪悪感を感じさせていた。
その跡を拭おうと右手をあげようとするが、動かない。見てみると、右手は奈津が掴んでいた。
「起きたみたいね」
扉が開く音がして目を向けると、アンジェリカが椿を伺っていた。
すると、その声に反応したのか、医務室の外から人がなだれ込む。
「椿っ!」
まずはじめに、レイアが走る。
そのレイアに登るようにラミネージュが飛翔し、勢いがつきすぎたのか椿を通り越して奈津を踏む。
「ふぎゃっ!?」
ラミネージュに登られたことでバランスを崩したレイアが転び、その額をフランチェリカの側頭部に、思い切り打ち付けた。
「あうっ!?」
「ぴっ!?」
やれやれと肩を竦めながらも早歩きだったルナミネスが、レイアの足につまずいて、転ぶ。
転んだ先は、レイアの背骨。額の痛みに集中していたレイアは腰に打ち付けられた痛みで前のめりになり、再びフランチェリカの側頭部に額を打ち付けた。今度は、自重プラスルナミネスの体重で、威力は倍以上だ。
「あうっ……ふづっ!?」
ルナミネスはなんとか身体を起き上がらせようとしたが、奈津を踏んだラミネージュが倒れてきた時に頭を上げてしまったせいで、ラミネージュの額に自分の頭頂部を打ち付けることになって、沈んだ。
「あぅっ」
「いつっ」
医務室に沈んだ五人の後ろで固まっていた明里が、そろそろと慎重に入ってきた。
そして、ぴくりとも動かなくなった五人を引きつった顔で一瞥すると、大きく深呼吸をしてから椿と顔を見合わせた。
そして、二人で揃って朗らかに笑った。
「怪我はもう良いみたいだな。本当に良かったよ」
「うん、ごめんね……ありがとう、明里」
完全に周囲の状況をスルーすることによって、心の安定を取り戻す。
――――人はそれを“現実逃避”と呼ぶ。
医務室の端でその光景を見ていたアンジェリカの目が、妙に懐かしそうだったのが、印象的だった。
アンジェリカは小さく笑うと、そんな二人の友情を眺めた。
――――人はそれも“現実逃避”と呼ぶ。
†
何とか落ち着いて、椿は詳しい事情を聞いた。
演習場の施設、その最上階から競技用装霊器の剣が落ちてきて、椿に怪我を負わせた。
十中八九故意ではあるが、動機も目的も不明。競技用装霊器は、保管されていた場所から盗まれたものだった。
完璧なセキュリティーを抜ける事が出来るのは、内部の者以外に考えられない。
だが、その周辺に誰かが居たという情報は一切無く、捜査に進展はない。
「そう……ですか」
不安に駆られて俯く椿に、詳細を告げた慎二郎は申し訳なさそうに頭を下げた。
今医務室にいるのは、慎二郎と楓と椿、そして医師のアンジェリカだ。
「それで……神崎君、君は――――誰かに恨まれる覚えなど、ありますか?」
「え――?」
考えても見なかった質問だった。
だが、犯人を捜したいと思うのなら、当然の質問と言えた。
「いえ……私の知る限り、では」
「ほう、知る限り?――では、知らないところで恨まれるようなことを、やって……」
「三上院先生ッ!」
薄く笑ってそう続けた慎二郎の言葉を、楓が鋭い口調で遮った。
だが、そこまで聞いてしまえば、意図は伝わる。“当時”の夢を見たばかりだった椿は、唇を噛みしめて俯いた。
「彼女は被害者ですっ!――当たり所が悪ければ、どうなっていたかも解らないんだぞ!」
抗議している内に言葉遣いが乱れ、素に戻る。
一歩間違えれば死んでいたかもしれない――そんな怪我を負った自分の生徒が、よりによって自分たちによって傷つけられる。そんな姿に、楓は怒りをあらわにした。
「わかっていますよ、草加先生。これは確認――――そう、単なる“確認”ですよ」
慎二郎はそう言いながら肩を竦めると、再び椿に向き直った。
「辛いことを聞いてしまい、申し訳ありませんでした。私どもからは、以上です」
「い、いえ。大丈夫、です――お忙しい中、ありがとうございました」
「礼を言うのは私たちの方だ。顔を上げてくれ、神崎」
それでも気丈に頭を下げる椿に、楓はそっといたわりの言葉を投げかけた。
そして、一言二言告げると、申し訳なさそうな表情で退室した。
扉が閉まる音を聞いて、椿は小さく息を吐いた。
そんな椿の横に、アンジェリカが音もなくパイプ椅子に座った。
「大丈夫。みんな、あなたの人柄は解っているわ」
目を伏せたまま、アンジェリカはそう慰めた。
奈津達は、現在授業中だ。椿の目が覚めるまでは、と授業を休んで一緒にいたが、様子を確認すると慎二郎によって授業に戻されたのだ。
「ありがとう、ございます」
そういって健気に笑う椿の頭を、アンジェリカは淡く微笑んで撫でた。
その表情は、女生徒から絶大な人気があるというのも頷ける、怜悧で美しいものだった。
「そういえば、先生」
「どうかしたの?」
起きて一番に気になったこと。
それを今まで聞き忘れていたということに気がついた。
「私は、どれくらい気を失っていたんですか?」
「二日よ。今日は金曜日」
「へ――?」
怪我を負ったのが、水曜日。
せいぜい一日かと思っていた椿は、その答えに顔を引きつらせた。
応龍祭まであと二日。あと二日で、応龍杯に向けた練習も組み体操の練習もしなければならない。組み体操に至っては、土曜の最終練習しか参加することが出来ない。
クラスの競技なのに大きく足を引っ張ってしまう。
その事実に、椿は顔を曇らせた。
「――オウクストードさんが、ね」
アンジェリカが零した名前に、椿は首をかしげた。
そんな椿の戸惑いに気がついて、アンジェリカは苦笑いをした。
「貴女のクラスの、委員長」
「…………………………?…………………………あぁっ!」
ぐぐぐっと首を捻り、漸く顔を思い浮かべた。
金色のロングヘアで目元を隠した、組み体操で熱血していた少女のことだ。
思い出せないどころか、椿は彼女の名前を知らない。
「彼女、言っていたわ“私たちに閃きと熱意を注ぎ込んでくれた彼女と、私は一緒に演技がしたい。彼女がそれを望むかは解らない。だが私は……いや、私たちは、それを強く望んでいる。その気があるのならば、元気になり次第楓教諭に伝えて欲しい”ってね」
まったく真似る気のない声。
だが、その口調からどこか熱意のようなものを感じて、椿は目を潤ませた。
それを零すのはまだ早いと、目元を拭う。
「私、楓先生に――」
「今日は一日休んでいなさい。楓には、私が伝えておくわ」
「――はい。……お願いします、アンジェリカ先生」
アンジェリカの魔法で怪我は癒えている。
だが、それで体力が戻る訳ではない。ならば、このドクターストップも、当然のことだった。それが理解できているからこそ、少し間を置いたが、椿は素直に頷いた。
「今日は一日休む。そうしたら、明日からは自由にして良いわ」
「――はいっ!ありがとうございます!」
ベッドから上半身を起こした体勢のまま。椿は勢いよく頭を下げた。
その様子に、アンジェリカは優しい笑みを浮かべて、頷いた。
†
翌日、椿は医務室から出ると、ジャージに着替えて直接校庭へ向かった。
広大な敷地の中に幾つかあるグラウンドの一つで、一年生の医務室から一番近い場所だった。
椿が競技用装霊器を装着して到着すると、一番始めに気がついた奈津が手を振った。
椿は、奈津に嬉しそうに手を振り替えすと、駆け寄った。
奈津が椿に駆け寄ろうとするのを、委員長が手で制す。そして、まず始めに彼女が椿に近づいた。
「もう体は良いのか?」
「うん……ありがとう、待っていてくれて」
椿が喜びをにじませた表情で礼を言うと、委員長は軽く首を振った。
「ともに学び、ともに競い、ともに上を目指す仲間だ。ならば、待たぬという選択肢はない」
そういって、太陽に向かって指を指す。
そして、空いている右手で椿に手を差しのばした。
「あの太陽のように、輝こう……椿」
「うん。……うん……貴女の名前を教えて貰っても、いい?」
「当たり前だ。むしろ、名乗っていなかったことを恥ずかしく思うよ」
委員長は、そこで言葉を句切る。
椿は、差し出された右手に、そっと自分の手を乗せた。
「私の名前は“ミア・オウクストード”だ。よろしく頼む、椿」
「改めまして、私は神崎椿。……よろしくね、ミア」
手を乗せて、力強く掴む。
その手に伝わった力が、椿には大きな絆のように感じられた。
「さて、優勝するぞ、みんな!」
『おぉぉおおおぉぉおおおおおお!!!!!』
最早怒号といっても良いような声。
少し前までは身を竦ませたであろうその声を、椿は平然と受け止めた。
「目指すはそう……優勝なんだ」
組み体操の一番も、応龍杯の一番も、そして紅組の一番も。
すべて掴み取るという熱い決意の元、椿は風を切って歩き出した。
†
しんと静まりかえった夜の校舎。
その廊下を、音も立てずに歩く影があった。
その影が歩いた後は、なぜだかその場にずっと、黒い足跡が残っていた。
影は、いくつもの足跡を校舎に残していく。
歩いて、歩いて、自分の足跡を刻みつけていく。
その様子は、さながら動物が残すマーキングのようにも見えた。
「もう、いいかな」
校舎のほとんどを渡り歩いた時点で、その影は足を止めた。
風の吹き抜ける、屋上。そこで、影は校舎の全てを見下ろした。
そして、右手を空に掲げて、指を弾く。
すると、校舎の中に残った足跡の全てが、大きくふくれあがった。
それは形を為し、核を持つ黒いスライムへと転じる。その数は、とても数えきれるものではない。
スライムはもぞもぞと蠢くと、溶けるように校舎の中へと沈み込んでいった。
「さぁ……どんなものを見せてくれるのか――楽しみにしているよ」
月の光が雲間に隠れて、一瞬周囲が暗くなる。
すぐに再び月の光が校舎を照らしたが、そこにはすでに、なにも残っては居なかった。
どこかで、誰かの笑い声がした――――。
連続投稿します。
後書きは、次話に書きます。