第八話 応龍祭編③ 加速
天気は雨。
どんよりとした空と湿っぽい空気は、その環境下で過ごす生徒達の機嫌を損ねるのに、見事に一役かっていた。
そんなじめじめとした空気の中でも、椿たち一年B組の選手達は、心なしか機嫌が良さそうに見えた。
それというのも、昨日の“事故”により発生した、棚から出てきたぼた餅が大きく関係していた。
その充実した設備を以て、生徒達に過ごしやすく学びやすい環境を提供する。
それは、名門校と呼ばれるところなら、最低限、当たり前のことだ。
だが、結果的にその施設が生徒に牙を剥いたという事実は、大きな事だった。
結果――椿たちには、特別に予備の演習場を貸し切る権利が与えられたのだ。
Flame,Plus
応龍祭まであと四日。
それまでに練習しておくのは、当然籤で引いた競技だけではない。
体育の時間には、クラス全員が参加する種目の練習もする必要があった。
楓の指示でストレッチをして、その後練習をする。
種目は――――組み体操だった。
この種目は“競技”……そう、競うのだ。
恥を捨て、羞恥を乗り越え、クラス対抗でもっとも美しい組み体操を行った組に得点が入る。魔法の使用は有り……というか、魔法で演出しないと高得点は狙えない。
さらに、高得点を狙うのなら審査員である学院長の好みを狙う必要がある。
どこのチームでもやっていることだし、独創性が出なくなる条件という訳でもない。
「真剣な表情でやる組み体操が見たい、かぁ……これ、“好み”とかじゃないよね」
「ホントだよ。嫌がらせの域に入ってるよね」
呟く椿の横で、奈津が大きくため息を吐いた。
だが、どうにもやりたいことがあるようで、その顔は微妙に綻んでいた。
椿はそれに嫌な予感を感じて、一歩退いていた。魔法使いの“嫌な予感”は、良く当たる。
組み体操は、五人一組で六組、横一列に並ぶ。
そして、端から組み体操を披露して、その総合的な美しさや技術力で得点をつける。
六組がテーマに沿った演技をするとポイントが高いし、六組の色合いのバランスなども見られる。息を合わすのが非常に難しくなるが、三十人で一つの組み体操を見せれば、さらに得点は高くなる。
そこまで真剣にこの競技のルールを定めた学院長なんか、しんでしまえばいいのに……というのが、大半の生徒の共通意見だった。
応龍杯と並ぶ程得点がおいしいので、手を抜く訳にはいかない。
その事実が、うら若き少女達が、羞恥心を箱に詰めて鎖で縛って心の底にに沈める理由となっていた。
奈津と二人でストレッチをしていると、楓が集合の合図をした。
椿は奈津と連れたって、楓の元へ行く。
「さて、それじゃあ組み体操となるんだが――まずは基本的なのを幾つか練習して、それから全体のバランスを整えるのにいい形を考えていこう。自由に五人で組んで見ろ」
楓がそういうと、奈津と一緒にいた椿の元に、応龍杯のメンバーが集まった。
「椿!あたしたちもいいかい?」
「明里!――奈津、彼女たちも一緒で良い?」
大中小といった三人の姿に、奈津は苦笑しながら頷いた。
嬉しそうな椿の様子を見て断ることが出来るはずがない。
それに、きちんと自分の意思を確認してくれたことが、奈津には嬉しかった。
「あたしは大寺門明里だ!よろしくな!」
あっはっはっ。
そう笑いながら挨拶をする明里を見て、奈津は相性の良さを肌で感じていた。
「わたしはフランチェリカ・水戸川。チェリカで良いよ~」
脳天気な感じで名乗るフランチェリカ。
これまた、相性は悪くなそうだ。
「ルナミネス・イクセンリュート。よろしく」
奈津は直感的に思った。
絶対相性が悪い、と。
それはルナミネスとしても同様で、目を合わせようとすらしない。
その態度に顔をが引きつるのを、奈津は一生懸命隠した。ヒーローは、心に余裕を持つべきなのだ。
「僕は佐倉奈津。よろしくね、明里、チェリカ、ルナ」
努めて爽やかな笑顔を作って言ったのだが、ルナミネスには鼻で笑われた。
椿に対する好感度を肌で感じ取ったことも、原因の一つだろう。八割といっても良い。
「基本的な組み体操かー……チェリカはどんなのをやってみたい?」
「えーと……どんなのがあるの?」
椿以外は、全員お嬢様幼稚園、小学校、中学校と通ってきた、生粋のお嬢様だ。
学校の敷居と位が高ければ高い程、組み体操なんかやらない。
お嬢様学院に自分が通っていることなどすっかり忘れていた椿は、こんなところで思い出させられたという事実に、こっそりため息を吐いた。
「えーと……扇、とか。ピラミッド、とか。二人一組なら、サボテンなんかもそうだね」
椿があげていった例に、ルナミネスを除く三人は首をかしげた。
ルナミネスは本からの知識で概要と名称は知っていたが、実際どうすればいいのかはよく解らなかった。
椿は、形の説明をするのに手本となる組はないものかと、ぐるりと周囲を見回した。
だが、そこにあった光景は、とても手本になるものではなかった。
組み体操というよりも、サーカスじみた動き。
一人が腰を掴んで一人を持ち上げる。これを五人で行うことによりタワーを作る。
――――魔法による、身体強化だ。
身体を使って、空中で文字を書く。五画の漢字だ。
――――魔法による、空中浮遊。
その光景を見て、椿はここが魔法学院だったことを思い出した。
組み体操と聞いて思い浮かぶのは、こんなものなのか、と。
「――――で、どうするの?椿」
その困惑の理由に気がついたのは、書物から組み体操の知識を持っていたルナミネスだけだった。ルナミネスは、椿の袖を引いて、どうするのかと問うた。
一般の競技でも、競技用装霊器は用いられる。
当然、使用魔力量の制限もかけられるが、一般競技では応龍杯に比べて制限が狭い。
不必要な探索や、競技に関係のない治癒などが削られている。
網膜投影にしても、表示されるのは制限MPだけだ。
他は特に制限されている訳ではない。
だが、制限MPがあるということは、その範囲内で魔法も使って、組み体操をしなくてはならないと言うことだった。
「椿って、爆発系使えたよね?」
「うん?……使えるけど……?」
奈津は、目を輝かせながら椿に詰め寄った。
「ヒーローの背後は、必ず爆発するんだよ」
奈津が何かやりたそうな顔をしているのは知っていたが、これのことだったのかと頭を抱えた。気持ちはわからないでもないが、それでは奈津のワンマンプレーになってしまう。
そう説得すると、奈津はしぶしぶと引き下がった。
「とりあえず、椿ちゃんがいってたの、何かやってみようよ!」
なかなか方針が定まらずに悩んでいた椿に、フランチェリカが元気よく提案した。
そのフォローを嬉しく思いながら、椿は頷いた。
「そうだね、それなら――扇、でもやってみようか」
「扇かい?よし!それじゃあ、それ、やってみようか!」
明里が大きな声で賛同すると、もとから反対する気も無かったルナミネスも参加する。
奈津は椿の隣りに立って、どんなものかは知らないが、とりあえずポジションを確保していた。そのことに、ルナミネスは再び剣呑な表情をした。
「えーと、バランスを考えると――」
背丈は、高い順に考えると、明里>奈津≧椿>ルナミネス>>フランチェリカだ。
扇のバランスを考えると、真ん中に明里、その左右に奈津と椿、さらに左右にルナミネスとフランチェリカが良いだろう。
そう考えて、椿は早速指示を出した。
奈津とにらみ合っていたルナミネスはそのまま二人で手を繋ぐことになり、椿の隣はフランチェリカとなった。こうして機を逃す様は、レイアと奈津の関係によく似ていた。
椿の指示どおりに動き、横一列に並ぶ。
そして、椿が奈津に頼まれたように背後に爆発する魔法を仕掛けて、一気に身体横に倒した。
――ドンッ
爆音と共に、扇が開く。
背後で起こる真紅の閃光。
その光に照らされる、五人の息のあった“開花”。
使い古されたはずの形は、伝統という歴史を呑み込み見るものを魅了する。
そう、その瞬間。
周囲の生徒達は、確かにその演技に魅入っていた。
「これが――――組み体、操?」
それは誰の呟きだったか。
自分たちが練習していたものも、確かに組み体操だろう。
だが、その機能美を追求した形は、まごう事なき組み“体操”だった。
「……これよ」
金色の長い髪で目を隠した少女が、魅入ったまま呟いた。
彼女は、このクラスの委員長だった。
「これこそが、私たちの求めていた――――“美”だわ」
周囲の生徒も、こくりと頷いた。
魔法を使うのなら、シンプルに。
流麗さよりも強く表すものの名は――――“信頼”だ。
「応龍杯のリーダー……神崎椿。取るに足らない庶民だと思っていたけれど、これは認識を改める必要があるわね」
彼女はそう呟くと、彼女の発想をクラスの演技に取り入れて貰うように、楓に進言しに行った。
楓は「珍しく正統派が居る」程度にしか考えておらず、その提案を軽く了承した。
椿は、まさかこんなことで認められるとは夢にも思わず、ただ扇をして照れていた。
こんなとんでもない評価をされていると知ったら、泡を吹いて倒れるだろう。
そして、後日、この話を聞いて顔を真っ赤にさせて倒れることになるのだが、椿はそのことに気がつくとはなかった――。
†
組み体操の演目が“扇deピラミッド”に決まったことにより、椿はぐったりとしながら演習場へ向かうことになった。
提案者となった椿と、身長の問題で一番上に配置されることになったフランチェリカは、放課後に少しの間だが、委員長に拘束されていたのだ。
奈津はリレーの練習へ向かい、明里とルナミネスは待たせるのも悪いので先に演習場へ行って貰っていた。そのため、椿は今フランチェリカと二人で歩いていた。
ぐったりと歩く椿の横顔を、フランチェリカはそっと見上げた。
椿は、明里だけならまだしも、愛想のないルナミネスまで、すぐに距離を縮めていた。
椿はどこか、人を安心させることが出来る“何か”を感じさせるのだ。
それが何であるかは理解できずとも、悩みをそっと打ち明けても、笑われたりはしないだろうという予感が、フランチェリカの中に芽生えていた。
だから、フランチェリカは椿にそっと心の内を吐露した。
「わたし、ね」
「うん?」
首をかしげる椿に、フランチェリカは言葉を続ける。
「子供っぽいって、よくいわれるんだ」
水戸川の家は、紳士淑女とも言える、大人の雰囲気を持った人間が多い。
家の者も、当然のようにフランチェリカに“大人になること”を強要し続けていた。
「お父様もお母様も、お兄様もお姉様も、弟も妹も、みんなわたしに“大人なれ”って……“恥ずかしい”っていうんだ」
まだ十五歳。
たったの十五歳だというのに、フランチェリカの家族は、彼女にそう言い続けてきた。
弟、妹たちは、自分たちより背の低いフランチェリカに、一片の哀れみを込めて。
「わたしは、自分がこうありたいから、こうやって過ごしてる」
家族への反発心がないといったら嘘になる。
けれど、彼女が天真爛漫に過ごしているのは、彼女が“自分を偽りたくない”と、真摯に考えているからだった。
「子供っぽいって――――そんなにいけないことなのかなぁ」
消え入りそうな声。
フランチェリカは、自信がなくなってきているのだ。
自分がこうして、自分をさらけ出して生きていることが――――あの家に生まれたものにとって“罪”であり“悪”なのではないかと。
だから、例えどんな答えが返ってこようと、笑わないで聞いてくれればそれで良かった。
それで――――如何なる結果に落ち着いても、決意することは出来る。
「私は、チェリカは子供とか大人とか、そういうのとは、少し違うと思うな」
「……なにが?」
予想とは違う答えに、フランチェリカは怪訝そうに眉をひそめた。
「元気に笑っているっていうのは、すごくチェリカ“らしい”と思うんだ」
「――それって、子供っぽいのが、わたしらしいって事をいってるの?」
今度は、やや不機嫌になる。
子供っぽいと言われたい訳ではないのだ。
ただ、ありのままの自分を出している。それだけなのだから。
「違うよ――――」
何が違うのか解らず、ただただ首をかしげる。
椿は腰を屈めると、フランチェリカの目を、平等な視線で覗き込んだ。
その顔には、優しい笑顔が浮かんでいた。
「向日葵みたいに元気に笑っているほうが、チェリカらしくて」
一区切りすると、椿はいっそう力強く、フランチェリカの目を覗き込む。
「ずぅーっと“素敵”だってことだよ」
「ふぇっ?」
その目と笑顔に呑み込まれるように、フランチェリカは息を呑んだ。
そんな風に褒められたことは初めてで、その事実がフランチェリカの顔に熱を持たせた。
「あ、ぅ……あ、ありが、とう」
目を泳がせながらも、漸くその言葉だけふり絞った。
そして、散々混乱した後に、漸くいつもの笑顔に戻った。その顔は、まだ少しだけ赤い。
「ありがとう」
「どういたしまして」
再びフランチェリカの横に並ぶ。
フランチェリカはそんな椿の様子に、嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ……つーちゃんって、よんでもいい?」
「うん?……ふふ、いいよ。チェリカ」
「っ――――うんっ!」
許可を貰うと、チェリカは先ほど椿が言ったように、向日葵のような笑顔で頷いた。
フランチェリカは、そのまま椿の手を握って歩く。
長い道のりではなかったことを残念に思いながらも、演習場の入り口で、応龍杯のメンバーのことを思い描けた。
「他のみんなとも、仲良くなれるのかなぁ?」
「なれるよ」
ほんの小さな呟きだったのに、椿はしっかり聞き取っていた。
そのことが嬉しくて、フランチェリカは“えへへ”とはにかんだ。
「それじゃ、いこっか?つーちゃ………………危ない!」
背が低いため、見上げる形になる。
だから、椿の頭上に何かが振ってきたことに、気がついた。
「っ!」
椿はその叫びに、反射的に飛んだ。
フランチェリカも、それに合わせて飛ぶ。
フランチェリカはなんとか間に合ったが、椿は一歩、間に合わなかった。
――ザンッ
「つぅっ!?」
「つーちゃん!」
空から振ってきたのは、剣型の競技用装霊器だった。
それが演習場の上の方の階から振ってきて、避けた椿の背中を切り裂いたのだ。
右肩寄りに切り裂かれ、鮮血が舞う。髪の毛はほとんど巻き込まれなかったことは、不幸中の幸いだったと、椿は混乱する頭で考えた。
滴る血液が、ジャージをじわじわと染めていく。
よほど高い階から落ちてきたせいか、剣は地面に深々と突き刺さっていた。
「つーちゃん、今、誰か呼んでくるから!」
「う、ん……おねが、い」
頭に響くような鋭い痛みと、肩に感じる高熱。
膝をついて、痛みで潤う目元を拭いもせず、気は失わないように耐える。
そして、どうにか、上を見上げた。
演習場の施設、その上。
椿は見えないと解っていても、確認せずにはいられなかった。
首を向ける度に、しびれるような刺激が肩から首を通り抜けて、脳に痛みを訴える。
痛みから来る吐き気と頭痛に耐えながら見据えた、その先。
椿は、その先に、黒く淀んだ何かを見た――そんな気がした。
高く離れすぎて見えないはずなのに“見えた”その淀みを忘れないように。
それだけを考えながら、椿はゆっくりと気を失った――。
遠くで、声が聞こえる。
†
研究室で、慎二郎は鼻を鳴らした。
リンクしていた視界を解除して、大きく背もたれによりかかる。
「失敗だが――そう、悪くないか」
視界を通して見た、鮮血。
使ったのは意志もない邪霊だが、こういった作業をするのは楽だ。
指示に従うときに、余分な思考が混ざらない。
「死にはしないだろうな。後遺症も、あの医者が居ては残らないだろう」
失敗したというのに、慎二郎の顔には戸惑いも不安もなかった。
ただ、暗い闇が、ぼんやりと身体を包んでいた。
「だが、いい。この力があれば、片付けるのも容易だ」
慎二郎を包み込む闇が、濃度を増していく。
その闇は、だんだんと研究室を覆っていった。
「くふっ」
耐えきれなかった。
そう思わせるような、淀んだ嗤い。
「ふっははははっ……くはははははっ!」
腹を抱えて笑い出す。
狂人のようなその笑いを止められる者は、そこにはいない。
だが、慎二郎は、まるで誰かに怒られたかのように、その動きを止めた。
「わかっています。はい」
一言、そう呟くと、身体を起こす。
一瞬無表情になったが、すぐにその顔が醜く歪む。
「大丈夫、大丈夫、だいじょうぶっ……くふっ……わかっているよ、慎二郎」
狂気が、慎二郎にまとわりつき、侵していく。
「でも、最後にあの女――私を“見た”?」
狂気を纏ったまま、訝しげに呟く。
だが、そんなことはあり得ない、と頭を振った。
最上階から落としたのだ。人間の視界で、見られるはずがない。
「あぁ、あぁそうさ、心配はいらない。いらないん、だ」
慎二郎は周囲に充満する狂気と闇を全て身体に呑み込むと、何事もなかったかのように立ち上がった。
「職員会議、か。まぁいい、お仕事は、しないといけませんからねぇ」
そう零すその横顔は、ただの人間のものだった――――。
今回、次回と短いです。
応龍祭編を終えると、一章の完結へ一直線になります。
それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。