対立する 2
私と夕陽はふたりで、県立図書館に来ていた。私達は時たまこうやって、ふたりで本を仕入れに来る。学生というのはいつの時代も金欠なのだ、だから、本をなかなか購入することはできない。特に単行本となると……、全く手の届かない場所にある。本を読むことは良い事であるという価値観が浸透しているお陰で多少は融通を聞いて親に買ってもらえることもあるけれど、それにも限度がある。そういう訳で、私達は仲良く図書館に本を借りに来るという訳だ。
すこし暗い室内に整然と立ち並ぶ本棚の群れ、その間を時たま行き交う図書館司書。図書館は良い、心が落ち着く、静かで薄暗くて時間がゆっくりと流れている、その中に膨大な情報の束が折り重って眠っている。
この図書館には勉強用のスペースは用意されていない。汗の滴る、夏休みの真っ只中、平日の昼過ぎ12時半、こんなときにこんな場所にいるのは暇を持て余して将棋の本なんかを眺める老人か本の虫だけだった。
私は折り重なった地層の奥底で見つけた、大きな本を夢中で読んでいた。読み耽っていた。夕陽と一緒に来ていたことも忘れて、2時間?いや、3時間ほどだろうか、それとももっと?時間も忘れてページを捲っていた。
一区切り付いたところで、本からふと顔を上げると私を静かに見つめている夕陽と目があった。
夕陽は、飽きもせず私が本を読むのを眺めていたようだ。
「その本、面白いの?」
私の頭の中で、その内容を思い出す。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ、Mk.I戦車、カール・シュミット、縦深突破戦術、塹壕戦、後醍醐天皇、マクシミリアン・ロベスピエール、バグラチオン作戦、執権北条氏、北条得宗家、山岳派、パッシェンデール、ミハイル・トゥハチェフスキー、メシヌの戦い、東勝寺合戦、新田義貞、ナポレオン・ボナパルト、絶対戦争、国家総力戦、連綿、飽くことなく続けられてきた、戦争と暴力の歴史。ひたすらに羅列される流血の中に私はいた。
それは、面白いというにはあまりにもリアルな現実だった。私は言葉に詰まる。それを面白いと表現すべきか迷う。
けれど、私は、息を整えてはっきりと答えた。
「うん、面白いよ。」
私はそこにある情報も消化する。私は喰べる。それは、その切実な意味を理解してもなお、私の快楽としてそこにあった。私はそれを喰べる。喰べ尽くす。
夕陽は、面白いものを見つけたという顔で私を覗き込む。
「でも、すごい、しかめっ面で読んでたよ。」
「可愛くない顔でごめんなさいね。」
「んーん、可愛いしかめっ面だったよ。」
私はフンッと鼻を鳴らす。
「ところで、夕陽は借りる本決まったの?」
「うん、この前、話してて、読み返したくなったの、アンチ・オイディプス。」
「あーね、新訳版、最近出たってね?」
「そうそう、新しい方にしてみた。」
「それだけ?」
「これだけだけど、なんで?」
「そんなのばっかり読んでると疲れちゃうよ、やっぱり息抜きになる本も必要だよ。」
私はそう言って、無理矢理に神林長平の七胴落としを夕陽の手に捩じ込んだ。
借りる本が決まった私達は、家に帰ろうとしていた。すると、突然、夕陽が立ち止まる。
夕陽がこちらを向いて、伏し目がちに言葉を紡ぐ。
「ねえ、紫澄、行きたい喫茶店があるんだけど、美味しいケーキがあるんだけど、明日一緒にどう?」
私は答える。
「うん、もちろん。」
私は夕陽の手の中にあるものを考える、アンチ・オイディプスとはなにか。
アンチ・オイディプス、そこに描かれているのは意味からの無限の逃避、逃走線。精神分析、キリスト教、資本主義、それらオイディプス的な構造への徹底的な抵抗。
欲望機械、接続と切断を繰り返す意味の本流。どこまでも流れ続け、変容し続ける機械。器官なき身体、全てに接続される可能性。分裂症、欲望する機械はそれを規定する意味、オイディプスとそこからの逃走線によって引き裂かれる。脱コード、意味からの逃走。超コード、逃走した意味を国家・資本主義は意味を解体し再登録し、領土化する。脱領土化、欲望する機械として無限の流動という世界に、自己を開き接続し続ける終わりなき運動。
アンチ・オイディプス、それは、抑圧しようとするすべての意志と意味への絶対的な拒絶だ。それは、意味で塗り潰す暴力からの逃避。
アンチ・オイディプス、それは、生々流転する終わることなき理想郷としての欲望機械を描写する、けれど、その根源にあるのはいつも私という身体だ。
翌日、私達は喫茶店、「星霜樹」に来ていた。
私達は切ないまでに甘酸っぱい、真紅の宝石のように美しい、ラズベリーのケーキと少し濃い目のセイロンのミルクティーを堪能していた。そして、その横には当然のように、昨日借りたそれぞれの本が置いてある。
私は甘酸っぱさを口いっぱいで堪能しながら、夕陽に話しかける。
「アンチ・オイディプス、最初はまったく意味がわからないのに、読んでるうちにどんどん、意味がわかってくるのすごいよね。でも、こんなリリックたっぷりに哲学しなくてもってのは、やっぱり思っちゃうよね。」
「うん、わかる。でも、それ自体が脱領土化の実践だって言われると、何も言えなくなっちゃうよね。」
私は少し笑いながら答える。
「そうなんだよね、でも、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはなんでそんなことをしないといけなかったんだろう?アンチ・オイディプス自体がオイディプスとなることを恐れた?」
「そうかもしれない、私達は身体性を拒否することができない。欲望する機械といくら言ったところで、それが現実に生きる私達に接続される以上はその主体的意識、自我を棄却することはできない。アンチ・オイディプスが自己を求める以上は死は終端として必ず、立ち現れる。」
「アンチ・オイディプスで語られてる思想って、仏教にも似てるよね。でも、仏教が世界という統一的な主体にひとつの主体に溶けていくのに対して、アンチ・オイディプスは自己を規定しないが自己を手放さない。」
夕陽は、私の顔を真剣に見つめ、静かに次の言葉を見つけた。
「死は欲望機械の終端だが、アンチ・オイディプスはそれすらも逃避線に回収する。このとき、無限の接続と生成という欲望する機械の理想は潰え、それ自体がコードとして領土化される。ここにおいては、アンチ・オイディプス自身がオイディプス的機構として立ち上がる。」
「そうだね、無限に繰り返される逃避と位相の転換は、欲望機械のあり方として、確かにひとつの理想と言えるものかもしれないけれど、それは、過去の意味から逃避し続けるある種、動物的な運動にも思える。向き合うことが必要な正当な問題に対して、どのように向き合うべきか。この、ラズベリーのケーキの甘酸っぱさを口いっぱいに堪能する身体を持つ私達はやっぱり、向き合わなきゃいけないなにかがあるよね。」
私はセイロンティーで甘酸っぱさを包み込む。そして、また、本を開く。
私の頭の中には、これまで食べてきた本が物語が、語り合ってきた言葉の群れが、膨大な情報の束が折り重って眠っている。
過剰なまでの情報が私の頭の中で蠢き続けている。
意味を積み重ね、意味を保持しながらに無力化し、自己によって絶え間なく更新し続ける。私は、確かにここにいる。
それでもなお、それでもなおと語り続ける、関係性を外に開き、言葉で繋がり続けようとする意志そのものが、物語であると、そう思った。




