対立する 1
流血を厭うものはこれを厭わぬものによって必ず征服される。その言葉はカール・フォン・クラウゼヴィッツが戦争論の中で記した最も重要な一節だ。また、クラウゼヴィッツは、こうも記す。戦争とは我々の意志を敵に強制するための暴力行為である、と。
クラウゼヴィッツの戦争論は難解な書物だ。その難解さはその内容の哲学的な複雑さ、高度さと同時にその本、自体が著者によって完成されなかったことを原因とする。けれど、この本はナポレオン戦争後のすべての近代軍事研究の端緒として最も大きな影響力と存在感を有している。近代軍事研究の背後には常にその存在が見え隠れしている。
クラウゼヴィッツの戦争論は、クラウゼヴィッツが書き上げる前に亡くなってしまったために、既に完成していた幾つかの章以外は、膨大なメモの束をもとにして、クラウゼヴィッツの妻であったマリー・フォン・ブリュールがなんとか形にしものだ。それは、不完全なものだった、だから、そこに書かれている意味は如何様にも取り得るものでもあった。
クラウゼヴィッツの有名な一節に戦争とは他の手段をもってする政治の継続であるという言葉がある。けれど、私はそれが、戦争をそうあるべきと規定する、あるいはそうあるものではないと考察の対象として意味がなくなるというクラウゼヴィッツの現実認識の表れであると考える。無秩序な暴力は存在する、けれど、そこに政治は存在しなくなる。
クラウゼヴィッツは意図的に戦争を政治に接続し、その中で制御可能なものとして扱おうとしたのだと私は考える。あるいは、その枠組みの中にある暴力しか語る意味のないものだと考えたのかもしれない。
けれど、現実は正規軍同士の闘争のみで完結することを許してはくれない。パルチザン、ゲリラ戦、民兵、革命、デモ、暴動、テロリズム。根源的な意志の衝突である暴力に留まるところはない。そして、それを政治という言葉の通じる場に繋ぎ止めておくこともできない。
流血を厭うものはこれを厭わぬものによって必ず征服される。この言葉は、言葉のなくなった世界で最も根源的原理として私達の脳天に突きつけられる。振り解くことのできない、最初で最後の言葉だ。
私は本を読んでいた。
1914年、第一次世界大戦、西部戦線。無限に続くかと思われた塹壕戦の話だ。ソンム、パッシェンデール、ヴェルダン、血と泥にまみれた激戦が羅列されていく、淡々と。計画と実行、そして、膨大な流血を伴って、戦いは塹壕に引き戻される。何度も何度も繰り返される。延々と続く砲撃と塹壕掘り、そして、つかの間の侵攻作戦と失敗。飽くことなく繰り返される、それは、なんというのだろう?無意味に世界が駆動している。
気付くと、膠着していた西部戦線は、ロシア革命の余波でロシアがドイツと講和を結び東部戦線が決着したことで、一気に動こうとしていた。ドイツの春季攻勢が始まる。
私は本を読んでいた。
元弘の乱。南朝方、後醍醐天皇に呼応して挙兵した、足利尊氏はわずか24日の間に、源頼朝から150年続く武家政権である鎌倉幕府を滅ぼした。鎌倉幕府の実権を握っていた執権北条守時らは鎌倉の戦いで戦死する。生き残った一族郎党870名は北条家菩提寺の葛西ケ谷東勝寺にて壮絶な自刃を遂げた。
どこかでなにかが崩れた。いつ、どこで、なにが変わったのだろう?わからないままに世界は進んでいく。気づかないままに私は選択する。
足利尊氏は北条家の遺児である北条高時を殺し、直臣であった高師直・高師泰は惨殺され、弟である足利直義と剣を交え、実の子である足利直冬と戦う。
なにかが壊れている。なにものにも制御できない論理がある。選び取ることのできない選択肢が目の前に転がっている。
私は本を読んでいた。
戦車の実戦投入は第一次世界大戦、1916年9月15日ソンムの戦い第3次攻勢を始めとする。このとき投入された戦車はMk.I戦車と言いタンクと呼称された。輸送時のトラブルや移動中の故障などにより50両を投入する予定だったが実戦で稼働できた戦車は18両であった。機動力と運動性に難があり一定の目的は達したものの成果は限定的なものであった。
タンクは翌1917年11月20日より開始されたイギリス軍攻勢作戦であるカンブレーの戦いで再度投入されることになる。このとき投入されたのはマークIV戦車400両であった。カンブレーの戦いにおいてIV戦車は独軍塹壕戦に大規模な穴を開けることに成功する。戦車の活躍によりヒンデンブルク線の突破に成功する。1日で最大8kmも進軍し、4200名の捕虜と、100門の大砲を鹵獲する活躍をする。しかし、独軍の組織的反撃と故障や行動不能によって多くの戦車が破壊、使用不能のまま放置されることになった。また、独軍の反撃により独軍失地の殆どが奪還されることとなる。課題も残ったが戦車の大きな可能性が示めされる戦いとなった。
戦車の登場により火砲と塹壕線によって膠着しきった戦場に少しつづ、機動の余地が生まれつつあった。
戦争は常に変わり続ける。自らの意志で世界を塗り潰すために。
私は本を読んでいた。
第二次世界大戦においてはソビエトはPU-44ドクトリン、縦深突破戦術という答えを手にした。その圧倒的な物量と火力、連動した運動を支える準備が整ったのは1944年のことだった。
そのドクトリンは、広大な突破口を作り出すことを目指し、全縦深同時制圧と作戦機動群、作戦術という3つの概念に象徴される。簡単に説明しよう。
まず突破部隊の第一波が10kmくらいの大型突破口を複数形成し、それを連結させるこれが、60kmくらいとなる。次に突破部隊の第二波が突破口をさらに拡大させ、120kmほどに広げる。こうして、突破口を十分すぎるほど広げると、続いて長距離を単独行動が可能な諸兵科連合の作戦機動群が敵防御縦深を一気に突破し、戦線の完全崩壊を目指すというものだ。
縦深突破戦術は、突破口両肩に防衛拠点が形成されるのを必然的に不可能とし、まともな戦力をかき集めて対抗しようとしても、その準備が整う前に完全に粉砕するというものだ。
それは意志を持たない暴力という巨大なシステムだった。
独ソ戦開始からちょうど3年目に当たる1944年6月22日に実行されたバグラチオン作戦において縦深突破戦術はドイツ本軍を蹂躙し、戦局を決定付けた。
クラウゼヴィッツはプロイセンの軍人だった。彼の研究はナポレオンから始まった。ナポレオン・ボナパルト、彼は近代戦争の放つ濃厚な死の匂いと同じものを纏って歴史に現れた。
市民軍を組織し、独裁体制のもとに強靭な軍事帝国を築いたナポレオンは、戦争の原理を書き換えた。フランス革命はブルボン朝による絶対王政を打倒し、共和制を樹立するための戦いだった。けれど、その後の混乱の先にいたのはナポレオンだった。
ナポレオンは国家を自己のもとに統合し、国家を一つのイデオロギーのもとに統制した。彼は国家だった。彼は自由というイデオロギーだった。市民軍もまた自由だった。異なるイデオロギーを打倒するための暴力装置として欧州大陸にそれは現れた。
カール・シュミットは政治的なものの概念のなかで敵性を規定することが政治的であることの要件であると言った。ナポレオンという国家は敵を見つけた。そして、その闘争は彼が死ぬまで終わることはなかった。
クラウゼヴィッツは戦争とは他の手段をもってする政治の継続であると言った。けれど、ナポレオンは政治そのものを戦争行為とした。その闘争の終わりは一方が一方の意志を完全に破壊するまで終わらないものだった。
クラウゼヴィッツの戦争を政治に従属させようという意志は何度も砕かれながらも、静かに息づいていると私は思っている。ナポレオン以後、戦争と政治とは常にその位置を争い続けていた。けれど、結局、物理的な暴力は言葉を殺す。政治は暴力の前に屈服する。夥しい流血は、喪われた犠牲の上にさらなる犠牲を要求する。膨大な流血の上にあるのは流血を厭うものはこれを厭わぬものによって必ず征服される、という変わることのない言葉だけだ。
国家総力戦では、国家に統合されたひとつのイデオロギーが国民の意志となる。国家総力戦、そこには純粋な2つの意志があった。それは、絶対戦争だった。
本からふと顔を上げると私を静かに見つめている夕陽と目があった。