閑話 川遊び
秋華が夏を満喫しなければいけないと力強く、宣言する。
はい、りょーかいと、適当に相槌をうっただけだったのだが、恐ろしいことに次の日には段取りが決まっており、翌週の土曜日の川遊びをするという予定が組まれていた。
そういう訳で、うだるような暑さと脳内をかき混ぜるようなクマゼミの鳴き声を背に私と夕陽は、川遊びに駆り出されていた。
この川遊びは、奥さんには日頃の疲れを癒やしてゆっくりしてもらって、自分たちが子どもの面倒を見ておくという建前のもとに、3人の父親たちが集まってBBQで少し高い肉をつまみにしながら、ビール飲んで、日頃の愚痴を言い合う行事になったようだ。3人とも同じIT系の業種に努めてることもあってか、こうやって集まることも多いらしい。
車で水着に着替えて二人に合流すると、秋華がすかさず茶々を入れてくる。
「あら、どうしたの~、そんな可愛い水着着ちゃって。馬子にも衣装とはこのことだね。
そういう秋華はスクール水着で仁王立ちしている。
私はそれを無視して、一瞥する。これも、秋華に仕組まれたことらしい。どうやら、母親に私の可愛い水着が見たいと吹き込んでその気にさせたようだ。そのせいで、昨日は買い物にいくから付き合ってと母親に連れ出されたと思ったら、あれやこれやと着せ替え人形のごとく水着を着せられて存分に楽しまれてしまった。最終的にオレンジのフリルの付いたセパレートの可愛いやつになった。
お父さんがちゃんと日焼け止め塗っとけよーと、私に手渡してくる。
「秋華、めんどいから日焼け止め塗って」
「はいはい、仕方ないないー、もう、手が掛かるんだから、お肌は大事だからねー。」
そう、言いながら秋華はとんでもない量の日焼け止めを塗りたくってくる。
そんな私達を日陰で涼みながら夕陽がにやにや眺めている。今日は1日、ゆったりと涼んで過ごす腹積もりらしい。
準備が整った私達を連れて秋華が川に向かっていく。
お父さんが後ろから叫んでくる。
「焼きそば作っとくから昼には戻ってこいよー。あと、遠くに行きすぎるなよー。お前はいつも家でゴロゴロしてるんだから、気を付けて遊んでこいよ。あとなー、」
と、止まらなくなったのか次々と小言が出てくる。
「もう、わかったから、ばいばい!」
そう言って、私は二人と一緒に走っていく。
振り返ると、お父さん達は遠くでビールを掲げて乾杯をしている。
人も多すぎず、川もあまり深くなく、流れも少ないちょうどいい場所を見つけた私達はそこで遊ぶことにした。夕陽は早々に浮き輪に身を預けてぷかぷかと浮いて、虚空を見つめている。秋華は泳ぐのに夢中なようで、こっちのことは気にしてなさそうだ。私は安心して日陰に座り込んでで足だけ水につけて横になって空を眺めていた。
少しウトウトしてると夕陽のキャッという悲鳴が聞こえた。目を開いて、体を持ち上げて声の方を見ると、秋華に水を掛けられて足をバタバタさせている夕陽が見える。私は標的がこちらに向かないように静かに元の位置に戻って、平穏な時間を満喫することにした。
が、やはりそういう訳には行かなかったようだ。大量の水を浴びせ掛けられて身を起こすと、どういうわけか秋華と夕陽が仲間になっていて、ふたりに集中砲火を浴びた。
こんにゃろと言いながら秋華に反撃を加えるが、馬鹿みたいに元気な彼女に敵うはずもなく降参することになった。どうやら、降参したら配下にされるシステムらしい。あえなく、私も夕陽も秋華の配下になってしまったらしい。
「あそこまで泳ぐよー。」
従うしかない私たちは、顔を見合わせて苦笑しながら、秋華の後ろに付いて泳いでいく。どうやら、私達に秋華を満足させる以外の選択肢はないようだ。
流石に遊び疲れたのか静かになった秋華と挟んで私達は、日陰で涼んでいた。
「やっぱり、海より川よね。」
「じゃあ、今度は海も行こうね!」
夕陽の呟きに対して、秋華が元気よく答える。
余計なことを言うなと夕陽を睨もうと顔を向けると、絶望した顔の夕陽が助けを求める目で私を見つめていた。
「海はベタつくし、クラゲもいるから、海はちょっとなー。」
そう私が頑張って流れを断ち切ろうとする。
「じゃあ、プールにする?」
どこかに行くことはもう確定しているらしい。海よりプールが楽だと判断して、私は夕陽に目配せして、これで妥協するしかないと合図を送る。
「うん、プールならいいよ。」
「やったー、じゃあ、海とプールだね!」
こちらの気を知ってか知らずか、いや、絶対わかっている……。純粋無垢なキラキラした瞳を私達に向けて、秋華は更に行き先を増やしてくる。
戦いに敗けて、配下にされた私達に彼女を止める術はもうないのかもしれない。
だが、可能性が少しでもあるならば、突き上げたこの拳を決して下ろすわけにはいかない。
「秋華は夏休みの宿題はどのくらい進んでるの?遊んであげたいのはやまやまだけど、宿題が溜まってるなら付き合えないなー。」
それを聞いて、すごく嫌なものを見たような顔をした秋華がふてくされたように答える。
「じゃあ、紫澄も宿題、手伝ってよ。」
私はまた道を間違えてしまったのかもしれない、これではただ夏休みの予定が無限に増えていくだけだ。まあ、勉強を教えるくらいなら、別にいいのだけれど。
だが、これはチャンスかも知れない。
「いいよ、その代わり、海は来年にでもしていただけると、うれしいな。」
秋華はまだ、ふてくされているらしい。
「ふーん、一緒に海行くのそんなに嫌なんだ。」
交渉どころではない、まずは機嫌をなおさなければ何が起こるかわかったものじゃない。
と、そんな話をしてると先ほどまで絶望した顔した夕陽が、さも面白いことがあったように私達を楽しそうに見つめている。
「そんなことないよ!ちょっと、海ダルいなって!でも、たまには良いかもね!」
「え?!ほんと?!じゃあ、海行ってプール行って、紫澄と夕陽で勉強教えてくれるの?!?!」
適当に機嫌を直そうと私の言葉を待ってましたとばかりに秋華が畳み掛けてくる。
横を見ると先ほどあんなに楽しそうだった夕陽が、浮き輪に身を投げて、思考を停止して川の流れのままに流されていっていた。
私は夕陽を回収して、浅瀬に座礁させたあと、すかさず秋華の脇の下をくすぐって攻撃する。
勝利を目前にしたその刹那、秋華は身体を捻って抜け出した。攻守は交代し、私は冷たい水辺で笑い転げる羽目になった。
秋華は今度は川の魚に夢中になってるらしい。私と夕陽はふたりで浮き輪でぷかぷかと揺られながら魚を一生懸命、追いかけている秋華を眺めている。
「でも、川って来てみるとやっぱりいいよね。落ち着く。」
「そうだねえ、こうやって日がな一日、浮き輪でぷかぷかしてるのは悪くないかもなあ。」
私がしみじみとしながら答える。
「こうやってぷかぷかしながら本読んでたら幸せかも。」
「わかる。ここで読むならなんの本が良いかな。」
「川だけど三島由紀夫の潮騒とか良いかも。紫澄は?」
「しっぶ~。えーっと私はね、ライ麦畑は違うかなー、夜間飛行もなんかちがうな、うーん、司馬遼太郎の義経とか読みたいかも」
「なるほどね、いいところ攻めるね」
顔を上げると、秋華がこっちを見ておなかすいたーと叫んでいる。荷物と一緒に岩の上に置いてある腕時計をみたらもう昼ごろだった。
「もう、お昼だから帰ろっか、焼きそば作って待ってるってよ!」
私がそう叫びかえすと、秋華は、うん!わかった!と笑顔で走ってくる。