閑話 向日葵
青く高い空の下、暑い日差しが照りつける。空気は乾いていて、眼前に広がる向日葵は一様に天を見つめていた。極彩色に煌めく黄色の生命が、生きるという論理を鮮烈に示している。向日葵は夏そのものだ。光だけを見つめ、進み続ける。意志は既に理解されており、意志は思考を不要とし、既に行動は完了している。在るということがある、生きるというのはそういうものだ。生きている強い光が私の目に焼き付いていた。
麦わら帽子を被った白いワンピースの秋華がこちらへ走ってくる。それは、まるで向日葵のようだった。
私は自分のことを振り返って苦笑する。生きるということはそんなにも苛烈なものなのだろうか?私は生きているのだろうかと。
身体と精神と思考、それらは生きるということの別の位相に過ぎないのかもしれない。生きるということの中を往還していく流れ。思考の先に身体があり、精神の中に思考は宿る。身体は積み重ねられた精神の表現型だ。私も目に焼き付いて離れない、その光と大して違わないのかもしれない。
遠くに見える秋華に向かって私は走っていた。
秋華、彼女は不思議だ。彼女といっしょにいる私も不思議だ。
関係性とは如何によって生じるのだろうか?あるいは継続するのだろうか?
変化する2つの存在がひとつの方向に進んでいることを関係性というのだと私は考える。
一方が一方に対して支配的な力を有する関係性というのは、片方の意志が反映されたものでしかなく、そこにあるのは関係性ではない。社会的力学というものによって力の勾配が生じたとしても、関係性が結ばれそれらが共に一つの方向へと駆動するのは、合意形成された意志の結果だ。
人々はそれぞれに異なる意志を持つ。異なる意志、それは主観の累積によって紡がれた世界に対する独自の解釈だ。人は異なる世界を生きている。それは人が異なる身体を持ち、異なる場所に在り、それぞれの人生をいきるからだ。
同じ、今を生き、同じ未来を見るとき、そこに必要なのは同じ過去を見ることと思う。それは異なる存在であり異なる主観の中にある私達が、共有する今によって過去を組み替えて、意味付け解釈していくということだ。共有可能な今によって過去を同じ地平線上に結び付け、認識可能な共通の未来をみつめる。
私を通してあなたを見る目は、あなたを通して私を見る目となった。
秋華が私の手を取る。
彼女と初めて出会ったのはいつだったろうか?ずっと昔に感じる。
お喋りが好きな彼女と話した記憶はあまりない。いつも私は彼女の手に引かれて走っていた、そんな気がする。ふと気付くと、私の手を取る秋華がいた。彼女はそれを当然のことと、私の手を引く。私はそれを当たり前のことと一緒に走っている。
それが当然じゃなかったのはいつの頃だったろうか、私はひとりで、それが当然のことだと思っていた。私はひとりでも、本を開けばそこには別の世界があって、私はひとりではなかった。けれど、それは変化する世界ではなかった。変わりゆく関係性ではなかった。変わるのはそれを目にしている私だけだった。
彼女は私に話し掛けてきた訳では無い、彼女はただ私をみていた。私が本を読んでいる横に彼女はいた。手の中にある物語が私の中に閉じていたとき、それは変わらない意味だった。けれど、顔を上げたその先に彼女がいたとき、そこには別の意味が生まれたように思う。私が読む物語が私を通して彼女に繋がったように、そんな風に感じた。
繋がった物語は彼女の目を通してまた別のものに変わっていく。あまり、本を読まないであろう彼女に私はその本を薦めていた。その時、私が読んでいたのは司政官の中に収録されている炎と花びらという短編だった。
握った掌は汗ばんでいて、私達は顔を見合わせながら苦笑する。
「汗かいちゃったね」
「たまには夏っぽいことをするのも悪くはないね」
「えー、いつもしようよ」
「考えとくね」
そう言った、私の手を秋華がブンブン振り回している。この回答では希望には沿えなかったようだ。
「ところで、なんで急に向日葵、見たくなったの?」
「夏だから!」
「確かに、一番、夏って感じするかも」
「いや、一番は私だよ!」
「さいですか。秋華は夏の季語として覚えておくね。」
向日葵以上に夏を感じさせてくれる秋華には恐れいるばかりである。
「向日葵好きなんだっけ?」
「好きだよ、なんていうか可愛いとか綺麗って素直に言えないとこになんとも言えない良さを感じるんだよね」
「まあ、それはわかるけど……、なるほど、そういうところが秋華に似てるのか。」
一人で納得している私の手を秋華がまたブンブンと振り回して文句を言っている。
「紫澄はそうやっていつも意地悪ばかり言う、もう一緒に向日葵見に来てあげないんだからね!」
「それは困るなー、そうだ、ラムネでも飲む?」
「飲む!」
「秋華のご機嫌取りは簡単で助かるよ」
そう言いながらラムネ瓶を開けて手渡すと、秋華は嬉しそうにごくごくと半分くらい飲んだ。
「はい、紫澄も飲んでいいよ」
「ん、ありがと」
そもそも私が買ったラムネなのだが、まあ、こういうのはわるくないもので、私はうやうやしくそれを受け取った。私の手のひらでラムネ瓶の中のビー玉が転がってきらりとまたたいた。
秋華が手を離して、私の目を見つめていた。
「向日葵はね、私じゃないの。向日葵はね紫澄なの。だから、いっしょに見に来たかったの。」
炎と花びら、それは紫澄が私に貸してくれた本だ。図書館にいた紫澄が読んでいたその本はどうやら、借りた本ではなく自分の本だったらしい。読んでる途中にも関わらず、紫澄はその本を私に手渡してきた。今思い返してもそこまで強引な紫澄を見たのはその時くらいだったかもしれない。
初めて会ったばかりなのに、私は紫澄に惹かれていた。それは、きっと、本を見つめる深く澄み渡る青色の真剣な眼差しと、ふと顔を上げたときの私に向けられた太陽みたいな輝きのせいだ。私はそれが忘れられなかった、凪のように静かな水面に強い光が差し込む瞬間を。彼女の中にある感情と思考とがないまぜになって言葉に出来ないままに溢れ出してくるその時が私は好きだった。
私の手を取ってくれているのは、紫澄の方だ。いつもそこに紫澄がいてくれる。
私が離した手を紫澄がしっかりと掴んだ。その手はなによりも暖かかった。
私達の周りには大きな空の下にめいいっぱいに手を広げた向日葵が咲き誇っていた。それは、ただひたすらに前だけを見つめている。その内にあるものをしっかりと抱きしめて。その黄色の花は太陽に負けることなく、輝いて見えた。それは美しく強い、なによりも澄んだ光だった。
紫澄が小さく笑って、答える。
「向日葵はね、いつも太陽の方を向いてるんだって。」




