第二十九話 朝の川辺
第二十九話 朝の川辺
「はあ……」緑色の瞳をした少年・佐藤卯人は、血のついた綿棒と軟膏を片付け、携帯用の救急箱をそっと閉じた。
彼は西田グループの令嬢――黒髪の少女・西田午原に依頼され、目の前の茶髪の少女・鬼塚申野の包帯交換に来ていた。
この専門的な医療材料が詰まった救急箱自体も、午原が提供したものだ。
卯人は箱を手に取り、公園の冷たい地面から立ち上がる。
「絶対、絶対に傷口を掻いちゃダメだよ、わかったね!」彼は鬼塚に向き直り、声を張り上げ医者としての厳しさを込めて言う。
鬼塚の右腿には、ひどい火傷の痕が残っている。
数日前、燃えさかる丸太が当たったのが原因らしい。
そして今日は、負傷から四日目。──傷口が猛烈に痒み始める頃合いだ。
卯人は、彼女が病院に行くのを極端に嫌がっていると聞いていた。
だからこそ、西田家の令嬢が、毎朝のように公園で彼に傷の手当てを頼んでいるのだ。
(でも……西田グループの傘下にはあれだけ一流の医者がいるのに、なぜ僕みたいな学生を?)この疑問が常に卯人の頭を離れない。
「うるさいわ」鬼塚は意に介さないまま、プリンの温かい毛を揉み続け、顔を上げようともしなかった。
「包帯の上からなら掻いてもいいでしょ?」明らかに、卯人の注意など気にも留めていない。
「包帯の上からもダメ!」卯人は思わず飛び上がりそうになる。
これほど重度の火傷を直接扱えるのは貴重な経験だが、この患者には傷の手当てを真面目に受けようという自覚が、まるでないのだ!
鬼塚は立ち上がり、軽く伸びをした。
その動作の中で、白い鎖がゆったりとしたトレーニングパンツのポケットから滑り出し、朝日に照らされて微かに揺れる。
卯人の視線が無意識のうちにその白いものを捉え、頭の中に稲妻が走った。
「そうだ!」彼は声を上げ、顔色が一瞬で青ざめた。
「あれが……まだ見つかってない!」焦りながらプリンのリードを握りしめ、心臓が高鳴る。
「いったいどこに落としたんだ……まさか昨日、帰りの車の中か?」その場に立ち尽くし、悩みながら跳ねた黒髪を掻いた。
「それとも亥野が……(いや、ありえない。亥野は僕のものを勝手に取ったりなんてしない……)」
傍らの鬼塚は退屈そうに欠伸をし、鍋の上の蟻のように動き回る彼をじっと見つめていた。
「何がなくなったの?」彼女は何気なく尋ねた。
「えっと……金色の懐中時計!」卯人は焦りに囚われ、考える間もなく口をついて出た。
「金色の懐中時計? え~」鬼塚は首を傾げ、どこか思い当たるような顔をする。
「どこかで……見た気がする?」その声には、記憶を手繰るような曖昧さが滲んでいた。
「本当ですか!?」卯人はわらにもすがる思いで、思わず一歩前に出て、両手で鬼塚の肩を掴んだ。
「パン!」返答は、澄んだ音を立てて響く平手打ちだった。
「近すぎるわ、バカ」鬼塚は冷たく手を振り、目には一片の後悔もなく、平手打ちで地面に倒れた卯人を見下ろす。
「でも」彼女は淡々と付け加える。
「後で高校生に返したと思う」
(あの時、チンピラの群れから取り返したとき……)
「高校生?どんな様子?背は?」卯人は頬のひりひりする痛みも顧みず、四つん這いで這い上がり詰問する。
「知るかよ」鬼塚は興味なさそうに肩をすくめる。
「その時、彼は今のあなたと同じで、地面に這いつくばってた状態だった」背丈はわからない。
(今はレトロが流行ってるの?スマホで時間見ないで、みんな懐中時計持ってるの?)理解できない。
彼女は無意識に指をポケットに差し入れ、馴染みの白い鎖を引っかけ、小さな白い懐中時計を取り出す。
金属のケースが朝日に温かな光沢を放つ。
「白い……」卯人は顔を押さえ、視線は鬼塚の手の中の白い懐中時計に落ちる。
「カチッ」鬼塚が横のボタンを押すと、蓋が勢いよく開く。
文字盤のデザインは簡潔で、細長い時分針だけが静かに回っている。
「どれ……今の時間は……七時半か?」彼女はだらだらと時間を確認する。
(うん……今帰れば二度寝できる……学校?寝てからでいいや、行きたくなったら行けばいいし)
「七、七時半!?」卯人は自身の腕時計を見下ろし、一瞬で慌てふためく。
「プリン!急いで行かないと!遅刻する!」彼は猛然とリードを引っ張り、プリンがまだ遊びたがってる鳴き声を無視し、この不承不承な大犬を無理やり引きずって公園の外へ走り出す。
「じゃあ明日同じ時間にここで待ってる!」振り返って叫ぶと、影はすぐに朝日と木陰が交錯する小道の果てに消えた。
鬼塚は彼が慌てて走り去るのを見て、口をゆがめる。白い懐中時計を閉じてポケットに戻そうとしたその時――
「ブーン……」懐中時計の内部から突然、微かではっきりした振動音が!
続いて、形容し難い、電流のような微弱な感触が掌から直撃する!
懐中時計の中から、「未来」からの声が、ゆっくりと響き始める。
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「は……は……」別の街路では、金髪の高校生・巳藤が、100メートル走のごとく全力で疾走していた。
銀の鎖が腰で激しく揺れ、切迫した閃光を描く。
「登校直前で任務が入るとは思わなかった……」歯を食いしばり、視線は素早く周囲の忙しそうな通行人を走査する。
(今回は二人での任務のはず……あいつはどこにいる?)
(それに、登校時間帯に懐中時計が震えたことなんて一度もなかった……まさか、この時間帯の任務は他の所持者に割り当てられたのか?)疑問が一瞬、頭をよぎった。
「くそ!」その時、堤防方向からかすかに乱闘の喧騒と罵声が!
「こちらか!?」巳藤は躊躇わず、河辺へ続く急な坂を駆け下りた。
岸辺では、小柄でせいぜい中学生くらいにしか見えない茶髪の少女(鬼塚申野)が、数人の体格の良いチンピラに囲まれ、明らかに劣勢だった。
彼女の腰では、白い鎖が回避動作に合わせて絶えず揺れている。
「ったく……面倒」鬼塚は一発のパンチを防ぎ、邪魔された睡眠への不満が滲む口調だった。
「二度寝するつもりだったのに」彼女の腿の分厚い包帯が、動作の合間にちらりと見えた。
その時、よく知った影が風を切って彼女の前に駆け寄る!
あの高校生の身分を象徴する濃色の制服、朝日に異常に輝く金髪――
「これからは、任せろ」巳藤は果敢に鞄を地面に放り投げ、携帯の格闘用手袋を素早くはめる。一連の動作が流れるように、鬼塚と不良少年たちの間に立ちはだかる。
「遅いわよ……」鬼塚は息を整え、口元の少しの血を拭い、文句の口調だが、緊張した体は彼の出現と同時に微かに緩んだ。
「おう?金髪のガキがヒーローごっこか?」リーダー格の不良が嗤い、数人ですぐに巳藤を取り囲む。
「金髪に染めたからって調子乗んじゃねえぞ!」言葉が終わらないうちに、数人が同時に拳を振り回して襲いかかる!
巳藤は体を横にずらして正面攻撃をかわし、電撃のように手を伸ばして一人の手首を捉え、見事な背負い投げで相手を地面に叩きつけ、鈍い衝撃音を響かせた。
「そういえば、溺れていた奴は?」振り返りもせず、冷静に鬼塚へ尋ねる。
同時に足さばきを柔軟に変え、もう一人の蹴りをすんなりかわした。
「逃げた」鬼塚は傍らの柵にもたれて休み、頬に小さなあざがはっきり見える。
「あの不幸な奴の頭を川に押し込めようとしてるところに駆けつけたんだ」彼女は鼻で笑う。
「あいつ自分でもがいて這い上がり、尻に帆かけて逃げ出したよ」腰抜けへの軽蔑がにじむ口調。
巳藤はそれ以上言葉を続けず、目の前の戦闘に集中した。
彼の動作は正確で、無駄がなく、余計な派手さは一切ない。
拳脚は風を切り、一撃一撃が最も効果的な関節やツボに命中する。
やがて、威勢のいい不良少年たちはごちゃごちゃと地面に倒れ、呻き声をあげ、戦闘能力を失った。
巳藤は手首を振り、ほこりのついた手袋を脱ぎ、自身の鞄へ歩く。
「傷口は大丈夫か?」尋ねながら鬼塚の腿の分厚い包帯を見る――明らかに卯人の朝の「補強工事」だが、巳藤はこの「医者」(卯人)の存在を知らない。
だが彼女が治療を受けているのを見て、なぜか胸をなで下ろす。
「ちょっと痒い」鬼塚は短く答える。眉は煩わしい刺痛のせいでひそんでいる。
「警察を呼んで処理する」巳藤は鞄からスマホを取り出し、ダイヤルを回し始める。
「じゃあ、先に帰る」鬼塚はすぐに立ち上がった。腰の白い鎖が、動作に合わせて軽く揺れる。
彼女は警察と関わることを、何よりも嫌っている。
「君、怪我してるな」巳藤はダイヤルを止め、彼女の顔と腕の擦り傷を確認する。
「鞄にバンドエイドと消毒液がある。簡単に手当てしてから行け」彼は、彼女が病院に行くのを嫌がることを知っていた。
「二度寝に帰る」鬼塚はただ手を振るだけだ。口調は疑いようがなく、背を向けて厚い包帯を巻いた足を引きずり、堤防の小道に沿って振り返らずに去っていく。朝日が彼女の影を長く引き伸ばす。




