第二話 英雄になる始まり
第二話 英雄になる始まり
僕は薄田辰也。ごく普通の男子高校生だ。
英雄だの未来人だの、喋る懐中時計だの、そんなものは一切信じていない。
なのに今、近所の公園の茂みに潜んで、前方にいる明らかにチンピラ風の男たちを監視している。
「なんで俺がこんなことしてるんだ……」ため息をつきながら呟く。
すべては昨夜のことから始まった――
――
放課後、帰宅した僕は部屋で鞄を漁り、あの喋る時計を取り出した。
ポイっとゴミ箱に放り込む。
(いや、このままじゃ母さんに見つかる……)
躊躇した末、(公園に捨てよう、近いし)と決める。
拾い上げた瞬間、誤って側面のボタンを押してしまった。
『事件発生!』時計が突然叫んだ。
「おい、そんな大声で……」慌ててスピーカーを探すが見当たらない。
『死者が出る!多数の人間が巻き込まれる!』
僕は凍りついた。
『人類滅亡の危機だ!』
未来を自称する声が響く。
「何だって!?事件って?どこで!」必死に問い詰めるが、時計は沈黙。
「おい!答えろよ!」
しばらくして、また声がした。
『やあ、久しぶり、辰也君』相変わらず軽薄な口調。
「挨拶してる場合か!」
(事件?どんな事件?人類滅亡って……)
(でも俺に何ができる?)頭が混乱する。
『さて、辰也君、任務を受けてくれるかな?』
「任務……俺は……」俯いて黙り込む。
『場所は青禾公園、時間は午後"およそ"6時前』時計が勝手に続ける。
(それって家の近所じゃん……)
『容疑者の特徴:男子高校生3名。身長約180cm・体格良好、160cm前後・肥満体型・腹部突出、痩身・四肢細長。全員"白石高校"制服着用』
胸が締め付けられる。
(俺の学校のやつら!?)
『阻止せよ!』
声が途切れ、時計は再び黙り込んだ。
「待て!情報が少なすぎる!何を阻止するんだ!」叫ぶと同時に、ドアが開き母と目が合う。
「何してるの、辰也?」
重い沈黙が流れた。
――
現在。
「結局来ちゃったよ……」前方の3人組を凝視する。
「間違いない……あいつらだ」声が震える。
あの3人は――日常的に僕をいじめてくるチンピラグループだった。
ベンチで談笑する姿を見ながら、(本当に阻止できるのか……)と不安が渦巻く。
(時計の言う"死者"って……喧嘩?組同士の抗争?それとも通行人への暴行?)
想像するだけで背筋が寒くなる。
「とにかく、何かあったらすぐ警察だ」携帯を握りしめる。
直接戦う必要なんてない。勝てっこないんだから。
「その後ずっと時計は黙ったままだ……通信機のくせに」
蓋を開けると、時刻は5時55分。
("およそ"6時前ってことは、あと15分くらいはセーフか?)
でも実際には放課後すぐ駆けつけたので30分も早く着いていた。
20分近く観察を続けたが、(特に動きがない……)
突然、リーダー格が立ち上がり、タバコの吸い殻を草むらに投げ捨てた。他の2人も立ち上がり、草を蹴り始める。
「帰るのか?それとも……」胸騒ぎがする。
「ついていかなきゃ」小走りで後を追う。
ベンチの横を通り過ぎた時、微かな光が視界を掠めた。
「ん……?」足を止める。
草むらから白い煙が立ち上り、ぱちぱちという音がする。
ぼう然と見ていると、小さな炎が上がった。
「火事……!?」咄嗟に吸い殻を踏み潰す。
周りの乾いた草も蹴散らしていると、子供を連れた母親が通りかかり、奇妙な格好の僕を見て急いで遠ざかっていった。
「はあ……はあ……」息を整え、周囲を見回す。
「これで……終わり?」
時計を確認すると――6時3分。
「時間……過ぎてる」
(今から追っても無理だ……)
(失敗した……いや、元々俺の仕事じゃない!)
(たまたま公園にいただけ!)
拳を握り締める。
(本当に"たまたま"か……)
その時、時計が鳴った。
『よくやった、辰也君』
『君は人類を救った』
「何……言ってるんだ!?」
「任務なんて達成してない!時間も過ぎたし……」
歯を食いしばり、拳が震える。
『いや、見事に任務を果たしたよ』
『本来なら大火災が発生し、1人の子供が命を落とすはずだった』
『君の介入が全てを変えた』
『君は英雄だ、辰也君』
『あの子にとっての英雄』
「そんな……」声が上ずる。
『全人類を救わなきゃ英雄じゃないとでも?』
瞳孔が開く。時計の声が響く。
『君は1人の子供を、1人の母親を、両親を、家族を、社会を、ひいては国さえも救った』
『誇りに思っていい』
『それが英雄というものだ』
英雄――
小さなことで卑下せず、たった1人を救っただけで落ち込まず、胸を張って言える:
「俺は人類を救った」
それが英雄なのだ。
俯いて考える。足元には踏み潰された吸い殻、周りに散らばった枯れ草。
「待て!」突然気づく。
「火元がタバコなら最初から教えてくれよ!気づかなかったらどうするんだ!」
もし気づかず3人組を追いかけ、あの親子が通りかかったら――
『証拠不十分だったからね』
「証拠……?」
『タバコが原因と断定できず、目撃情報から公園で喫煙する高校生が嫌疑をかけられたが、立証できず捜査は打ち切られた』
時計の声は公文書を読むように淡々としている。
『公園の枯れ草管理問題も絡んでいて……』
「でもせめて火災だって言えよ!」
『もしそう伝えたら――』
『"公園で大火災が発生し、子供1人が炎に巻き込まれる"』
間を置いて、
『辰也君は現場には行かなかっただろう』
「それは……」言葉に詰まる。
確かに、そんなのは消防署の仕事だ。
(警察に通報しても相手にされないし……)
仕方なく吸い殻を拾い上げながら、
「今日は本当に狂ってる……」
ゴミ箱に捨て、時計を握りしめたまま家路につく。
『そんなこと言わないで、いいスタートじゃないか、辰也君!』
『これからもよろしくね!』
「誰がよろしくもない」
『ふふ、辰也君の秘密ならたくさん知ってるぞ~』
「じゃあ俺の未来を教えろ」
『それはダメだ。未来は自分で切り開くもの』
「でも今ので未来変えてるじゃん」
『違う』
『これは辰也君が自ら選んだ未来――』
『"英雄"になる未来だ』
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