第十八話 阻止しきれなかった災厄
第十八話 阻止しきれなかった災厄
校門の前、暮れゆく空の下。黒髪の少年が立ち尽くしていた。包帯を巻いた手と頬に貼られた絆創膏が、彼が経験した苦難を物語っている。
金色の懐中時計を握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めていた。
「はぁ……」深く息を吸い込み、見知らぬ学園に足を踏み入れる勇気を振り絞ろうとする。
その時、掌中の懐中時計が激しく震えだした!
不意の振動に手が震え、時計を落としそうになる。
「え、俺の時計も震えるんだ……」驚きと気付きが混じった声で呟く。他人の時計だけが警告を発するとばかり思っていた。
(まさか……)不吉な予感が頭をよぎる。慌てて時計の側面のボタンを押すと、蓋が開き、明確な針が指す時刻は──6時25分。
<ジジジ……>まず耳障りなノイズが流れ、続いて冷たく感情のない声がはっきりと響く。
<花垣高校学園祭最終日、午後6時30分頃、大規模爆発により多数の死傷者発生……>
<篝火台の崩壊、その周囲に積まれた未使用の花火に引火……>
予言の内容は氷水を浴びせられたように少年を凍りつかせ、足が微かに震える。恐怖と焦燥が一気に心臓を締め付けた。
きょろきょろと周囲を見回し、誰かの姿や支えを必死に探す。
しかし見当たらず、力なくうなだれ、再び重たい金色の懐中時計に目を落とす。
歯を食いしばり、顎のラインが緊張する。先程までの迷いが決意に変わった瞬間だった。
猛然と顔を上げ、校舎の奥へと全力で駆け出した。
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「は……はぁ……」一方、金髪の高校生は焦燥に駆られた息遣いを漏らしながら、執事と共に校舎の廊下を疾走していた。足音が空虚に反響する。
「くそっ!災害の発生源が屋外だなんて!」銀色の懐中時計を握りしめ、指の関節が白くなる。
(間に合うかどうかもわからない!)焦りが神経を焼くように疼く。
窓の外を見やり、校舎に寄り添う大木に目が留まる。
閃いた考えに、咄嗟に窓を開け放つ!
「俺一人で行く!」振り返り、息もつかせず執事に叫ぶ。
「あなたはお嬢様の元へ!」言葉が終わらないうちに、たくましい木の幹を滑り降り、地面に着地するとそのまま校庭の篝火会場へと全力で走り去る。
執事は返す言葉もなく、三階の窓辺から金髪の少年の遠ざかる後ろ姿を見送る。きりっとした執事服が夕風に微かに揺れていた。
<皆さん、こんばんは!>校内放送が響き渡る。温かく活気に満ちた声が学園の隅々まで届く。
<三日間の学園祭も、あっという間に最終夜を迎えました!>どこか名残惜しさを滲ませる放送委員の声。
<笑い合い、頑張り合ったこの時間は、きっと皆さんの心の宝物になるでしょう>放送に呼応するように、人々が校庭の中央へと集まり始める。祭りの余韻に浮かれる顔ばかりだ。
<今夜の篝火が、この素晴らしい時間に最後の、そして最も温かな句点を打ちます>
<さあ──火を囲んで踊りましょう!笑いましょう!大声で歌いましょう!>放送のトーンが高揚する。
<燃え盛る炎と共に、最高の思い出をこの校庭に、そして心に刻みましょう!>
全ての視線が校庭の中央へ──縄で幾重にも固定され、塔状に積まれた巨大な薪の山に注がれる。点火の時を待つばかりだ。
<それでは──篝火、点火!>放送委員の声が高らかに宣言する。
仮設ステージ上の係員が燃え盛る松明を持ち、薪の中心へと続く導火線に火を付ける。
「シューッ!」炎が導火線を伝い、蛇のようにうねりながら人々の頭上を横切り、薪の中心へと注がれる!
轟音と共に、灼熱の炎が噴き上がり、瞬く間に薪の山を飲み込み、巨大な篝火の塔へと変貌する!
踊る炎が一気に夜の闇を払い、校庭全体を照らし出し、周囲の期待に満ちた顔を赤く染め上げた。
<篝火の集い──開始です!>放送が再び響き、学園祭最後の宴の幕が上がった。
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その頃、学園の一角。一組の足が混乱と痛みを抱えながら見知らぬ道を全力で駆けていた。
「どこ……どこだよ場所がわからない!」黒髪の少年(包帯の手)が荒い息を吐きながら叫ぶ。無力感と焦燥が声に滲む。
方向も定めずに走り続け、激しい運動が傷を刺激し、全身に鈍痛が走る。それでも足を止めることはできない。
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校庭の篝火の周りでは、浮かれる人々が炎を囲んで踊っていた。
茶髪の少女と黒髪の少女が人混みに立っている。
「何も起こってないみたいだね」茶髪の少女が眼前の賑わいを退屈そうに見やり、口を開く。
黒髪の少女は黙って手の中の黒い懐中時計を眺め、冷たい金属表面を指で撫でると、静かにポケットに仕舞った。
「今まで……こんな状況はなかったの?」黒髪の少女が小声で尋ねる。視線は隣の仲間へ。
(私の経験では、懐中時計は自発的に何も教えてくれない……)心の中で考える。
(私の問いかけを待っている。)茶髪の少女の横顔を見つめる。
(私がここに来たのは、単に時計が「彼女に会える」と答えたから。)
(災害については……)再び踊る、生命力に満ちた篝火へと目を移す。
(本当に起こるのかしら?)
「今まではあの金髪が、」茶髪の少女が唇を尖らせる。
「何かが起こるって教えてくれた」ふと何かを思い出したように言葉を切る。
「そういえばさっき時計が震えてなかった?」チンピラとやり取りしている最中、ポケットのわずかな振動を感じた気がする。
「新しい美味しいケーキ屋さんとかの情報~?」目を輝かせ、期待に胸を膨らませながら懐中時計を取り出す。
「あれ、何もない……」時計は静まり返り、新たなメッセージは何もない。
少女はがっかりしたように唇を尖らせ、時計をポケットに押し込む。
「たまに壊れてるんじゃないかと思う」不満をこぼし、再び楽しげに踊る人々の方を見る。
その瞳は燃え盛る炎に注がれ、茶色の瞳孔に揺らめく炎が映る。眼前の陽気さを通り越し、もっと深い何かを考えているようだ。
「帰るわ」突然宣言し、踵を返そうとする。
「どうやら今回の件はケンカと関係なさそうだし」先程の「へそくり」を提供してくれたチンピラたちを探しに行くつもりらしい。
「何かあったらまた呼んで」黒髪の少女に背を向け、適当に手を振って別れを告げる。
ふと、冷たい指が彼女の手首を優しく掴んだ。
「また何よ……」茶髪の少女が呆れたように立ち止まり、振り返る。
(放して、早く!)無意識に手を振り払おうとする。
しかし黒髪の少女の視線は彼女ではなく、人混みの向こう、縄で固定された篝火の塔に注がれていた。
夕風が、墨のような長い髪を揺らす。
「倒れるわ」たった三文字を、あたかも既定事実であるかのように淡々と口にする。
その言葉が終わるやいなや──
「バキン!!!」鋭い断裂音が炸裂する!
篝火台を支える要のロープが切れ、巨大な炎の塔がバランスを失い、ぎしぎしと不気味な音を立てながら人々の方へ傾き始めた!
燃えさかる太い丸太が構造体から外れ、風を切り火の粉を散らしながら、投槍のように一人の呆然と立ち尽くす少年めがけて飛んでいく!
黒髪の少女は微動だにせず、ただ災厄の到来を静かに見つめる。
間一髪、茶髪の少女が矢のように飛び出し、彼女の手を振りほどく!
黒髪の少女の目に映ったのは、危険に飛び込む細い背中と、空を掴んだ自分の手だけ。
「危ない!」周囲でようやく異変に気付いた誰かの叫び声。
茶髪の少女は少年に駆け寄り、抱きかかえると同時に横へ飛び退いた!
しかし燃えさかる丸太は巨大な慣性で彼女の大腿部をかすめ、末端が強く打ちつける!
「うっ!」激痛が走り、額に一気に脂汗が浮かぶ。それでも歯を食いしばり、少年を安全な場所へ押しやると、自身は痛みと衝撃で崩れるように膝をついた。
「きゃああ──!」恐怖の光景を目の当たりにした人々の悲鳴が上がる!
さらに大きな災厄が襲う──篝火台が轟音と共に崩れ落ち、燃えさかる木材が雨あられと降り注ぐ!
同時に点火装置の導火線が引っ張られ、ステージを支える足場までもが崩れ始めた!
仮設のステージがうめき声を上げながら炎上する薪の山へと傾き、崩落する!
ステージ上に飾られた布幕が一瞬で燃え上がり、巨大な火のカーテンとなる!
瞬く間に、校庭の中央は火の海と化した!
炎が天を焦がし、黒煙が渦巻き、人々の恐怖に震える叫び声と押し合いが混ざり合い、地獄絵図と化す!
金髪の高校生が息を切らして到着した時、目の前にはこの惨状が広がっていた。
「くそ……間に合わなかったのか」炎と混乱を見つめ、胸が締め付けられる。
しかし直後、懐中時計の予言が脳裏をよぎる!
「違う!まだ終わってない!」肝心な後半──花火を思い出す。
ためらわず、逃げ惑う人々を掻き分け、燃えさかるステージの残骸へと突き進む!
「お姉ちゃん……」助けられた少年が震えながら、膝をついて痛みに顔を歪める茶髪の少女を見上げる。
「大丈夫……」腿の後ろ側の焼けるような痛みをこらえ、無理やり笑顔を作る。声には堪えた震えが滲む。
「早くお母さんのところへ行きな」
「でも……」少年は彼女の青ざめた顔と明らかに負傷した足を見て、恐怖で足がすくんで動けない。
「彼女は私が面倒を見ます」落ち着いた声が響く。黒髪の少女がいつしか傍らに立ち、未開封のミネラルウォーターを手にしていた。
しゃがみ込み、茶髪の少女の腿の後ろの赤く腫れ上がった火傷を確認する。端の布地は焦げている。
「少し我慢して」短く言い、蓋を開けて火傷した皮膚に冷水を優しく均等にかける。
「うっ……!」冷たさが一時的に灼熱感を和らげるが、続いて鋭い痛みが走り、茶髪の少女は息をのむ。唇を噛みしめ、痛みの声を必死に押し殺す。額に脂汗がにじむ。
「これで応急処置は終わり」黒髪の少女が冷静に告げ、空のボトルを傍らに放る。
続けて、意外な力強さで茶髪の少女を横抱きにした!
周囲の恐怖と混乱で呆然とする人々を見回し、視線はさらに背後で燃え盛り、さらなる災厄を引き起こしかねない炎とステージの残骸へと向ける。
「全員、ここから離れなさい!」声を張り上げ、喧騒を切り裂く冷徹な声に誰もが従わざるを得ない威厳がある。
「これから爆発が起こります!」
「おい!何言ってるの……」抱きかかえられた茶髪の少女が痛みに耐えながら顔を上げ、信じられないという表情を浮かべる。
黒髪の少女は彼女の疑問を無視し、近くのスタッフジャンパーを着た学生に鋭い視線を向ける。
「この後、花火の打ち上げがあるんでしょう?」確信に満ちた口調。
「え、どうして知って……?」学生が噛み噛みに返す。驚きが顔に表れている。
(確かに公開パンフレットには載せていないサプライズ企画だ!)この非凡で冷徹な黒髪の少女に、思考が混乱する。
「打ち上げ用の花火は、今この近くにあるのよね?」早口で追及する。
「は、はい……ステージ裏の資材置き場に……」学生が思わず、既に炎に飲まれつつあるステージの裏手を指さす。
黒髪の少女はその指差す方向を見やり、瞳が微かに収縮する。
「爆発するわ」抱えた相手と共に火の海を見つめ、差し迫った最終危機を最短最冷の言葉で宣言した。
空気が一瞬、凍りついたようだ。




