第五章:霧島、沈黙
暗闇の中を、血の匂いを道標に歩いた。
沙耶の裸足は、ぬかるんだ肉のような床を踏みしめるたびに、赤黒い液を跳ね上げた。
髪は乾きかけた血でごわつき、爪の隙間には血肉がこびりついたまま。
(ここ……霧島さんのいた、部屋……)
その扉は、普通の扉ではなかった。
無数の手形が浮かび上がり、低く呻くような音が背後から絶えず響いている。
けれど沙耶はもう怯えなかった。
怯える余裕が、なかった。
「……霧島さん」
開け放たれた扉の奥にいた彼は――動かない。
天井から逆さに吊るされ、血に染まった姿で、微動だにしていなかった。
「霧島さん! 聞こえてる!? 私、来たよ! ……お願い、返事して!」
駆け寄ろうとした瞬間、視界が歪んだ。
ぐらりと世界が反転し、沙耶の足がもつれる。
(……あれ……?)
下腹部に激痛。
ズキン、ズキンと脈打つように、何かが暴れている。
指先が震え、舌の奥がざらざらと乾いていく。
「うぅ、やだ……なんで、また……」
そのとき、「胎の鼓動」が聞こえた。
腹の奥で何かが笑ったような気がした。
「イ……イイイ……ィィィィ」
笑っているのは、霧島だった。
だが、それは声ではなく、喉を裂くような音。
目を見開いた霧島の瞳は、血走り、焦点が合っていない。
(まさか、霧島さんまで……?)
違う。彼は“笑わされて”いた。
磔にされたまま、何かに無理やり喉を震わせさせられている。
まるで、傀儡のように――。
「助ける……絶対に、助けるから」
沙耶は縄を引き裂いた。
そのときだった。
──ピシッ。
霧島の腕の骨が、吊り縄の圧力で折れた。
「――あ゛あ゛あ゛ッ!!」
口から吹き出す血。
それを浴びた沙耶は、一瞬動きを止めた。
(……甘い……)
血の味が、甘くて、生ぬるくて。
胃の奥がうねった。
次の瞬間、彼女は――笑っていた。
「ふふっ……ごめん、霧島さん……ちょっと、おかしくなってきたかも」
自分でも分かる。
なにかが、壊れている。
でも壊れてもいい。どうせ“人間”でいることなんて、許されないのだから。
沙耶は霧島の身体を抱きかかえるようにして、床に降ろした。
「……ねえ、起きて。しっかりして。
あんたが壊れたら、私……“何のために”ここまで来たのか、分かんなくなるから」
そう言った声の裏で、どこか別の誰かが囁く。
> 「コイツは“供物”だ。目覚めの門をくぐらせる、肉の鍵だ」
「黙れ……っ!」
沙耶はその声に叫んだ。
周囲には誰もいないのに、誰かがいる。
胎の奥で、声が育っている。
――次の儀式へ進め。
――神を迎える準備をしろ。
――霧島を“開け”。
「……ふざけんなっての」
沙耶の手は震えていた。
霧島の身体の、胸の奥に埋め込まれた“赫い種”が、はっきり見えていたから。
(これを取らなきゃ、霧島さんが“神の器”になっちまう……)
彼女はそっと、指を伸ばした。
赫い種が脈打っている。
呼吸を整え、瞳を閉じる。
> 「……ごめん、霧島さん。
ちょっとだけ、痛いよ」
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