第二章:巫女候補の日常は地獄の味
「……起床の鐘は、神の鼓動。耳を澄ませ、今日も聖なる日を生きましょう」
朝6時。
金属製の鐘の音が、冷え切った石の壁に反響する。
白衣をまとった“巫女候補生”たちが、列を成して無言で歩く。まるで意志の抜けた歯車。
(……ねえ、これって宗教っていうより、刑務所では?)
沙耶もその列にいた。いや、無理やり放り込まれたと言った方が正しい。
目の前に配られたのは、灰色の粥に、赤い液体が数滴垂らされたもの。
塩分も香りもなく、あるのは微かな鉄の味。嫌な予感しかしない。
「慣れれば平気になるよ、沙耶ちゃん」
そう話しかけてきたのは、陽菜。
中学の同級生で、数年前から行方不明になっていた子だった。
「……あんた、陽菜? 本当に?」
「うん、私、“先に選ばれた”の。いま、第三巫女やってるんだ。神さまのおなかの中でね」
そう言って笑う彼女の目は、まるで生気がなかった。
「中って、なに……? てか、なんで私の名前……」
「神さまは全部見てるよ。私たちが泣いてるときも、ぐちゃぐちゃの家庭で怒鳴られてるときも。
だからね――神さまの中で溶けるの、すっごく安心するんだよ」
その囁きは、やけに近くて、やけに冷たかった。
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巫女候補生の一日は過密スケジュールだ。
朝:祈祷と清め(実質、白目向きながら経文を絶叫する時間)
午前:座禅と“神の器官”の図解写経
昼:鉄くさい粥、無言の黙食
午後:信仰度チェック(間違えると電流ビリビリ棒で背中を一発)
夜:観察時間(その日選ばれた者が“神の目”に晒される)
観察時間は地下の“視聴室”で行われる。
信者たちは全員、巨大な赫い鏡の前に座らされ、映し出される“犠牲者”を観察する。
(えぐ……なにこれ……ホラー映画の撮影? ってくらいのノリで済ませたい)
その日の鏡に映ったのは、若い女性信者。
口に鉤をかけられ、呻くことすらできない。そこへ白衣の神官たちが、医療器具のようなものを持って近づいていく。
「これは清めの儀式だそうだ。罪を神に返す、らしい」
隣でそうつぶやいたのは、霧島冬馬。公安庁・特異事案第七課の調査官。沙耶にはすでに素性を明かしていた。巫女候補とは別に一信者として潜入捜査を行っているらしい。
沙耶は小声で返す。
「“らしい”って、あんたも詳しくないんかい」
「本部も実態が掴めてない。この宗教、表向きは慈善団体の顔してるからな……
だから俺が潜入して記録を――」
そう言いながら、霧島は懐からペン型のボイスレコーダーを取り出し、手のひらでカチッとスイッチを押した。
「録ってるの?」
「信者も神官も多くが洗脳状態だ。証拠がなきゃ、全部“信仰の自由”で片づけられる」
(そんなの、通じるかよ……人が、人を、こんなふうに……)
沙耶はもう一度鏡を見た。
画面の中、女性の腹が切り裂かれた。
血にまみれた手が、腹の中から“何か”を引っ張り出している。
ぐちゃ、ずる……赤子のような、でも人間ではない形の何かが、産み落とされる。
「――なぁにこれ。マジで産ませてるの? 血で染めた胎教?」
「そう言いたくなる気持ちは分かる。……だがあれが“神の証明”らしい。
“赫い血を宿す者”を作るって目的が、ここの教団の核心だ」
「……」
「大丈夫か? さすがにこれは酷すぎる。もし無理ならどうにかしてここから逃がしてやるが」
しばらく沙耶は黙っていた。
鏡の中で行われる“神の創造ごっこ”を見ているうちに、喉の奥から鉄の味が戻ってきた。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「……霧島さん、あたし、ここ出ないよ」
「は? お前、何言って――」
「このまま逃げたら、一生後悔する。あの女教主ってのに、まだ会ってないんだ。
あいつが“神の代弁者”ならさ――」
沙耶は、唇を吊り上げて笑った。
「だったらまず、ちゃんと“はじめまして”って挨拶してから、ぶっ潰す。筋ってもんでしょ?」
その目の奥にあるものを見て、霧島は思わず呟いた。
「……おめぇ、ほんとバケモンみてぇだなァ」
「なに訛ってんの?」
「緊張解けると出るんだよ、群馬弁。しゃあねぇだろ、群馬生まれだし」
「真面目なのに、訛ると一気に抜けるのな。ギャップえぐ」
そう言って笑う沙耶に、霧島も少しだけ口元を緩めた。
――その夜、沙耶の寝床に置かれていたのは。
小さな、小さな赤ん坊の人形。
指先には乾いた血がこびりついていた。
赤い紙が添えられていた。
> 「選ばれし子宮よ、赫き胎となりて、神を宿せ」
(……“胎”って、そういう意味かよ……)
静かに、沙耶は毛布を頭まで被った。
でも、目は閉じなかった。
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