第1章第5話 『頼み』
ー本題に入る。
その言葉が自分の耳に届いた瞬間、柚葉の体は強張った。緊張で手足に力が入り、耳が、頬が、やがて顔全体が熱くなる。
もしも柚葉が社会人として働いていたら、あくまでイメージだが、昭和の男性の先輩上司から"女の子じゃあるまいし"とか"俺がお前くらいの年はな〜"等と心底どうでも良い話をされていたのだろう。
だから、という訳では無いが。
柚葉は目の前の女性ーアオイを値踏みするように見つめてしまう。まだ出会ったばかりで、"こういう人だ"と断言など出来ない。
柚葉側の印象だと優しそうな人だな と感じてはいるが、それは所詮第一印象にしか過ぎず、対する柚葉の第一印象は恐らく最悪の一言に尽きるだろう。それが自信の無さにも繋がっているのだ。
姉達が居ないと何も出来ない弟だったから。
全く、何度自己嫌悪に陥れば気が済むのだろう この一色柚葉という人間は。
見た目も、性格も、家庭環境も周りから疎まれて、虐められて、姉達だけを頼りにして現実逃避。
そんな人間が突然異世界召喚を受けて何が為せるのだろうか。出鱈目な生き方しかしてこなかった一色柚葉に、何をさせるのかと。
「ーフフっ、そんなに構えないで下さいユズハさん」
そんな自分不信、人間不信な柚葉に対して蒼髪の女性ーアオイは柔らかく笑いながらそう言った。
「っ、す、すみません。つい、力が入ってしまって」
「良いのですよ。私も若い頃は緊張強いでした」
悪戯するような笑みを浮かべて、アオイは続ける。
「ユズハさんを"こちら"に呼んだのは私です。薄々察していたかと思いますが」
「ー何か魔法を使ったんですか?」
「えぇ。"こちらの世界"と"異世界"を繋ぐ空間魔法のようなものを。あまりに高度すぎる技術の為に使える人は限られてますが」
「ー」
柚葉は絶句してしまった。魔法の姿形はつい先程アオイが見せてくれたばかりだが、そんな次元の異なる魔法も存在するのかと。まぁ、滅多に目撃する事は無いのだろうが。
当のアオイ本人はといえば、何気にとんでもない事を口にしたにも関わらずおっとりとした表情で"どうです?凄いでしょう"といった態度が滲み出ているようであった。
柚葉の中で、天然&マイペースという印象が追加された瞬間でもあった。
「話を戻しますね」
そんな柚葉の内心に気付いているのかいないのか。
アオイは再び話し始める。
「ユズハさんを呼んだこの場所は、簡単に言えば"魔法学院"。日常生活に役立つ魔法を教えたり、人を助ける魔法技術を習得したり。男女共学制で全校生徒数もかなり多いのも魅力の学院です」
「魔法学院ー」
柚葉はアオイが口にした単語を反芻した。
が、分からなかった。どうして自分が異世界の魔法学院なんかに呼ばれたというのだろうか。姉達が呼ばれるならまだ分かる。きっと柚葉よりも、秘めた才能は大きいだろうから。
けど、自分はどうだ。姉達と比べて何もしてこなかった自分に何かを成し遂げる力、または才能がある?
そんなの、ただの笑い話だ。
例えアオイが自分の何かを見初めてくれたのだとしても。一色柚葉に期待するなんて、口が悪いが、見当違いも甚だしい というものなのだ。
つい、口に出していた。
聞くつもりは無かったが、何で と思わずにはいられなかったから。
「ー"俺みたいな"奴を、どうして呼んだんですか」
その問いかけは、ほとんどアオイに対する八つ当たりに近かったかもしれない。
だが、アオイはそんな柚葉に対して嫌な素振り一つ見せず。
幼子を見るような優しい瞳で、言った。
「ユズハさんにしか出来ない事をやってもらう為です」 と。
その言葉の裏に、"貴方の力を貸してくれませんか?"
という感情が見え隠れしているように柚葉には感じられた。
(俺にしか、出来ない事ー)
柚葉は俯いて、考え込む。
本当に姉離れが出来ない弟だなと感じるが、柚葉が何かを為す時、嫌でも二人の姿が頭の片隅にチラつく。
それは、姉達が柚葉にとっての憧れであり、親代わりであり、全てだったから。だから、柚葉は、"今この時までは"自分一人で何かを決めた事等一度も無かった。ずっと、甘えていれば良い生活を送っていたから。だが、こうして異世界に呼ばれて、強制的に姉達と離された。もしかしたら、これは神様からの試練なのかもしれない。自分の力で、何かを為してみろ と。何かが何なのかは分からないが、一色ほの花と一色涼花の弟ならやってみせろ と。あの二人にいい加減恥をかかせるのは辞めろと。 もしかしたら、そういうお告げなのかもしれない。 そうだとするなら。
「この歳になってようやく一人立ち、か」
「ーユズハさん?」
俯いたまま奇妙な事を呟いた柚葉に、アオイが首を傾げる。
そんなアオイに、柚葉は顔を上げる。
その表情は、少しだけ決意を宿したような、真剣なもので。
「ーアオイさん。俺に出来る事は、何ですか」
その一言に、アオイは柔らかく微笑んで。
「ーここからは少し"距離"があります。移動しながら、説明しますね」
そう言って、座っていたソファから立ち上がったのだった。
◇◇◇
ーいつか、誰かの"太陽"になれたら。
ーそれが、少女の抱いていた夢だった。
でも、現実はいつだって夢の邪魔をする。
"魔法の才能が無いから"。
その一言で、全てを片付けられた。
魔法とは別に、少女に宿った、不思議な力。
それを目の当たりにした瞬間、周りの大人達は、何故か皆、凍りついた表情をした。
そしてそれから、色んな表情が大人達に浮かんだ。
怒り、憐憫、好奇、畏怖ー。
少女は分からなかった。別に魔法とは、一つに区切って考えるものでは無いと思っていたから。
だが大人達は違った。
少女を、"異端者扱い"した。
『塵が』
『何故そんな力を宿しているんだ』
『呪いの子よ ああ可哀想に』
絶え間ない、罵倒が少女に降りかかった。
自分は別に何とも思っていないのに、周りからは全く理解されない。
少女は思った。
この大人達の"太陽"になるのは不可能だと。
そして、"ここへ来た"。
居心地の良い場所だった。自分と同じく、"落第"の烙印を押された九人の少女達。
ここなら、皆と一緒に頑張れる。
皆の"太陽"になってあげられる。
少女は確信した。 ここが自分の居場所だと。
ーそれなのに。
自分達落第のクラスにもたらされた、とある一報。
それによって、少女の、いや少女達の居場所は破壊されようとしていた。
ーアリフィア=ホーネストは、その事実に、ただただ絶望した。
大好きな皆、自分の夢。アリフィアは何としても、この大切な居場所を守りたかった。
けれど、現状では打開する策など何一つ無い。
自分達の周りは敵だらけなのだから。
だから、無理矢理にでも、自分を奮い立たせ、元気付けるしか無かった。
何かに、誰かに助けを求めながら。
ー少女は今日も朝を迎えた。