第1章第3話 『異世界召喚 Ⅱ』
(いや、待てー何だ!?)
"本体が剥き出しの白い本"を手に取った瞬間。今までそこに当たり前のように存在していたはずの、柚葉の知っている世界では無くなっていた。
明らかにおかしかった。今の今までは確かに、自分以外の人の声、気配があったのに。
書店には柚葉以外の人の気配が一切無い。"広い店内のはずなのにしんと静まり返っていた"。まるで最初から、自分一人しか居なかった とでも言っているように。
(気持ち悪いー)
背筋に悪寒が駆け巡る。突然襲いかかった得体の知れない事態を前に、足が震え始める。呼吸も浅く、自分の心臓の鼓動がやけに甲高く聞こえた。
自分の身に突然、降り掛かって来た前代未聞の事態に柚葉は頭が真っ白になってしまった。
急に人の気配や声がしなくなったのは、きっと何かの発作が原因だ。ずっと、姉達に甘えて引き籠もっているからこうなるのだ。そうだ、自業自得だ。
そう思って誤魔化したいのに、体は何一つ動こうとしてくれない。
思考は真っ白、腕と足は硬直し、まるで石像にでもなったかのようで。
(あぁ、駄目だな、俺)
危機的な状況だというのに、それでも柚葉は"その"存在を忘れられない。頼り切ってしまう。いつも、離れていても、そばにいてくれる気がするから。
任せれば良いじゃないかと、自分の偽善ぶっている心が囁く。お前は殻に閉じこもっていれば良いと。別に弱いままでも問題無くやれるじゃないかと。
ー姉達が、助けてくれるから。
だから、自分はいつまで経っても前に進めないのだと自覚しつつも結局毎回辿り着くのはその愚かな考え。
だが、だから何だと言うのだろう。無理に過去から抜け出す必要は無いではないか。頼れる人達がいるのなら縋って何が悪い。
(ーほの姉、涼姉。助けてくれっー!)
だから。
今この場には居ない二人の姉に助けを求めて無理矢理体に力を入れた。逃げなければ という一心で。
すると、意外にも体はすぐに動いた。柚葉は手に持っていた白い本を迷わず床に放り投げて走り出した。もう本を買おう という気持ちは失せていた。とにかく早く、この場から離れて、離れて、離れて、家まで逃げ帰って、姉達の顔を見たい。心の底から安心したい。姉達ならば、きっと、自分には出来ない事にも対処出来るだろう。ゆっくりと話も聞いてくれるだろうし、"大丈夫"だと慰めてもくれるだろう。成長なんてしなくて良い。姉達と離れたくないのだー。
それなのに。
柚葉は逃げる中で、ふと、思った。
(ー何で俺、二人と"もう会えないかも"って感じたんだー?)
もう、完全におかしかった。"自分以外誰も居ない"書店を全力で駆けて、何とか入口まで辿り着いた。
そして、後ろを振り返ってー息が詰まりかけた。
「ーは?」
それは、果たして本当に自分の声だったのか。聞いた事も無い呆けた声が耳に入ってきた。
「待ってくれ、どうなってるんだ?」
辛うじてそんな呟き声を漏らす事しか柚葉には出来なかった。
ー柚葉の視線の先で展開していた光景は。
ー床に投げ捨てたはずの白い本がひとりでに宙に浮いて、微かに白く発光しながら、何も書かれていないページを捲り続けていた。
誰も居ないのに、ひとりで、勝手に、本が動いている。
恐怖が沸き上がってくるのには十分だった。
「ーっ、ヤバい!早く逃げないとっ!」
入口の扉ー自動ドアの前に立つ。しかし、何故か反応しない。柚葉の存在を認識していないのか。
「マジか!?」
しっかりとセンサーの真上に立ってみても結果は同じ。赤から緑に変わる事は無い。壊れている という事は無いはずなのだが。
「誰か!ほの姉!涼姉!助けてくれっ!」
反応しない自動ドアを力強く叩きながら、そう叫んだ。が、"誰も居ない"。柚葉以外、誰も。
「ーっ」
恐怖で竦んだ両足に力が入らなくなって、床へ座り込んでしまった。
逃げなくては。そう思うのに、もうその気力さえ遠のいていく気さえして。
柚葉はただ呆然と、目の前の光景を眺め続けた。
白い本はひとりでにページを捲り続けていたがー
やがて、"とある一ページ"にてその動きが止まった。
「ー"竜"と、"天使"?」
不意に止まった一ページーそこには、まるで美しい絵画か何かと見紛う程の、一つの絵が現れていた。
固い岩肌ばかりの洞窟の中、お互いを見つめ合う二つの存在。柚葉の見間違いで無ければ、それは"竜"と"天使"だった。巨大な巨躯をした黒い竜と、翼を生やした金髪の少女。どんな場面かは分からないが、柚葉には何故かその"竜"と"天使"が想い合っているのではないか。
そう思えた。
そうして、気付いた時には。
「ー!?」
柚葉は、その絵にいつの間にか近付きー
右手で、触れていた。
何かの合図だったのか。
その瞬間、本が眩く光輝いて。
柚葉が思わず目を腕で隠すと、今度は、絶対に有り得ない感覚が襲ってきた。
ー床が、無い。 足下が、"崩落"していた。
「ーえ?」
柚葉の体は、無重力のまま、その先の何も無い空間へ吸い込まれていた。
「嘘だろぉぉぉぉぉーっ!?」
姉達にもう会えないかもしれない。その直感が現実となってしまうかもしれない急転直下の事態に、柚葉は叫んで、徐々に消えゆく意識の中、何を思ったのか、右腕を伸ばして、何かを掴もうとして。
落ち続けた。
◆◆◆
『ー何だ小娘。こちらばかり見るでない。消すぞ』
『フフっ。貴女には無理よ』
『ー何故だ?』
『だって私達、もう随分仲良しじゃない!貴女といると私は楽しいのよ』
『ーフハハ、小娘風情が言い寄るわ。まぁ、この一時も悪くは無いが』
『えっ!?今何て言ったの?ねえねえ!』
『いくら貴様といえど、あまりに執拗なら次は無いと思え』
『アハハ、ごめんなさい。ーでも、私達なれると思うのよ。私達は"分かり合っている"から』
『ー』
『ねえ、貴女はー』
『フン、小娘風情が我と契りを交わすと?冗談も大概にせよーそう言いたいが、まぁ良いだろう。好きなだけやってみせよ』
『ーありがと!貴女ってやっぱり優しいわ!』
『ーフン』
ーこの時の我は無知であった。
小娘の"真意"に気付かぬまま時を過ごした。
ーいずれ、世界崩壊の一途を辿る羽目になるとは、夢にも思わず。
◇◇◇
(ほの姉ー)
どれくらい、落ち続けたのだろう。
(涼姉ー)
どれくらい、落ち続けたのだろう。
(俺、結局何も出来なかったー)
どれくらい、落ち続けたのだろう。
(不甲斐ない弟で、ごめんー)
ーどれくらい、落ち続けたのだろう。
分からない。見当もつかない。もしかしたら一瞬だったかもしれない。もしかしたらとてつもなく長い時間だったのかもしれない。どこに落ちているのか。自分はまだ生きているのか、死んだのか。分からない。
それでも、ただ一つだけ分かる事。分かってしまった事がある。それは
(ーもう、"二人"には会えない)
漠然とした予感が現実となる。
こんな事になるなら、もっと積極的に何でもするべきだったかー。
(いや、今さら遅い。ーお前如きに何が出来るんだよ)
どんなに努力しても、どんなに足掻いても。
きっと、自分は変えられない。
ードサッ!
浮遊感は唐突に終わりを告げた。
「ー痛っ!」
背中を打ったのだと分かった。暫くの間意識を失っていたのか何だか途中変な夢を見た気もするがー
「ーいや、それはどうでも良い。どこだ?ここ」
柚葉は背中に手を当てながらゆっくりと起き上がった。
同時に眩い灯りが目に入ってきて、一瞬眩んだ。立ち上がると、そこはどこかの部屋のようだった。
フローリングの床の上に少し高価そうなカーペットが敷かれている。部屋の広さ的にマンションの一室と同じくらいか。観葉植物や変わり物っぽいインテリア雑貨等も置かれている。
柚葉は思う。自分は直前まで御用達の書店にいたはず。そこで突然現実離れした意味不明な事態に巻き込まれた。そして、床が無くなったと思ったら落ちてー
「ー何だ、それ。まるでー」
それこそ現実では有り得ない話。"アレ"が起きてしまったというのだろうか。
柚葉は"まさか"と期待しつつ、"いやいやそんな訳は無い"と一笑に付そうとした。 が。
「ー異世界召喚、ですか?大方、その認識で合っていますよ」
柚葉の言葉を引き継ぐように発されたその言葉。
柚葉は驚いて背後を振り返った。
すると。
「まずは始めましてですね」
柚葉の背後には、大きな執務机があった。そこに座っていた誰かが立ち上がり、柚葉を見ていた。
瞬間、柚葉は息を呑んだ。その理由はー
ー"ここが異世界だと認識したから"だ。
ー蒼い髪に綺麗な淡白色の瞳。
柚葉がラノベで散々触れてきた"ローブ"を纏った女性は、柚葉を見据えながら、言った。
「私の名前はアオイ=フリューデ。貴方に用があり、"我が学院"へお呼びした次第です」 と。