1話・魔法少女と一般人の出会い
月明かりを頼りに田んぼ道を散歩する。一日の終わりに愛犬のチワワのチアリーと共に夜道を散歩するのが日課だった。
スマートフォンで音楽を聴きながら、まったりと散歩をするのは一日の癒しの時間だ。
今日も今日とて街灯の届かないあぜ道を月明かりを頼りに愛犬のリードを握っていれば、突然頭上からとんでもない大声が響いた。
「わわわわわ、どいてくださいー!」
「?!」
驚いて頭上を振り仰ぐと、そこにはなにやら月明かりをさえぎる物体。反射的に愛犬を引き寄せ身を縮めると、ぼとん、とそいつは植えたばかりの田んぼに落っこちた。
一体なんだ未確認飛行物体か、UMAか?! と身構えた俺の前で、もぞもぞと動くそれ。泥だらけになりながら動いている物体Xはどうやら髪の毛らしき、月明かりを受けてピンク色に光る毛先を掻き分けて(なにしろ物体Xはそのすべてを髪の毛らしきもので覆われていた)顔らしき部分がぴょこんと覗く。泥だらけの体は小学校五、六年ほど。その髪色はピンク、同じく月明かりで明らかになった瞳の色もピンクなどという世間様の常識に喧嘩を売っている様なやつは、にまっと笑ってのたまった。
「やあ! あたしは魔女。あっ、まだ少女だから、魔法少女といったほうが正しいかな!」
と。
いやいやいや、まてよ。なんだよこいつ。
無視して帰ろうにも、背中を見せるのが恐ろしい。愛犬を抱えたままなすすべなく立ち尽くしていると、にこにこと笑顔だけは愛らしい魔法少女などと名乗った謎の物体Xは座り込んでいた田んぼから立ち上がろうとして、こけた。盛大に、ずっこけた。
「あいたー。まだこの体なれないなー」
などと、意味不明な事をぼやきながら、なんとか立とうともがいているので、見るに見かねて片手に愛犬を抱えたまま、臨戦態勢ではあったが片手をそろそろっと差し出すと、そいつはきょとんとした顔をしてから破顔した。
その笑顔があまりに好みドストライクで、というか亡くなった妹にそっくりすぎて、警戒心がぐらりと揺らぐ。そこ、ロリコンとかいうな! 普通にかわいいだろ、小さい子供。
今年二十五歳になる身ではあるが、子供に弱いのは生来のものだ。元々年下の子供には弱かったが、年の離れた妹が両親と共に交通事故で亡くなった、その名残かもしれない。
その影響か、年下には無意識に甘いと自覚していたが。こんなところで、そんな片鱗が出なくていいだろうに。
内心の葛藤を押し隠し、予想以上に重い体をぐいっと引っ張る。おっと、なんて声を上げてよたよたと立ち上がったそいつは泥まみれで、みれたものではなかったが、かといって俺がどうこうするのも違う気がする。などと、思っていたのだが。
「お兄さん、いい人だねぇ。いい人ついでに助けてくれると嬉しいな!」
そんな風に邪気なく笑って言われると、ノーと言えないのは日本人の性なのか……。
そんなわけで絶賛一人暮らし中の我が家に幼女? がきた。幼女って年齢でもないような……。なんて表現すればいいんだ、この年齢。
ちなみに家は美容院で一階が美容院、二階が居住区画である。古きよき美容院だ。
両親が交通事故で亡くなって、流れで俺が後を継いだ美容院。
二十代半ばのひよっこが経営していると知られると結構驚かれるが、まぁなんとかなるものだ。
泥だらけの子供は、週に一度疲れを取るためにいく温泉用のバスタオルで包んで車に乗せた。散歩ルートは俺の好みで車で少しいったところなのだ。
途中で誘拐と間違われないか大分不安だったが、なんとか自宅につくことができて心底ほっとしている。
チアリーをゲージにいれて風呂の準備をする。
「ほら、風呂はいってこい」
「はーい」
パジャマは俺のシャツでいいだろうか。そんなことを考えながら湯船に湯をはっていて、はたと気づいた。下着がない。
「……コンビニ、売ってるか……?」
さすがに下着は売ってない気がする。かといってすでに店は閉まった後だ。下着なしで過ごさせるのは変態度が高い。どうしたものか。
ううむ、と悩んでいるとひょいっと泥だらけのピンク色が視界に入る。
「どうしたの、お兄さん」
「お前、下着……持ってないよなぁ」
「え? 下着? なんで?」
「なんでって、着替えるならいるだろ」
「あーね! なら出すよ!」
「だす?」
どこから? と俺が首をかしげていると、にこにこと笑った子供は両手をぱっと前に出して「パンツー!」と叫んだ。その瞬間、どこからともなくふわっと現れた下着。……は?
「はあああああ?!」
「あれ? お兄さんどうしたの?」
「おま、おまえ! いまのなんだよ!!」
「魔法だよ? 魔法少女っていったでしょ?」
「はああああ?!」
あれは冗談じゃなかったのか!
ひっくり返りそうな心持であまりの驚愕にどうしたものかと無意味な思考がぐるぐる回る。そもそも魔法少女って存在するのかよ! どこのアニメ世界だよ!!
「気づいてると思うけど、髪も目も地だよー!」
「ああ……」
そうですね、その髪色は染めてるわけじゃねぇよな。そんなの腐っても美容師だからわかるわ。同じくウィッグでもないのもわかるわ……。
まじで魔法少女……。
その瞬間、俺の目が死んだ。
「ねーねー、おにいさーん」
「なんだ魔法少女X」
「えっくす? それがぼくの名前?」
「……そういや名前聞いてないな」
そんなどうしようもない会話からお互い名乗っていなかったのが判明し、ワンテンポ遅れてあれ? それって結構大事じゃね? と思いなおし。
改めて自己紹介をする流れとなった。
「俺は、咲月夏樹。お前は?」
「わたしはねー、シャリアリアルア・シャルル・リリアンヌ・テレニシア・カンヌ」
「まて、なげーな?! その名前まだ続くのか?!」
「うん? まだまだ続くよー」
「どこの王族だよ……」
すらすらっと述べられたべらぼうに長い名前に脱力する。そんな名前覚えられる気もしないし、第一、覚える気が起きない。
「もう、お前、シャルでいいじゃん。シャル」
大分投げやりにいった俺の言葉に、だがシャルはうんうんと頷いた。
「シャルかー。うん、お兄さんがそれでいいなら、それでいいよ!」
「……自分から振っといてアレだが、お前自分の名前にこだわりねーの?」
「? 名前は固体を判別するための記号でしょ? こだわりなんてないよー。固体がわかればいいんだから!」
ふふん、と胸を張っていわれたのはどこかずれた認識。
それが魔法少女と人間の差だといわれればそれまでだが、なんだか釈然としないものを抱えつつ、俺はふーんと頷くに留めた。
「あ、風呂沸いただろ。はいってこいよ。さっきの要領で言うと着替えはいらないんだろ?」
「だいじょーぶ!」
ぐっとサムズアップして風呂場に消えたお子様を視線で追いかけて、ソファにどかっとすわる。なんというか。
「前途多難、だなぁ」
お子様が風呂から上がってきて、ピンク色の髪も泥が落ちて艶やかになっていた。
髪を拭かずに、ぼたぼたと水滴を落としながらリビングに戻ってきたシャルに怒って俺が座っていたソファに座らせ、バスタオルで丁寧に髪を拭いていく。
ふわー、と気持ちよさそうな声を出すシャルにふふん、伊達に美容師やってないんだぜ、とこちらも無駄に鼻高々だ。
丁寧に水滴をぬぐっていき、最後の仕上げにドライヤーで乾かしてやれば、泥に塗れてぼさぼさだった髪も見違えるように綺麗になった。元がいいんだなぁ。
いまどき染めてない人でもここまで綺麗な艶を保った人はそうはいない。美容師の血がうずいたが、どうにか押さえ込んで俺はずっと疑問だった事を尋ねた。
「髪、切らないのか? 邪魔だろ」
なにしろシャルの髪は床についてなお余るのだ。身長と髪の長さが比例していない。
「切る? ダメダメダメ! なにいってるの! 髪は命なんだよ?!」
「お、おう? 女の命ってよくいうな……?」
予想外に強い反発が返って来てどもりながら頷けば、そーじゃなくて! と肩を怒らせる。
「魔力は髪に集まりやすいの! 髪を切るなんて言語道断なんだから! 髪を切ったら魔法少女じゃなくなっちゃう!」
「そういうものか……?」
「そういうものなの!」
ふん、と腕を組んでえらそうにふんずり返っているシャルに首を傾げつつ、まぁ、常識が違うのはすでに下着の一件でわかってしまっていたので、そういうものかと納得しておく。夏樹は無駄に順応力が高いよな、とは同級生のありがたいお言葉だ。
「あー、飯は、食ったか?」
俺はすでに食べているが、空から降ってきたシャルが食事を取っているのかは知らない。
俺の問いかけにこてんと首をかしげて、シャルは言った。
「たべたよー」
「なら寝るか」
と、そこでさらに問題発生。寝る、といっても寝室は一つしかない。予備の布団はあるが、この際それはどうでもよく。同じ寝室で寝てもいいのかが問題だった。
見た目は小学校高学年、まぁ、セーフといえばセーフかもしれない。
「シャル、お前どこで寝る?」
「うん?」
「俺と同じ部屋でいいか?」
「いいよー」
嫌がられるの前提で聞いてみたら、案外あっさりとオーケーの返事が来た。
まぁ、見た目どおりの年齢なら、誰と寝るとか気にしないだろうしなぁ。じゃあ、寝室に行くぞーといえば、カルガモの親子のごとく俺の後ろをひっついて歩いてきたのが面白い。
小さく笑って、その日は終了。