スライムを観察してみよう
まずい、非常にまずいぞ。
スライムが入ったケージを目の前に、僕は焦っていた。
あれからスライムを観察し続けたが、生態が全く分からない。
というか、生きてるよね?
スライムの主食である草と、(液体繋がりで)水が入ったお皿をケージの中に入れてみたが……。
驚くことに、全然口にしていなかった。
祖父から呼ばれて夕食を食べ終え、部屋に戻ってくると、何とスライムがさっきよりも小さくなっているではないか。
うーん、このままだと、スライムが消えちゃうぞ……。
できることなら、ずっと一緒にいたいんだけど……。
頭をフル回転させる。
魔物と仲良くなることを夢みて、今まで必死に勉強してきたんだ。
魔物図鑑で得た知識、森に行って魔物を観察した日々。
その成果、今発揮しないでいつ発揮するんだ。
スライム、ねばねば、液体……。
水って確か、熱くなると蒸発して、消えちゃうんだっけ。
もしかしたらスライムは蒸発しているのでは?
そう思い、ソフィに聞いてみた。
「ねぇねぇソフィ、一つ教えてほしいことがあるんだけど」
止まり木の方を見ると、ソフィは眠たそうに眼を開けた。
寝てたのかな?
「なんじゃ、スライムの観察は終わったのか?」
「いや、スライムのことで教えてほしいんだよ。
スライムって次の日になると消えちゃうけど、あれって蒸発して気体になってるのかな?」
む? という反応のあと、ソフィは感心した様子で話し始める。
「ほっほっほ、良いところに気づいたな、メルタ。
確かにスライムは、気化と凝縮を繰り返す魔物じゃ。
これが面白いことに、気化と凝縮の条件が温度ではなく、時間によるものなんじゃよ」
ソフィ曰く、室内で寒い場合でもスライムは気化して消えてしまう。
重要なのは温度ではなく、夜明け、日没といった時間。
そういう意味だと、液体の気化と凝縮とは全く異なるがな、とのこと。
どうやってその性質を可能にしているのか……。
いや、そもそもどうしてそんな性質をしているのだろうか?
蒸発して気体になるってことは、要は液体ってことで合っているんだよな?
液体といえば、魔力の流れって、水の流れに近いイメージだったな……。
「ねぇソフィ、魔物って魔力を持っているんだよね?
スライムは”念話”は使えないけど、魔力自体は持っているのかな?」
「ふむ、確かにスライムは微量とはいえ魔力を有しておるな。
どうしてそう思ったのじゃ?」
「スライムって、なんで消えるんだろうなぁって思ってさ。
何か目的があるんじゃないかなって。
で、もし生きるために消えてるんなら、そもそもスライムは、何を食べて生活してるのかなと」
「ほう……。それで?」
「スライムって草しか食べないんだよ。
そこで思い出したのが、昔ソフィが教えてくれたこと。
草木の中には魔分を含むものもあって、魔力を回復する薬にできたり、直接食べて魔力にする魔物もいたり、って話!」
もしスライムが、草を食べているのではなく、草に含む魔分を食べているのだとしたら。
そして、もし気化が魔分を含む草を探すための移動手段なのだとしたら。
的外れかもだけど、そう思ったんだ、とソフィに話した。
ソフィはしばらく黙っていた。
「……良い仮説じゃ。
じゃが、空気中に漂う魔分を取り込んでいる可能性もあるぞ?
草を取り込んでいるのは、他の可能性があるかもしれない」
確かに、その可能性はある。
否定はできないけど、少なくとも、草は草でも魔分を含む草しか食べないのでは?
という仮説を検証する方法はある。
「……今、ケージの中に入れている草。
この草に、僕の魔力を注いでみるとどうなるか試したい」
スライムは、一度ケージの中の草に触れたが、食べる様子は一向にない。
仮に、この草は魔分を含まないからだとしたら……。
僕の魔力を注げば、反応が変わるかもしれない。
もし食べるようになった場合、魔力が関係すると裏付けられる。
「草に魔力を注いだことは無いけど、今日おばあちゃんに習った魔力の流し方を応用すれば、出来る気がする」
要は、”魔物使役”でスライムに魔力を流した時と同じことをすれば良いのだ。
ケージの中に入っている草に手を伸ばそうとしたとき、ソフィが静止した。
「分かった、降参じゃ。
じゃが、お前が草に魔力を注ぐのはまだダメじゃ」
そう言うと、ソフィはケージの前に飛んできた後、自身の羽根をケージの中に入っている草に向けた。
ソフィの羽根先から草に向かって、微かな魔力が流れていくのを感じる。
「……自身の魔力を何かに注ぐのは難しいのじゃ。
今朝、お前はスライム相手に魔力を流し込んでいたが、あれはサロンが見守っていたことが大きい。
未熟な者だと、自分に残しておかねばならない魔力も注ぎ込んでしまい、倒れてしまうこともある」
全く考えてなかった……。
ソフィが静止してくれていなかったら、おそらく、草に魔力が流し込み終えたか分からず、延々と自分の魔力を注いでしまっていたかもしれない。
なんせ、まだ魔力を感じるのもやっとなのだ。
ソフィは羽根を下した後、これだけあれば十分じゃろうと呟き、再度止まり木につかまった。
するとスライムが動き出し、ケージの中の草を吸収し始めた。
透明な身体の体内に草が移り、ゆっくりと溶かしていく様子が見える。
「儂からメルタへの誕生日プレゼント、他に思い浮かばなかったし、ちょうど良いかの。
スライムが消えないようにする方法を教えよう。
スライムとはいえ魔物じゃし、辞めておくべきと思っていたが、真剣に向き合うお前には負けたわい」
え、スライムが消えない方法があるの?
魔物図鑑にも載っていないし、村の大人も誰も知らなかったのに……。
てことは、このスライムとずっと暮らせるってこと!?
「世の中には、スライムを研究するもの好きもおってな。
傍に置いておく方法自体は、既に証明されている。
最も、スライムを傍に置いたところでメリットは全く無い。
価値が無い情報は、中々世に出回らないものじゃ」
そう言った後、ソフィは続けた。
曰く、僕の仮説は概ね正しかったらしい。
スライムは、液体と魔力から成る魔物。
魔分を含む空間において、空気中の水分を媒体に自然発生するそうだ。
スライムは、およそ1日かけて周囲の魔力を検知し、魔分を取り込めないと分かるや否や、気化して別の場所に移動するらしい。
今朝スライムを見つけた木陰は、村の子供が良くスキルを練習する場所だ。
スキルで使用された魔力のうち、消化されなかった分は空気中に発散する。
それは"魔素"として空気中に混じり、やがては地面に生えている草に溶け込んでいく。
そして、草に溶け込んだ魔力を、スライムが吸収していたというわけだ。
「スライムを留めたいのであれば、必要なものは2つ。
魔力を注いだ草、”魔草”を絶えず与えること。
身体を組成する水分が摂れるよう、水をケージの中に入れておくことじゃ」
なるほど、水も必要なのか。
あれ、そうなるとケージの中の環境って……。
「そう、今やケージの中には2つの要素がそろっている。
スライムがここで暮らせると判断すれば、消えずに明日も残り続けるじゃろうな」
もちろん、どちらかが欠けるとスライムは消えて別の場所に移動してしまうがなと、ソフィが付け加える。
これで、スライムは明日もケージの中にいてくれる……?
「魔力を草に注いでくれてありがとう、ソフィ!
よし、決めた!
早く魔力の流し方を習得して、自分の魔力を注いだ草をスライムにあげられるようになる!」
明確な目標が出来た。
ソフィがさっきやってくれた、魔力を草に流す方法を練習するんだ。
そうすれば、いつまでもスライムと一緒にいれる。
それに魔力の流し方をマスター出来れば、色々出来ることが増えるかもしれない。
「ほっほっほ、それは良いことじゃな、メルタ。
練習するのであれば、儂も付き合ってやるぞ」
じゃが、儂のプレゼントはここからじゃよ、と言う。
草を魔力に注いでくれたこと、スライムが必要なものを教えてくれたことだけでも、十分嬉しいけど……。
「これでは、使役した意味がないじゃろう?
教えたのは、あくまでスライムが必要なものじゃ。
“魔物使役”で契約したスライムを、契約主の傍に強制的に留めるやり方がある。
もちろん、魔草と水を与え続けなければ、命が尽きるという意味で消えるがな」
そう言った後、ソフィは僕を呼んだ。
「人差し指を儂の方に突き出してくれ。
よし、少しチクッとするぞ」
ソフィはそう言うと、僕の人差し指を羽根先で切った。
痛った……。
人差し指からは、少し血が出ていた。
「何するのさ、ソフィ!」
「ほっほっほ。
さて、スライムに人差し指を突き出し、血を取り込ませてみなさい」
どういうこと?
困惑しながらも、ケージの中のスライムの口元? に、人差し指を突き出してみる。
すると、スライムが僕の血を吸収した。
ええ、スライムって人間の血も吸収するの?
「スライムは意思が全く無い訳じゃない、弱いだけじゃ。
”魔物使役”をしたところで、契約主を認識できない。
じゃが、契約主の血を吸収すれば認識できるようになる。
傍を離れなくなるんじゃ」
“魔物使役”をしていることが前提条件。
魔物使いの間でも、知っているものはごくわずかしかいない知識。
血を分け与えることでスライムをずっと傍に留められる。
最も、鑑賞用の魔物みたいなものだから、戦いの最中に契約主を助けてくれる、なんてことはないようだが。
それでも、僕にとっては嬉しかった。
「凄いや、ありがとうソフィ。
あとは、この子が力尽きないように魔草と水を与え続ければずっと傍にいてくれるんだね」
使役、つまり、絆が出来た魔物が傍にいてくれる。こんなに嬉しいことはない。
ホッとした後、一気に疲れを感じてベッドに倒れ込んで寝てしまった。
今朝からカレメの森まで歩き、はじめてのスキルを使ってからというもの、休まずスライムを観察し続けていたのだ。
疲れがたまっていたのだろう。
翌朝、ハッと目が覚める。
慌てて部屋にあるケージの中を見ると、そこには昨日と変わらずスライムがいたのだった。