聖女リリーは落ちるところまで堕ちた
聖女リリー。産まれてすぐに中央教会の前に捨てられていた彼女は、なんと首筋に聖痕を宿していた。すぐさま聖女として保護されて、大切に大切に育てられた彼女。幸いにもその性格は穏やかで優しく、また聖力にも魔力にも優れていた。
聖女であるため祈りを捧げる時間を優先させていたが、民衆のために毎週日曜日にはどんな患者であろうとも受け入れて〝エリアヒール〟という大規模治癒魔法を使い全ての怪我と病気と呪いを治癒していた。
そんなリリーの大切なお祈りの時間。また声が聞こえる。
『リリー。僕の可愛いリリー。どうか、神になど祈らず僕に祈ってごらん?精霊の王は天の王より人を愛するよ』
畏れ多くも、リリーは精霊の王キルア様から寵愛を受けている。しかしリリーは聖女とはいえ人の子で、精霊の王とは長く一緒にはいられない。リリーは思いに応えるつもりはなかった。
ところが、それは起きた。
「リリー様、逃げますよ!」
「さあ、馬に乗って!」
「嫌!まだ民衆の保護が!戦争ならば傷付くのは子供達です!」
「貴女は国の希望なのです!お早く!」
戦争?いや、革命の始まりである。
民衆は、お金がないのは搾取する貴族のせい。自由がないのは教会の戒律のせい。そういって、武装蜂起した。リリーに癒してもらった者達は反対していたが、教会の犬だと殺されたり虐げられたりして誰も何も言えなくなった。何も知らないのはただただリリーだけである。リリーが避難先の粗末な小屋で泣いていると声がした。
『リリー』
「キルア様!子供達を助けて!」
『大丈夫だよリリー。子供達は無事だ。だって武装して教会を襲ったのは君が心配する民衆達なのだから』
「え…」
『革命だよ』
「そんな…」
それならば。先ほど、リリーを身を呈して守ってくれた大好きなおじいちゃん…聖王猊下を殺したのも民衆だというのか。あれほどに聖王猊下から慈悲を受けていながら、あれほどに私も民衆達に尽くしたのに。その結果がこれなのか。
『リリー。残念ながらこの国はもうダメだ。この混乱に乗じて隣国も攻めてくるよ。民衆達がいかに醜いかわかっただろう?私と共に精霊國へ行こう。その代わりに、この国の幼い子供達だけは精霊王の加護を与えて一切傷つけさせないから』
リリーは言った。
「…いえ。誰も守る必要はありません」
『リリー?』
「だって私、人間がこんなに醜いなんて知らなかった。今は無垢な子供たちも、いつかああなるのでしょう?だったら守る必要ありません」
その目にはもう、いつもの優しい光はなかった。
「ああ、でも私もその醜い人間の一人なんですよね。どうしましょう」
『安心してリリー。精霊國に行ったら、精霊の泉の水を飲ませてあげる。君は人間ではなく精霊に生まれ変われるよ』
「それは素敵ですね!ぜひそうしましょう」
リリーは国を捨て、精霊國へ渡った。精霊の泉に身を浸し、その水を飲んだリリーはゆっくりと姿を変え、美しい精霊になった。精霊の王の妻、精霊妃となったリリーは精霊國で歓待を受けた。結婚式は三日に及び、ふと元いた国の様子を魔法で覗き込めば地獄絵図と化していた。それを見てももうリリーの心は動かない。
一方でキルアはそんなリリーに満足していた。落ちるところまで堕ちたリリーが可愛くて仕方がない。キルアは別に何もしていない。ただちょっと酒場で愚痴をこぼす連中にそれもこれも貴族や教会が悪いと吹き込んだり、奥様方の井戸端会議に参加して貴族や聖職者の黒い噂を流したりしただけ。
だって我慢ならないのだ。天の奴らに可愛いリリーが取られるなんて。聖痕を持つものはいずれ天の王のモノになる。聖痕を消すなら精霊に作り変えるしかない。
リリーを傷つけるのは気が引けるが、こうするしかなかった。
でも、いざやってみるとやってよかった。誰にでも優しいリリーは、今や誰にも興味がない。冷たい微笑みを浮かべるだけ。この状態の彼女をドロドロに甘やかしたらどうなるか。楽しみで仕方がない。
ー…
「キルア様。もうお仕事に行っちゃうのですか?」
「リリー、ごめんね。でも大切なお仕事なんだ」
「リリーより?」
こてりと首をかしげるリリーに悩殺されるキルア。
「なら、リリーもおいで。執務室でおとなしくできるなら連れて行ってあげる」
「わーい!」
あれから、キルアは徹底的にリリーを甘やかした。食事もお風呂もトイレも睡眠も全て徹底的に管理しつつ面倒を見ながら、ただただリリーに愛を囁きそばにいるキルア。リリーは恥ずかしいとすら思わずすべてがどうでもよく、受け入れていた。だんだんとそれが当たり前になった頃、リリーはキルアがいないと不安になるようになった。
子供のようにぐずってキルアを求めるリリーを、キルアは心底愛している。二人の歪んだ関係は、正されることもなく誰にも干渉されない。永久不滅の二人の間の共依存は、愛と呼ばれるものだった。