悪役令嬢にとりまきを命じられたとりまき令嬢は自由になりたい
拙著ですがお楽しみ頂ければ幸いです
『ステラ・ヘイズ、貴女を本日から私のとりまきに任命します。心して仕えなさい』
薔薇のかぐわしい香りで満たされた庭園で大輪の薔薇を背に艶然と微笑む六歳児はクリスティーネ・パラヴィア公爵令嬢。整った顔立ちに有無を言わせぬ様な碧眼、ゴージャスな黄金色に輝く髪は縦にしっかりロールされており、薔薇色の唇、白い肌、豪華絢爛な出で立ちで圧巻だ。
対して私は、ヘイズ侯爵家の自然豊かで農業と林業が盛んな領地育ちでさしずめ田舎令嬢という所だろうか。裏付けるように平凡な顔立ちに前髪を切りすぎたライトブラウンの髪、ヘーゼルの瞳、健康的な肌色は特徴もない印象にも残らない容姿だ。
クリスタルディ王国の王都を初めて訪れ、田舎育ちの私にも同年代の友人を作ってあげたいとの両親の思いもありパラヴィア公爵家の茶会へ参加して直ぐの出来事だった。
「お初にお目にかかりますクリスティーネ様。私はヘイズ侯爵家が長女ステラと申します。お会いできて光栄にございます」
母に厳しく礼儀作法を叩き込まれたカーテシーは五歳にしてはまずまずの及第点だろうか。
挨拶もそこそこにクリスティーネ様は付いてくるように手を前方に指し示した。
しずしずと付いて行った先は豪華なガゼボだった。
ドーム型の屋根に金箔やモザイクなど華美な装飾が施されている。
沢山のメイドが紅茶や見た事もない綺麗なお菓子を準備している中を威風堂々との言葉がぴったりだと思う程優雅に通り抜けたクリスティーネ様は私にも着席を促した。
「本日は、最高級の茶葉と王都で有名な菓子店から取り寄せた物を用意いたしましたわよ」
こんなに芳醇な香りの紅茶は初めてで、キラキラ宝石のように輝くお菓子も美味しくて感動していると
「早速貴女の役割を説明いたしますわね。貴女は私の引き立て役で手足の様に命令には忠実に従ってもらうわね」
クリスティーネ様曰く、公爵令嬢で未来の王太子妃でもあるので高貴な彼女には、とりまきと言う常にお側に侍る貴族令嬢が必要との事だ。クリスティーネ様を敬い奉らなければならないらしい。命令は絶対で逆らう事はこのクリスタルディ王国に背く行為なんだとか。
スケールが大きすぎて唖然としている私に艶然と微笑む。
「拒否権はなくてよ」
私の将来が決定づけられた瞬間だった。
⁑
ルフェーブル王立学院は貴族令息令嬢版社交界だ。令息は将来の務め先や側近としての力をつけ、令嬢は礼儀作法を磨き教養を高め嫁ぎ先を探す。上級貴族は婚約者が決められてる事も多いが下級貴族は良いご縁を学園で育む事も多いと聞いた。十五歳から十七歳までの三年間を学友たちと青春を謳歌する
この春よりステラ・ヘイズは十六歳で二学年へ進級した。淡い桃色の花が春風に舞う。ステラは青春を謳歌して…………いなかった。
「ステラは本日も春うららですのね」
クリスティーネ様語で「呑気で何も考える事もなさそうで羨ましいわ」って翻訳でいいだろう。
「早くついてきなさい。殿下のお出迎えに間に合わなくってよ」
「ステラ様はのんびり屋さんですもんねぇ」
お分かり頂けただろうか。あれから十一年とりまき人生は継続中だ。クリスティーネ様は本当に未来の王太子妃で現在、クリスタルディ王国王太子と婚約中だ。日課の朝のお出迎えにはとりまきのステラも同行しなければならない。そしてとりまきが一名増えたのだ。
ラウラ・カミローネ伯爵令嬢。今年入学した十五歳。愛らしい顔立ちに桜色の瞳がさらに庇護欲をそそる。白いすべすべの肌にはえる黒髪はハーフツインテールで小動物を彷彿とさせる。
校門を側近を引き連れて颯爽とくぐり抜けるクリスタルディ王国第一王子ルーカス・フォン・クリスタルディ。品がよく端正な顔立ちで少し癖のある金髪に前髪半分をかき上げ、エメラルドグリーンの瞳。
「おはようございます。殿下」
「あぁ、出迎えご苦労」
テンプレートな会話をしながら三学年の教室に殿下やクリスティーネ様をお送りして自身の教室へ向かう。
学園生活一日の流れは朝のお出迎え、お昼のカフェテリアで反省会、放課後のお見送りだ。毎日こればっかりなので友人がちっとも出来なかった。とりまきの自分に自由時間と言うものはなく常にクリスティーネ様のスケジュールに合わせているので特別誰かと親しくなる時間は取れなかった。クリスティーネ様は我儘で傲慢、権力主義なのでとりまきの私に近づきたがる人が居なかった事も要因だろうか。クリスティーネ様の扱いは難しいが殿下を心から慕っている乙女で可愛い所もあるのだ。
そんなクリスティーネ様がある出来事から《悪役令嬢》に成り果ててしまうのは二ヶ月後の事だった。
⁑
とりまきの仕事はクリスティーネ様に付き従う事ではあるが内容は多岐にわたる。殿下との会話の話題集め、殿下の情報収集、クリスティーネ様に逆らう令嬢の教育、雑用諸々。ラウラの仕事は肯定役と分業している。
初夏になる前の雨が多い季節の出来事だった。ルフェーブル王立学院はセンセーショナルな話題で騒然となった。
『王太子殿下がクリスティーネ・パラヴィア公爵令嬢と婚約解消し、聖女の称号を与えられたリリー・リンドグレーン伯爵令嬢と婚約間近』
詳細を調べるように命じられたステラの情報にわなわなと怒りに震え整った顔が歪む。噛み締めた薔薇色の唇から腹の底に響く重低音で吐き出した。
「許さない。絶対に殿下を渡してなるものですか。地獄の底に叩き落としてやる」
碧眼がギラギラと不敵に光り鋭い眼差しが向けられ命令が下された。
「殿下を誑かす偽りの聖女をこの学園から追放なさい」
新しい仕事が増えた。吐きかけた嘆息を飲み込み曖昧に微笑んだ。
聖女様ことリリー・リンドグレーン伯爵令嬢はふわふわのピンクブロンドの髪に蕩けるような蜂蜜色の瞳で男女を問わず人気のある方だ。この春にリリー嬢の功績が認められ教会より聖女の称号を与えられた。慈善活動や孤児院での活動が称賛されている。非の打ちどころがないまさに聖女様だ。
ステラは学院で王都に来るまで田舎の領地で過ごしていた為追い出すと言われても何をしたらいいか頭を悩ませていた。ふとメイド達の会話を思い出した。
私のお世話を担当しているサラはヘイズ家へ来る前にも貴族のお屋敷に勤めていたが嫌がらせを受け耐えられなくなり辞めたと昔聞いた事があった。どんな内容かは聞かなかったが自分がされたら嫌な事をすればいいのね。
それからステラは思いつく限りの嫌がらせを聖女リリーに行い気づけば季節は夏真っ盛り。いつものカフェテリアの反省会でクリスティーネ様が痺れを切らし激しい口調でステラを詰る。
ステラはいつもの事のように曖昧に微笑んで頭を下げる。慣れたものでそれくらいの事で心を動かす事もない。
「クリスティーネ様申し訳ございません。聖女様のカバンに嫌がらせの贈り物をしているのですが未だ追放まで至っていないのが現状です。もう少しお時間がかかるやもしれません」
突然立ち上がったクリスティーネ様は私の側まで来ると鋭い眼光を向け飲みかけの紅茶を手に取るとステラの頭へひっくり返し厳しい口調で言った。
「秋にある学院のダンスパーティーまでにはなんとかなさい。まぁ、グズな貴女には期待していないけれどね。こうなったら私も直々に動くしかないわね」
そう言い残してクリスティーネ様とラウラはカフェテリアを後にした。残されたステラは冷めた紅茶でよかったと安堵した。ステラは実はちょっとズレた子だった。
スカートのポケットの中、ハンカチを探していると目の前にそれがさしだされた。差出人をみて呆気に取られる。
目の前に神の使いと見紛うほど綺麗な顔立ちで内から光り輝くような銀髪がさらりと風にながれる。少し目にかかる前髪から覗く澄んだ琥珀色の瞳は知的な印象だ。見目の麗し青年はステラの前に屈み顔を覗き込んで「大丈夫?」と優しく気遣ってくれている。
慌てて自身のハンカチを見せお礼を述べる。
「はい、大丈夫です。お心遣い痛み入ります。私もハンカチ持っていますのでアイスラー様のを汚してしまうわけには参りません」
「気にしないで。さぁ、女の子をいつまでも濡れたままにしておけないからね」
パチリとウィンクをして「失礼」と一言添えて髪に残った滴を拭いていく。さららと風にながれる銀髪に思わず見惚れふと気づくと麗しい顔が近くてどぎまぎして俯いた。頬が熱い気がするのは夏の暑さかはたまた……。
⁑
ミーンミーンミーンミン……
夏の強い日差しも森の木々に遮られ幾分かは和らぐがやはり暑い。手の甲で汗を拭い欅の木から御目当ての物を採取し籠へ入れる。これは聖女様への嫌がらせアイテムだ。
カフェテリアの一件以来ステラはクリスティーネ様のとりまきとして同行しないよう申し渡された。ただ嫌がらせは継続するようにと。週に一度放課後のカバンへ嫌がらせ出来るチャンスがあるので試みているが肝心の聖女様からのリアクションが無いのだ。ステラは聖女様に悪感情はなくむしろ好感しかない。憧れすら抱く聖女様に嫌がらせをするのもそろそろ疲れてきたなと溜息を吐いた。
夕暮れが滲み始めた放課後の教室は淡い橙色にそまり空気がキラキラと輝いて眩しい。
聖女様の学院指定カバンに採取した蝉の抜け殻を思い切り鷲掴んで詰め込んでいく。
ふとここ最近のやり取りからクリスティーネ様のとりまきに任命された五歳までの記憶が駆け足で巡った。困ったように曖昧に笑うようになったのはいつからだったか。思えばステラ自らの意思で行動した事はあっただろうか。いつまでとりまきとして生きていかねばならないのだろうか。ステラは平凡な学院生活を送りたかった。友達を作って放課後は流行りのカフェでお茶をしたかった。本当に普通に生活したかっただけなのだ。今はそれがとても難しい。無意識に独り言を口にだしていた。
「私も聖女リリー様の様に可愛いかったら友達になれるのかな……。おしゃれなカフェでケーキセット頼んでみたいなぁ」
突然背後から声をかけられヒュッと息がとまった。油がきれた人形の様にグギギギと首を動かすと神の使いと見紛う青年が手元を覗き込む形で立っていた。
「やぁ、お取り込み中だったかな?」
小首を傾げると淡い橙色が溶け込んだ銀髪がさらりと揺れる。その美しさに息を飲む。反応できずに固まるステラに問いかけてくる。
「なにしているの?」
詰んだ…………
瞬間的に悟った。
アイスラー様は王太子殿下と同学年で一番の側近候補。いや、将来の側近は最早確定している。殿下は今、聖女様と懇意にしているその側近が今この場にいるのだ。冷や汗が伝う。これはもう正直に話すしかないだろうと覚悟して口を開く。
「アイスラー様が目にしている事が全てでございます」
琥珀色がにっこりと笑んでステラの手元を指した。
「なんで蝉の抜け殻なのかな?」
「……生き物をカバンに閉じ込めるのは可哀そうなので……」
ふふっと笑い声がもれたと思うと、アイスラー様が笑っていた。琥珀色の瞳がとても優しくてドキリとした。
「ステラ嬢、提案なんだけどこの事内緒にしておいてあげようか?」
すぐには理解できずパチパチと瞬く
「内緒にするかわりに次の採取に俺も同行させてほしいんだよね」
「…………何故でしょう」
「うーん、面白そうだから?」
まったく理解出来ないし共感も出来ない理由だった。それでもステラに断る事は出来ない。戸惑いながら頷くと満足顔で「よろしくね」と言い残して教室から去って行った。
理解しきれず混乱した頭で考えても意味はなく前回のハンカチのお礼をしっかり伝えられていたかが気になった。
⁑
「風が気持ちいいね。今日はどこにいくのかな?」
相変わらず神の使いみたいに美しい青年が銀髪をさらりと揺らし振り向いた。
「学院の森にマリーゴールドの群生地があるのでそちらに向かいます」
風には秋の匂いがまじり木々の葉が色づく準備をしているようにらカラカラ軽い葉擦れの音がする。アイスラー様と採取に行くのはこれで3回目ともなるとお互い慣れてきた。あれから特に言及される事もなく本当に内緒にしているようだ。
森の開けた場所にマリーゴールドが咲き誇っていた。澄んだ空と橙色、山吹色、黄色の対比がとても綺麗だった。
花鋏を取り出し摘んでいく。パチン、パチンと花鋏の音が心地よく夢中になって摘んでいると気づけば横にアイスラー様が佇んでいた。
「綺麗ですよね。なんだか元気が貰える気がしてこの景色とても好きなんです」
屈んだまま目線だけ向けてここは特別にお気に入りの場所なんですよと微笑んだ。
「マリーゴールドは嫌がらせになるのかな?」
遠くを見て真剣な眼差しだった。
「どうでしょう。私はマリーゴールドはとても好きなんですが独特な香りが強いので苦手な方も多いかもしれませんね」
パチンと花鋏の音が響く。
「ねぇ、ステラ。いつまで続けるの」
ドキリとした。今まで言及されなかった事が不思議なんだ。
この場所だったからか思いの外すんなり言葉にできた。
顔を見て話す勇気はないので花を摘みながら話始める。
「いつまででしょうね。私にも分からないのです。何のために、誰のためにしているのか、いつまで続けて、いつ辞めたらいいのかも……私は幼い頃からクリスティーネ様と一緒でした。学院に来るまでは領地に居たので王都を訪れる機会は多くは無かったんですけれど彼女以外に友人はいませんでした。クリスティーネ様は我儘で傲慢な所もございますが恋する女の子で可愛らしい所もあって嫌いにはなれなかったし私も一人になるのが怖くて利用していた所もあったのです」
「それでも、もう従う必要はないのでは」
「そうかもしれません。でもクリスティーネ様から『もういいわ』とお言葉がなければ辞める事は難しいと思います」
はぁと溜息が聞こえた。顔を向けられずもくもくと花を摘み続ける。
「リリー嬢と仲良くしたいと思っているのだろう?」
「こんな事している私が望んでよい事ではないのですよ。それにクリスティーネ様を裏切るような事はできません」
さらに深い溜息が聞こえたけれどやはり顔を向ける事は躊躇われた。
「ステラ……」
土を踏む音が聞こえアイスラー様が隣に屈み込む。手が顎に添えられ目線を合わせるようにクイッと上げる。
沈黙……いや、耳の奥がドンドンと煩い。おまけに顔に熱が集まって耳まで赤く染まってしまっていそうだ。目を瞠ったステラを満足げに眺めて妖艶に微笑むのでこれ以上血が集まれば爆発してしまいそうだ。はくはく浅い呼吸を繰り返しながら首を振って抵抗してみるが離してはくれないようだ。
「ステラ、提案なんだけど嫌がらせの贈り物から嬉しい贈り物に変えてみたら」
理解できず首を傾げた。
「クリスティーネ嬢の言いつけを言葉通り取るならステラが『嫌がらせのつもりだった』と伝えればなにをしても嫌がらせと言い張れるんだよ」
目から鱗が落ちた。ボロボロと落ちた。唖然としたステラにさらに続けた
「大丈夫。俺が面倒を見てあげるよ。リリー嬢とも仲良くなれる様に協力もする。どう?」
「わ、私なんかがいいのでしょうか。許してもらえるのでしょうか」
「うーん、大丈夫だとおもうよ」
あっさりとなんでもない事のように言う彼はやはり神の使いのようだった。
一歩踏み出してみたいと思った。初めて自分の意思で強く望んでみたいと思った。
マリーゴールドの花々に勇気をもらい背中を押してもらえた気がして力強い眼差しを向けて言った。
「嫌がらせはもうしたくないです。せっかくなら喜ばれるものを贈りたいです。手伝ってくださいますか?」
ステラの言葉に少しだけ目元を染めて頷いてくれた。
そこで疑問に思った事を聞いてみた。
「アイスラー様はどうして私を助けてくれて、さらに優しくしてくださるのですか?」
顎に添えられていた手が離れたかと思うと縦にした人差し指を軽く唇に押し当てて
「内緒」
うっとりと見惚れてしまうような笑みと唇の感触に顔に熱が集まり眼が潤み爆発寸前だ。ぷるぷる震えるステラを見て笑い出してしまうから今度はおろおろするはめになった。
一頻り笑ったあと「ごめんね。少し刺激が強かったかな」と微笑む。
「さぁ、もう帰ろうか」
ハッとして慌てて片付け後について歩くと手を差し出される。
「?」
「お手をどうぞ、レディ」
おずおずと手を重ねるときゅっと握られてしまった。
ドキドキするのは爆発してしまわないか気が気でないからですよね?
⁑
「わぁ、なんて素敵な空間なんでしょう」
キラキラ目を輝かせキョロキョロと周りを見渡してしまうのは仕方がない。だって初めてカフェにやってきたのだ。はしゃぎたくなってしまうのも許してほしい。
クリーム色と灰色がかったミントグリーンの壁紙に艶消しの金の装飾がとても素敵ですぐにお気に入りのお店となった。
可愛いお仕着せのメイドが運んできた真っ白な陶器に淡い色合いで花の絵付けがされたティーカップも素晴らしくもちろん高級な茶葉を使用している紅茶も逸品だ。イチジクのタルトは艶やかに輝き一口頬張ると甘くてとろける美味しさに悶えてしまう。
向かいの席では神の使いが微笑んでいる。
ハッと興奮しすぎていた事を恥じるように俯くと優しい声音で「ゆっくりどうぞ」と宥められてしまった。紅茶を飲む姿も優雅でつい心臓が跳ねてしまう。
喜ぶ贈り物をしよう作戦は継続中で今回はお菓子の詰め合わせを買いに来たはずが、すっかりカフェを堪能してしまっている。
アイスラー様は毎回付いてきてくれてアドバイスもしてくれる奇特な方なのだ。だけどマリーゴールドの日から心臓が壊れてしまったようだ。一緒にいると心拍数が上昇し爆発寸前になる事もあった。ステラは一度お医者様に診てもらおうかと思っている。
「ステラは楽しそうだね」
「はい!今日はこんなに素敵な所に連れてきてくださりありがとうございます」
はにかんだ笑顔で伝えると嬉しそうに微笑み返された。
「ずっとこういう場所に憧れていたんです。放課後に友人とカフェに行くのが夢だったんです。一つ夢が叶いました!ありがとうございます」
伝え終えるとイチジクのケーキをパクリと頬張る。美味しさに震え、マナーとして褒められた行為ではないが足をパタパタさせてしまった。
「友人でいるつもりはないのだけどな……」
ステラはケーキに熱狂しすぎてよく聞こえなかったし目元を染めて愛おしそうに見つめられていたのにも気づかなかった。
⁑
秋も深まってきたある日、クリスティーネ様より空き教室へ呼び出された。
「ねぇ、貴女は一体今まで何をしていたのよ!」
出会い頭にトップギアで切り込んでくるクリスティーネ様は怒りで震えているようだ。
心当たりはあるし逃げてばかりもいられないので本当の気持ちを伝える時が来たのだと判断した。
「私の命令した事理解してないの?偽聖女を追放しろと言ったのよ!あのアバズレが殿下に言い寄ってるせいで私が婚約破棄されるなんて戯言まで噂されているの!私は辱められているのに貴女は呑気に遊んでいたでしょ!」
一気に捲し立てはぁはぁと荒い息を吐くクリスティーネ様の半歩後ろに立つラウラが補足する。
「ステラ様に下された命令は偽聖女を追放する事だった筈なんだけどぉ、ぜぇんぜん追放される気配ないし、偽聖女と殿下、より親密になって放課後一緒にどこか出かけてるみたいだよぉ。それなのにステラ様はあのアイスラー様とお近づきになられたようでぇ、それって抜け駆けですかぁ?」
「偽聖女への嫌がらせはどうしたのよ!一向に問題になっていないってどういう事説明しなさい!」
途中でラウラとクリスティーネ様の主張が食い違うような所もみられたけど意を決して一歩踏み込む。
マリーゴールドの花々の中で決意した光景を思い浮かべて勇気をだす。
「クリスティーネ様、私はもう聖女様へ嫌がらせはしたくありません」
「ちょっと!何を言い出すの!私に歯向かう気!」
できるだけ微笑んで見えるように表情に気をつけ、続けた
「いえ、歯向かうつもりはないのですが、殿下と聖女様の噂は噂であって真実とは限らないのではないですか?殿下にご事情を伺ってみては如何ですか?正式な婚約者はクリスティーネ様です。真意を確かめられてみてもよいのではかないと思います。誤解や勘違いの可能性はございませんか?真実がどこにあるかわからない状況の今そのような行動は謹んだ方が良いと判断致しました」
ステラが投げかけた質問にクリスティーネ様は一歩下がりぐっと息を飲んだ。慌ててラウラがくちばしる。
「それじゃ、アイスラー様の事はどう説明するのよ!」
ぷりぷり怒っている姿まで愛らしいので迫力はない。
「アイスラー様は協力者です。私なりに聖女様へ贈り物を続けるために助けてもらっています」
「は?なにそれ、意味わかんないだけど」
「それは嫌がらせの一環なのかしら?」
「受け取り側がそう思うのなら嫌がらせかもしれませんね」
「貴女!いつからそんな生意気な事を言うようになったのよ!今まで通り、はいはい言う事を聞いているだけでよかったのよ!勝手な事しないで!」
ステラは大きく息を吐くそして思いっきり吸い込む。
意識して目線は高く微笑んで。
「私はクリスティーネ様の操り人形にはもうなることはできません。意思を持つ事を覚えてしまったのです。私は聖女様、リリー・リンドグレーン様と友人になりたいのです!」
言った……初めて言えた……自分の気持ち。
こんなに爽快な気分になれるなんて知らなかった。ステラは花が綻ぶように笑う。自由になれた気がして体まで軽くなった。なんだかどこまでも走って行ける気がして体が動いた。
突然走り出したステラに呆然とする二人はただただ小さくなっていく背を見ていた。
走りながら走馬灯のように五歳でとりまきに任命された事から今日までが駆け巡る。クリスティーネ様の事は嫌いではなかったし友人だと思っていた。だからこそ側にいて彼女の望みを最大限叶える努力はしてきたつもりだった。だけど先の事ではっきりした。クリスティーネ様はステラの事を友人とはかけらも思っていなかったのだ。とりまきはとりまきでしかない。現実を突きつけられただけだった。でもそれで良かったんだ。きっかけがなければいつまでもとりまきのままで意思のない操り人形のままだった。意思を持つ事を教えてもらった、持ってもいいんだよって言ってもらえた気がしたから踏み出せたんだ!
秋の空は爽やかで澄みわたりステラの気持ちを代弁しているようだ。
夢中で走り抜け辿り着いたのはあのマリーゴールドの群生地だった。空の浅葱色とマリーゴールドの橙色の中に青年が佇んでる光景が神秘的で美しく映るのは心のありようが変化したからなのか神の使いのようなその人がいるからなのかはわからなかった。
膝に手をついてはぁはぁと息を吐いていると慌てた様子で駆け寄ってくる青年がいた。
「ステラ!なにかあった?どうした?」
顎に伝う汗を手の甲で拭い大輪の花が咲いたように笑んだ。青年が身動いだ。
「ステラ……?」
深呼吸をしてから口を開く
「アイスラー様、私、言っちゃいました!ついに!」
「う、うん、」
少し動揺しているようだ。珍しいなと意識の外で思いながら続ける。
「クリスティーネ様にとりまきを辞めたい事。聖女様と友人になりたいと思ってる事。言えました!」
まだはぁはぁしてる私の背をさする優しい手に安堵する。
「そっか。よかったね。頑張ったね」
とろけるような笑顔だった。まさしく破顔というのだろうか。頬が熱くなるのがこの笑顔の破壊力か走った影響かはまだわからない。
鳥のさえずりに耳をすまし頬に感じる秋の風は華やかな色が無色になっていくような物哀しさを感じるけれど今の私にはちょうどいい。突然解放された高揚感と今までの居場所がなくなった寄るべなさをどちらの気持ちも大事にしていいんだと思わせてくれた。
おもむろに肩を抱き寄せられどぎまぎしてしまう。また心臓が壊れた。そんな私に気づいたのかふっと笑って覗き込む。
「ステラは頑張ったよ。大丈夫。ステラの居場所は俺が用意するから。言ったでしょ、俺が面倒を見るって」
パチリとウィンクをして冗談のように言ってくれたけど琥珀色の瞳は熱のこもった視線だった。
「来週のダンスパーティーのパートナーは決まっているの?」
ふっと空気が切り替わり柔和な印象の青年が言う。
「……い、いいえ。ダンスパーティーはいつもならクリスティーネ様のお側に控えるだけなので特には。家族で参加する時は兄にエスコートしてもらえるのですが、学院のパーティーは生徒限定ですからね。去年もパートナーはおりませんでした」
何故か嬉しそうに口角を上げて流れるような動作で手を取られる。
「ステラ・ヘイズ嬢。一週間後のダンスパーティーのお相手願えますか?」
銀髪が秋の風でさらりと揺れる。少し目にかかる前髪から覗く琥珀色は澄んでいていつもの微笑みなのに今は魅惑的だった。
思わず息を飲んで胸に手を当てる。相変わらず壊れた心臓は煩くてどうしようもないが浮き足立つ心と雰囲気にあてられたのか酸素が足りないのかクラクラする頭で答える。
「……はい、私でよろしければ」
ほっとしたようなはにかんだ微笑みで手の甲に口付ける。初めてのことにあわあわするステラをみてクスクス笑いながら手を繋ぐ。
「風が冷えてきたから帰ろうか。マイ レディ」
ついに私は爆発したのだった。
⁑
ダンスパーティーを翌日に控えた夕方。王都にあるタウンハウスにドレスが届けられた。送り主はウィリアム・アイスラー公爵令息だ。
メイドのサラが興奮して部屋に駆け込んで来ると唐突にワンピースを剥ぎ取る。
「お嬢様、アイスラー様からドレスが届きましたよ。早速試着して下さいまし。サイズ調整が必要になれば急がねばなりませんからね」
喜々と容赦なく剥いていくサラには何を言っても無駄に終わると学習済みである。小さく息を吐き擽ったそうに微笑んで従う事にした。
プリンセスラインのドレスで橙色のベース生地に淡い黄色のシフォン素材が重ねられ、腹部を中心に広がるように襟、袖からトレーンまで繊細な草花文様の刺繍が施されている。ドレスも靴もサイズがピッタリなのが不思議だねと溢すとサラは「ふふふ」といたずらに微笑んだ。
「さぁお嬢様、装飾品も合わせていきましょう」
装飾品にはどれも高価な宝石や琥珀があしらわれどうみても特注品だとわかる。一週間でとても用意できるものではない。ご家族からお借りしたかもしれないから大事にしなくてはと意気込むがサラはサクサクと整えていく。
首飾りは琥珀とイエローダイヤモンドが散りばめられ、耳飾りはマリーゴールドがモチーフでシャラリと揺れる様子は儚げだ。それぞれ素晴らしい細工とデザインでうっとりしてしまう。
最後に手渡された髪飾りは息を飲んだ。半円形に繊細な意匠で蔓草に花が散りばめられ、中心部分の花々には雌しべに当たる真ん中に琥珀があしらわれた後ろから着けるカチューシャのような髪飾りだった。思わず笑みが溢れ嬉しくて堪らなかった。
「さぁさぁ、お嬢様どんな髪型にしましょうか。王都の流行は押さえてありますのでこのサラにお任せ下さいませ」
胸を張ってとんと叩く頼もしいメイドに大きく頷いた。
「えぇ、よろしくね。素敵なドレスに負けないようにとびっきりの美人に仕立ててちょうだい」
少し頬を膨らませ目線を合わせて同時に声を上げて笑う。
学院のダンスパーティーが楽しみで待ち遠しく心弾む気持ちになるなんで誰が想像できただろう。
いつもより早くベッドに潜り込んだがなかなか寝付けなかった。
⁑
「おはようございます、お嬢様。本日は朝から忙しいですよ」
元気なサラにピカピカに磨き上げられ朝食もそこそこにあれよあれよという間に着飾られていく。
「さぁ、仕上がりましたよ。どうでしょう。サラの自信作でごさいます」
誇らしげに胸を張るサラに姿見まで連れて行ってもらう。そこには自分でも驚くほど華麗に変身した姿があった。
ゆるく結い上げられ編み込んだ後頭部にカチューシャを飾り後れ毛をあえて残して儚げな印象に仕上がっている。
繊細な刺繍が施されたドレスは琥珀色の瞳を連想させ勇気と自信を与えてくれる。
この姿ならどんな事でも乗り越えて行けそうだ。「大丈夫だよ」と優しい声が聞こえてくるようだ。
嬉しくて少し恥ずかしくてそわそわしていると迎えが来たようだ。
ゆっくりと転ばないように階段を降りるとエントランスで待機していたアイスラー様が振り返りそして止まった。
「お待たせ致しました。アイスラー様本日はこのような素敵なドレスを用意頂きありがとう存じます」
謝意を表したくてカーテシーをする。アイスラー様は時が止まったように動かない。
アイスラー様の正装姿は初めて見たけれど気品と華があり輝くばかりの美しさにくらりとする。
濃紺色の正装に片方に寄せたケープには金糸で豪華な刺繍が施されているが嫌らしくなく気品がある。ハンカチーフにドレスと同色があしらわれていて統一感があるのが嬉しい。
さらさらの銀髪は片耳を出すようにセットされ耳飾りにはシャラリと揺れる装飾でお揃いみたいだなとドキッとした。
ついつい見惚れてしまい降りた沈黙を破ったのは兄のセアドだった。
「ステラ、とても似合っているよ。パーティー楽しんでおいで」
優しく微笑んでアイスラー様に向き直り私の事を頼んでくれた。
「アイスラー卿、本日はステラをよろしくお願いします。何分、経験が少なく無作法もございますでしょうがどうぞ寛大なお心でお導き下さいますよう」
兄の声にハッと覚醒したアイスラー様はキリリと頷いて
「大事な妹君をお預かり致します」
そして私に向き直り照れたように笑い
「とても綺麗だよ。天使が舞い降りてきたと思うほどにね」
エスコートされ馬車に乗る。正面で頬杖を突いて首を傾げながら優艶に覗き込まれ頬に熱が集まる。何か声をかけなきゃと思うのにはくはくと空気を喰むばかりになってしまう。恥ずかしくてどこかに隠れたい衝動に駆られていると
「どうしよう。可愛すぎて誰にも見せたくないんだけど」
急に頭を抱えてしまうので隠れたい衝動を捨て去って、両手を伸ばしお伺いをたててみる。
「……だっ、大丈夫ですか?…………ッ!!」
手を引かれて声を上げることも出来ず気づけばアイスラー様の腕の中に閉じ込められていた。
「ごめん。せっかく綺麗にしてくれたのに。ねぇ、このまま俺の中に閉じ籠めていいかな」
壊れすぎてポンコツの心臓が早鐘を打つ。この速さで鼓動し続けてると止まってしまう、なんとか離れようとアイスラー様の胸元に手を当てるとこちらも早鐘を打っているようだ。私だけじゃないんだと思うと温かなものが胸いっぱいに広がった。甘くて少し切ない感情は初めてだけどこれが恋だとはっきりとわかった。
思わず笑いが漏れてしまった。
体が離されそこにあった体温が失われると胸が締め付けられるように寂しさを覚えた。目だけで見上げると琥珀色が揺れた。
「突然笑い出したから何事かと体を離すと今度はそんな切なげな目で見つめてくるとか。……ねぇ、何処で覚えてきたのそんなの。箍が外れてしまうからこれ以上はダメだよ」
目元を覆いながらそっぽをむいて俯いてしまった。さらりと流れる銀髪からちらりと見えた耳が赤かったのは内緒にしてあげようと思った。
会場には色とりどりのドレスが花畑のように咲き乱れている。去年より色彩豊かに見えるのは一人ではないからだろうか。
アイスラー様にエスコートされ入場すると視線が集まる。神の使いのような青年の登場に皆注目しているようだ。アイスラー様を見るとすごく嫌そうな苦虫を噛み潰したような表情だ。
「どうしたのですか?」
ステラが問いかけると、真情のこもった眼差しで見つめられ心臓が跳ねる。
「今日は俺以外と踊らないで欲しい。できるだけ側に居たいけど、もし外さなければならない事があった場合他の男に近寄ったらいけないよ。今日のステラは綺麗で可愛すぎるから。誰にも触れさせたくないんだ」
念入りに諭され頷くとホッとしたように頬を緩めた。
会場に音楽が鳴り始め王太子殿下とクリスティーネ様が入場された。殿下のエスコートを受けているクリスティーネ様が嬉しそうに微笑んでいるので少し安心した。あの噂は勘違いだったんだと。
ファーストダンスはパートナーと踊る。
「俺に貴女と踊れる栄誉を与えてもらえますか?」
優雅に手を差し出す。
少しでも釣り合う女性に見えるように上品に淑やかさを意識して手を乗せ、花が綻ぶように微笑む。
「私でよろしければ、よろこんで」
こんなに優雅に踊れるのはアイスラー様の巧みなリードのおかげだ。
流麗なダンスにすれ違う生徒たちもうっとりしているようだ。もれなくステラもうっとり見とれてしまう。
シャンデリアに照らされた銀髪が煌めいて、お互いの耳飾りがシャラリと鳴る。ポンコツ心臓は変わらず早鐘だが保つだろうか。ダンスが楽しくて笑い声が漏れた。
「ふふ、ダンスがこんなに楽しいものだなんて初めて知りました。ずっとドキドキして心配だったんですけど上手く踊れてよかったです」
「俺もだよ。ステラとだから楽しいし、特別な子だからこそ胸が高鳴るんだ」
「私も一緒です」
「…………ねぇ、ステラ。俺は自惚れてもいいのかな。ステラも同じ気持ちだって」
熱い眼差しに甘さと切なさが混じる。ぐっと抱き寄せられ近づいた距離に琥珀色の瞳がよく見える。琥珀色にほんの僅かに黄色寄りの爽やかな緑色と赤褐色が隠れているのを発見した。ステラの視線を遮るように瞳を伏せ耳に唇を寄せる。
「好きだよ。ステラ」
ハッとした瞬間に演奏が終り、お互いに礼をとる。
一歩分の距離がもどかくしてでも時間が止まったように動けなくてステラは途方に暮れたように眉を下げて微笑む。先の言葉が耳の奥でリフレインしアイスラー様の赤くなった目元を見て現実味が増した。心の泉から温かなものが溢れて止まらなくて擽ったくなり俯いてしまった。
答えが決まっているのに言えないでいるステラに一歩分縮め手を取りテラスへ誘導する。温かな温度にホッと息を吐いた。
漸く顔をあげると見るもの全て煌めいて見え、まるで別の世界へやってきたような、新しい扉を潜り抜けたような清々しい空気だった。
あぁ、私は幸せなんだなとふわりと実感できた。
二人の世界に浸っているとつかつかと足音が聞こえパーティー中だった事を思い出す。誰かがアイスラー様に耳打ちしていた。心底面倒そうに嘆息した後困ったように微笑んだ。
「ごめん、殿下のところでトラブルがあったみたいで行かないといけない。大切な話もしたいし待っててもらえる?」
名残惜しそうに手を離すとケープを翻した。
残されたステラはきょろきょろと辺りを見回してみるも友人は皆無であるため特に行き場がなかった。会場の隅に移動しようとした所で会場に叫声が響いた。
見知った声に駆け寄ろうとするとそこには大勢の人だかりができていた。掻き分けなんとか最前に向かった先はなんとも言えない修羅場であった。
おろおろと状況を確認しているとアイスラー様と目が合った。なんだか心配そうな顔をしていたのが気になった。中心の王太子殿下を対称に右にクリスティーネ様とラウラ、左に聖女リリー様、殿下の少し後ろにアイスラー様始め側近たちが控えている。
「このアバズレ偽聖女が殿下を誑かしたのよ!」
鬼の形相で聖女様を詰るクリスティーネ様は悪魔に取り憑かれたように髪を振り乱し荒い息を吐いている。
「そのような事実はございません。友人として適切な距離を保って交友しております」
「でもたった今、殿下と踊ろうとしてたじゃない!殿下の婚約者は私よ!」
「クリスティーネ様とはファーストダンスを踊られていたと思いますが……。私から殿下の申し出を断る事は出来かねます故お受け致しました。疚しい所などございませんわよ」
「そんな飄々とした態度で私を貶めるつもり!?」
辺りは騒然となり緊迫した空気が流れる。
溜息を吐いた殿下が二人の間に入り説得するようだがその表情は厳しかった。
「少し落ち着いたらどうだ、クリスティーネ。一度控えの間に下がってから話し合おうか」
衆人環視の前でこれ以上ダンスパーティーを中断させてはならないとの判断は流石だ。どうやら激昂したクリスティーネ様は止まらないようだ。
「殿下、何故婚約者以外の者をダンスに誘うのですか?こんなに愛しているのに伝わりませんか?」
殿下の眉間のシワが濃く刻まれ、さらに大きな溜息を吐いた。手は額にあてられ頭痛に耐えているかのようだ。
「クリスティーネ、私は王子として他の者と踊るのも仕事のうちだ。婚約者とはファーストダンスを踊った事で責務は果たしているはずだ」
「で、ですが……」
「それに聖女リリーとはこれから力を入れていく国の指針となる取組みの為の聴取と現場視察など行っていただけだ」
「そ、そんな……」
「何度も説明してきたがまさかここまで愚かとは思わなかった」
「で、殿下……」
「それにクリスティーネ、お前は噂に惑わされ愚かにも聖女リリーへ嫌がらせをしていた様だな。全て調べてある」
「……あ、あ、あの、……そ、それは……」
おろおろとするクリスティーネ様と目が合った。その瞬間ぞわりと背筋が震えて蛇に睨まれたカエルの如く動けなくなってしまった。
好機とばかりにクリスティーネ様はステラを指さしながら声高らかに言い放つ
「偽聖女に嫌がらせをしていたのはこの女です!」
会場中の視線が注がれ遂には声を発する事もできなくなってしまった。
ガタガタ震える体を抱きしめながら立っているので精一杯だった。
「この女、ステラ・ヘイズが放課後に偽聖女のカバンへ嫌がらせをしていたのは存じていましてよ」
扇で口元を隠していても分かるほどニンマリ笑っているのだろう。クリスティーネ様に追随してラウラが愛嬌たっぷりに捕捉した。
「はぁい!わたしも知っていまぁす!たしかぁ、虫とか入れてたよねぇ」
会場がどよめく。
口々に非難の声が聞こえてくる。震えが増し歯の根も合わなくなり言葉のかわりにガチガチと鳴る音だけが響く。
どんな理由であれ憧れた聖女様に嫌がらせを行って来たのは事実なのだ。言い逃れは出来ないししたくなかった。数分前まで夢のような時間を過ごす事ができた、こんなに素敵なドレスを纏う事ができた、好きな人に好きだと言ってもらえた。これ以上は幸せになってはいけないと神様が仰っているんだ。今までの罪を無かった事のように過ごす事は出来ぬと。大丈夫。こんな素敵な想い出を抱えていられるなら十分だ。
感謝の気持ちと私も好きでしたの気持ちを込めてアイスラー様と目を合わせ、今できる一番の笑顔をしてみせた。
大きく深呼吸をして震える足を踏み出す。大丈夫だよと聞こえた気がして髪飾りに触れる。大丈夫。勇気と自信をもらえた今日の装備なら大丈夫。
「聖女リリー様への嫌がらせ、その犯人が私ステラ・ヘイズとの事実は本当でございます。王太子殿下」
「どういう事だ?」
「私は、諸事情にて聖女リリー様へ不快に思うような贈り物をカバンへ入れるという嫌がらせをしたということです」
「具体的には?」
「多岐にわたるので全て申し上げる事は割愛させていただきますが、蝉の抜け殻、虫に似せたお菓子、臭いがキツイ薬草や花などでしょうか」
沈黙が降りる。ポンコツ心臓が頑張ってる音だけが聞こえる。お願いもう少しの辛抱よと祈る気持ちだった。
「……は?」
殿下の間の抜けた声が力なく響く。
「ん?ちょっと待て。話を聞いた限りだとその不快に思うような贈り物をしただけだと?」
「はい」
困惑した空気にステラまで飲み込まれそうだ。何とか床を踏み締めて耐える。
「聖女リリー、今のは事実か?」
「うーん、事実っていえば事実ですが、真実とは違いますよ。殿下」
「申してみよ」
「確かにそれらの贈り物は頂いたのは事実ですが私は一度も嫌がらせだと感じた事はないですよ」
会場が再びどよめく。
ステラも聴いた事柄が理解できず目を白黒させる。
「頂いたものはすべてありがたく頂戴したのですよ」
聖女リリー様が慈悲深く微笑んだ。
ステラは咄嗟に答え合わせをするように口を開いた
「で、では、ドクダミの葉は?」
「孤児院のみんなでお茶にしたりお薬にしたわ」
「虫を模したお菓子は?」
「あれも孤児院のみんなで頂いたわ。子供達がすごく喜んでいたわよ」
「かすみ草の花束は?」
「教会に飾らせてもらったり私の邸にも飾らせてもらったわ」
生温かい空気に変わっているのだがあわあわしているステラには気付けなかった。
「蝉の抜け殻は?」
「蝉の抜け殻って幸運の象徴なのよ。教会も孤児院のみんなもとっても喜んでくれたわ」
「そ、それじゃぁ、マ、マリーゴールドの花束は?」
「あぁ、それはね誰かさんが全部持って行っちゃったわね。私もマリーゴールドは好きだから少しくらい譲ってくれても良かったのに。……ねぇ?」
ニヤリと笑って奥の方に視線を向けた。
どうして良いのかわからず混乱したステラは頭を抱えて蹲ってしまった。
淑女としては有り得ない行為なのだがもう立っている力がない。許してほしい。誰に乞うわけでもないけれど。思考がどこかへお出かけしそうになった所で腕を掴まれ引っ張り上げられた。
そこには好きだと自覚してもやはり神の使いのように美しい青年が目尻を下げて微笑む。
躓いたときに助けてくれて、勇気と自信を与えてくれる彼を心から愛おしいと思った。
するりと頬をなで「頑張ったね、もう大丈夫だよ」と励ましてくれた。泣きそうになったが何とか堪えた。「もうちょっとだから少し待ってて」と言い残し前に出る。
「殿下、ステラ嬢の嫌がらせは彼女が聖女リリーと友人になりたくて始めた贈り物なんですよ。恥ずかしがり屋なのかちょっとズレてたりするところが可愛いんですが名前を添えるのを忘れていたようですね。贈り物に珍妙な物が多かった事もあり好意の贈り物が嫌がらせの贈り物に誤解されてしまったのでしょう。後の贈り物は改善されているはずですよ」
次を促すように聖女リリー様に口角だけ上げて見せる。
「はい、殿下。後の贈り物はカフェのお菓子だったり彩り豊かな花束、綺麗な細工の小物入れなどどれも心嬉しい贈り物ばかりでしたわよ」
「であれば、リリーは嫌がらせなどと思ってもいないんだな」
「はい。私はいつも贈り物をしてくれる方にずっとお礼とよろしければ友人になりたいと伝えたく思っていたのですよ」
百合の花のような可憐な微笑みを向けられ、目頭が熱くなる。少し上を向いて涙が溢れないよう深呼吸をした。
そんなやり取りを茫然と見ていたクリスティーネ様が絶叫した
「そんなの絶対に認めない!こんな話は嘘よ!全部嘘!だって私が命じたんですもの。この偽聖女に嫌がらせをして学院を追放しろとね!とんだ茶番に付き合わされたものだわ」
高らかに笑うクリスティーネ様に手を差し伸べる者は居なかった。
「クリスティーネ、其方がリリーを追放する為に嫌がらせをしたのは事実なのだな?」
「えぇ、ですからそう申し上げておりますの。追放出来ないのであれば自ら出て行ってもらうだけですわ」
狂ったようにケタケタ笑う様は壊れた人形のようだ。整った美貌に豪華な金髪、碧眼。今日のために作られた真っ赤なドレスその全てが人形その物に見えた。
「クリスティーネ嬢、それではこれから貴女が行った行為について伺います。貴女は教会と孤児院に赴き、聖女リリーは偽物だと言いふらし聖女リリーを追い出さなければパラヴィア公爵家からの寄附金を取りやめると脅迫しましたか?更には学院長へも同様の脅迫とリンドグレーン伯爵家の家業に圧力をかけた。これは真実ですか?」
静かに淡々とした口調で詰問するアイスラー様からクリスティーネ様へ全生徒の視線が注がれる。
鼻で笑って吐き捨てる
「えぇ、そうよ。最初からこうすればよかっただけの事。我が公爵家の権力をもってぶっ潰せばよかったんだわ。まぬけな駒を無理に使った事が敗因ね」
豪華絢爛で傲慢な声色に会場中が慄いた。パラヴィア公爵家以上に力のある家は他にない。この理屈が通ればクリスティーネ様が最強なのだった。
分かっていたけれど直接駒と言われてしまえばそうなんだろうとストンと納得する。友人と慕いたかったのはステラだけだったのだ。少しの喪失感に胸に木枯らしが吹いた。
誰も言葉を紡げず静寂となる。
「…………クリスティーネ。残念だ。」
ぽつりと呟かれハッとした。一人だけいたのだ。パラヴィア公爵以上に権力を持ち合わせている一族が。
クリスタルディ王国王太子ルーカス・フォン・クリスタルディその人が。
過去を断ち切るように鋭い眼差を向け威厳のある声で言い放つ。
「クリスティーネ・パラヴィア、今この時をもって其方との婚約を破棄する!」
会場が三度どよめく。
「其方は未来の王太子妃という立場にありながらこの国に住う民を慈しまずさらには権力で脅迫した。これは将来王家を担う者として大いに矜恃が欠けていると言わざるを得まい。本来は聡明であるはずだった其方だが、下らぬ噂ばかり信じ、私の話に聴く耳をもたなかった。そして未来を担うこの学院全生徒の前でのこの醜態。庇い切れるものではないぞ。パラヴィア公爵家と協議の上詳しくは決めるが婚約は破棄する。これは決定事項だ」
一瞥をくれると金青のケープをバサリと鳴らし踵を返し退場された。
慄然として膝から崩れ落ちたクリスティーネ様は痛々しく瞬きすら出来ない姿態は確かに壊れた人形に思えた。
残された側近たちによりダンスパーティーの中止が発表され速やかに会場を出るよう促す。
雅やかに飾られていた会場が途端に色褪せて瞳に映りステラの胸はツキリと小さく痛んだ。
このとんでもない事件は翌日には王国中に知れ渡る事になるのだが、今はもう休みたい。激動の一日に精も魂も尽き果てる。くらりと傾いだステラを受け止めたアイスラー様に抱き抱えられ会場を後にする。
アイスラー様の馬車に揺られながら寄り添い合って手を繋ぐ。ガタガタと揺れに合わせシャラリ音をたてる耳飾り、合わさった体温からかすかに感じるオレンジとベルガモットの香りにホッとしてドキッとする。限界が近いポンコツの心臓はゆるくトクトクと拍動していた。
⁑
あれから五日、王太子殿下とパラヴィア公爵令嬢の婚約破棄事件は落ち着きつつあった。
クリスティーネ様は療養の為隣国の親戚の元へ送られるようだ。隣国は森と湖が綺麗な土地で少しでも心を癒し己の心と向き合う事ができたらいつかみた大輪の薔薇が咲くような笑顔が取り戻せるかもしれない。
ステラは胸の内で祈る。クリスティーネ様の元にも幸せが訪れますようにと。
王太子殿下は冬の終わりに学院を卒業した後クリスティーネ様と結婚する予定だった為王宮は大慌てで次の婚約者を探しているようだ。候補筆頭は聖女リリー・リンドグレーン伯爵令嬢。婚約が整えば一年後卒業したのちに結婚するようだ。
聖女リリー様は王国を挙げて孤児院や慈善活動に力を入れてもらえるならば殿下との婚約も吝かではない様子だった。慈愛に溢れる彼女ならば王太子妃や後の王妃としても国民の支持も厚く御代は安泰だろう。そんなリリー様と無事に友人となる事もでき落ち着いたらお勧めカフェと孤児院にも連れていってもらえる約束をした。どんな贈り物が喜ばれるのか考えるのが楽しくつい頬が緩んでしまうのは許して欲しい。
秋麗の空は高く澄みわたりうろこ曇がより空の高さをひきたてる。木々が黄葉が深くなり秋づく。
浅葱色の空とマリーゴールドの対比がえもいわれぬ美しさなのは想い出補正もあるかもしれない。つい顔が綻んでしまう。意思もなく操り人形だった日々に寄り添ってくれる人が在り変わるきっかけをもらえた。大切に守ってくれていた。この胸に宿った温かな感触と情景は忘れる事はないだろう。
肩を抱き寄せられると感じる体温に頬を染め見上げる。風にさらりと揺れる銀髪、澄んだ琥珀色、優しい声に愛しさが募る。
「ステラと一緒に観るこの光景は一生忘れる事はないな」
目を細めて遠くを眺めている横顔にみいってしまう。
「マリーゴールドの香りも空の高さも風の感触も忘れないだろう。……だけどね、ステラと一緒でなければどれも色褪せてしまうんだ。だから……ずっと俺の側にいて?」
はにかんだような笑顔なのに前髪で瞳が翳ると艶麗でトキリと心臓が跳ねる。
「もう、離してあげられないんだ。本当は閉じ籠めて隠してしまいたい。……怖い?嫌われたくないから俺も頑張るけど…………好きだよ。ステラ」
「…………私もアイスラー様のお側にいたいです……」
羞恥で俯いてしまう前に頬に手を添えらる。するりと撫でて顎を持ち上げられ眼線が絡み合う。琥珀色に吸い込まれそうだ。
「ウィリアム」
「……?」
「名前で呼んで。ステラ」
「……ウ、ウィリアム……様」
「うん。愛しているよ。ステラ」
「……私も、お、お慕いしております」
「本当に、もう離してあげられないよ?」
「……は、はい」
「それじゃあ、覚悟してね」
眼前に迫る琥珀色にみいられ目を閉じる事ができない。傾けた顔に銀髪がさらりとゆれ翳ったと思うのと同時に唇が甘く痺れる。触れるだけのそれはすぐに離れてしまったけれど甘く痺れた唇が熱を持つ。その熱が全身を駆け巡り目が潤んでしまう。
「……ステラ、そんな顔俺以外に見せちゃダメだよ。前も言ったけど。何処で覚えてきたのほんと……」
銀髪をかき上げ困ったように微笑み念を押されて言い含められる。
こくこくと頷くと満足そうな面で膝まずく。
「ステラ。俺と結婚して欲しい。面倒みるって約束したでしょ」
パチリをウィンクをして返事を促す。
「まぁ、拒否権は最初からないんだけどね」
悪戯っぽくどこか艶麗に微笑んで手に口付ける。
この命令は嫌じゃない。ステラも望んでいる事なのだから。
「はい」
花が綻ぶように微笑んだ。
浅葱色の澄んだ高い空とマリーゴールドが揺れ溶け合う景色を手を繋いで目に焼き付けた。
「そう言えばウィリアム様はいつの頃から私を見知ってらしたのですか?いつから好きでいてくれたのです?」
こてりと首を傾げ問うたけれど
「内緒」
と唇を塞がれ今度は啄むように口付けられた。
甘くて痺れる感覚が心地よく何度も……何度も。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。