第8話「初仕事④」
今泉薫の答えを受けて、天堂さんは微笑んだ。
対して清原さんには厳しい表情を向けた。厳しい声色で仕事の指示をして、部屋から出るように言う。
こちらには目もくれず、大きな音を立てて出て行った。
「謝罪の一言もないとは、重ね重ね申し訳ありません」
「必要ありません。それよりこの子を捕まえて、どうするつもりだったんですか?多分ですけど、天堂さんは嫌われてるわけじゃないと思います」
首を傾げた天堂さんが、試しに猫を抱こうと手を伸ばす。
すると、威嚇するように鳴いた。今まで、まるでいないみたいに大人しく今泉薫に抱かれていたのに。今泉薫と天堂さんの違いが原因なのかな。
…2人とも今日会ったばっかりだし、そんなん普通に分からん。
「警戒されてるんです。どうするつもりだったんですか?」
「知らされていません。所詮は支部の課長ですからね。もちろん最悪の場合なにが起こるのか、それは分かっています。しかし、猫一匹のために人生を棒に振るつもりはありません」
最悪の場合なにが起こるか。
天堂さんの言葉が、頭を反芻した。
薄々勘付いてはいたけど、考えないようにしていたことだったから。酷いことがされる可能性は、想像出来ていたから。
人体では道徳的な問題から出来ない実験。
文献で知る限り、そんな実験はされていない。精々、スキルを持った人同士から生まれた子供がスキルを保持する確率くらい。
だけどその子供が望まれて生まれたかは分からない。
それに高校生が読めるものなんて、一般的に広く公開されているもの。本当のところはどうなのか。それも分からない。
「それは猫だからですか?」
「いいえ、信条です。ひとつの物事に入れ込まない。その方が結果として、多くの人を救うことが出来る。そう信じています」
分かる。私はこれを勝手に消防士現場論と呼んでいる。
消防士は現場で自分の命を最優先するらしい。そのときひとりを救うより自分が生きた方が未来、多くの人を助けることが出来る。
そういう、目先の救いを求める人に囚われない考えのこと。
「天堂さんがなにかを代償にしないで救える。そんな可能性が高ければ、手を貸してもらえる。そういうことですか?」
「そうですね。しかし難しいと思います。この猫が件の猫だと確定させるために、スキル鑑定はさせてもらいます。それが私の仕事ですので」
スキル鑑定をすることで猫が助けにくくなる。
天堂さんはそう言っているだけ。それなのに、コテンと首を傾げた今泉薫は間の抜けた返事をした。
鑑定方法や仕組みを知らない私には、理由は分からない。だけど、知っているはずの今泉薫も分かっていなさそうなのはなんで。
「今泉さんも知っての通り、スキル鑑定はカプセルベッドのようなものに入って行います。その際、画像データも取り込まれることは担当者から説明させていただいているはずですが…」
どういった理由からか、詳しいスキル鑑定の方法は文献にない。だけど採血して行うとは書いてあったはず。もしかしたら、古いものだったのかな。
一気に進化した感じがある。なんか、違和感。
それは置いておいて、確かにそれだと猫のスキル鑑定をしたことが記録として残ることになる。
「小さい頃から使えたので、そういう難しい説明は母が聞いたと思います」
「そうでしたか。その他の検査内容も記してある書類をお渡ししています。お母様にお聞きして、一度目を通した方が良いでしょう」
あんなに冷たく突き放したのに、ノコノコ家に帰れるはずがない。帰るとも思えないし、私なら帰らない。
今泉薫がその書類を読むことは、きっとないんだろうと思う。余程必要に迫られない限りは、母親にも家にも近づかないだろう。
「分かりました。ありがとうございます」
ひとつ聞く価値のあることがある。それはスキル[名探偵]なんか持っていなくても分かるはず。誰だって分かるはず。
そんな簡単なことを聞かず話を進めようとしている。これは、猫を優先するということなんだろうか。それとも、全く興味がないんだろうか。
「天堂さんは、飼い主を不幸にする猫を探し出すことが仕事なんですよね?」
「はい。この猫だとは思いますが、不確定のまま報告を上げることは出来ません」
「ですね。でも捕まえることが目的じゃないってことは、スキル鑑定が終わったら自分が引き取ってもいいんですよね?」
困った笑顔を浮かべて肩をすくめると、猫に手を伸ばす。
少し警戒している様子はあるものの、威嚇するように鳴きはしない。触られても大人しく今泉薫に抱かれている。
猫が会話を理解しているとは到底思えない。だけど大人しくなったのは、人相に滲み出るものがあるからなんだろう。
「取り消すなら最後のチャンスですよ」
「飼います」
「分かりました。詳しい鑑定は必要ないと思いますし、時間も遅いです。簡単なものだけして来ますね。20分ほどここでお待ち下さい」
天堂さんに渡すため、今泉薫が身体から猫を離そうとする。
縋り付くように手足を踏ん張ったのは、嫌だからだと思った。だけど変哲のない鳴き声で一度鳴いた以外は、鳴かない。
今泉薫はなにを思ったのか、猫を床に下ろして軽く背中を押す。天堂さんの足元で止まって、また変哲のない鳴き声で鳴いた。
「自分で歩くのは良いけど、迷子にならないでね」
返事をするように、もう一度鳴く。天堂さんが向けた疑うような視線は、顔を逸らして無視をした。
軽くお辞儀をして天堂さんが部屋を出て行く。
当然、部屋には私と今泉薫だけが残った。そんな理由はなにもないはずなのに、何故かなんだか気不味い。
「…ねぇ、再発行出来るか聞かなくても良かったの?」
「自分のことだから、聞くとしても今は聞かないよ。ああ、でもそうか。柊さんはスキルに興味があるんだよね。読みたいなら聞いてみようか?」
文献に詳しく書かれていないことで、文献とは大きく違う。そんなの興味がないはずない。でも人のプライバシーを暴くみたいなことはしたくない。
私のことを試そうとでもしているわけ?
それに私はスキルのことに限らず、分野に囚われずに勉強している。スキルのことだから興味があるわけじゃない。
広く浅く。高校生のときは、そう馬鹿にされたこともあった。だけど、私は自分の考えを貫き通した。
ひとつの分野を極めることだけが良いことだとは思わない。
心当たりがあれば詳しく調べることは出来る。でも元の知識がなかったら、そこに辿り着くまでにどれだけの時間がかかるか分からない。
テストを受けるわけじゃないんだから、いくらでも調べて良い。元から完璧である必要なんてない。
「どうしたの?」
私の掌
今泉薫の頬
この2つが勢い良く触れ合った。その瞬間、乾いた音が耳に届く。これが案外、ドラマみたいにイイ音だった。