第6話「初仕事②」
私が、なにかしたの…?
今泉薫が責めるような視線を向けてきた理由。男性が笑みを浮かべて、それを隠そうとする理由。それらが全く分からない。
「飼い主だと推定している人物と連絡が取れたみたいですね。飼い続ける気がないなら、僕が引き取ります。最初に拾ったのは僕ですよ?」
「それはあなたの主張です。自分が拾ったところを見て、適当なことを言ってるのかもしれません」
そんなの水掛け論にしかならない。スキルで本当のことを知っていたとしても、納得のいく説明が出来ないなら難癖と変わらない。
一体どうするつもりなの。
「言い合っても仕方ないので、一緒に確かめに行きませんか。事実を知った後でも飼うって言うなら、自分は止めません」
「意味が分からない。はったりで諦めさせようっていうのか?」
「嘘は吐いてません。見ればすぐに、自分の言った意味が分かります。柊さんも一緒にどう?行ってみたら面白いかもしれないよ」
急に話しを振られて戸惑った。すると、男性が私の方を向く。
私って影が薄いのかな?ずっとやり取りを見聞きしているんだよね…。そんなに良い笑顔を向けられても、なにも誤魔化せないよ。
あとなんでこっちに向かって来るの?
「今までの言動からして、あなたは正義感が強そうです」
近い近い近い近い近い
「いてくれたら心強い」
手が、向かって来る。嫌。怖い…!
目を瞑ろうとした視界の端で、なにかが動いた。
閉じかけていた目をしっかりと開けて見る。別の手が横から現れて、近づいて来ていた手を止めていた。
その手は女性のものだと勘違いしそうなくらい、線が細い。だけどしっかりとした骨付きが、男性の手だとはっきり認識させた。
「女性に触りたいなら、それが許されてるお店に行って下さい」
「握手的な意味で手を取ろうとしただけなのに。さっきから、なんて失礼な探偵事務所なんだ。考えられない」
また猫が、警戒心剥き出しで鳴いた。男性を睨むように見ている。そんな風に見える。まるで私たちのことを庇ってくれているみたい。
男性が取り繕うように優しく話しかけたけど、反応は同じ。
「…一緒に行って、僕が飼うと言えば良いんですね?」
「そうです」
今事務所にいる職員は3人だけ。事務所を空には出来ない。私も行くなら、誰かが戻って来るまで待った方が良い。
でも男性がそれを素直に受け入れるとは思えない。
「これを持って行くと良いわ」
渡されたのは、ヴォイスレコーダーだった。それだけだった。私と今泉薫だけで行くことには、なにも言わなかった。
どうして。まだ駄目だって言ってよ。
「いってらっしゃい。気を付けて」
嘘だって分かり切った言い訳で良いから、なにか言ってよ。
悔しいけど、私は状況を把握出来ていない。一緒に行ったところでなにも出来ないのに。こんなの、今泉薫がひとりで行くのと変わらないのに。
今まで少しのことだって、私はひとりで出たことがなかった。スキルを持っていることが、そんなに大切なの?
「柊さん、行こう。早く行かないと閉まるかもしれない」
それだけ言って、足早に歩き出した。どこへ行くのかも分からず、その後ろを追いかけて歩き続ける。
こんな時間に閉まるのなんて、役所くらいでしょ。
ぼんやりとそう思っただけだった。でも、間違いじゃなかった。着いた先は役所だったのだから。
「役所なんかに、一体なんの用ですか?」
「焦らないで付いて来て下さい」
エレベーターに乗り込むと、6階を押した。図書館のある階だ。
利用可能な時間が短い上、お世辞にも多くの本があるとは言えない。そんな図書館に、一体なんの用事があるの。
「こんにちは」
「こんにちは。申し訳ございませんが、ペット同伴でのご入館はお断りさせていただいております」
「図書館じゃなくて、この階にあるスキル課に行きたいんです」
スキルに関する課は5階にある。6階には図書館があるだけ。一体なにを言っているの?受付の人も困っている。
そんなことはお構いなしで、ポケットから取り出した手帳を見せる。
「係の者を呼びますので、少々お待ち下さいませ」
顔色を変えて、職員通用口のような扉に入って行く。
役所の6階には、小さな図書館しかないと思っていた。そこに別の施設があったなんて、驚くしか出来ない。
すぐに受付の人と、もうひとり人が出て来た。
「初めまして、[名探偵]。アポもなしに、スキル特務課にどんなご用かな?」
「役所の頭がもう少し柔らかかったら先に連絡しました。この迷い猫のスキル鑑定をお願いします」
「出会い頭に悪口を言われるとは思わなかったな」
私も思わなかった。思えばスキル鑑定書のことがあるし、多少嫌味なことを言うのは仕方がないのかも。
でもヒヤヒヤする言動は慎んでほしいかな。先に喧嘩を売ったのはスキル特務課の人だけど、私たちは探偵社の代表なんだから。
「いいんですか?ダメなんですか?」
「はぁ……猫か。しかし[名探偵]の言うこと。それなりの根拠なり理由なりがあるんだろう。聞かせてもらおうか」
動物のスキル鑑定なんて、文献で知る限りでは前例のない行為。それをすんなり受け入れるとは思えない。
それに、サッと出て来る人にそんな権限あるの?
通されたのは、入ってすぐの部屋だった。慣れた様子で案内された。ってことはつまりやっぱり。下っ端なんじゃ…。そんなので大丈夫なの?
「スキル特務課の清原だ」
「今泉薫です。彼女は柊咲奈さん。彼は自分が探してる猫がこの子だと言い張ってた人です。引き取りたいらしいので、連れて来ました」
説明が全然足りていない。大体、仮にも事務所の代表として来ているんだから、社名も一緒に言うべき。宣伝にもなるし。
宣伝にもなるし!口コミとか大事だから!
説明不足が過ぎたのか、清原さんがため息を吐く。
「おっけー、説明が下手なタイプの[名探偵]ね。話せない部分はそう言えば追求しないから、簡略化せずに話してみ」
「…どこから話せば良いですか?」
分かるはずないでしょ!知っている人にしか分からないから!
じれったくて、私が説明すると言おうとした。でもそれは、清原さんが大きなため息を吐いてかき消した。
「そうだな…。お嬢ちゃん、柊探偵事務所のとこの娘だろ。どういう経緯で一緒にいるんだ?その辺りから」
え…?小さな探偵事務所なのに、どうしてすぐに名前が出てくるの。依頼を受けたことがあるとか?でも、なんだか違う気がする。根拠はない。勘。
「柊探偵事務所に今日入社したんです。彼は依頼っていう体で事務所に来ました」
「ああ…、君が」
その小さな呟きをした口元には、嘲笑があった。