第5話「初仕事①」
最初は書類仕事から覚えるもの。そういう考えでいる私が古いのだろうか。
私は高校に通う3年間、事務員としてアルバイトをしていた。だからどうしても社員しか出来ないものを除いて、書類仕事は一通り出来る。
でも今泉薫は、アイツはなんで…!
今の状況になるまで、時はあまり遡らない。たった2分前の出来事。慌てて駆け込んで来た男性がいた。
事務所を出て行こうとしていた今泉薫と衝突。そのまま対応をしている。
無経験なんだから、先輩と一緒に対応するのが普通でしょ。それを、どうしてひとりで対応しているの!
「まとめると、飼い猫がいなくなったのは3日前。これまでに周囲を探したけど見つからない。ここを目的に来たのではなく、猫を探す最中に偶然見つけた。ということでいいですか?」
「はい。すごく心配で…。早く見つけてもらえませんか」
「…分かりました。鞄の中身を見せてもらえますか」
手を軽く差し出しただけだったけど、男性は過剰に反応した。それまでも抱き枕のように抱きかかえていた鞄を、強めにぎゅっと抱きしめた。
見られたくない物が入っていると言っているようなもの。
「あの子は玩具に、僕以外の人の臭いが付くのを嫌がるんです。だから…」
「出して見せてもらうだけで大丈夫です。触ったりしません。もし好みの場所の手掛かりが掴めたら、早く見つけられるかもしれません」
そう言われたら、出さざるを得ないというものだ。なにせ、早く見つけてくれと言ってしまっているのだから。
男性は渋々といった様子で鞄をまさぐる。出て来た玩具は、なんの変哲もない猫じゃらしだった。
今泉薫が振り向いた。この男性が事務所に入って来て以降、初めてだ。
目的があって玩具を出させたはず。だけど今になって、どうして良いか分からず助けを求めている…なんてことないよね?
「横からすみません。失礼だとは思いますが、念のため聞かせて下さい」
「なんですか?」
「今の今まで探していらしたと仰っていましたね。それなら何故、すぐに玩具が出て来なかったのでしょうか」
確かにそれは、少し不自然といえば不自然ではある。だけど単に玩具を使って探していなかっただけかもしれない。
とは言っても、持っている方が自然ではある。周囲に変な誤解をされなくて済むから。でも人の目を気にしないと言われれば、それまでのこと。
「どういう意味ですか?」
「なんでもないです。猫の特徴とか名前とか、教えて下さい」
折角先輩が手助けしてくれたのに、一体どういうつもり…!?
手で軽く制される。そんなことをされなくても突っかかりはしない。そんなに信頼がなかったなんて。けど本当、どういうつもり。
猫は三毛猫の雄。飼い始めたばかりで、名前はまだない。
その割に猫じゃらしは使い古されている。先代の猫の物かもしれないけど、臭いに敏感だと言っている猫がそれを許すのかは怪しい。
「体形とか、模様の特徴とか、顔の雰囲気とか、首輪とか服とか、もっとありますよね。探す気ありますか」
「そんな言い方しなくても…!飼い始めたばかりで、本当によく知らないんです!それでも一度家族になった子ですから、責任を持ちたいんですよ」
今泉薫は、軽く首を傾げた。多少芝居がかってはいる。だけど、悲痛な叫びとも言えるものを聞いたときの反応じゃない。
すぐに戻して小さく頷いた。
「しんちゅうおさっしいたします」
驚くほどの棒読み!その原因を、容易に想像出来てしまう。
あまり意味を理解せずに、使う場面と言葉だけを覚えたんだ。使えないなら使わなければ良いのに。
「探してくれる気になりましたか。それじゃあ外へ行きましょう」
「その前に電話をします。少し待ってて下さい」
もう聞いていられない!
「電話なら私がするから、早く探しに行って!どこに電話するの?」
「ありがとう。実は迷い猫を保護したんだ」
隣の部屋から連れて来たのは、三毛猫。首輪は鈴の付いた赤色の無地で、とてもオーソドックスなもの。
いつの間に猫なんて。でもそれより。
「それって」
「雄みたいけど、違うと思うよ。首輪の裏に電話番号とかが書いてある紙が挟んであるんだ。もしそんなことをしてるなら、一番に言ったはずだからね」
しかも今泉薫は一度、はっきり首輪と口にしている。動転していて言い忘れていたという言い訳は通じない。
もし探しているのがその猫なら、理由はなんなのか。
これまでの違和感から、完全に疑いの目でしか見れなくなっている。
「友人から引き取った猫なんです。そのとき、そんなようなことを言っていた気もします。名前は僕の家族になったんだし、考え直そうと思って」
「電話して確認します」
「飼い主がこの子で間違いないって言ってるんだ!返せ!」
こんなの、電話されたら困るって言っているようにしか見えない。実際、かなり焦っているように見える。
三毛猫の雄って珍しいらしいし、販売目的で連れ去られたのかな。可哀想に。
猫が男性に向かって、警戒心剥き出しで鳴いた。
今まで大人しく抱きかかえられていただけに、驚いた。どうしたんだろう。急に近付いて来たのが怖かったのかな。
「首輪、もう1回借りるね。今度は少し長く借りるけど、待っててくれる?」
優しく話しかけた今泉薫に、猫は甘い声で返事をした。すごく懐いている。私はあまり動物に好かれるタイプじゃないから、正直羨ましい。
私も今度優しく話しかけてみようかな。
「はい、よろしく」
外された首輪が差し出された。確かに私がかけるとは言ったけど、それは探すために外に行く場合であって…。もう良いや。
書かれている電話番号にかけて猫のことを話す。
『その人に引き取ってもらうことって出来ませんか?その猫を拾ってから悪いことが続いてるんです。これ以上面倒を見るのは難しいなって思ってたところで…』
返って来た言葉は、私の予想とは全く異なるものだった。
男性の言うことは全くの嘘だけど、もう面倒が見られない。だから、男性に引き取ってもらいたい。そういうことでしょ?
なんて勝手な人。それに連れ去ったかもしれないのに。
迷子対策をするような人だから、しっかりした人だと思っていた。
男性の言うことが全くの嘘で、とても心配している。男性の言うことが本当だと言われる。そのどちらかだと、本気で思っていた。
「そんな勝手なことが――」
「いきなり大きな声で話してごめんなさい。また猫が逃げちゃったので、捕まえたらまた連絡します」
受話器を置いた今泉薫が、責めるような視線を私に向けてきた。
私が発言する間もなく、その視線が動く。その先で男性は、なにかを企むような笑みを必死で隠そうとしていた。