表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/41

第4話「新入社員④」

 私が促すより前に、今泉薫は力なくソファに座った。顔を覆って俯くと、声にならない嗚咽を漏らす。

 小さく肩を揺らすその姿は、必死に涙を止めようとしているように見える。

 泣いている理由は全く見当が付かない。だからといってそのままにすることも出来なくて、そこにあったティッシュを差し出した。


「ありがとうございます。あの…()()()()()()()()()()()()()


 その言葉で、理解した。


 家出した少年は、あの依頼者の息子は、今泉薫だ。

 母親が依頼人として現れたときから、依頼内容は考えるまでもなく分かっていたんだ。スキルで分かったことじゃない。

 そして自分のことだから、あんなに断定的な言い方をしていたんだ。


 上手くいかなかったとしても、迎えに来てくれることを望んでいた。それなのに今更って思って、つい厳しいことを言ってしまったんだ。

 きっとそう。

 でもそれなら、あの沈黙の意味はなんだったんだろう。依頼者が「期待されていなかったんですね」と言った後の沈黙。

 期待していたんじゃないの?分からない。でも今は考えるより、依頼者の息子として尋ねている今泉薫に答えないと。


「健康に気を付けて、と」


「そうですか」


 自分から尋ねた割には随分と淡泊な返事。本当に、全然分からない。みんななら分かるのかな。

 …もしかして、だから私を選んだの?なにも知らなくて、素人同然。そんな私なら口を挟むから。だったら…!


「本当は母親と話したいことがあったんでしょ!?だったらどうして突き放すようなこと言うの!どうして今だけでも親子として話せなかったの!」


「勉強したからね」


 その声は震えていた。でも泣いているのとは違う。

 ゆっくりと上げられた顔に涙の痕はない。代わりにあるのは、これでもかってくらいの歪んだ嘲笑だけ。


「その気がないなら突き放してあげた方がいいんでしょ?どうして期待されてることを期待していいって思えるんだろう」


 ずっと、笑い出すのを我慢してたの…?

 母親の言葉を尋ねたのは依頼人が自分の母親だと、私に分からせるため。それだけだった?一体なんのために。


「自分が捨てたのに」


 その言葉に似合う表情は、憎悪とか悲哀とかだと思う。だけど今泉薫はなんの表情も浮かべていなかった。

 正真正銘の無。


「君も分かったでしょ?」


 私に向けられた表情や瞳からは、なにも感じ取れなかった。無を極めたとしか表現出来ないそれらに怖気づく以外、私にはなにも出来なかった。

 でも情けないところなんて、絶対に見せたくない。


「な、にを…?」


 だけど発せたのは、たったそれだけ。


「自分の醜さだよ」


「醜さ…?」


「あはははっ」


 鼓膜が破れるかと思った。それくらい大きな声。


「あはははっあはははっあはははっ」


 大きな声。大きな声。大きな声。


「あはははっあはははっあはははっ」


 背中を仰け反らせて、繰り返し繰り返し笑い声を上げる。その様子は、不気味としか言いようがなかった。

 笑いながらも深呼吸をして落ち着くと、私に嘲笑を向ける。


「君、最低なんだね。あのね、人は悪人でも善人でもないんだ。悪いことをしたら悪人で、善いことをしたら善人。それだけ。君は善人でいたいから、俺に善人っぽいことを言っただけなんだよ。分かるかな?」


 なに言ってんの、コイツ。


「当たり前でしょ。会ったばかりの、しかも男。興味なんてあるはずない。アンタの方こそ、世の中善人ばかりだとでも思い込んでるんじゃないの?」


 今度向けられた笑みには多分、嘲笑は含まれていない。それでもなんだか馬鹿にされている気のする笑みで、あまり愉快ではない。

 人に向ける最低限の心配をした、その心を返してほしいと思った。


 一言で言ってしまえば、私は今泉薫が嫌いだ。


 私は男嫌いだけど、男だからって理由で嫌いにはならない。少し…本当に少し、警戒心が強くなるだけ。それは分類がある以上、仕方のないこと。

 だから今泉薫を嫌う理由に性別は関係ない。


「安心した。綺麗事を言うだけの人じゃないんだね」


「なんでアンタなんかに心配されなくちゃいけないの」


 軽く首を傾げる。本気で不思議に思っていそうな表情をしている。分からないのは私の方。今泉薫という人物の輪郭すらも全く掴めない。理解出来ない。

 失敗した影分身の術みたいに、少しずつ違う今泉薫が沢山いる感じ。


「なんで俺が君の心配なんてするの?綺麗事ばっかり言っていちいち立ち止まられたら絶対面倒だよね。同い年とか同期とか、そんな適当な理由で慰め役を押し付けられる。仕事のしわ寄せが来る。だから安心したって言っただけ」


「アンタ人の心がないわけ?!」


「なに聞いてたの?あるよ」


 ないと思うから言ってるの!


 そう声を荒らげそうになったけど、なんとか堪えた。

 狙っているわけではないと思う。でも思う壺な感じがして嫌。激昂を誘っているような言い方に、乗せられてしまった気がする。


「だけど…そうだね。さっきみたいに優しい言葉をかけられる人には、そう見えるのかもしれないね」


 視線を落として、自分の掌をじっと見ている。

 睨むように見ている私を気にする様子は微塵もない。それか、気付いているから私の方を見られないのか。

 後者だったら良いなと、ぼんやり思った。


「俺は俺のことしか分からない。無理に立場を置き換えて考えるだけだと、どうしてもなにかが違うんだ。元々できる人には分からないと思うけど、一応言っておこうかな。きっと君なら考えてくれる」


 指を組んで、ゆっくりと顔を上げる。その穏やかな表情を見て、思った。

 さっきの言葉にはなんの感情もなかった。私のことなんて本当は、心底どうでも良い。口先だけ。どうとも思っていない。なんの感想も抱いていない。

 振り回されているのが悔しい。


「考えることを学ぶのは、共感するためなんじゃないかって思うんだ」


 サイコパスと捉えても差し支えないような、今までの発言。それとは全く毛色の違う発言に、私は戸惑った。

 …まぁ、共感力がないともはっきり言っているわけだけど。なにせ今泉薫は考えるということを3()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 でも、だから分かったことなんだろうな、とは思う。


「君はどう思う?」


「物事の意味はひとつじゃない。あなたの考えは把握した」


「君は、どう思う?」


 考えることが、どういうことか。なんのためなのか。なにを意味するのか。

 そんなこと考えたことがなかった。誰しもが極々自然に行っていて、大なり小なり考えを持って行動していると思っていた。


「…物心ついた頃から当たり前のように出来る私には、今は難しい問いだよ」


 一度聞いただけで理解した気になんてなりたくない。きっと、今泉薫には今泉薫の苦労があったはずだから。


「でも私は、あなたの考えに共感していると思う」


 にへら、と柔らかい笑みを浮かべる。これまでとは全く違う雰囲気の、その表情に私は……ドキッとかしていない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ