第32話「休日に休めない人①」
探偵協会。それは、多くの探偵事務所が属する協会。つまり数多いる探偵たちをまとめる組織ということ。
そんな協会の重鎮に、今泉薫と私が呼び出されたらしい。
何事かと思ってドキドキしながら行ったけど、特になんてことはなかった。顔を合わせて挨拶をした。ただそれだけで、なにも起こらなかった。
会った部屋は豪華じゃなくて、無機質な会議室。相手は特別良い人そうな人でも怖そうな人でもない、普通の人だった。
漫画やドラマみたいなことは、やっぱり起こらない。…と思ったけど、この事態そのものが漫画やドラマだよね。
顔を合わせたのは、たったの3分。そのためだけに新幹線に乗る。なんて無駄な行為なんだろう。
でも今こうして温泉に浸かっているのは、そのおかげなんだよね。
遅い夏休みか、社員旅行だと思って羽を伸ばせば良い。社長がそう言ったから、二泊三日の旅行になった。
それが名目だということは、言われなくても理解している。2人で行かせるのが不安で、小森さんを同行せるため。
新入社員だけで行かせることが、不安なのは当たり前。そう思うことにした。
その方が、悲しくないから。
私たちの問題行動とも取れる、数々の行動が社長として気になるのは当然。
未だに先輩に付いて回っているだけ。自分で考えて行動して、良い結果を出したことはない。そんな私を信頼してくれなんて言わない。
私が悲しいのは、そういうことじゃない。
入社してもうすぐ半年が経つ。あの日私は、とても重大な告白をした。自分ではそう思っている。だけどお父さんは、なにも言って来ない。
これまでと全く変わらない態度で接して来る。なにも変わらない。
本当の父親じゃないことに気付いている。そう言われたら普通、聞きたいことが色々あるはず。
いつどうして気付いたのか。本当の父親が誰なのか知っているのか。自分をどう思っているのか。どうして伝えようと思ったのか。
だけどなにも聞かれない。なにも言って来る気配がない。それがどうしてなのか分からない。それで私はこう考えた。考えてしまった。
今回小森さんを同行させた理由は、私の監視が目的なんじゃないか。
そんな風に一度だろうと考えてしまった。それも悲しい。お父さんだって勇気がないだけかもしれないのに。
どうしてそんな風に考えてしまうんだろう。
「待ってたよ、柊さん。お腹空いちゃった。早く早く」
なにも考えていなさそうな、呑気な笑顔がすごくムカつく。だけど色々なことを抱えているからこその、この笑顔なのかなとも考える。
勇気がないことが理由なのか、まだ言えないこと。それが一体どんなことなのかすごく気になる。でも無理に聞こうとは思わない。
私にとっては大したことじゃないかもしれない。だけど今泉薫にとっては世界が揺らぐ大事件なのかもしれない。
お父さんに本当のことを伝えたのは、私にとって大事件だった。でもお父さんはそうでもなかったみたい。
医者のことは、すぐに答えが出せた。でも他のこともそう出来るとは限らない。もしそうだったら今の私と、同じ気持ちにさせてしまうかもしれない。
「はいはい。お待たせしました」
ご飯を楽しみにしていたなんて、知らなかった。
そんなんだから、出て来る料理に目を輝かせるものと思っていた。でも今泉薫は不満そうな表情で首を傾げた。
「和食のはずなのに、お米とお味噌汁がない」
「こういうのは順番に出て来るの。それは最後だから」
「好きな順番で食べたい。いらない」
子供か。お腹が空いていたんでしょ。文句言わずに食べたら良いのに。
そんなことを言っても、食べないだろうな。後から空腹を訴えられるのは面倒。でもなにが出て来るのか知らないし、どうしようかな。
ご所望の物だけでも先に出してもらえないか、聞いてみようかな。
「ご飯と味噌汁があれば良いの?聞いて来てあげるから、待っていて」
「出来るの?じゃあ自分で行くよ」
「ややこしくなりそうだから駄目。待っていて」
立ち上がろうとする今泉薫を、手で止める。少し顔の赤い小森さんも、今泉薫の肩を抑えて座らせた。
今までは、黙って私たちのやり取りを聞いていただけだったのに。
机の上を見ると、やっぱり空になった徳利があった。今はまだそんなに酔ってはいないみたい。でも念のため、なにか言われる前に早く行こう。
仲居さんを捕まえて事情を説明していると、悲鳴が聞こえた。割と緊迫感のある悲鳴で、ドキリとした。
直近で漫画やドラマみたいなことが、何回もあってたまるか。
どうせ虫でも出ただけ。そう思うことにしたけど、やっぱり気になってしまう。それで声の聞こえた方に向かった。
「この先のお部屋にご宿泊のお客様でしょうか?」
人の立ち入りを禁止するようなことが…起こったの?なんでこんなときに。私の知らないところでやってよ。
見える範囲で起こったことなんて、放っておけないでしょ。でも首を突っ込んでまた自分の不出来を証明することになったら。
それに漫画もドラマも嫌なの。嫌いなの。
主人公の周り以外は特に、物語のためだけに存在している。なんで見ず知らずの人のために、綺麗にしてあげなくちゃいけないの?
私は自分の周りが綺麗なら、それで良いの。自分の周りを綺麗にしておくことが出来れば、それで良いの。
だって全部を綺麗にすることなんて、出来ないんだから。
「申し訳ございませんが、こちらは現在通行をご遠慮いただいて――」
「その人は通してください。柊さん、早く来て。困ったんだ」
知った声に顔を上げると、今泉薫がひょっこりと顔を出していた。その表情にはあまり緊迫感がなくて、安心した。…だけど。
人の立ち入りを禁止するようなことが、この先で起きている。その事実は確かにここにある。
私なんかが進んで良いの?私は本当に進みたいの?どうしたら良いんだろう。
「私…」
近くまで来て、そっと微笑む。これを、なにも分からずにやるのはズルい。
さっき悲鳴を上げた人が、奥で待っているんだよ。ぐずぐずしている私なんかに構っていないで、早く行ってよ。
アンタは自分の仕事をきっちりこなしている。問題行動だってあるけど、私とはそれが違うんだよ。だから
「うん」
早く行ってよ
「おいて行かないで。」
今泉薫の手が、私の手に伸ばされる。思わず振り払ったけど、それでも今泉薫は手を取った。スキルを使うときとは、全く違う触れ方。
申し訳なさそうな、遠慮した感じじゃない。しっかりと握られている。
「じゃあ一緒に行こうよ。俺がいるから大丈夫だよ。俺は柊さんがいるから大丈夫なんだ。一緒に行こう」
そのまま唐突に走り出されて、焦って前を向いた。そうしたら、笑顔の今泉薫が視界に入った。
…馬鹿っぽい笑顔。付いて行ってあげないと。そうでしょ?




