第3話「新入社員③」
フリーランスのスキル講師なんて、なろうと思ってなれるものではない。
確かに、スキル[名探偵]があれば生徒のスキルの内容を正確に把握出来るのかもしれない。それは売りになる。だからって…!
分からない人の気持ちが分からない人に講師なんて。フリーランスはもちろん、スキル講師なんて出来るはずない。
スキル持ちというだけで、辛いことが起きることもある。未来への漠然とした不安を抱く人が多いと聞く。
これはスキル持ちだからってわけではないけど、ため込む危険度が高いと統計的に言われている。だからメンタルケアも兼ねていることが多い。
他者に寄り添ってあげられない人になんて、出来やしない。
それに一体、なにがどうしてお父さんがフリーランスのスキル講師を育てるなんてことになったのか。
小さな探偵事務所を営んでいるだけの、しがないおじさんなのに。
「僕が白羽の矢を立てたのが今泉くんだよ」
「フリーランスのスキル講師なんて、自分にはとても…」
消え入りそうな声の主は涙目だ。厳しい教育が待っている。そんなことは分かり切っていること。だから仕方がないのかもしれない。
でも、それにしたって感情が忙しい人。もう少し落ち着いてほしい。
無理だって、やれと言われたらやるしかないことだってある。
世の中は綺麗事だけでは成り立たない。だからそんなのは当たり前なの。汚いところがあって、それを認識しているから綺麗なものが綺麗に見える。
だから私は、自分の周りだけは綺麗にしておこうって決めたんだ。
「理由は追々話そうね。先ずは依頼からだよ。待っていらっしゃるから、早く応接室に。しっかり伝えるんだよ」
笑顔の圧に肩を小さく震わせて、ピシッと背筋を伸ばした。若干不安そうな表情にも見えるけど、少しはキリっとした表情になったかな。
出勤初日に依頼者と話すことになるなんて、普通は思わない。仕方がないか。
…そんな、捨て犬みたいな目で私を見ないでよ。
「咲奈に一緒に行ってほしいのかい?」
「…はい。ダメですか?」
なんで私。事務所にいる中で、私はとりわけ若い。だから経験不足だとか、絶対に実力がないとか、そうは言わない。だけど実際に、私は経験不足。
瞬時に事の真相を解明するスキルなんだから、私が自分と同じ新入社員なんてことは分かっているはず。それなのに、どうして私なんて。
「咲奈、行ってあげなさい」
「分かりました。待たせているから、早く行こう」
歩き出した私の後ろを慌ててついて来る。
応接室の前で立ち止まって譲ると、不安そうな顔で私を見てくる。顎で軽く急かすと、緊張した面持ちでノックをしてドアを開いた。
「お待たせしてすみません。今泉といいます」
「柊と申します」
依頼者の女性はストールと眼鏡を外していた。表情がしっかり見える。
浮かべた笑みは、寂しそうなものだった。それを受けて、今泉薫は目を伏せる。でもすぐに依頼人の目をしっかりと見た。
なにかを決意したような表情にも見える。
「息子さんについて話す前に、ひとつ質問してもいいですか」
言葉遣いが依頼者に対するものじゃない。どこからも面接を断られたって言っていたけど、理由はこれもあるんじゃないの?
客商売なのに、こんな簡単なことも出来ないなんて。ドギマギしていたけれど、依頼人は特に気にする様子もなく肯定の返事をした。
「今になって会おうと思ったのはどうしてですか?この辺りの高校に通ってることは分かってましたよね。3年もあったんですから、自力でも探せたはずです。でもそうしなかったってことは、会う気がなかったってことになりませんか」
「高校生の時点で見つけてしまえば、問答無用で家に帰されてしまいます。その後上手くいかないことを想像すると、怖かったんです」
依頼者が探していたのは、今年高校を卒業した少年。
半ば諦めたっていうのは、見つからないと思っていたからではない。話せないと思っていたから。
スキル[名探偵]はそんなことまで分かるの…?
でも問題は、今泉薫にこの気持ちが少しでも分かるのか。分からないなら分からないなりに、どう対応するのか。
正直に言ってしまえば、他人の気持ちなんて分からないことの方が多い。それでも想像して、最低限の理解を示さなくてはいけない。
探偵だからじゃない。人であるために。
「それでは上手くいくものも上手くいかないでしょうね。でも――」
「ちょっと…!」
ある種の事実ではあると思う。でも、あえてそんな厳しい言い方をする必要なんてない。本当に人の気持ちが分からないの?
今泉薫は私の方をちらりと見ただけで、依頼者に向き直った。なにを言っても無駄だと感じて、なにも言う気になれなかった。
「でも大丈夫です。それを聞いても、息子さんは失望したりしません。やっぱり、と思うだけです」
「期待されていなかったんですね」
今泉薫は否定も肯定もしなかった。ただじっと、依頼者の目を見続ける。依頼者も見返すことしかしない。
どれくらいの時間が、このまま流れれば良いのだろう。
「息子さんですが…」
ぼんやりと考え始めていた頃、今泉薫がやっと口を開いた。躊躇いがちな口調であることに少し驚いた。いつの間にか、視線も逸らしていた。
分かった気になり過ぎていたのかもしれない。
「会わないと言っています。無事に就職もできて、そこの人たちは多分良い人で、大丈夫だから探さないでほしいそうです」
まくし立てるように早口で言った今泉薫は、ついに俯いた。今どんな心持ちなのか知りたいのは、依頼人よりも今泉薫だった。
「そうですか。分かりました。健康に気を付けて、とだけ伝えてもらえますか」
「お断りします」
はぁ?ただ伝えるだけでしょ!それに伝えなくたって、わざわざ馬鹿正直に言う必要なんてない。なんでそんなこと。
瞬間的に、思わず文句を言おうとした。
だけど今泉薫が浮かべる表情が悲しそうに見えて、開きかけていた口を閉じた。考えが全く読めない。でも私が出来ることは多分、ある。
「私が、伝えます」
「ありがとうございます」
応接室の扉を開けて依頼者を見ている。用が済んだのだから帰れ。そう言わんばかりの態度。やっぱり人の心がないんじゃないの?
依頼者は苦言を呈することなく立ち上がる。
応接室から出たところで、お父さんが待っていた。
「最寄り駅までお送りしてくるよ」
そんなこと、今までにしたことなかった。そんなにこの依頼者が特別なの?
探していたのは家出した息子なんでしょ?違うなら否定するはずだし、合っているはず。言っちゃ悪いけど、それなら珍しい案件ではない。
「今泉くんに付いていてあげなさい」
耳元で言われて、部屋から出ようとしない今泉薫に視線を向けた。ドアノブを持つその手は、少し震えている気がした。