第22話「優先順位がはっきりしている人①」
土曜の17時が、1週間の中で一番好きな時間。
少し時間が遅くなってテンションが上がり始める。明日も休みだから夜遅くまで遊ぶ算段を立てる。そんな楽しそうな人を沢山見られるから。
そして現在は、土曜の17時。本来なら好きなはずの時間は、とある人物のせいで嫌な時間にされてしまっている。
「社長命令なんだから仕方ないでしょ。いつまでも拗ねていないでカップルっぽく振る舞ってよ。その方が景色に溶け込むの簡単なんだから」
向かいの椅子に座る今泉薫は、いかにも不機嫌そうな顔をしている。気怠そうにため息を吐いて、ストローを回した。
「喧嘩中か倦怠期のカップルに見えるよ。大丈夫」
適当言って。やる気がなさ過ぎる。確かに今回の依頼はよく分からないけど。
ストーカーの証拠を掴むって言うなら分かる。でもどうして見守りなの?証拠を押さえて警察に突き出せば済む話。見守るだけじゃ解決しない。
まさか一生依頼し続けるつもり?流石、大企業の社長はスケールが違うわ。でも息子はファミレスで食事。庶民派なんて感心だね。
…はぁ、誰に嫌味を言っているんだか。
「あ、友達だ」
高校生のとき協力してくれたっていう人かな。失礼かもしれないけど、自分から声をかけるような友達が大勢いるようには思えない。
その人のことを、随分と物好きな人だと思っていた。どんな感じの人なのか少し興味があった。そんな軽い気持ちだった。
今泉薫の視線を追うと、目が合ってはいけない人と目が合った。
「アンタ…対象者の写真も見ていないの?」
「言おうとした俺に、黙って仕事しろって怒ったのは柊さんだよ」
「そんな大切なこと、もっとはっきり主張してよ」
対象が今泉薫に気付いた雰囲気はない。目が合ったのは私だから、知らない人。偶然だと考えて、このまま気付かずに去ってほしい。
その願いとは裏腹に、近付いて来ている。だけど気付いている感じは、やっぱりない。目的地があって向かって来ている感じ。
お手洗いも出入口もドリンクバーも、近くや動線は避けたのに。
「伝票もコップも持ってないってことは、目的地はトイレ。柊さんの左後ろにいる女の人を避けて通るために、遠回りしてるんだろうね」
衝立を挟んで隣の、ひとつ奥にいる人ってこと?少し派手なだけの、どこにでもいそうな女性だったと思うけど。
それに横を通るだけなのに、どうしてわざわざ。聞きたいけど、本当に近くまで来ている。声で気付かれるかもしれない。
今泉薫は携帯を操作するフリをして、精一杯顔を隠している。
「あ、これ落ちてまし…薫くん」
差し出されたのは、ハンカチ。携帯を出すときに落としたんだ。馬鹿なの?
流石の今泉薫も失敗したと思っているのが、表情で分かる。反省するのは大いに結構なんだけど、表情に出し過ぎ。
「久しぶり…と言うほど経っていませんね。でも毎日会っていたので、久しぶりな感じがします。元気にしていますか?」
今泉薫の表情は、偶然の遭遇に驚いていると解釈したみたい。一安心。だけど、勘付かれないように気を付けないと。
「元気だよ。君はあまり元気そうじゃないね」
「そうですか?いつも通り元気ですよ。ところで、こちらの女性はお友達ですか?薫くんが誰かと一緒にいるなんて珍しいですね」
友達はひとりなんだ。かく言う私も広く浅くだから、最悪出会い頭じゃない限り気付かないフリをするかもしれない。
それを友達と言うかは微妙。でも少なくとも当時は一応の友達ではあった。
「少し話してみれば、世話焼き屋な君なら関わろうと思うんじゃないかな」
「薫くんがこんなことを言うなんて、お話してみたいです。あ…でも人を待たせているので、残念ですが失礼します。機会があれば、是非」
「はい」
残した爽やかな微笑みと、姿勢の良さ。丁寧な話し方。とても紺上高校出身の人とは思えない。
でも今泉薫だって、紺上高校出身の人物像とは異なる。
思えば、見るからに柄の悪い生徒を見かけた数は多くないかもしれない。それに顔なんて覚えていない。全員同じにしか見えない。
今思い出したけど、妊婦に席を譲る紺上高校生徒を見たことがある。
自分に都合の悪い記憶を無意識に消していた?下に見る存在があることで自らは上である、という認識を保とうとしていた?
「交代してもらおう。またこんなことになったら今度こそ大変だよ」
「そうだね。それまでは移動したら私だけで行く。もし見つかっても、私だけならまだ言い訳が出来るから」
「うん。交代したら事務所に戻らずに連絡してほしい。まだやることがあるから」
今は聞かない方が良いんだろうけど、なんだろう。
気になる気持ちを抑えて、携帯を取り出す。怒られて笑い者にされる未来を想像して憂鬱になりながら、交代の連絡をした。
交代要員から到着の連絡が入ったときには、対象は会計に並んでいた。これなら店を出るタイミングで、自然と交代することが出来る。良かった。
次は今泉薫が言った、まだやること。
「行こう」
「動くのはまだ早い。対象は今出て行ったばかり。店の近くにいたらどうするの?焦らないで、もう少し待った方が良い」
「店は出ないから大丈夫」
伝票を持っておいて?歩き出したその背中を、訳も分からず追った。
その宣言通りレジには向かわず、衝立の向こうだった通路を歩く。対象が避けて通ったと言った、その通路を歩いて行く。
「こんにちは。相席いいですか?」
「どうぞ」
相席というファミレスでは聞かない単語に戸惑った。しかも私たちがいた席の、ひとつ奥の席。つまり対象が避けたと言った席。
戸惑っている間に、今泉薫は座っている。私も一言断って座ると、相手は小さく笑った。視線をしっかりと、私に向けて。
「この近さで気付かないなんて、半人前とも言い難いわ」
この声、まさか。この前の、結婚詐欺の依頼のときの。でもまるで別人みたいに全く違う雰囲気。
すごく声の似ている別人だと思った方が、説得力がある。変装なんていうレベルじゃない。それに一般人が変装する理由なんて滅多にない。
「はい。全く情けないです。でも正体を明かしたということは、お話しを聞かせてもらえる、ということですよね?」
ソファの一部が、不自然に沈んだ。そこには今泉薫の手があるんだろう。この人との間に起こった出来事を、見せることを要求されている。
私の過去を見た、あの後。スキルの使用方法の詳しいことを聞いた。
過去の出来事を強く思い浮かべることで、その出来事のみの情報を集中して収拾することが出来る。そして触れていると効力が増す。ということらしい。
仕方なく掌を重ねて、この人と話したときのことを思い浮かべた。




