第2話「新入社員②」
今泉薫のその一言に、場が凍った。
突然自らを名探偵だと言ったのだから、当たり前の反応。でも私は、みんな呆然とするばかりで怒らないことも同じくらい腹立たしい。
「アンタ何様!?探偵事務所に入社したからって探偵になれたとでも思ってるの?しかも名探偵ってなに!」
「ち、ちが…!そういうつもりじゃ…!」
「じゃあどういうつもり?聞かせてよ。まさか分からないなんて言わないよね」
対象がなんだろうと、なにかになるというのは大変なこと。もちろん探偵も例外ではない。それをこんな風に言うなんて、許せない。
努力している人への侮辱。ううん、人類への侮辱と言っても良い。
「名探偵なのはお…自分じゃなくて、スキルです」
スキル[名探偵]は、瞬時に事の真相を解明すると言われているS級スキル。それを持っていて、紺上高校に通うはずがない。
思い付きで言ったの?どこまで馬鹿にすれば気が済むの。
「しっかり答えがあることなら考えなくても全部すぐに分かるんです。分かることに理由なんてないんです」
「S級スキル…しかも[名探偵]とはたまげた。でもそれならテストの解答が全て分かるはずだ。楽勝だろ?」
「小さい頃から使えたんです。だから分からないってことが、どんなことか分からなくて。想像もできなくて。世界の全てを分かったような気でいました。多分それで…面接で落ちました」
今泉薫はスキルを得たことによって、考える機会を失った。いいや、考えるということを学ぶ機会を失った。
それはつまり、道徳観の欠落を意味する。
中学までは、それでもなんとかやって行けていたのか。そもそも周囲と軋轢があることを理解していなかったのか。
兎も角、テストで満点を取っても落ちるという揺るがない事実があった。
それを今泉薫は、自身の問題として捉えることが出来た。だから今こうして当時の未熟さを振り返ることが出来る。
そういうこと?
スキル保持者は便利な生活をしていると思われがちだけど、そうじゃない。
どうしても行動を制限される部分があるし、スキルが原因でいじめに遭う人も少なくないと聞く。良いことばかりではない。
スキルを得た瞬間、人生の岐路に唐突に立たされる場合もある。
そして得たスキルの内容と年齢によっては、何事かも分からず破滅の道を選んでしまうこともないとは言えない。
そんな危険なものでもある。
今泉薫が道徳観の欠落に気付けた理由は、正確なところは分からない。だけど確かなことがある。
それは、気付かなければ凶悪犯罪を犯していた可能性もあるということ。
幸いなことに、高校受験までは道を踏み外さなかった。それは元来の性格が関係しているのだろう。あまり気が強そうではない。
強力なスキルを持つほど道を踏み外す可能性は増すように思う。だけどスキルを恐れて注意されないどころか、避けられることもある。
そして孤立したスキル保持者、特に子供が悪い大人にたぶらかされる。そんな例もあるらしい。
「そんなことになって俺、やっと知ったんです。考えるってことを、周りの人たちは小さい頃から“なんとなく”してきてたんだって。気持ちってスキルで答えが分からなくて。自分は3年間で頑張って覚えたことでしかないんです」
俯いて、拳をぎゅっと握り締める。
そして早口でまくし立てるように語られた。それよりも、慌てて口にしたと表現した方が正確かもしれない。
「…きっと、すごくがっかりしましたよね?せっかくスキル保持者が来たと思ったらこんなので」
「そうかもね。何事も出来るに越したことはないし。だけど努力だって才能なんだから、私は努力している人を馬鹿になんてしないよ」
こんなの、所詮は綺麗事。分かっている。
でも努力をしないで出来ることなんて、たかが知れている。だから楽な方へ進まず努力する人を、笑ったりなんてしたくない。
「ありがとうございます。でもそう言ってくれる人ばかりじゃないですから」
視線だけ少し上げて、周りを見渡す。
今泉薫が言った通りではある。幾分かは視線が和らいでいるけど、出来て当たり前のことが出来ない人を容易く受け入れることは、きっと難しい。
それに、ひとつ分からないことがある。
この説明だと、理由になっていない。今の依頼者の依頼内容が分かって、問いが分からないことの理由に。
人が存在すれば、そこに気持ちは必ずある。だから話が進んで、依頼者の心情とかが出て来て分からないって言うなら、それは分かる。
でもなにを情報として見るべきか、っていう問い。
だからそれが分からないのは、また別の理由があることになる。勘だけど多分、あまり良くはない理由だと思う。
今考えたことを簡素化して伝えると、今泉薫は首を傾げた。
「咲奈ちゃん、それは考えが足りないわ。考えるという概念が必要のない今泉くんには、知識が必要ではないのよ」
「でもそれだと、スキルの意味が分からないと思います」
サッと視線が逃げる。
スキルのおかげで全ての事柄はお見通し。だけどスキルの意味が正確に理解出来ていない。それはつまり…圧倒的無駄遣い。
「お、俺だって頑張りました。でも元がバカなんです。3年じゃ無理でした!」
「開き直った…」
どうしてこんな人を雇ったのか。みんなそう思ったんだろう。呆れや、先を嘆くようなため息が吐かれる。そして重い空気が事務所に充満した。
当の今泉薫はというと、本当に開き直ったのだろう。少し居心地が悪そうではあるものの、口を尖らせてあらぬ方向を向いている。
スキルの授業がある高校もあるけど、紺上高校にない。というよりスキルについてまともに学ぶことが出来る高校は、この辺りには1校しかない。
県外にも名の知られている金明高校だけ。
世間は今、高卒主義。大学に進学することが珍しくなった。そんな世の中に反抗するように進学校であることを売りにしている。
だけどそれだけでは生徒が集まらないのだろう。この辺りでは珍しい、スキルの授業がある。それも売りだ。
スキルの授業といっても、先生だってスキルを全て把握して理解出来ているわけではない。なにせ分からないことが多過ぎる。
でもある程度はスキル自体だけでなく、制御の方法なんかも把握出来る。やるとやらないでは雲泥の差。
極々少数いる、フリーランスを認められた優秀らしい先生に教わることも出来るらしい。でもこの調子だと、そんなことはしていなさそう。
スキルが強力でも、全く使いこなせないなら意味がない。
「僕が今泉くんを雇った理由が気になるかい?」
いつの間にか、お父さんが応接室から出て来ていた。浮かべる表情は、妙に含みのある笑み。そして仁王立ちしている。
依頼者はどうしたんだろう。
「友人と賭けをしたのさ。どちらが先にフリーランスのスキル講師を育てることが出来るか、とね」
満面の笑みで今泉薫に笑いかける。それに応えた今泉薫の笑みは、頬が引き攣ってピクピクと動いていた。