第12話「来訪者②」
鈍感力
不敵な笑みを浮かべた今泉薫は妙に自信満々な様子でそう言った。
その態度の意味が、私には理解出来なかった。どうしてそんなに自信満々な態度なのか、疑問に思った。
言ったのが今泉薫だからじゃない。感情に答えなんてないから。
「小さな不幸を数えるからダメなんですよ。ちょっとした不運なんて、その辺にたくさんあるじゃないですか」
「気の持ちようってことは良く分かった。けど同じことが起きないとは限らない。回避出来るなら越したことはないだろ」
「そうですね。それに話しなら十分逸らされてます」
「あ、あはは、はは…」
わざとらしい笑い声を口にしながら視線を逸らし、歩き出す。今泉薫が逃がすはずもない。進行先に回り込むと、にこりと笑って領収書を差し出す。
それを、小森さんは渋々受け取った。今泉薫の精査は確かに厳しい。だけどこればっかりは擁護のしようがない。
「これからは、飲み物だけでお願いします」
「気を付ける」
その曖昧な返答に不服そうな表情を見せ、なにかを言おうとした。けれどその言葉は、扉が開く音によって遮られた。
顔を覗かせたのは、銅常高校の制服を着た可愛らしい女の子。
午前授業でもこの時間なら、まだ学校にはいるような時間。それに女子高生がひとりで探偵事務を訪ねるなんて、どうしたんだろう。
「久しぶり、薫」
「挨拶なんていらないよ。用件を言って。嫌ってたはずのあの人を使ってまで探したんだ。なにか用事があるんだよね?」
あの人って、お母さんのことかな。お母さんをあの人呼ばわりなんて。今泉薫にとっては、もうとっくに修復不可能な関係だったんだ。
この女の子は関わりがあるんだから、そこまでではないんだろう。
…いや、なにも知らないんだ。一概には言えない。家族じゃないなら関わらないようにすることは、さほど難しくないだろうから。
それに、単に捨てられない性格なのかもしれない。
「薫が私たちに会いたくないって思ってるのは分かってる。でも母さんは、本当はずっと探したがってた。寂しがってた。だから少し背中を押しただけ」
「うん。それで用件は?ないなら帰って。勤務中なんだ」
「あるよ。薫が探偵になんてなってなかったら、私は会いに来なかった。どうして探偵になんてなったの?忘れたわけじゃないでしょ?」
探偵なんて。そう言われた瞬間、あの光景が脳裏を過ぎった。
その場所を申し訳ない程度に照らしたのは、夕焼けだった。小さな窓から差し込む赤い明かりが、舞う埃を無意味にキラキラとさせた。
あの日、私は、湿った臭いが流れず留まったその場所で
珈琲の匂いにハッとした。
その方向では今泉薫が珈琲を淹れていた。淹れると言っても今泉薫はインスタント派で、粉を入れたカップにお湯を注いでいるだけ。
ポイントは、カップがひとつであること。
これを飲んだら帰って。
そう言うつもりすらないんだろう。それはつまり、一応は客人として迎え入れていることになってしまうから。それすらも嫌なんだ。
家出をしたときに、全てを捨てたのかもしれない。少なくともそう覚悟したに違いない。それが今更干渉して来るなんて。私なら耐えられない。
「あの探偵はここの人じゃない。それに俺は絶対に探偵にはならない。分かったら早く帰って。それで、二度と俺の前に現れないで」
聞いてはいけないことを聞いてしまった。そんな気がした。
探偵を恨んでいるのなら、探偵事務には絶対に来るべきじゃない。別人だと頭では分かっていても、その感情まで思い出してしまう。
思い出したくなんてないのに。忘れたいのに。
「嫌。ねぇ薫。考え直して」
「俺には俺の考えがあってここに就職したんだ。これ以上騒ぐなら通報する」
ここの他に面接を受けたのが、どんな会社なのか分かった。探偵事務所や興信所の類だったんだ。
スキル[名探偵]を持つ今泉薫は、歓迎されたことだろう。
履歴書を見た会社が態度を変えたのは、多分出身校のせいじゃない。希望職種が記載された欄を見たせいだ。
今泉薫は人の気持ちが掴み切れていない。だから、馬鹿にされてきたことが原因だと思い込んだ。出身校のせいに思えた。
「私は薫が心配なだけなのに」
「誰がそんな中身のない説得で意志を曲げるのか、教えてほしいよ。辞めることで俺にメリットはあるの?当然ない。俺には俺の考えがある。早く帰って」
目的を持って決めた会社なんだから、当然。
それに仮に辞めたとして、その後はどうするの?ただの女子高生に職業斡旋が出来るはずがない。これも仮に、出来たとする。
でも今泉薫が希望する業界の会社には入社出来ない。そのために辞めさせたんだから、そんなことを許すわけがない。
柊探偵事務所を辞められる理由がない。
「あなたはどう思いますか?」
急に振り向いた女子高生に、思わず反射的に視線を向けた。その瞬間にはもう、視線はしっかり絡み合った。
なんで私?…まぁ良いや。うるさくて気が散って、そろそろ本当に迷惑。取り敢えずは帰ってもらおう。
今泉薫との確執とか、そんなのは知らない。自分で解決して。
「逃げられない場所に押しかけるのは、ズルい。それはもう、話し合いとか説得とかじゃなくて一方的な暴力だと思う」
「なんで!?」
ダンダンと大きな足音を立てて私に詰め寄って来る。
顔が変わった。一瞬、本気でそう思うくらい別人に見えた。今泉薫は驚いた表情で固まっている。
「その質問の意味が分からないけど、その前に近い…」
「じゃあそっちのおじさんは?どう思いますか?」
「おじさん詳しいこと分かんねぇから迂闊なことは言えないな。けどまぁ、君が冷静さを欠いてることは間違いないんだろうな。出直した方が良い」
怒りに狂っていたその表情に、拍車がかかる。元がどんな顔だったのか思い出せないくらい人相が変わっている。
人は感情で表情だけでなく、顔付きまでこんなに変わるんだ。
「――ふふ、素敵」
「薫!この人たちなんなの!なんで私のスキルが効かないの!」
「知らないよ。俺のスキルは人に対して使うようなものじゃない」
なるほど。話しを聞く姿勢を見せたこと。帰るように言いながら、背中を押したりして強制的に帰らせないこと。その理由が分かったかもしれない。
女子高生は催眠術のようなスキルを持っている。それが、今泉薫には効いているんだ。だけど効力そのものが弱いのか、今泉薫は自分の意志を保っている。
「おや、遅かったね。てっきり僕の知らない間に来たものだと思っていたよ」
事務所に戻って来たお父さんが、女子高生に微笑んだ。




