第10話「初仕事⑥」
天堂さんは概ね予告通りに戻って来た。少し開いたドアの隙間からサッと入って来た猫が、今泉薫の膝の上で丸まる。
そんな猫をちらりと見て、それから視線を向けた。ものすごく言い出しにくそうにしている。
「お疲れ様」
そんな天堂さんに気付いていないのか、興味がないのか。今泉薫は全くお構いなしで猫の頭を撫でて微笑む。
猫も猫で、上機嫌で鳴いた。
飼い主に不幸をもたらす猫が持っているスキル。最初からあまり良いものは想定していない。それは天堂さんも分かっているはず。
それでも言い出しにくそうということは、思ったよりもずっと良くないスキルを持っているのかもしれない。
「この子は探してた猫でしたか?」
「…はい。スキル名は[天災]。才能の才ではなく、災害の災。簡単に言うと、不運体質みたいなものです」
なるほど。この猫が飼い主に不幸をもたらす、というのは間違い…というより、認識違いだった。
不幸はあくまでも猫自身に降り注いだ不幸もの。でもそれは結果として、飼い主の不幸になってしまっていた。
うーん…大見得切ったくらいだから覚悟はあると思うけど、大丈夫なのかな。
「分かりました。依頼達成ですね」
「…はい?」
「忘れたんですか?天堂さんは探している猫を見つけてほしい、と柊探偵事務所に依頼しました。見つけました。依頼を達成したので、報酬を要求します」
通りは間違ってはいない。だけどここまで来たのは自分の意志なわけだし。
それに今泉薫が拾わなければ、天堂さんは自力で捕まえることが出来た。それなのに報酬なんて。
相手は役所の課長なわけだし、恩を売っておくのも悪くない。
「柊さんの考えてることは分かる。その上で質問。どうして仕事の出来ない失礼な役所職員が、柊探偵事務所を知ってたと思う?」
「ちょっと、失礼なこと言わないでよ」
「答えは簡単」
華麗な無視。まるで決められた台詞を言っているみたい。私の言葉に反応すると話が逸れるから無視をした。
それなら、なんて言えば良かったんだろう。
「柊探偵事務所は鴨として有名なんだ。依頼量の割に経営状況がよくない理由は、報酬をきちんと受け取れてないから。恩よりも金を優先するべきだよ。金は情からではなく、労働から生まれる」
それってつまり、報酬を支払わなくても良いとか、値切れる。そういう依頼先として利用されているってこと?なにそれ。そんなわけない。
それに、それが事実だっとして。どうして?今泉薫がそんなこと。
「経営やこの支部での評判は分かりませんが、最後の部分にはとても共感します。踏み倒そうとしていたなんて、お恥ずかしい。そしてとんでもない非礼です。申し訳ありません」
「支払ってもらえれば問題ありません」
いつ用意したのか、書類を鞄から出して説明していく。
それを私は、隣でずっと聞いていた。口を挟む必要なんてなかったから、聞くしか出来なかった。
いくつか書類を書いてもらって、報酬は後日。役所を出た。
「いつの間に覚えたの?」
「マニュアルは採用が決まったときにもらったんだ。もちろん実際にやるのは初めてだよ。上手くできてよかった」
「事務職のマニュアルなんて、どうして」
出来るに越したことはないけど、先ずは自分の業務が出来るようになってからでしょ。色々なことに手を出していたら、出来ることも出来ない。
ただでさえあまり要領は良くなさそうなのに。昼間はお父さんが会計資料の整理を頼んでいたけど、あまり進んでいなかった。
というか、そうだよ。なんで会計資料の整理?
「そんなの、俺が事務員採用だからだよ。聞いてない?」
は…?聞いてない。お父さんはなにを考えているの?なんでスキル[名探偵]を持つ人を事務員として採用したの!?
しかもフリーランスのスキル講師にするんじゃなかったの?探偵業務が役立つかは分からないけど、事務業務よりは役立つでしょ。
「でも今日みたいに外へは出るんでしょ?」
「ううん。どうしてものとき以外は内勤だよ。今日出たのは、俺以外が行ってもスキル特務課には通してもらえないと思ったから。それから、報酬をもらって来ないと思ったから。なにか質問はある?」
なんだか訳が分からなくて、なにを質問して良いのかも分からない。
しばらくなにも言えないでいると、なにかを差し出された。反射的に受け取ったそれは、天堂さんに書いてもらった書類が入っている封筒だった。
「もう時間だから直帰するね。書類よろしく。また明日」
「え、ちょっと…!」
か…帰った…!?いや確かに定時上がりは大事だよね。でも初日だよ?初日ってそんなんで良いんだ。
私と同い年のはずなんだけど、最近の若者はって感じがする。
そういう偏見を持った考えを口にする人は好きになれなさそう。そう思っていたけど、言う人の気持ちが少しだけ分かった。
それに急いで帰る必要もなさそうなのに。
でもひとりで家出したとは限らないし、人には人の事情があるか。あと彼女とかが待っているのかもしれないし。
…なんかムカつく。私も早く帰ろう。
すれ違う男女2人組が、どうしてだか妙に気になった。
事務所が入っている雑居ビルは、大通りから一本入ったところにある。だから喧騒とは少し縁遠い。
それを加味しても、今見上げる雑居ビルは静かな気がする。
なんとなく忍び足で3階まで上がり、事務所のドアを開けた。
そこにいたのは、お父さんだけだった。
他には誰もいない。昼間のように出払っているという雰囲気ではなく、本当にいない。そんな雰囲気だった。
そしてお父さんは仕事もせず、珈琲を飲んでいる。
「驚かそうなんて百年早い。咲奈が戻って来たことなんて、気付いていたさ」
私が驚いていることは無視して、いつものように笑いかけてくる。説明を求めるように見てもカップを口に運ぶだけ。
疑問を口にさせたいんだと分かった。その通りにするのは癪だけど、どうすれば問わずに回答が得られるのかは分からなかった。
「ただいま戻りました。みんなは?」
だから仕方なく問いかけた。
「帰ったよ」
問わせたくせに、返って来たのは実に簡潔な言葉だった。
今は残って仕事しなければならないほど沢山の案件があるわけじゃない。帰っても業務的には不自然じゃない。
でもいつもなら、飛び込みの依頼があったときのために片付けられるものは片付ける。そう言って、熱心に仕事して。私はそんな姿に憧れて。
「なんで急に…」
「一週間も経てば分かるさ。咲奈、焦っても大人にはなれないんだよ。そして大人になっても怖いものは怖い」
軽く肩を叩いたその手は、あのときとは違った。
皺が増えた。荒れている。傷が増えた。爪に艶がなくなった。大きさも違う気がする。小さくなったような感覚。私が大きくなっただけなのに。
なんだか、お父さんが弱々しくなったような感じがした。
それで私はどうしよもなく、時の流れだけを実感した。




