第1話「新入社員①」
雑居ビルの3階。父親が経営する小さな探偵事務所で、温かい珈琲を飲んだ。
昨日までは事務員としてアルバイトをしていて、今日からは正社員。小学生の頃から出入りしている事務所は正直、変わり映えしない。
でも同期が出来る。だから少しは変わるかもしれない。
私の方が先輩みたいなものだけど、一応は私も新入社員。先輩風を吹かせないように気を付けないと。
「新入社員、スキル保持者なんだろ?楽しみだな」
「はい、そう聞きました。事務所の雰囲気が変わって、依頼内容も変わってくるかもしれません。そうなったら良いですね」
今ではその存在が当たり前になって、スキルと呼ばれている超常的な能力。それを使える人々が確認されたのは10年前。
当時私は7歳の小学2年生で、事の詳細を理解するのは年齢的に難しかった。
人々の生活にほぼ完全に定着したのは4年後。その頃のことは良く覚えている。
スキルはDからAとSの5段階で評価されている。だけど評価方法は曖昧。それに加え、スキル保持者を縛り付けるような政策が発表された。
当然のように、それに反発するスキル保持者は多かった。人権問題だと騒ぐ無関係な人も加わって大規模なデモ活動が頻発。一時期治安がすごく悪かった。
「おはようございます。はじめまして。今日からお世話になる今泉薫です」
来た。少し早口になっているのは、緊張しているからかな。声は中性的。
「やあ、よく来てくれたね」
お父さんが迎えて、事務所の中へ入って来る。まだ振り返らない。
なんと言っても、私は金明高校の首席。余裕を見せておかないと。それに社長の娘としても、舐められないようにしないといけない。
事務所のみんなの自己紹介が始まって、そこでやっと私は振り返る。
男!!!
名前“かおる”なんでしょ?いや確かに男でもいるけど!なんで。男とか無理無理無理無理!というかお父さん、同い年の女の子だって言ってたよね。
なんで男が…あ、アルバイトなんだ。あの人は同期ではない。だからきっと伝え忘れてたんだよね。うん、そうだ。
「咲奈、そんな遠くにいないで挨拶しなさい。新入社員同士仲良くね」
「嫌。…今は無理。だってそれ男だよ」
私ひとりのために男を雇うなって、そんな我儘を言っているわけじゃない。
おじさんばっかりだけど、事務所には男性だっている。依頼人だって、飛び込みじゃなければ男性でも対応する。
心の準備があれば、話せる。
「中性的な外見だよね。でも安心して。今泉さんは女性だよ。スキル鑑定書にそう書いてあったからね」
「いや…あの…自分、男です。役所に訂正依頼してはいたんですけど、まだされてなかったんですね。あの、採用取り消しとか…ないですよね?」
怖々と尋ねたくなるのも無理はない。
社長の娘がいるとは聞いていなくても、知り合いであることは明白。気を遣って採用したことも考えられる。
「当然だよ。いやぁ、書類にあるとはいえ、間違えてごめんね。安心して。男性だと分かっていても採用したから」
だけど言った通りで、お父さんはそんなことしない。
もし私が男性とは無条件で話せないなら、私の方を採用しなかったはず。だからここに採用されたのは私の実力。
「良かった…」
ほっとため息が吐かれたのと同時に、事務所のドアがノックされる。今日会う予定の依頼者だろう。
顔を覗かせたのは、ストールを巻いて大きな眼鏡をした女性。
事務所のみんなに会釈をして、奥の部屋へと案内されていく。
私の仕事はもうお茶汲みじゃない。助手として数をこなして、早く一人前の探偵になる。そしてゆくゆくは名探偵になる!
そう意気込んでいると、依頼人を案内したはずのお父さんが部屋から出て来た。どうしたんだろう。
「今泉くんは、あの依頼者がなにを依頼しに来たと思う?」
「半分諦めた人探し、ですね」
戸惑う様子は見せたものの、淀みのない言葉だった。
事務所にあるヒントは、カメラくらい。なのにどうして。カメラだってあの依頼者に関係する物とは限らない。
わざわざ聞くくらいだから、ヒントがあるとする。じゃあ多分カメラ。
カメラの使い道といえばひとつ。写真を撮ること。だから、その行動をしている瞬間を収める必要がある。そう考えたとする。
それにしたって、浮気とか悪戯とかいじめとか色々ある。どうして人探しって特定出来たの。それに半ば諦めたって…。
「うん、そうだね。理由を考えてみてね」
どういう意味?そのまま受け取るなら、答えが分かっているのに理由が分からないってことになる。でもそんなことある?
「…はい」
どうして目を伏せる。
お父さんが再び部屋に入ると、大きなため息を吐く。
「どうしたんだ?推理したことを、ただまとめれば良いだけだろ。なにも難しいことじゃないと思うがな」
「自分、今までそれができなくて怒られてきたんです…」
「レポートみたいにきっちり書く必要なんてないのよ。最初だし、お手伝いしながらどんな風に物事を見てるのか知るというのも良いかもしれないわね」
事務所全体が賛成の空気になる。すると今泉薫は、目に涙を浮かべた。パンツを握り締め、俯く。
どうしたら良いのか。そういう雰囲気の目配せが始まると、涙は零れ落ちた。
「やっぱり俺、クビですか。これって、そのためなんですか」
「えぇ、いや、絶対そんなことないって。な?」
背中をさすって落ち着けつつ事務所のみんなを見渡す。賛同の声が上がっても、泣き止む様子はない。
「どうしてそう思ったのか、聞かせてくれないかしら?」
「だって俺、履歴書に男だって書いたのに。見てなかった。今になって見て、紺上高出身だって知って、やっぱりダメだって思ったんだ。どこも高校名を聞いただけで面接すらしてくれなかった。ここだって同じなんだ」
え…?紺上高校?
紺上高校は“ド根性高校”なんて揶揄されるくらいの、馬鹿高。そして校内の治安が悪いことで有名。なんでそんな人を…!
「それは、そんな高校にしか受からなかった貴方の責任よ」
今泉薫は小さく頷いただけだった。
案外冷静に受け止めている。怒って暴れるのかと思ったけど…本当にガラの悪い奴ばっかりが通っているわけではないんだ。
「泣いたりしてすみません。俺、頑張ります」
「ええ、頑張りましょう。じゃあまず、見たものをどう情報として捉えたかを書き出してみましょう」
用意されていたデスクに紙とペンが置かれる。躊躇いながらもそこに座った今泉薫の周りに、みんなが集まる。
せわしなく視線を動かしているだけで、ペンを持つ気配すらない。
「…わ、分かりません…。ごめんなさい…」
なにを見て、それに対してどう思ったか。たったそれだけ。なにが分からないのかが分からない。
戸惑う事務所のみんなの視線から逃げるように、俯く。
「俺…[名探偵]なんです」